2/24。ビデオプロジェクター用のSケーブルを届けるため20:00過ぎに代官山へ。とっくにこの日の作業は終わってるだろうと思ってたんだけど、現場ではイカハタ・谷川さんが一人奮闘中だった。前日に出来た床組に一部きしみがあるので補修して下さっているとの事。工期が短く予算の限られた現場ではこんな風に現場監督さんが自ら作業を行わざるを得ない場面が発生する事もある。お疲れさまです。
内装造作下地のLGS(ライトゲージスタッド/軽量鉄骨)が檻のように立ち並ぶ。
週が明けて2/27。この日でPB(プラスターボード/石膏ボード)貼がほぼ完了。夕方現場に着くと、職人さんがコーナー材を貼り付けているところだった。
壁や天井がかたち作られ、なんとなく空間ボリュームが想像できる状態に。吊天井の下地金物もすでに取付が終わっていた。移設した既存のエアコンとのスキ間が予想以上に小さく見える。どうやら照明器具の取付けに工夫が必要となりそうだ。むむー。
2/23。前日に既存のWCなどが解体され、この日から本格的に工事がスタート。
先ずは配管工事。そしてキッチンと新しく作るWCの床組工事が同時に進行。
上の写真左は換気扇の配管を行う空調屋さん。右の写真は銀色の被覆を巻かれたレンジフード用配管が既存の排気ダクトに接続された様子。こいつが想像を上回るゴツさだった。この下に冷凍冷蔵庫を置く予定だったんだけど、どう見ても高さ的に無理。止むなく一部プラン変更することに。
床組が一通り終了し、コンパネの上に墨出しを行うイカハタ・谷川さんと清原さん。
2/21。仕事帰りにラーメン。行ったのは西麻布交差点近くの『赤のれん』。東京における博多ラーメン店の草分けとされる店。オープンは1978年とのこと。
写真は味付玉子を添えたラーメン。ビジュアルは平打ち細麺に濃厚な白濁豚骨スープの紛う事無き博多スタイルだが、麺や具にねっとりと絡むくらい油分が多いにも関わらず、しょっぱさは抑えめで飽きのこないスープはこの店ならではのように思う。後半に高菜や紅生薑など好みのをトッピングを加えると、そのポテンシャルはさらに引き出される。間に替え玉を挟めばなおのこと良し。
ラーメンには特にこだわりも蘊蓄も無いんだけど、年に何度か無性に食べたくなる味だったりする。
赤のれん/東京都港区西麻布3-21-24
03-3408-4775/11:00-5:00/日休
2/20。昨年10月からデザインを進めていたバー物件がようやく着工。場所は代官山の駅からすぐ。この日は各工事業者さんによる現場ミーティングと、墨出しが行われた。
それにしてもここに到るまでがずいぶんと長かったように感じる。店舗区画の建築的条件から、現実的なレベルにまで施工金額を近づけてゆく事が非常に難しく、おそらくlove the lifeのキャリアの中でも最も予算調整に手間取ったかも。まだ若干の不確定要素が残っているのでしばらくは予断を許さない状況が続きそうだが、クライアントがデザインを気に入って下さったおかげで、どうにかこうにかもう一息のところまで来た。
内装の施工はSHIPSなどの店舗を数多く手がけているイカハタさん。予算の関係であちこち分離発注することになってしまったにもかかわらず、とても親身に対応して下さっている。ありがたや。担当の清原さんと谷川さんはかなりのお洒落さん。
店名は『Bar dcb』(ディーシービー)。オープンは3/21の予定。楽しい現場になるといいな。
前回に紹介した『JAPAN INTERIOR/日本のインテリア Vol.1 デザインの奔流』の冒頭論文をデザイナーへのインタビューで大幅補足してくれるのが雑誌『SD』1986年5月号。登場するのは渡辺力氏、剣持勇デザイン研究所・松本哲夫氏、境沢孝氏、倉俣史朗氏、北原進氏、梅田正徳氏、内田繁氏、スーパーポテト・杉本貴志氏、『ジャパン・インテリア』誌の元編集長・森山和彦氏の10名。日本のインテリアデザインの第一世代から第三世代までをカバー。さらには渡辺妃佐子氏、沖健次氏、飯島直樹氏らがインタビュアーをつとめている。
何よりも貴重なのは当時プリンスホテルの連作を手がけていた渡辺力氏と、第二世代において重要な活動を残したデザイナーの一人であり現在最も早急な再評価の望まれる境沢孝氏のインタビューが収録されている事。バブル期の狂騒へと向かうインテリアデザイン界に対してクールに警鐘を鳴らす渡辺氏の談話には、クリエーターが常に心しておかなくてはならない“虚構”についての鋭い考察が含まれている。当時のインテリアデザインの状況に対する境沢氏のひと際突き抜けたコメントも印象的だ。ちょっと長いけど引用させていただこう。
ここ数年のデザイン誌を見ているとまるでお棺が置いてあるようなショップ・デザインが非常に目につくので、多分いいと評価されているらしいけど、それは10年前のデザイナーがやっていたことを今またやっているようでどうしても興味が持てない。その上このスタイルが商売としては安定し、成立つという何の危険性も持っていない空間になってしまっていることにつまらなさを感じます。自分を彫り込む、個性を出すといった姿勢が余り感じられません。傑作を残すなどと言うことを前提に考えて、堅くなりリラックスしたデザインが生み出せないのなら、そんな気張った考えをすてて、ある意味で、ジョークのつもりで軽いさわやかなデザインを生み出してほしい。ただ日本の状況だとそういうデザインは、安っぽいとか甘っちょろいと、忽ち言われてしまう。そう言う環境がよくない。むしろそういった環境を破壊する事をジャーナリズムに期待します。(境沢孝)
掲載後20年経った今でも、後続の意識へと向けられたこの言葉のもつ破壊力は失われていない。
また、森山氏のインタビューも見逃せないものだろう。展覧会『空間から環境へ』(1966)や『ie』(1969)、ミニマルアートやイタリアのラディカルデザインが日本のインテリアデザインに与えた影響についての言及は、ジャーナリズムの視点からインテリアデザインの潮流を概観したものとして実に興味深い。
一昨年辺りからインテリアデザインに関する書籍や古雑誌を少しずつ集めはじめた。とは言え、集めようにもデザイナー自身が読んでためになるような書籍となると元々ほんのごくわずかしか世に出ていない。おかげでそれほど散財せずに済んでいるのは幸か不幸か。どうもインテリアデザイナーという人種は自らの表現について冷静に分析したりまとめたりすることが不得意、と言うか全く向いてないみたいだ。内田繁氏ただ一人を除いて。
内田氏の数多くの著作の中でも特別な労作と言えるのが『JAPAN INTERIOR/日本のインテリア』の大型本シリーズ(1994-1995/六耀社/絶版)。沖健次氏との共同編著で、Vol.1『デザインの奔流』、Vol.2『レストラン・バー・ディスコ・クラブ』、Vol.3『ブティック・ヘアーサロン・ショールーム・他』、Vol.4『ホテル・オフィス・住宅』の4冊からなる。中でもVol.1『デザインの奔流』はインテリアデザインを生業とする者ならなんとしても手に入れておくべき必読書のひとつ(なんて書きながら私たち自身2004年にやっとこさ入手したんだけど)。内容は内田氏による論文『近代インテリアデザインの潮流─明治・大正・昭和』にはじまり、続いて1965年から1993年までの主要な店舗空間デザインの作品紹介、さらに沖氏による論文『失われた「風景」をもとめて─80年代のコマーシャルインテリアデザインをとおして』まで。続刊のVol.2からVol.4では80年代から90年代初頭までの重要なインテリアデザインが豊富な写真で紹介されている。
Vol.1『デザインの奔流』で作品紹介が65年からはじまっているのは、コマーシャルインテリアデザイン(店舗空間デザイン)のビッグバンが起こったのが東京オリンピックの開催された64年だから。オリンピック前の日本は空前の建築ラッシュ。建築家の手に余ったどうでもいいような建物が無数に生まれ、おそらく日本の都市風景はこの時期に目に見えそうなくらいの勢いでぶっ壊れていったのだと思う。しかしぶっ壊れた街はインテリアデザインを建築から自立したジャンルとしてゲリラ的に形成してゆくには格好の舞台だったわけだ。そんな60、70年代の店舗空間デザインを先頭で引っ張ったのが岩渕活輝氏、境沢孝氏、倉俣史朗氏(剣持勇氏の活動はビッグバンの素地となった)らのデザイナーや建築家。そして北原進氏、岡山伸也氏、内田繁氏、スーパーポテト(杉本貴志氏・高取邦和氏)らが続く。と、その辺の事情と時代背景をまさしく当事者であった内田氏自身が巻頭論文で素晴らしく丁寧に解説して下さっている。興味深いのは60、70年代のインテリアデザインと美術ムーブメントとの同期に関する記述。ドナルド・ジャッドやダン・フレヴィンらの作風がようやく確立されつつあった69年に倉俣が『ジャッド』(クラブ)や『エドワーズ本社』(オフィス)をデザインしているのはまさに象徴的だ。
そして80年代以降になると店舗空間デザインは徐々に商業資本に絡めとられてゆき、バブルがはじけ、なんだかんだで現在に至る。なにせこの本が制作されたのは92、93年頃なので、内田・沖両氏の論文はその辺りの流れをスッキリまとめるには至っていない。しかし編集後記で両氏は「80年代以降の多くのデザインは、視覚を先行させることだけに終始し、空間の背後から立ち現れてくる“認識”の問題が失われているように思えてならない。」と鋭く指摘している。
最後に掲載された論文は沖氏ならではの解読し難い文体ではあるが、その結びの段は実に美しく、インテリアデザインの本質を突く。
コマーシャルインテリアデザインが形象から開放され「純粋な風景」として存在した時、人々の心と同化するはずだ。<中略>自己意識に裏打ちされた「内面性」へ遡行したり、それを表現してはならない。「化粧」が落ちて、デザインの「素顔」が現れたとき、初めて「内面」が意味し始めるのだから。
それにしても、そろそろ80年代以降から今後に至る空間デザインの流れをまとめるべき時期ではないだろうか。店舗空間デザインの変遷を理解する事は、現代の都市生活を語る上で最も有効な手段のひとつであるはずだ。
JAPAN INTERIOR/日本のインテリア
vol.1 デザインの奔流(Amazon.co.jp)
vol.2 レストラン・バー・ディスコ・クラブ(Amazon.co.jp)
vol.3 ブティック・ヘアーサロン・ショールーム・他(Amazon.co.jp)
vol.4 ホテル・オフィス・住宅(Amazon.co.jp)
内田繁(creators channel)
沖健次(JDN)
2/8。木造作工事もそろそろ後半戦。
建物本体の外装はルーバーも付いてほぼ完成しつつある(上の写真左)。木ごころさんの担当していた1Fの内装造作工事はすでに完了。上の写真右は塗装工事を待つ1Fゲート造作のひとつ。
B1Fの光庭から2Fテラスの手摺の高さまで立ち上がる壁は全面檜で覆われた。なかなかの壮観。
3Fのテラスにウッドデッキが敷かれた。手摺上のプランターボックスも取付け完了。さて、何を植えようか。
2/3。仕事帰りに偶然見つけた『HEYWOOD WAKEFIELD』に立ち寄った。1826年創業のアメリカの家具メーカー。場所は西麻布交差点と広尾の駅の中間くらいの外苑西通り沿い。2006年1月にオープンしたばかり。モルタルとステンレスとクリアガラスによるシンプルで質感の高い店構え。
アメリカの家具については全く知識のない私たちにとっても『HEYWOOD WAKEFIELD』の名前は特別なものだ。出会ったのは目黒通りにあるアンティーク家具の老舗『ACME』の最上階。自由が丘に住んでいた頃だからもう7年ほど前になる。ただでさえ質の良いリペア家具の揃った『ACME』だが、中でも『HEYWOOD WAKEFIELD』の家具の持つぽってりしたフォルムと生き物のような存在感は大いに異彩を放っていた。また、余計な要素を大胆にそぎ落としたミニマルなディテールは大いにデザイナーのハートを刺激する。当時は引出しを開けたり扉を開いたりするたびに「おおっ!」と小さな叫びをあげていたものだ。無垢の木材だけで表現された「懐かしい未来」。チェストかサイドテーブルあたりをぜひ一台購入したいところだったんだけど、その価格に踏みとどまらざるを得なかった。
不勉強な私たちは『HEYWOOD WAKEFIELD』のことをミッドセンチュリーの量産家具に淘汰されてとっくに無くなってしまった会社だと思っていた。まさか今になって、こんなところに立派なショールームができるとは。
久しぶりに触れる事のできた『HEYWOOD WAKEFIELD』の家具(新品!)は、相も変わらずペットのような愛らしさとクールなディテール、高い質感を持ち、そして思わず冷や汗のでるような値札を下げていた。いつかこれを手に入れる事の出来る日は果たして来るだろうか。
HEYWOOD WAKEFIELD (Japan)
HEYWOOD WAKEFIELD (USA)
2/2。ガーデニングをお願いするSHIZENの島田さんと現場打合せ。
何度もしつこく載せ過ぎのようだけれども、3Fの檜羽目板貼はやはり美しい(上の写真左)。2Fの造作工事もこの一週間で随分進んだ(上の写真右)。
3Fテラスの手摺の上にプランターボックスが取付けられた(上の写真左)。2Fテラスは檜大和張りのフェンスで囲われつつある(上の写真右)。四角い窓がいい感じ。