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都市とデザインと : 建築家 清家清展

8/17。松下電工・汐留ミュージアム(汐留)と建築博物館ギャラリー(三田)に『建築家 清家清展』を見に行った。

050820_SeikeExhibition.jpg私たちがデザインや建築を学び始めたのは80年代の末辺りからなんだけど、清家清(せいけきよし/1918-2005)の作品についてはほとんどピンと来なかった。今にして思えば無理もない。その頃、清家は比較的大型の建築物を手がけることが多かった。それらの抑制された意匠を読み解くことなど、アホでミーハーな学生だった当時の私たちなんぞに出来ようものか。50年代に清家の手がけた小住宅の数々が、かのバウハウス初代学長・グロピウスが見学に来るくらいに超モダンなものであったことを知ったのはずいぶん後になってからのことだ。

汐留会場での『<私の家>から50年』は小規模ながら見応えのあるものだった。『私の家』(1954)の原寸大での再現(本物は今も大田区に現存する)にはじまり、同じ敷地に隣接して建てられた『続・私の家』、『倅の家』のパネル展示を見て、プロジェクターの大画面でそれらの作品にまつわる四季の生活風景を眺める。映像スクリーンと『私の家』の間に置かれた『移動畳』は木漏れ日を象ったライティングに照らされ、来場者はそこへ自由に腰掛けることができる。さらに先へ進むとその他の作品に関するパネルや模型や施主の方々へのインタビュー映像などがあるが、この前半だけでも入場料をはるかに上回る価値があると思われた。おそらく建築にさほど興味のない人でも十分に楽しめる内容の展覧会だ。

一方、三田会場での『図面に見る清家清の世界』はまさしくほとんど図面だけの実にハードコアな内容。しかしトレーシングペーパーに鉛筆描きの原図が持つ迫力は、実際に建築に携わる者にとってはなんともこたえられない。汐留での展示を見たばかりだから感慨もひとしお。ありがたや。

清家の初期住宅作品と後期の大型建築作品は一見遠く隔たったものであるように思えるが、図面とそれに添えられた簡潔なキャプションのおかげで、工業部材と職人技とを極めてシンプルに併用する清家ならではの合理主義的視点がどの作品にも共通していることを理解することができた。

清家の作品には衒いと言うものが無い。それはもう見事なまでに。設計者として、施主の生活の隣に居ながらもの作りを考えるようになった今、私たちはようやく清家の美学に共感できる気がする。

願わくば清家のように、一切カッコつけることなくカッコいいものを作りたい。

清家清「図面に見る清家清の世界」 日本建築学会建築博物館ギャラリー
清家清「<私の家>から50年」 松下電工 汐留ミュージアム

2005年08月20日 20:50 | trackbacks (0) | comments (0)
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