8/28。西浅草『本とさや』で焼肉。場所はつくばエクスプレス・浅草駅のすぐ近く。アトリエからは徒歩十数分の距離。国際通りの裏通りにあるその建物の外観は、有名店には似つかわしくないと思われるほど小さく、実にワイルドだった。
暖簾をくぐると片言の店員さんに煙が出て良いか、無煙の方が良いかと尋ねられた。煙の出る方で、と答えたつもりだったんだけど、細くて急な階段を上って通されたのは無煙の席。ま、それはそれで店の構造がわかるから良しとしよう。靴を脱いで座敷へ上がり、特上カルビと上ハラミと上ミノ各一人前を塩で、それからキムチとセンマイ刺しも注文。少し時間をおいて大皿に盛られた肉が登場。
噂に聞いてはいたものの、特上カルビと上ハラミの豪快なビジュアルにはやはり驚いた。上の写真右下は追加注文したホルモン(タレ)。
テーブルには七輪が埋め込まれ、その上に網がセットされる。でかいくて分厚い肉を焼き過ぎることの無いよう、火加減に気を配りつつ早速焼きに取りかかった。滴り落ちる脂に時折炎が勢い良く立ち上る。事前にはこんなステーキ肉みたいなものを焼肉にするってのは果たしてアリなのか?と訝しんでたんだけど、ほどよく火の通った肉をサクっと噛み切り頬張った時点でそんな思いは氷解。こりゃ旨い。思わず顔がほころび、嬉しくなるような味わい。肉の質の高さのみならず、しっかりとピントの合った丁寧な作業ぶりが伝わって来る。
店の内装は建物の外観同様ワイルドそのもので、シチュエーション的には大阪・鶴橋の奥地を彷彿させるが、フロアの店員さんのそつのない応対は好感の持てるものだった。さらにこの後注文した冷麺(太麺)の上品な出汁には関西育ちの勝野も大満足。今までは自由ヶ丘『漢江』を基準に焼肉を判断して来た私たちだが、どうやらここでもうひとつ別の基準を加える必要がありそうだ。
豪快さを旨さに変えるには、実のところ繊細な感性が必要とされる。デザインもまたしかり。『本とさや』のクオリティの高い仕事に触れて、そんなことを思わずにはいられなかった。
本とさや/東京都台東区西浅草3-1-9/03-3845-0138
14:00-5:00(日祝13:00-1:00)/無休
8/30。2F、3F床スラブ下地の施行が進行中。
ピカピカの銀色と赤い錆止塗装とのコントラストが美しい。最終的な空間ボリュームがだいぶしっかりと確認できる状態になって来た。
下の写真にちらりと写っている鉄骨工事の彼は見事なアフロヘアだった。どうやってヘルメットをかぶるんだろうか?工事には何の関係もないけど、なんだかすごく気になる。
今度会ったら直接聞いてみようかな。
8/22。地下階のRC打設が終わり、地上階の鉄骨建方工事が進行中。隣地ギリギリの場所に鉄骨部材を運搬するクレーンの美しい動作に思わず感嘆。
1階床スラブの型枠を支えるため、地下階はとりあえずこんな状態。林立するスチールパイプの間を縫うように移動しながら施工の状態を確認。
その後、また現場近くのファミレスへ移動して打ち合わせ。
8/17。松下電工・汐留ミュージアム(汐留)と建築博物館ギャラリー(三田)に『建築家 清家清展』を見に行った。
私たちがデザインや建築を学び始めたのは80年代の末辺りからなんだけど、清家清(せいけきよし/1918-2005)の作品についてはほとんどピンと来なかった。今にして思えば無理もない。その頃、清家は比較的大型の建築物を手がけることが多かった。それらの抑制された意匠を読み解くことなど、アホでミーハーな学生だった当時の私たちなんぞに出来ようものか。50年代に清家の手がけた小住宅の数々が、かのバウハウス初代学長・グロピウスが見学に来るくらいに超モダンなものであったことを知ったのはずいぶん後になってからのことだ。
汐留会場での『<私の家>から50年』は小規模ながら見応えのあるものだった。『私の家』(1954)の原寸大での再現(本物は今も大田区に現存する)にはじまり、同じ敷地に隣接して建てられた『続・私の家』、『倅の家』のパネル展示を見て、プロジェクターの大画面でそれらの作品にまつわる四季の生活風景を眺める。映像スクリーンと『私の家』の間に置かれた『移動畳』は木漏れ日を象ったライティングに照らされ、来場者はそこへ自由に腰掛けることができる。さらに先へ進むとその他の作品に関するパネルや模型や施主の方々へのインタビュー映像などがあるが、この前半だけでも入場料をはるかに上回る価値があると思われた。おそらく建築にさほど興味のない人でも十分に楽しめる内容の展覧会だ。
一方、三田会場での『図面に見る清家清の世界』はまさしくほとんど図面だけの実にハードコアな内容。しかしトレーシングペーパーに鉛筆描きの原図が持つ迫力は、実際に建築に携わる者にとってはなんともこたえられない。汐留での展示を見たばかりだから感慨もひとしお。ありがたや。
清家の初期住宅作品と後期の大型建築作品は一見遠く隔たったものであるように思えるが、図面とそれに添えられた簡潔なキャプションのおかげで、工業部材と職人技とを極めてシンプルに併用する清家ならではの合理主義的視点がどの作品にも共通していることを理解することができた。
清家の作品には衒いと言うものが無い。それはもう見事なまでに。設計者として、施主の生活の隣に居ながらもの作りを考えるようになった今、私たちはようやく清家の美学に共感できる気がする。
願わくば清家のように、一切カッコつけることなくカッコいいものを作りたい。
清家清「図面に見る清家清の世界」 日本建築学会建築博物館ギャラリー
清家清「<私の家>から50年」 松下電工 汐留ミュージアム
8/2。着工後では最もハードな打ち合わせ。現場近くのファミレスで4時間あまり。今度は主に水仕舞の部分で色々と問題発覚。うーん、ここに来て問題発覚してる場合じゃないんだが。なんとかデザイン的に処理する方法をひねり出す。
そうこうしている間にも工事は着々と進行中。地下室の型枠と配筋が出来上がりつつある。
7/30。マンションの廊下から隅田川花火大会を観賞。残念ながら第一会場は給水塔の陰になってしまうんだけど、第二会場の方は部屋を出たところ真正面。
その始まりは1733年という歴史ある隅田川の花火。川幅が狭くなった昨今ではほとんど住宅・オフィス街の狭間という条件からさほど大きな玉を打ち上げることはできない。第一会場は5寸玉、第二会場は2寸5分玉が最大のようだ。それゆえ半端に派手な花火よりも、単色の上品な花火の方が印象に残る。
とは言え、時々大きめのが上がる時、ビルの向こうに火柱が立つような光景が繰り広げられるのもなかなかの見物ではあったりする。
特集・2005年隅田川花火大会(浅草い〜とこ/隅田川花火大会の歴史など)