5/28。例によって前日からずーっと仕事。少し仮眠して夕方に目を覚まし、有楽町・東京国際フォーラムへ。立川談志独演会『知らねえよそんな事ぁ』を見る。談志師匠を見るのも初めてなら落語を生で見るのも初めてのこと。「落語は100人や200人を前にやるもんだけど、不本意ながらこんなところでやっております」から始まって、延々と世間話(放送やCD化は完全に不可能な内容)やジョークが続いたあげくに始まった演目は『疝気の蟲』。ハチャメチャなアドリブが冴えまくり。仕草や表情が可笑しいのなんの。
15分休憩を挟んで、またしばらく世間話が続いたところで最近何演ったっけ?と、お弟子さんに根多帳を持ってこさせて、じゃ、これ演ろうか、と言う事で『紺屋高尾』。前のとは打って変わった演目でホロリ。普通この演目は瓶のぞきのくだりまで続くんだけど、この日の談志師匠は高尾が紺屋町にやって来た辺りで終わってしまう。で、作り話だと思うんだけどね、と、余韻を残しつつおしまい。これにはシビれた。粋だ。
幕が下りたと思ったら、これを忘れてた、と『落語ちゃんちゃかちゃん』(落語の名場面や名台詞を抜き出してリミックスした小演目)。キレ味抜群で実に楽しい。最後に「いい風を送って下さった皆さんに感謝致します」と、深々とひれ伏して終演。
なにしろ私たちは落語初心者(にすら達していない)なので、感想を書くのもおこがましい気はするんだけど、世間話と演目と下らないジョークとが渾然一体となった(演目の途中にさっきまでの世間話の続きがまた始まったりするのだ)談志師匠の高座を目にして、この芸はこの人の生き方そのものだな、と強く感じさせられた。人生を楽しみ、しがらみのなかでも自由な精神を失わずに居られる人じゃないと、同じ事をやったところで可笑しくもなんともないだろう。
私たちも“生き方そのもの”と言われるような作品を生み出したい。そう心底思った。
今日の文化は、多数の人たちのものになってきつつある。そして芸術家は壇から降りて、肉屋の看板を製作する心構えをしなければならないのだ。芸術家は、ロマン主義の最後のぼろ衣を脱ぎ捨てて、群衆の中の一人の人間として活動的になり、今日の芸術、材料、製作手段の中に湧き出るようなものでなければならない。その天賦の美的感覚を失うことなく、周囲の人たちが期待している要求に、能力をもって謙虚に応じられるようになるべきである。(ブルーノ・ムナーリ)
芸術としてのデザインより。
(著:ブルーノ・ムナーリ/訳:小山清男/ダヴィッド社)
5/25。昼過ぎからひたすら仕事。『simpatica』と『森の壁』の詳細図面をがんがん描く。夕方からCONFORT不定期連載『伝説のインテリアデザイン』vol.6の追加イラストに着手。20時頃、ようやく調子が出て来たところで丹青TDCの勅使川原さんから『simpatica』の施工図がどっさりFAXで届いて、さらにその内容に関する電話攻撃。そうこうしてるうちに21時過ぎになって、CONFORT・佃さんがイラストを引き取りに到着。まあ麦茶でも、と世間話をしたり電動消しゴムについて解説したりしながらイラストを完成させて、先日描いた滝内高志氏作品の見所マップの文字修正などなど。結局23時頃までおつきあいいただいて、イラスト原稿を手に佃さんは編集部へ戻る。その直後にCONFORT・藁科さんから電話とメール。本文テキストが添付ファイルで送られて来た。しかし前日から辛ラーメン(袋)とカロリーメイト(フルーツ味)しか食べていなくて、極度にパワーダウンしていたため、とりあえず食事。
で、『simpatica』の図面をさらに進めつつ、『伝説のインテリアデザイン』本文テキストの確認・変更作業。集中してるとあっという間に時間は過ぎて、もう26日の朝11時。ようやくテキストをメールで返送。これにて今回の最終入稿。あとは頼んだぞ藁科さん。
そして『simpatica』と『森の壁』の図面作業はまだまだつづくのだ。
5/18。たまプラーザ『sinmatica』がついに着工。タパスとワインがメインメニューのレストラン物件。
14時過ぎに勝野ひとりでたまプラーザへ。TO THE HERBSでクライアントの池田さん、ビールメーカーの人と3者打ち合せ。ビアサーバーの種類や機器構成、専用グラスの寸法などを確認。
打ち合せ後、いったん池田さんと分かれて、ちらっと現場を覗いてから現場近くのカフェで細かな建具納まりを考える。現場では墨出が進行中。こんな風に壁や造作のラインを床面に描いてゆく作業。
17時に現場で池田さんと再度合流。動線の広さやカウンターの奥行きを実寸で確認&微調整。
それから田園調布でバキっと整体してもらってオフィスに戻る。ヤギが留守番している間に丹青TDCの勅使川原さんが素材サンプルをどっさり届けてくれていた。
『simpatica』の主な配色はブラックオリーブ色とマットなシルバー。シルバーはほとんど水性塗装だけなんだけど、ブラックオリーブ色は水性塗装、スチールの焼付塗装、木工家具の染色、床材の染色などいろんなところで使うことになる。しかもPANTONEやDICではイメージに合う色が無い。ひとまず色調の近いカラーチップをDICで選んで、それをもとに濃さの異なる3種類ずつのサンプルをそれぞれの素材ごとに製作してもらった。
幸いサンプルの出来は予想以上。ほぼイメージに通り。床材のサンプルだけどうも色調が合わなかったので、再度製作してもらうことにする。
そうこうしている間にヤギは『森の壁』の実施設計図をひたすら描く。日が変わってもまだまだ作業は続き、19日の10時前にようやく詳細図などを除く一通りの図面が完成。メールにPDFデータを添付して木ごころ・飛澤さんに送信。
そしてまだまだ仕事は続くのだ。
5/14。14時から港区のクライアント宅で『森の壁』の打ち合せ。マンション一室の全面リノベ。つい先日、概算見積が出たんだけど、案の定最初に聞いてた予算を軽く越えているが、単価を見るとどの項目も恐ろしく安い。うーむ、さすが木ごころさん。
ひとつ予想外だったのは解体撤去の費用が高かったこと。最近は産廃処理の費用が高騰しているのだ。まあ、バスルーム、トイレ、キッチンも含めて全部とっぱらったら嫌でもこうなる、と言うこと。キッチンカウンターを現状のまま使う、などの変更を加えて若干の減額は図ったものの「やっぱこれくらいはやらないと意味無いよね」と言うことで、8割方そのままの内容でゴー。
打ち合せ後、クライアントと木ごころ・飛澤さんと一緒に現場まで歩いて移動。床と天井の一部を壊して、以前の現場調査では分からなかった正確な有効高さを計測。スラブ間で2450mmほど。ものすごく低い。どうりで全室にダサダサの蛍光灯シーリングライトがついてたわけだ。それに、あらためて見ると間取りもホントにヒドくて、現状のインテリアは全く使い物にならないことを再確認。やれやれ。
クライアントの英断に応えて、永く快適に使えるものを仕上げなくては。
5/12。14時に代々木『きっしょう』へ。この日もCONFORT誌『伝説のインテリアデザイン』の取材。取材。『きっしょう』のオーナー氏はこの店のオープン時から厨房に立ち、10年ほど前にこのお店を譲り受けた。デザイナーの滝内高志氏とは意外なことにオープン前後に少し会った以外にはぜんぜん顔を合わせていないそうだ。それでもこれだけ綺麗な状態でインテリアが維持されているのは、使っている素材や工事のクオリティが高いことも一因ではあるけど、なによりこのオーナー氏がこの店を大事にして来たことが大きい。オーナー氏は「長く居たことで、この店のデザインの凄さが少しずつ分かって来た」と話す。厨房のドアが壊れたりエアコンが壊れたりして、変更を加えざるを得なかった部分については「これは本当に痛かった」と心底残念そうだった。
インテリアデザイナーにとって、これほど有り難い話しは滅多にあるもんじゃない。正直、感動した。
上の写真は『きっしょう』の店内。ちょっとピンボケで残念。
16時30分頃、『竈』へタクシー移動。ここでもオーナー氏にお話を伺う。和風ダイニングやカフェブームの震源地である青山で10年間商売を続けて来たことはきっとものすごく大変だったんじゃないかと思うんだけど、オーナー氏は「いっぱいいっぱいですよー」と言いつつも実に飄々としている。自信の現れに違いない。
18時過ぎに撮影とインタビュー終了。タクシーで移動。梶原さんとは広尾のSIGMAラボで分かれて、藁科さんと私たちはそのまま恵比寿のCONFORTオフィスへ。今回の記事に必要な図面資料などを受け取って解散。
滝内高志さんに会った(May 05, 2004)
5/11。15時頃にCONFORT誌『伝説のインテリアデザイン』取材で原宿のバー『OTTAGONO』へ。
上は『OTTAGONO』の店内写真(奥に居るのは見学中の藁科さんと勝野なので気にしないで下さい)。オーナー氏は建築やデザインに関する知識が実に豊富な方。しかも、ものすごく好奇心おう盛で、インタビューしなくてはならないのにこっちが逆にインタビューされてるような状態になってしまった。うまくテキストにまとまるかなあ。
軽い食事の後、19時頃に『OTTAGONO』に戻って店先の撮影に立ち会い。それから渋谷の『黒い月』へタクシー移動。バーテンダー氏(女性)にお話を伺ったところ、このお店のオーナーは伝説のバー『ミルクホール』(場所は『黒い月』と同じ)からずっと変わっていなくて、ご本人はアルバイト時代を含めるとなんとこの場所を20年間見守って来たことになるのだそうだ。恐れ入りました。。。
滝内高志さんに会った(May 05, 2004)
5/3。17時に木ごころの飛澤さんがオフィスに到着。懸案の物件の補修工事などなどについて打ち合せ。
ここのところ木ごころさんにはホントにお世話になりっぱなしだ。ホントは木造住宅の工事が一番得意なんだな。木ごころさんは。しかし私たちの無理難題に応えていただくうちに、最近はどんなヘンな物件でもそつなくこなして下さるようになって来た。今後ともどうぞよろしくお願いします、と言うわけで、20時頃に打ち合せを切り上げて食事にご招待。
向かったのは料理居酒屋『勇山亭』。デザインをどうこう言うような雰囲気では全く無い小さな店。自由が丘と言う浮ついた立地でこれだけ上等な魚と一品料理をカジュアルに楽しむことが出来るのはほとんど奇跡的。バイク乗りで浜っ子の店主氏はリーゼントの似合う男前。この日もかわはぎ、鯛、ぼたん海老、とろ鯖などなどの造りと、月ごとに変わるおすすめ一品料理を数品いただいた。アルコールが全くダメな飛澤さんと勝野はウーロン茶。ヤギは生ビールと松露うすにごりのロック。
下の写真は季節の魚のマリネ。魚の種類をすっかり忘れてしまったのは不覚だったが、とにかく完熟トマトの上に切り身を乗っけてバルサミコソースで、と言う感じの一品なのだ。激旨かつ独創的。しかも実に美しい盛りつけだったので失礼ながらパチリ。
勇山亭/東京都目黒区自由が丘2-14-20-2F
03-3725-1002/17:30-3:00/日休
23時くらいまで飲んで解散。帰って仕事。
5/2。15時過ぎに御徒町のスタバでCGデザイナーでフォトグラファーの福間晴耕さんと待ち合わせ。この日は『三筋亭』の完成写真撮影。マンションのLDKとバルコニーのみの小規模リノベーション。
16時頃に現場到着。住まい手のタロヲ君と麻沙美さんがあらかじめものすごく綺麗に片付けておいてくれたおかげでほとんどセッティングの必要無くスムーズに撮影開始。今回は小さい上に入り組んだ空間なので果たしてどうやって撮ってくれるのかな?と思っていたんだけど、福間さんが用意していた中判カメラ用の魚眼レンズが大活躍。すげー。全景が入っちゃうよ。画の周辺が歪むのもまた面白い。調子に乗っていっぱい撮ってもらっているうちにもう21時過ぎ。
下の写真は私たちがデジカメで撮影したもの。広角レンズを付けてもイマイチ全貌が分からないくらい引きのとれない空間なのだ。来週辺りに福間さんに撮ってもらった写真をworksにアップするのでお楽しみに。
麻沙美さんに総菜パンをご馳走になって、23時過ぎに撤収。で、帰って仕事。
三筋亭のスナップ写真を2枚。
4/30。CONFORT誌『伝説のインテリアデザイン』の取材。14時前に外苑前改札を出たところで藁科さん・佃さんと待ち合わせてちょこっとタクシー移動。住宅街の真ん中で10分ほど迷って、なんとか滝内高志氏のオフィスにたどり着いた。
滝内氏の主な作品としては、先日巡った『黒い月』、『きっしょう』、『OTTAGONO』、『竈』の他にバー『ガラスダマ』、焼肉『そら』、クラブ『真空管』、居酒屋『ゆう』、レストラン&バー『エラグ』などが挙げられる。初期の作品には山本寛斎などのブティックも数多い。すでに現存しないもの、現存していても状態が良くなかったり業態が変更されているもの、などが大半なのはインテリアデザイナーの定め。
私たちが大阪でデザイナー修行を積んでいた90年代初頭、滝内氏の作品からは『黒い月』、『きっしょう』、『OTTAGONO』などに見られた重厚な素材使いがぐっと抑えられるようになって来ていた。金属や石には要所を引き締める役割が与えられ、代わりに大きな面積で用いられるようになったのが突板やモルタルなどのローコストな素材。そうした状況にはバブルがはじけて商業施設の内装費が減りつつあったことが影響しているのは明らかなんだけど、私たちにとって、滝内作品の変化は単なるコスト配分の調整以上の大きな意味を感じさせるものだった。つまるところ、滝内氏によるインテリアデザインは、床や壁の全てを高価な素材で覆い尽くす“内装”から、訪れる人々の気分や動作に働きかけるダイナミックな“空間”へと、役回りをガラリと変えたわけだ。
専門誌の誌面で『そら』(1992)と『ゆう』(1993)の写真を味た時の驚きは忘れがたい。金属や石が突板に代わり、特注照明器具が既製のボール球やリネストラランプに代わっても、滝内デザインのクオリティは低下するどころか、むしろより明快になって強度を増しているじゃないか。
そうしたハイパフォーマンスなデザインの延長上にあるのが滝内氏自身が運営を手がけた『真空管』(1993)と『竈』(1994)の連作。これらのインテリアには滝内氏とそのスタッフによるセルフビルドの箇所が多い。オープン当初の『竈』では箸置きまでがオリジナルで制作されていた。ここでの滝内氏の仕事はもはやインテリアデザイナーと言う言葉では括れない。そこにあるのは「いい店をつくりたい」と言うシンプルな思いだ。
バブルがすっかりはじけ切った後に独立して本格的に活動をはじめた私たちが、勇気を持って新しいデザインに挑戦することが出来たのは、滝内氏のこうした活動があったからこそ、だと言っていい。そんな風に直接的な影響を受けたせいか、私たちの世代のインテリアデザイナーにとって、滝内氏はまるで兄貴のように近しく思える存在だ。実際には親子に近い年齢差があるんだけど。
はじめてお会いした滝内高志氏は勝手に想像していたよりもずっと小柄ですごく痩せていた。短く刈り込まれた白髪と、ゴツいフレームの四角い眼鏡の奥から覗かせる鋭い眼光が印象的なその風貌は、まるで都会に降りて来た仙人のよう。
そんなわけで、最初は恐る恐る、と言った感じでインタビューをはじめたんだけど、滝内氏は徐々に素顔を表してくれた。倉俣史朗氏の赤いキャビネットを見てデザインへの思いをかき立てられ、家具製作会社や建築事務所やデザイン事務所に押し掛けてキャリアを積みながら、まっすぐな情熱に動かされるまま突き進んだデザインバカ(言っておくがこれは敬称だ)・滝内青年の物語を聞いて、時には大笑いしながらも心底感動した。大きな身振り手振りを交えた熱いトークに圧倒されて、上で書いたようなことはぜんぜん上手く説明できなかったのが残念だけど、そこには私たちのイメージ通りの若々しいパワーに満ちた滝内高志氏が居た。
いま滝内氏はこれまでに手がけた店舗運営の事業を徐々に整理して、より一層デザイン活動に注力するための体制を整えている最中とのこと。今後の展開が楽しみだ。これからも滝内氏は、きっと私たちの目の前を疾走し続けてくれるに違いない。
滝内高志氏の作品ツアー1(May 01, 2004)
滝内高志氏の作品ツアー2(May 02, 2004)
OTTAGONOと黒い月(May 14, 2004)
きっしょうと竈(May 14, 2004)
前のエントリーの続き。
歩いて原宿方面へ。ユナイテッドアローズから明治通りの脇道に入ってしばらく進んだところのビルB1Fに『OTTAGONO』がある。ここは1989年オープンのバー。詳しい住所は分からないんだけど、下の写真の階段が目印。
ここに訪れるのは実は2度目。素晴らしいバーだったんだけど、当時あまりの上質な雰囲気に恐縮してしまって、以来なかなか足を向けることが出来なかったんだなこれが。あれから8年くらいが経って私たちも随分と厚かましい中年になった。そんなわけで、改めて。
ドアを開けると正面に壁。左手にまわると、そこには真っ白な巨体を横たえるバーカウンター。人数を告げると、カウンターの中央に立ったボウタイのバーテンダー氏が静かな笑みを浮かべて、奥へ、と手をやる。円盤形をした小振りな革張りのスツールに掛けると思わずため息が出た。本当に、痺れるくらい研ぎすまされた空間だ。
ジントニックとアルコール弱めで甘みのあるカクテルを、とオーダー(勝野はアルコールがからきしダメ)。手前側が大きく丸みを帯びた白いバーカウンターのひんやりとした手触りを確かめた。これはなんと琺瑯で出来ている。世界中探したってこんなカウンターがあるのはこの店だけだろう。カウンターバックの壁に取り付けられたグラス棚の扉も琺瑯。その表面に散らばった楕円パターンに嵌め込まれているのは錫。頭上に目を向けると、天井面に穿たれた無数の小さな穴。そのすべてに硝子玉が嵌め込まれていて、やわらかい光が漏れ出ている。
しかしこれが完成後すでに15年近くを経た店だとは、全く驚異的だ。相応にヤレた部分など一切目に入らない。まるで時間を止める魔法にでも掛かったんじゃないか、と思うくらい。いや、たしか8年前に一度来た時はバーテンダーが二人だったな。たった一人の店になった分、バー空間特有の求心力は強くなった。もしかすると、この店が最上に研ぎすまされた姿を見せているのは今この瞬間なんじゃないか。
そんなことを思わせるくらい、このバーテンダー氏とこのインテリアが作り上げる空間は素晴らしい。酒、カクテルのクオリティについては推して知るべし。今現在、東京で、私たちにとって最高のバーがこの店だ。
『OTTAGONO』の住所や電話番号はここには書かない。取材を受けていただければ、7月発売のCONFORT(8月号)に詳しく載るはずなのでそっちをご覧あれ。
梶原さんと分かれて、藁科さんと3人でタクシー移動。渋谷東急本店の辺りで下車。雑居ビルの3Fにあるバー『黒い月』へ。ここには看板らしい看板が一切無い。銅板にステンレスワイヤーを縫い込むようにしてパターンをつけたドアを開けると、小さなバーカウンターと女性のバーテンダーがひとり、そしておとなしくて綺麗なミニチュアダックス一匹に迎えられる。
店内は本当に小さくて、『きっしょう』によく似た2人掛けのバースツールが3台。あとは小さなテーブル席があるだけ。カウンタートップは銅板貼。カウンターバックの扉も銅板で、ドアと同じワイヤーのパターンが施されている。それ以外の部分は床も壁もぜんぶ大谷石貼。壁面のフックまで円筒形に削り出した大谷石だ。なにしろ小さな店なので、インテリアデザイン的にはそのくらい。オープンしたのは1986年と今回巡った中で一番古い。滝内高志氏の手がけた飲食店としては最初期の作品だ。銅板の赤みがかったやさしい色味と、年月のしみ込んだ大谷石のグレーとがコントラストを醸し出している。
この店では本当はワインをいただくべきだったんだけど(バーテンダー氏の知識はものすごいらしい)、私たちは残念ながらワインには全くもって疎い。勝野はまたもや弱めのさっぱり系カクテル。かなり弱っていたヤギは気付けとして店と同じ歳のクラシックラム(名前をチェックし忘れた)をストレートでいただく。これがとどめ(もちろん美味しかったんです)。終電はとうに無い時間だったのでタクシーで帰宅。
●黒い月 / 東京都渋谷区宇田川町33-10-3F / t.03-3476-5497
8:00-4:00 / 日休
当然帰ってすぐ寝る。そして翌日はデザイナーご本人への取材なのだ。
4/29。18時に代々木駅前で藁科さんと待ち合わせてCONFORT誌『伝説のインテリアデザイン』取材のための物件下見。
最初に行ったのは居酒屋『きっしょう』。初めて行く店。メニューを開くと肴の品揃えに目を奪われる。北は北海道・東北系から南は沖縄系まで。どれもこれも旨い。にしん切り込み最高。他にかすべ、馬刺、タン塩焼、たぬき豆腐、サラダなどなどをいただく。今度はたてがみ、島らっきょう、それからご飯系も食べてみたい。酒と焼酎も渋いセレクトだったような(長丁場なのでここではビールとウーロン茶しか飲まなかった)。途中でフォトグラファーの梶原敏英さんも合流。
で、インテリアデザインの話し。これが予想以上の素晴らしさだった。事前にクリエーターズチャンネルにある写真を見て「わりとプレーンな左官メインのインテリアかな?」と思ってたんだけど、実はこの土壁の表面には長さ20、30cmくらいの真鍮の角棒がたくさん埋め込まれている。これが鋭角なスポットライトに照らされてキラキラ輝くのだ。バーカウンターと大テーブルのトップを覆う素材も真鍮で、腰の部分は土。異素材の対比、そして重厚な素材に与えられたシャープなフォルム。コントラストの激しさが否応無しに際立つ。こりゃクールだぜ。
オープンしたのは1987年。座布団が南国土産調だったり、熱帯魚の水槽が置かれていたり、と、少しばかり様子の変わったところも無くはない。でもそんなささやかなカスタマイズなんて笑い飛ばせるくらいの迫力がこの店にはある。17年を経た居酒屋とはとても思えないグッドコンディション。きっと大事に使ってらっしゃるんだろうなあ。いい店です。店名ロゴは坂本龍一氏の書、と言うのはここだけの噂話ってことで。
きっしょう / 東京都渋谷区代々木1-58-7-2F / t.03-3370-6118
17:30-23:00(木・金-2:00) / 日休
タクシーで神宮前に移動。外苑西通り沿いのビルB1Fにある『竈』へ。創作江戸料理を看板メニューに掲げる和食のお店。ここは何度も行ったことがあるんだけど、ここ2年くらい行かない間に家具がちょっと変わったとの情報があったので様子をうかがってみることにした。
『きっしょう』で思った以上に食べてしまったので、竹の子の刺身、そら豆、春キャベツのざく盛りなど軽めのものをオーダー。もうりょう鍋(大根とごぼうと鶏肉をあっさり出汁で煮た小鍋)は以前と比べると味付けが若干濃くなったがやはり美味しい。ご飯系とデザートも頼みたかったけどもうお腹いっぱい。ドリンクは加那のロックとジャスミン茶(ソフトドリンクが前よりも増えたような?)。
で、インテリアデザインの話し。以前はちゃぶ台で食事する形式だったのが、今はテーブルが置かれるようになっていた。でもベンチや小椅子は以前と変わらずものすごく低いまま。壁一面に墨絵がディスプレイされていたり、個室の壁に木が貼られていたり、などの変更もあったけど、空間の構成自体には全く変更は無い。アルミ貼の床も、客席中央に置かれた瓶の大きな生け込みもそのまま。食事しながら眺める店内の様子はほとんど変わらない。
何より嬉しかったのは全く以前通りの丁寧な接客。良かった。『竈』はまだまだ健在だ。DJブースのある和食店、と言うスタイルでもう10年め。もはやここは東京の名店のひとつと言っていいはずだ。
竈 / 東京都渋谷区神宮前2-9-11-B1F / t.03-3478-4956
19:00-4:00(祝-0:00) / 日休
そんなわけで、次のエントリーに続く。