一昨年辺りからインテリアデザインに関する書籍や古雑誌を少しずつ集めはじめた。とは言え、集めようにもデザイナー自身が読んでためになるような書籍となると元々ほんのごくわずかしか世に出ていない。おかげでそれほど散財せずに済んでいるのは幸か不幸か。どうもインテリアデザイナーという人種は自らの表現について冷静に分析したりまとめたりすることが不得意、と言うか全く向いてないみたいだ。内田繁氏ただ一人を除いて。
内田氏の数多くの著作の中でも特別な労作と言えるのが『JAPAN INTERIOR/日本のインテリア』の大型本シリーズ(1994-1995/六耀社/絶版)。沖健次氏との共同編著で、Vol.1『デザインの奔流』、Vol.2『レストラン・バー・ディスコ・クラブ』、Vol.3『ブティック・ヘアーサロン・ショールーム・他』、Vol.4『ホテル・オフィス・住宅』の4冊からなる。中でもVol.1『デザインの奔流』はインテリアデザインを生業とする者ならなんとしても手に入れておくべき必読書のひとつ(なんて書きながら私たち自身2004年にやっとこさ入手したんだけど)。内容は内田氏による論文『近代インテリアデザインの潮流─明治・大正・昭和』にはじまり、続いて1965年から1993年までの主要な店舗空間デザインの作品紹介、さらに沖氏による論文『失われた「風景」をもとめて─80年代のコマーシャルインテリアデザインをとおして』まで。続刊のVol.2からVol.4では80年代から90年代初頭までの重要なインテリアデザインが豊富な写真で紹介されている。
Vol.1『デザインの奔流』で作品紹介が65年からはじまっているのは、コマーシャルインテリアデザイン(店舗空間デザイン)のビッグバンが起こったのが東京オリンピックの開催された64年だから。オリンピック前の日本は空前の建築ラッシュ。建築家の手に余ったどうでもいいような建物が無数に生まれ、おそらく日本の都市風景はこの時期に目に見えそうなくらいの勢いでぶっ壊れていったのだと思う。しかしぶっ壊れた街はインテリアデザインを建築から自立したジャンルとしてゲリラ的に形成してゆくには格好の舞台だったわけだ。そんな60、70年代の店舗空間デザインを先頭で引っ張ったのが岩渕活輝氏、境沢孝氏、倉俣史朗氏(剣持勇氏の活動はビッグバンの素地となった)らのデザイナーや建築家。そして北原進氏、岡山伸也氏、内田繁氏、スーパーポテト(杉本貴志氏・高取邦和氏)らが続く。と、その辺の事情と時代背景をまさしく当事者であった内田氏自身が巻頭論文で素晴らしく丁寧に解説して下さっている。興味深いのは60、70年代のインテリアデザインと美術ムーブメントとの同期に関する記述。ドナルド・ジャッドやダン・フレヴィンらの作風がようやく確立されつつあった69年に倉俣が『ジャッド』(クラブ)や『エドワーズ本社』(オフィス)をデザインしているのはまさに象徴的だ。
そして80年代以降になると店舗空間デザインは徐々に商業資本に絡めとられてゆき、バブルがはじけ、なんだかんだで現在に至る。なにせこの本が制作されたのは92、93年頃なので、内田・沖両氏の論文はその辺りの流れをスッキリまとめるには至っていない。しかし編集後記で両氏は「80年代以降の多くのデザインは、視覚を先行させることだけに終始し、空間の背後から立ち現れてくる“認識”の問題が失われているように思えてならない。」と鋭く指摘している。
最後に掲載された論文は沖氏ならではの解読し難い文体ではあるが、その結びの段は実に美しく、インテリアデザインの本質を突く。
コマーシャルインテリアデザインが形象から開放され「純粋な風景」として存在した時、人々の心と同化するはずだ。<中略>自己意識に裏打ちされた「内面性」へ遡行したり、それを表現してはならない。「化粧」が落ちて、デザインの「素顔」が現れたとき、初めて「内面」が意味し始めるのだから。
それにしても、そろそろ80年代以降から今後に至る空間デザインの流れをまとめるべき時期ではないだろうか。店舗空間デザインの変遷を理解する事は、現代の都市生活を語る上で最も有効な手段のひとつであるはずだ。
JAPAN INTERIOR/日本のインテリア
vol.1 デザインの奔流(Amazon.co.jp)
vol.2 レストラン・バー・ディスコ・クラブ(Amazon.co.jp)
vol.3 ブティック・ヘアーサロン・ショールーム・他(Amazon.co.jp)
vol.4 ホテル・オフィス・住宅(Amazon.co.jp)
内田繁(creators channel)
沖健次(JDN)