1/22。北とぴあ・さくらホールで『立川談志独演会』を見た。
時事ネタ満載の小咄や雑談がこのまま終演まで行っちゃうんじゃないかというくらいに延々続いたかと思うといきなり演目に突入、というのが談志師匠の高座のスタイル。さらには演目の途中で急に雑談の続きに戻ったりするんだけど、最終的にはひとつながりのパフォーマンスとして実に奇麗にまとまったように感じさせられてしまう。前にも書いたが、この人の芸とこの人が日々考えたり感じたりしていることとの間には全く境目が無さそうだ。
で、演目は『木乃伊とり』(みいらとり)と『死神』。『木乃伊とり』ではハチャメチャな展開に爆笑の連続。一方、『死神』ではキレ味抜群にアレンジされたなんとも粋なエンディングに痺れた。どちらも談志師匠の抜群の演技力を強力に印象づける演目。特に死神の表情は本当に怖かった。。。
談志師匠はこの日の雑談の中で、現代の事情とは随分違った古典落語の時代背景について触れ、『芸をやる人間には古典と現代とのあいだを繋ぐ覚悟がなくちゃだめだ』と言ったことを話していた(実際の言い回しとは少々違うが)。重たい言葉だと思う。今この時代にデザインを手がけている私たちにも、おそらくそれだけの覚悟が必要なのだ。
1/14。東京国立近代美術館・ギャラリー4で『河野鷹思のグラフィック・デザイン─都会とユーモア』を見てきた。
河野鷹思は日本のグラフィックデザインの草分け的存在。伝説のプロパガンダ誌『NIPPON』(デザインに明るい人ならあの“暁の超特急”の表紙をどこかできっと見たことがあるはず)ではデザイン面での中心メンバーとして活躍した。また、舞台美術や展示計画の分野でも活動し、映画『生まれてはみたけれど』(監督:小津安二郎)には日本で初めて“美術監督”としてクレジットされている。
展覧会は2003年にギンザグラフィックギャラリー(ggg)で開催された『河野鷹思展 昭和を駆け抜けたモダニスト1906-1999』(当時の映像はこちら)での展示にギャラリー5610で開催された『河野鷹思さかな展2003』の作品の一部、舞台美術と展示計画の分野での活動を紹介する映像などを加えた内容。河野氏の広範なクリエイティブワークがほぼ全体的にカバーされるものとなっている。
とにかくいろんな面で先駆的な活動を行った人物なんだけど、見物はやはり何を置いても1950年代以降のポスター作品。この日改めて彼の実作品に接して痛感したのはポスターのもつ“物体”としての迫力だった。
彼のデザインするポスターの画面はその構成要素こそ単純極まりないが、描かれた形態が何を指すものなのかは常に明解だ。その限界にまでそぎ落とされた具象は人肌の暖かみとふくよかさを決して失わない(ほぼ同時代に活動した亀倉雄策が純粋な幾何学的抽象を目指したのとは対照的)。そこに込められたメッセージはインクの質感と重なりを伴い“物体”として目の前に力強く存在する。こうした感覚がグラフィックデザインの世界から失われて随分と久しい気がするなあ。
グラフィックデザインの持つ本来の力を再確認できる実に貴重なイベント。デザイン史を学ぶ上でも必見。
河野鷹思のグラフィック・デザイン(東京国立近代美術館)
河野鷹思資料室・Deska
河野鷹思(DNP Gallery)