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都市とデザインと : 虎ノ門琴平タワー

10/20。神谷町で打ち合わせ。桜田通りを虎ノ門へ向かう途中に不思議な高層オフィスビルを発見した。鳥居?!

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ビル自体の外観は一見おとなしい。が、その実極めて端正なデザインが施されている。各部材の目地という目地が見事にぴったり合わせられているのを見て、一瞬「もしや谷口作品では」と思ったほど。
で、地上階に設けられた裏通りへと抜ける大きなオープンスペースへと目をやると、鳥居だけではなく立派な洗心や灯籠までしつらえられている。ビルの裏側へ行ってみると、そこにあったのはなんと讃岐・金刀比羅宮の分社だった。銘盤によると1660年に勧請されたと言う由緒ある江戸の名所。

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下の写真右がビルの足下にある洗心。写真左が裏通り側の鳥居。ちらっとしか写っていないが、現在の拝殿(1951年建立)は伊東忠太(築地本願寺旧阪急梅田駅コンコースなどをデザインした建築家・建築史家)が設計監修を担当したそうだ。また、百度石(1864年に奉納されたもの)が残されているのは今時の神社としてはかなり珍しい。

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下の写真はビルの1Fエントランスフロアに入ってみたところ。インテリアも抜かり無しの美しさ。ビル名は『虎ノ門琴平タワー』。竣工は2004年11月。設計は日建設計とのこと。国内で高層ビルのデザインに感心したのはこれが初めてかもしれない。

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現代建築+スピリチュアルスポット。いろんな意味で面白い空間だ。一見の価値大有り。

虎ノ門琴平タワー
日建設計

2005年10月28日 04:58 | trackbacks (0) | comments (11)
comments

あの建物はいいですね!

現代建築+スピリチュアルスポット とは、まさにそのとおり。
ltlさん、なかなかスルドイところを突いてますね。

もうすこし説明的な表現をすると、
容積を最大限使った現代のオフィスビル+低層にならざるを得ない宗教建築
でしょうか。

なんでそういうことになるかっていうと、ご存じのように、建築には、1敷地1建物の原則があるわけです。で、敷地には基準容積率があって、建てられる建物の規模が制限されてます。
こんななかで、経済原理に従っていたら、敷地に対し容積をそれほど使わない宗教建築とか歴史的建造物とかは、どんどん駆逐されてしまう。それを救うには、容積を有効活用できる種類の建物(たとえばオフィス)と、セットであつかうしかないんですね。同じ主旨から、ニューヨークあたりを発端に、容積のやりとりをする制度ができました。

で、これをどんなふうにデザインするかってこと自体、かなり面白いテーマと思います。
日本でもいろいろあるとは思うけど、たとえば新宿のグリーンタワーなんかも、神社かお寺が、それこそ「取ってつけたように」くっついてたと思います。これも日建だったような。その頃に比べると、虎ノ門琴平タワーのハイブリッドは、さすがに洗練されてますね。

高層オフィスをヒョイと持ち上げて、その足元に宗教建築っていうのでは、やはり大御所は、ニューヨークのシティコープセンターあたりでしょうか。これたぶん、70年代後半か80年頃の建物なんで、もう20年以上前なんですね。さすがススンでる・・・

posted by: えぐち : 2006年01月14日 21:42

ちょっと待ってください。

確かにデザインとしては洗練されていますが、果たしてのん気に喜んでいてよいものでしょうか。

ここで行われている、容積率の移転、つまり空中権の売買は、小泉政権下「都市再生本部」による規制緩和を盾に盛んに行われている都市再開発の常套手段です。

これが僕には、歪んだ都市政策の現れにしか思えない。
下北沢で現在行われようとしている「町殺し」と同根ではありませんか。

このような再開発が繰り返されれば、当然、東京に人の住める場所はなくなってしまう。

それでも構わないと言うのであれば、どうぞ遠慮なく礼賛してください。

僕は、とてもその気になれませんが。

posted by: 中村謙太郎 : 2006年01月14日 21:46

>えぐちさん,謙太郎さん

おお、ウチにしては珍しくブログらしい議論が。

いくつかの問題が混在しているように思われます。つたなくて恐縮ですが、私たちなりに思うところをコメントさせていただきますね。

既存の悪しきシステムを逆利用するかたちで(半ばゲリラ的な場合、または偶発的な場合もありますが)クオリティの高いものを生み出してゆくことは、持続可能な都市生活のシステムについてスタディする上で極めて有効な政治的手法のひとつだと私たちは考えています。

通常、東京などに残る寺社旧跡のたぐいは都市政策の波にさらわれ消え去るか、醜いビル型宗教施設へと変貌するのが関の山です。この建物が都心に提供する環境は、どうもそのどちらにも当てはまらないような気がします。端正な縦格子を思わせるカーテンウォールを背景に、鳥居の脇に並んだベンチでひなたぼっこをする老人と、拝殿の前で手を合わせるスーツ姿の若者を、交互に眺めることができる場所なんて滅多にあるもんじゃないですよね。「歪んだ都市政策」の産物だと言われればそれまでなんですが、私たちにはその風景が新鮮であると同時に懐かしく、都会的で健康なものに思えました。

「容積率の移転」が「都市再開発の常套手段」として行われるようになったのは、さほど新しいことではありません。市民の都市環境への関心が薄れ、短期的な経済と税収のみに向かう政策に加速度が乗り切ってしまった段階で町が死を迎えるのだとしたら、私たちの住む都市はもうとっくの昔に瀕死の状態です。
もし東京に人が住めなくなってしまうとしたら、その根本的な原因は無能な政治屋さんにではなく、むしろ都民の無関心にあると言うべきでしょう。責任ある政治的主権者であるところの市民として、古き良きものを未来へと繋げてゆくためのビジョンを、私たちひとりひとりが思い描く必要があると思います。

補助54号線と再開発をめぐる下北沢の動きには注目しています。でもそれとこの建物とを同時に論じるのは、私たちにとって飛躍があり過ぎて難しいですね。勉強不足でごめんなさい。

シティコープセンターのことは恥ずかしながら知りませんでした。webではあまり良い画像を発見することが出来なかったのですが、興味津々です。

posted by: 勝野+ヤギ : 2006年01月14日 21:47

早々にレスポンス、ありがとうございます。

おそらく、各々の立脚点の違いがコメントにも現れているのだと思います。
デザインする立場からすれば、与条件自体に文句を言うことよりも、それをどのようにデザインの肥やしにするかが重要だし、より現実的でしょうから。

虎ノ門琴平タワーは、何度か前を通ったことがあるので知ってます。
確かに、与条件に対する相当に高水準の回答でしょう。
与条件をネガティブにとらえるのでなく、逆手にとってデザインのプラスにする姿勢が必須であることについては僕も同感です。

ただし、やはり背景にある問題を抜きにしては語れないと思うのです。
まず制度の問題があり、それを踏まえて、どんな回答があり得るのか。
どちらも欠かすことはできません。

容積率の売買というアイデアが現実になり始めたのは80年代、中曽根内閣の頃ですが、この仕組みが適用される区域の範囲は、2000年前後から急激に拡大されています。
そして、以前は商業地域にのみ認められていたのが、2004年からは住環境にまで適用が可能になりました。
これまでが大丈夫だったのだから、という言い方はできないと思うのです。
(これらの動きに対して、結束さえすれば市民は決して無力でないものの、よほど注意深く見守っていない限り、事前に察知することが困難であることは、言うまでもありません)

したがって、この制度を歴史的建造物を残すための手法ととらえるのは、本家の米国はいざ知らず、日本においては、あまりにお人好しではないでしょうか。
京都や奈良の例に顕著なことですが、寺社の計画は、建物本体だけでなく景観も込みであることが多く、その場合、周囲に高層ビルが建てばブチ壊しになってしまいます。
本来であれば採りたくない選択肢のはずです。

しかし、このスレッドの二つ目までのコメントからは、問題意識を感じることができなかったため、久々にコメントを書き込んだ次第です。
でも、お二人のレスポンスによって、僕の疑念が杞憂であることは分かりました。
ですから、なお違和感を感じる部分についてのみ、述べさせていただきました。

posted by: 中村謙太郎 : 2006年01月14日 21:48

中村謙太郎さん、ltlさん、ご意見をありがとうございます。

う〜む。たしかに、容積のやりとりは、使いかたによっては都市を破壊することもありますね。

虎ノ門になんとなくニューヨークを重ね合わせて、のん気に喜ぶのは、少々オプティミスティックに過ぎました。反省。

容積率売買と都市環境の話や、下北沢の話、「都市は誰のものなのか」というそういう問題なんでしょうかね。
様々な主体の利害が相反するなかで、どうあるべきで、それを担保するのに、どうルールや手続きを決めとくか。一般解は無くて、すべて個別の話になってしまうと思うのですが、正直のところ、僕には答えはわかりません。

僕は基本的には建物を建てる関係の仕事をしているのですが、その一方で、アルド・ロッシだったと思うけど、「都市は記憶の集積の場」であると言ったように、慣れ親しんだ景観が無くなるのは、それだけで淋しくも思います。

僕の住んでいる近くに、いかにも都心にありがちな寂れゆく商店街があるんですが、この5年くらいで、肉屋と魚屋と豆腐屋と八百屋が廃業しました。
町にそういうお店があることは、とても好ましいことに思え、また、店が無くなったときには、とても残念に感じました。
だけど、じゃ僕がそこで買物をしたかというと、めったに料理をしないこともあって、ほとんど使ったことがないのでした。食材買うにはスーパー行ってしまいました。
「八百屋や魚屋が並んでる商店街」っていうものが、イメージとしてはそういうものがあってほしいと思っていながら、じつはすくなくとも僕の生活とは現実的なリンクをしていないのでした。

ちなみに豆腐屋は、木造2階建てに店舗と住宅って建物だったのが、地上4階地下1階のテナントビルに建て替えられました。工事がはじまったときには、竣工したら新築ビルの地下で再び営業しますって貼り紙が出てたんですが、けっきょく地下は飲食店に貸してしまって、店主は最上階の住宅で不動産オーナーになりきってしまいました。
たしかに、豆腐屋って、朝めちゃくちゃ早くて、一丁二百円とかの豆腐売る商売、シンドイのでしょうね。

ところで、まったく話はかわるのですが、いま、前川事務所さんと仕事やってまして、前川国男さんのお墓が、ウチの近所にあるとのことで、今日、ふと散歩がでら、お墓参りに行ってきました。外苑西通りのビクターのスタジオの隣の、仙壽院ってとこです。(道路の上を、墓地がまたいでるとこ)
お墓は、本人が設計したもので、前川国男さんと、弟さんで日銀総裁だった前川春雄さんがそこに眠ってます。お墓の前にクヌギの木があって、クヌギといえばカブトムシとか思って見たら、樹液の出てるあたりに、カブトムシはいなかったのですが、クワガタムシ(コクワガタのけっこう立派なオス)がいて、なんか嬉しかったです。

posted by: えぐち : 2006年01月14日 21:49

この議論、目頭があつくなります。ちょっとだけ参加させてください。駄文乱文ですみません。

都民の無関心についてですが、僕はそうは思いません。結果的に無関心と見られる、成らざるを得ない理由があります。それは完全なる情報公開が出来ていないからだと思います。ここでの問題は、行政やディベロパーの論理が開発主導だということ。なので、反対意見は開発行為に意識的な人間(つまりは住民とか)で言うしかない。

たとえば下北沢の再開発のことなんかも、興味のあるヒトしか知らないと思うんですよ。当たり前なんだけど。で、下北に屯するガキンチョのどれだけが再開発のことを知ってるのか、甚だ疑問なんですよね。。

けど、僕はこの「どれだけが再開発のことを知ってるか」が一番重要だと考えます。

さらに、そこに住むなり根付いている方々全員の、景観意識(本音は風景と言いたいのですがあえてこれを)が共通するとも思えません。特に都会では(、、ん〜都会人というのが正しいかな)。
となると誤解を恐れず言えば、対象を限定しないで「この景観は私のもの」みたいな感覚を共有することが重要だと考えます。

いま一番危険なのは、媒体ポテンシャルが高い不動産の証券化がすすんでいること。
媒体ビジネスである以上一時的な繁栄に過ぎなくて、あと3年5年経てば商品価値が今ほどなくなる(儲けられるのはあと2年とも言われている)でしょうから、たぶん金儲けだけ考えてるところは完全に手を引くでしょう。

そのときまでに、極論言えば「枯山水」と同じ視点で都市の景観が見れるような「価値」が浸透すればいいよね。なんて気がしてます。
これははっきり言って無理に近く相当難儀なのだけど、いまのところそれ以外答えが見つかりません。

ディベロッパーサイドも、特に上層部の人間なんかは、開発が景観に影響を及ぼすことはとうに知っていて当たり前のように考えていると思います。結果そうでなくなるだけで。
であれば一番のこととして、景観に意識的である人間が経済を引き合いに出して論破するようなビジネス構造を提案するしかないかなぁ。と思います。

さて、何かあるのか。僕には全然検討つきません。

posted by: 久原真人 : 2006年01月14日 21:50

謙太郎さんのおっしゃる通りだと思います(>まず制度の問題があり、それを踏まえて、どんな回答があり得るのか。どちらも欠かすことはできません。)。
まことさんのご意見にも全く同感です(>僕はこの「どれだけが再開発のことを知ってるか」が一番重要だと考えます。)。

私たちが制度の問題以上に市民側からの個別の回答を重視する立場をとってしまいがちなことについては、過去に大阪や神戸に住んで、京都市内の変化をわりと身近に眺めながら生活した経験のせいなんじゃないかな、という気がしています。

京都市のスカイラインや街区は様々な政策や制度によって保全されています。美しい山並みと点在する寺社の甍。一方その足下を冷静に眺めてみれば、不燃建材の凡庸な中低層建築群が無数に建ち並ぶばかりです。町家の集積は祇園などほんの数カ所のごく限られたエリアにしか残されてはいませんし、それは現在も目に見えるスピードで縮小しています。世界遺産・京都の現実とはそんなものです。そこには制度の限界と市民の景観に対する無関心が見事に露呈しているように思えます。

いったい京都で誰が何を守ろうとしたのでしょうか。少し考えてみればそれは明らかです。京都ではその都市経済に寺社の運営(端的に言えば観光)に依存する要素が多分に含まれています。多少日銭が少なかろうと、寺や神社がそのまま残ってさえいればいざと言うときにはなんとかなる、という事情があるのでしょう。つまるところ、京都の都市景観は純然たるビジネス構造によって保全されていると言えます。その辺、私たちが学ぶべきところも少しはあるかもしれませんね(>まことさん)。

個人的には、京都らしさをヒューマンなスケールまでちゃんと保全しようとしたなら、より大胆なビジョン(そこには計画的な高層化も含まれるかもしれません)と、何よりも市民の生活美と景観美に対する意識の高まりが必要だったのではないかと思われてなりません。もはや手遅れとなってしまったのが残念です。関西出身のデザイナーとして、私たち自身も反省しなくてはなりません。

京都・奈良と東京の歴史的建造物保全を並べて考えるのは難しいところですが、東京でも東京なりのやり方でより豊かな都市景観をかたち作ることができると思います。その可能性を示しうる仕事を手がけてゆくと同時に、積極的に都市へと働きかけてゆく責任を、私たちも東京のいち市民として強く感じています。

生活の各場面で都市環境と繋がる感性を無くしては、私たちは現状に対する問題意識すら持つことは無いでしょう。東京という都市への愛着の込もったえぐちさんのコメントに心から共感します。都心にクワガタムシの居る東京。本当に素敵なところですね。

posted by: 勝野+ヤギ : 2006年01月14日 21:51

えぐちです。

あらためて、虎ノ門琴平タワーの配置
http://www.kotohiratower.com/about.html
を見たんですが、もうこれ以外ないっていうくらい巧みなプランですね。

桜田通りからの拝殿の見え方が良いです。額縁みたいな効果がありますよね。それから、最短距離で拝殿に達するんじゃなくて、いちど拝殿からは離れる方向に歩かせて、あらためて、まっすぐ向かわせる動線がいいです。
このビルが建つ前、どんななってたか思い出せないんだけれど、桜田通りとの関係は、むしろ良くなったような・・・。 気になって探したら、こんなの(↓)ありました。
http://image.blog.livedoor.jp/chiwami403/edce5ec8.jpg

どうやら、現在のオフィスビルの1階が占めてる部分(ピロティを除くエントランスとコアの範囲)と、ちょうど同じくらいの位置に旧建物(琴平会館ビル)が建ってたみたい。
いろいろ読むと、この旧建物は昭和40年築ってことなので、神社が、株式会社の別法人をつくって、境内の中の空いてるところに貸しビル建てたってのが、まずは××のはじまりでしょうか。昭和40年ってのが、いかにもかなあ。
で、今回はデベロッパーがはいって、たぶん等価交換の仕組みで、神社やその株式会社法人は、お金を出さずにビル建て替え&神社境内整備を行ったってことなんでしょうかねえ。

う〜む。時代だ・・・ (なんて言うと、また、無責任か・・・)

posted by: えぐち : 2006年01月14日 21:51

>えぐちさん
昭和40年(1965年)と言うことは東京オリンピックですか。さもありなん。。。なんにせよ、より良い環境が実現して良かったと思います。

ところで、虎ノ門琴平タワーを設計した日建設計は阪急百貨店梅田本店建替の設計にも携わってるんですよね。東と西とで伊東忠太作品の命運が見事に二分され、その両方に同じ設計者が関わっていることになんだか因縁を感じてしまいます。

posted by: 勝野+ヤギ : 2006年01月14日 21:52

偶然見つけたブログにカメレスで失礼します。
懐かしい虎ノ門。。。。。
勤務先の会社がテナントとしてはいっていました。

建て替え後に戻ってきたテナントはいたのでしょうか?
思い出すことばかりです。

外務省の天下りの親父がビルに出入りしていたヤクルトおばさんを平手うちにしたこともありました。その親父はエレベータのボタンを押す時に私の手に触ってしまった時にも一言の「失礼」もなく、じろっと、私を平然と見ていました。受付にいた派遣の女の子相手に家庭の自慢を話していた事を、私たちは陰で笑っていたことを本人は知りません。

国の無駄使いをばらすような話を平然とランチタイムに同僚としゃべっていた女性たちは隣の席でダンボ耳でじっと聞いていた私を知りません。

電力関係の財団法人は原子力発電で出る核廃棄物の捨て場所を求めてどこかの島への見学を、民間のプランナー(作家の奥さんがからんでいました。)と一緒に行きましょうと、霞が関での会合のあと、虎ノ門琴平会館並びにあったベーカリーの2階で、うれしそうに話していましたっけ。

今や立派なビルの中には、きっと立派な企業が入っているんでしょうね。
もともとのテナントの監査法人が入るための再開発とのうわさもありました。
「T」という監査法人の若い奴が、ある日うちの事務所にツカツカ入ってきて、何の挨拶もせず、事務所内を見回すのです。結局手狭だという事がわかったようで、その後、改築が具体化していきました。

Tの男は無作法でした。肩で風を切るように乱入してきました。
勿論琴平会館ビルの事務のお姉さんも同行してきましたが、びっくりでしたよ。

保険会社の女性上司は、トイレの使い方が汚くて、後に入ると、びっくりでした。


私はといえば、あの頃は平和だったとつくづく、思います。
会社から自宅まで徒歩で帰宅。途中、麻布経由で買い物をしながら帰るとへとへとで、夕食の支度が遅れましたっけ。

そう、あの頃には、まさか、自宅のエレベータで事故が起きるなんて思いもよりませんでした。。。。。

新しくなってから、一度も桜田通りを通っていません。
新ビルの姿もまだ見ていませんでした。
でも、このブログのおかげでその姿の一端がわかりました。

   
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
   あ り が と う ご ざ い ま す !
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今となっては「思い出」の虎ノ門ですが、再開発によって記憶が切れるのは、住民だけではなく、そこで毎日をおくっていた勤め人も、同様に記憶の箱に蓋をしてしまうことを、ちょっと皆さんにご披露したかったので書かせていただきました。

お読みくださって感謝です。


建て替えのためそれまでのテナントが皆立ち退き、私は記念に女子トイレに有った木製の物入れ(歯ブラシとコップを収納するもので、細かく仕切りあります)をいただき、今ではベランダで風知草の台として使っています。


posted by: cuba2004n : 2008年06月17日 14:31

>cuba2004nさん
貴重なお話を大変ありがとうございました。最後の一文で救われた気がします。外側から見ると無味乾燥なオフィスビルも、そこで過ごす方々にとっては「記憶の箱」なんだ、と改めて思いました。

posted by: 勝野+ヤギ : 2008年06月18日 03:50

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