『商店建築』の2006年10月号に『夢組新松戸店』が掲載されています。小特集・コンパクトショップのページ。見てね。
同特集にはスピンオフ・塩見一郎氏がデザインした『Gelateria Bar Natural Beat』も掲載されています。付帯記事にはコンパクトな店舗のデザインに関する塩見氏へのインタビューが。『Soup Stock Tokyo』にも言及された内容は、氏のデザインへの真摯な取り組みを感じさせると同時に大変勉強になります。
商店建築/2006年10月号(商店建築社)
付帯記事にはlove the lifeへのインタビューもちょこっと掲載されています。内容は編集部でまとめてもらったものなので、若干ニュアンス的に「あれれ?」と思う部分も。大まかにはほとんど変わりがないのですが、一応書き換えたものをこちらに掲載しておきます。塩田さん、ごめんね(笑)。
勝野のiMac (G4)が突如グレーの画面でカリカリ言ったまま立ち上がらなくなりました。幸いターゲットモードだと起動したので、取り急ぎ必要なデータを救出しようとしたんですが、現在進行中の1プロジェクトのフォルダだけが読み込めません。しかも変更日が1904年1月1日とかになってるし。。。そんなわけで、このフォルダだけは泣く泣く救出を諦めて、HDをきれいさっぱり全消去。
で、一日がかりの作業を経て復活。幸い現在のところiMacは快調です。連絡の取れなかった皆様、大変ご迷惑をおかけ致しました。。。
love the lifeがファン代表として制作させていただいている野井成正さんのホームページ『noi-shigemasa.com』に2006年完成の3作品を追加。見るべし!
Photo : Seiryo Yamada
イチオシは8月に大阪・堂島ホテル内にオープンしたアイウェアショップ『ブリレン・バッハ』。メイン什器の概形を『リスン京都』から引き継ぎながら、ぐんとシャープな空間へと再構築したデザイン。細いスチールロッドを繊細に組み上げた支柱の構造は、精密機械を思わせると同時に、木漏れ日のきらめきのように非実体的でもある。
もちろん『志村や』と『アルクファニチャーポイント』も必見。みんなカッコ良過ぎて打ちのめされます。ああ精進せねば。。。
9/18。東京国立博物館で抱一の『夏秋草図屏風』を見たついでに他の展示作品も少しだけ鑑賞。中でも抜群にグッと来たのがこの小さな襖絵。
円山応瑞『鯉魚図襖』。応挙の子息による極めて洗練された画。
それにしたって、なんでまたこのアングルなのか。
全体を見るとこんな感じ。左側の画面が至ってまっとうに描かれていることから、画面の途中で空間がねじれたような印象が生まれている。こういうアヴァンギャルドなのが18世紀あたりにシレっと描かれてたりするのが日本画の面白いところ。
9/18。博物館へ行く前に軽く腹ごしらえ。上野松坂屋南館地下の明石焼の店『たこ八』へ。本店は大阪阿倍野センタービルの地下にある。少々ややこしいが、たこ焼きチェーンの『たこ八』とは無関係。明石焼とたこ焼きもまた似て非なる食べ物だ。
注文すると、ほとんど待ち時間無く、とっくりに入った熱々の出汁と一緒に明石焼(明石での正しい呼称は「玉子焼」)が登場。本場に比べるとさすがに若干しっかりめに焼きあげられてはいるものの、箸でつまめばぐにゃりと変形する。下駄から慎重に取り上げて、透き通った出汁を注いだ椀に浸し、ふわふわの生地を崩しながらいただく。テーブル端の薬味入れには紅生姜とねぎと三つ葉のきざみ。三つ葉とは特に相性がいい。
明石以外の地でまともな明石焼を食べることのできる店は極めて少なく、近隣の大阪、さらには神戸ですらその例外ではない。東京でこれほどのものが味わえるのは、ほとんど奇跡じゃなかろうか。
たこ八上野松坂屋店/東京都台東区上野3-29-5上野松坂屋店南館B2F
03-3832-1111(松坂屋代表)/10:00-19:30/不定休(松坂屋に準ずる)
9/13。青山『A to Z cafe』で食事とお茶。青森県で開催中の奈良美智 + grafによるイベントに連携して2006年2月にオープンしたカフェ。場所は『madu』並びのビル5F。
この日はあいにく雨だったが、ビルの北側全面に開かれた窓からの眺めはなかなかのもの。一方、奈良美智 + grafとボランティアスタッフを中心に施工された内装は手作り感たっぷり。フロアの中心にはサービスカウンターを兼ねた小屋のインスタレーションが据えられ、客席テーブルがその周りを取り囲む。シンプルながらよく考えられた楽しいプランだ。
オムカレーとメンチカツ、コーヒーとロールケーキを注文。リーズナブルな単価にそれなりの味。こういう「ザ・ゆるカフェ」と言った感じのメニューをいただいたのは考えてみればかなり久しぶりで、なんだか懐かしい。
基本的にエレベーターでのアプローチしか無い隠れ家的な立地のおかげか、全部合わせると80席、あるいはそれ以上はありそうなテーブルは、まばらにしか埋まっていない。外を見ればてっぺんの霞んだ六本木ヒルズやアークヒルズ。プラダのビルはだんだん曲面ガラスの部分が減ってフラットになって来ているように思うけど気のせいだろうか。と、そんなことをぼんやり考えながら、遅い午後を過ごさせてもらった。
いろんな意味で、青山には有りそうで無かった空間だ。心無しか、客層まで青山っぽくないような。
A to Z cafe/東京都港区南青山5-8-3-5F/03-5464-0281
11:30-23:30(休日の前日-28:00)/無休
9/12。spiralで開催されていたもうひとつのイベントがあった。常滑の陶芸家・三笘修氏の『三笘修 陶展「天然色・合成色」』。場所は2F・スパイラルマーケットの一角。
三笘修氏について、私たちには全く知識が無い。「天然色・合成色」というタイトルは釉薬の種類からとられており、作品は天然の釉薬から由来する錆色やモノトーンの陶器と、顔料系の釉薬によるくすんだブルーやピンクに彩られた陶器の二通りに大別される。作品のほとんどは片手におさまりそうな小ささ。そのかたちは紙箱のような直方体であったり、打ち捨てられた機械の一部品のようであったり、単純な棒だったりする。
大小の展示台は腰よりも少し低めの白くシンプルな箱形。それらの上に、作品は種類ごとに分けられて、ぽつりぽつりと、あるいはぎっしりと、さまざまな距離感をとりながら配置される。それは陶器展と言うより集落の模型を見るような、ちょっと不思議な光景だった。
そのプレゼンテーションにすっかり心を動かされて、ついつい作品を3点購入。ブルーの蓋物はw55xd45xh45mmくらいで、赤錆色の蓋物はw35xd35xh45mmくらい。黒い台形状の作品は一輪挿しで、本来は写真手前の面を上にして壁などに取付けるもの。サイズはw20xd65xh90mmくらい。どれもちっちゃくて実にかわいらしい。
スケールと形態。その組み合わせが醸し出す独特な存在感。いくつか寄り添うと、その魅力は倍増する。
三笘修(たのしい生活の友)
9/12。『根の津』でうどん。場所は根津神社のすぐ近く。有名店ながら足を運ぶのはこの日がはじめて。19:30頃に着いたときには席は埋まっていて、小さなエントランスに先客の二人連れが並んでいた。20席ほどの店内を埋めるのは家族連れ、カップル、学生風グループといった幅広い客層。幸い外は小雨だったので、店先で傘をさして待つことに。木造住宅の一階部分を改装した店構えは小料理屋のような佇まい。
10分ほどするとテーブルがひとつ空いて、先ずは店先から店内へ、さらに10分ほど経ってテーブルへ、とスライド移動。その頃には私たちの後ろに数人が列をなしていた。噂通りの流行り具合。
店構え同様、店内のつくりも小奇麗で質感が高い。フロアを囲う左官仕上げの壁をスポットライトが控えめに、柔らかく照らす。
温冷二種うどん(きつねと生醤油)と釜めんたいバターうどんを注文。
上の写真は温冷二種うどんの生醤油。見るからにしなやかで美しいうどんは、実際素晴らしくのびやかで、弾力があり、つややかな食感とともに喉の奥へと流れ込む。久方ぶりに本物の讃岐うどんの快楽を味わうことができた。
しかし、うどんの見事さに比べると、出汁醤油(出汁のベースはいりこと鰹の合わせのようだ)は幾分焦点のぼやけたものであることは否めない。ああ、このうどんをキリっとしたいりこ出汁でいただきたい。。。
そんな中年夫婦の贅沢(と言うか身勝手)な思い込みを吹っ飛ばすようなインパクトをもつメニューがこの釜めんたいバターうどん。釜上げのうどんにバターと明太子、刻んだ海苔と大葉、胡椒をまぶしたもの。さらに「こちらはお好みで」とテーブルの上には粉チーズまでやって来る。讃岐うどんミーツ和風スパゲッティ。まるで勘違いの二乗だ。
意を決して釜玉よろしく手早くかき混ぜていただくと、なんとしたことか、これが滅法美味かった。バターの粘り気が独特な食感を生み出し、明太子の風味がうどんをさらに引き立てる。チーズは思い切って多めにかけた方がむしろ美味い。これはアリ、いや大アリだ。
温冷二種のきつねうどんは、生醤油や釜上げと違って柔らかく、おだやかなうどんだった。出汁はやはりキリっとした感じではないが香り高く上品な味わいで、うどんとの相性は完璧。リアル讃岐うどんと言うよりも、大阪うどんの印象に近いやさしいきつねうどんをいただいて、この店の目指す方向性が少し理解できた気がした。東京のうどんはけっこう面白いことになっているんじゃないか。
根の津/東京都文京区根津1-23-16/03-3822-9015
11:30-14:30,17:30-20:20LO(土日祝11:30-15:00)
月休(祝日の場合は翌日休)
9/12。出光美術館へ『国宝 風神雷神図屏風「宗達・光琳・抱一/琳派芸術の継承と創造」』を見に行った。俵屋宗達(生没年不詳)、尾形光琳(1658-1716)、酒井抱一(1761-1829)がそれぞれに描いた『風神雷神図屏風』が66年ぶりに一同に会する展覧会。
前半の展示は3つの『風神雷神図屏風』に詳細な解説パネルを加えて構成されている。時折ふたつの図をCG処理で重ね合わせながらの比較は分かり易く、参考となるものだった。
後半は梅、杜若、秋草などの画題において、宗達・光琳・抱一のあいだでどのような参照と展開があったのかを紹介する展示となっている。こちらも風神雷神図に劣らず充実した内容。
『風神雷神図屏風』に限って率直な感想を言えば、宗達のオリジナルに勝るものは無い。光琳、抱一とコピーを重ねるごとに描写は良くも悪くもマンガ化してゆく。それは結局のところ、光琳、抱一の風神雷神図がスタディの域内にあることを示すのだろう。
オリジナルを乗り越えて新たなオリジナルを生み出すことは、参照をなくしてはあり得ないのもまた事実。現に風神雷神図を経た上で、光琳の『紅白梅図屏風』、抱一の『夏秋草図屏風』という二曲一双(二枚一組の二つ折り屏風)の傑作が生まれている。
と、そんなことを、展覧会の前半・後半を通して見ることで明快に理解することができた。『紅白梅図屏風』を見ることができなかったのは残念だが(同じ画題で風神雷神図との関連の薄い六曲一双屏風は展示されている)、『夏秋草図屏風』の草稿が展示されているのは何とも嬉しい。実に構成の巧みな好企画だった。勉強になりました。
さて、抱一の『夏秋草図屏風』(1821)だが、ちょうど先日まで東京国立博物館・本館7室での展示が行われていた。そんなわけで、9/18の最終日に滑り込み。敬老の日ということで、入館料が無料というおまけ付き。しかも国立博物館の平常展は、一部を除いて作品の写真撮影がOK(もちろんフラッシュはNG)と来ている。おお、太っ腹。
展示室を訪れると、東京芸大の学生さんによる『夏秋草図屏風』の解説が始まったところ。資料をもらって、興味深く拝聴させていただいた。
写真の方は全部ピンボケ。無念。
この屏風絵はもともと光琳の『風神雷神図屏風』の裏側に抱一が描いたもので、1974年に保存のため分離された。その構図や画題の選択には表側との様々な符合があることが知られている。
金地に浮かぶ天上の神々。応える野の草花は銀地を背景に匂い立つ。瑞々しく、かつ装飾的で、夢の光景にも似た抱一晩年の表現は、180年以上を経た今でも斬新なままだ。
国宝 風神雷神図屏風「宗達・光琳・抱一/琳派芸術の継承と創造」
「重文 夏秋草図屏風 酒井抱一筆」 公開
9/12。青山・spiralで『lumps & bumps —ラング/バウマン的スパイラルの感じ方—』を見に行った。勝野は9日に続いての再訪。
ラング/バウマンはスイスの2人組アートユニット。日本でのイベントはこれが最初とのこと。
インクジェットプリントのカーペットによる『beautiful corner #4』。カフェのフロアにも作品が敷き詰められている。
もう、ずっとこのままにしといていいんじゃないか、と思わせる完成度の高さ。
アトリウムには巨大なバルーンがぎっしり。こちらは『comfort #2』という作品。バルーンには人が乗っても大丈夫な強度があって、子供はもちろん、時には大人もこの上で飛び跳ねたりしている。運動神経の鈍い私たちは遠慮しておいた。
スロープを上り、アトリウムを見下ろすと、有機的な形態が内蔵組織を思わせる。この日は昼休みをバルーンの上で寝て過ごす人が一人。
アトリウムからスパイラルマーケットを抜けたところのオープンスペースへ。こちらにもインスタレーション『perfect #4』が。同一形状のゴールド色の樹脂性ブロックが、様々な向きで壁面に配置されている。青山通りを見下ろす窓面が、ゴールドの半透明シートで覆われているのも面白い。
どの作品も理屈抜きで楽しく、しかもspiralの空間(設計は槇総合計画事務所/槇文彦氏)が持つ魅力を見事に引き出していることに感銘を受けた。ラング/バウマンのホームページに掲載された作品を見た限り、このプロジェクトはおそらく彼らにとって代表的な仕事のひとつになりそう。いろんな意味で、必見の大穴イベントだ。
9/12。展覧会はしごの手始めに青山へ。紀ノ国屋跡地を通りかかると、こんな不思議な状態になっていた。
高さ3m前後はありそうな白い布に一面の白砂利。フロムファーストやQFRONT、hhstyle.comなどのプロデュースで有名な浜野総合研究所が企画した『白の一週間』というイベント。若干カルトな風味のあることは否めないものの、素直に見れば美しく、インパクトのある光景だった。この日は生憎の小雨模様だったが、晴天ならもっと良かっただろう。
昨日(16日)から明日(18日)の最終日まで、このスペースは一般に開放されているのだそうだ。
青山・紀ノ国屋跡地が「白一色」に−商業ビル着工へ(シブヤ経済新聞)
何色に染める? 一等地に白い空間 東京・青山(asahi.com)
『pen』の2006年10月1日号にlove the lifeがちょこっと登場しています。『クリエイターを探せ。』という連載のページ。見てね。
取材を受けた場所はたまプラーザの『simpatica』。オーナー・池田さんご夫妻のご厚意に感謝いたします。インタビューというのは喋る場所によって内容もけっこう変わるものですが、この日は聞き手の萩原さんのおかげもあって、日頃考えていることがリラックスしてお伝えできたような気がします。カウンターに並んで撮っていただいたugaさんの写真もさすがにいい感じ。近々死ぬようなことがあったら遺影に使わせていただきたいですね。
pen(阪急コミュニケーションズ)
love the lifeの作品「Itsutsuya」のページを更新しました(Aug. 31, 2012)。Worksからご覧下さい。フォトグラファーは佐藤振一さん。
小田原市内では近年新しい駅ビルや郊外型の大型商業施設の完成に伴い旧市街地の空洞化が進行している。「井筒屋」があるのはその旧市街地のちょうど真ん中、小田原駅東口から海に向かって延びるメインストリートに面したビルの地上階だ。
私たちが念頭に置いたのは、通りと一体となって機能し、地域を訪れた人々の回遊を活性化するような場所をデザインすることだった。フロアに高さのある中央什器を置かないこと、エリアごとに異なる形態の什器を作り付けることをルールとしてプランニングは進められた。
什器とその上部の天井造作には高低差をつけ、店内を移動するにつれて変化のあるパースペクティブが感じられるようにした。各エリアの造作はそれぞれに特徴的な「地」となり、商品を「図」として浮かび上がらせる。全体の様子がどこからも見渡せるレイアウトは、時節ごとの自由なディスプレイや商品構成の変化に対応する。シンプルなボリュームの構成はいかにも明朗でニュートラルだが、こうしたデザイン手法には書院の基本的な概念に通じるところがある。
エントランス正面のテーブル什器の上にある天井造作には、城下町の記号でありクライアントの家紋でもある梅の模様をパターン抜きし、内側に紅梅を思わせるピンクをあしらった。スチールパイプのパーティションは、動線をさりげなく制御すると同時に、天気雨のようなきらめきを感じさせる。ちいさな店は「街に開かれた書院」として機能する。
以前『日本のインテリア』のエントリーでも書いたように、インテリアデザイナーの著作物は非常に少ない、と言うかむしろ皆無に近い。それだけに内田繁氏の活動は際立って貴重だ。内田氏個人の著作の中で、最も代表的なものとして挙げられるのがこの4冊。
住まいのインテリア(1986/新潮社)
インテリアと日本人(2000/晶文社)
家具の本(2001/晶文社)
茶室とインテリア(2005/工作舎)
インテリアデザイナーの作品と言うと、どうしても商空間ばかりがクローズアップされる傾向がある。実際には住宅と店舗の両方を手がけるデザイナーは多いが、その住宅の作例を目にする機会はあまり無い。『住まいのインテリア』は内田氏の手がけた住空間と商空間、家具デザインを同列に見ることができることに加え、『インテリア・ワークス』以降に内田氏が試みた自作の分析と、インテリアデザインの源流についての考察の、基となるような記述が散見される点において興味深い本だ。文庫の体裁ながらカラー図版が多く掲載されており、中には篠山紀信氏の撮影したコシノ・ジュンコ邸(1983)の写真も登場する。
『住まいのインテリア』、『インテリア・ワークス』、そして『日本のインテリア』を経た成果は、『インテリアと日本人』で一旦ひとつのかたちにまとめられた。この本の第一章では主に商空間の分野で飛躍的な発展を遂げた日本のインテリアデザインの動向について述べられている。ここで内田氏は、通常ならば建築設計を効率の面から細分化したものとして捉えられるインテリアデザインを、1960年代以降の社会状況を背景に、硬直した近代社会に対して個人の解放を志向するゲリラ的活動の中から生まれた新しいクリエイティブジャンルとして定義し直している点は、極めて重要だ。
続く第二章から第四章にかけては日本人の空間感覚についての考察が行われ、第五章では自作を通じて現代のインテリアデザインに生かされた日本的感性が検証される。特に中盤での、床座・沓脱の習慣から茶室空間へ至る空間感覚の変化と発達を簡潔に解説した内容によって、この本は幅広いデザイン関係者の間で受け入れられた。各パートの関連性は強いものではなく、立て続けに3冊の本に目を通したような読後感がある。
翌年に出版された『家具の本』は、『インテリアと日本人』から第一章と第五章を抜き出し、さらに内田氏の実体験を加味したような内容となっている。長谷部匡氏との対話形式がとられており、文体は平易で読み易い。『家具の本』とはいかにも限定的なタイトルだが、実際には内田氏の60年代から90年代までの全活動を振り返りながら、インテリアデザインとは何だったのかが考察されている。後のデザインの方向性を語る中での「社会とか政治とか経済の仕組みなどといった手の届かないところからいったん離れて、僕の周辺のもっと身近な問題、あるいは手の届く範囲を対象にデザインしていきたい」との言葉は印象深い。
近作の『茶室とインテリア』は、『インテリアと日本人』の中盤(第二章から第四章)充実させたものであると言えるだろう。沓脱、間仕切、装飾、祭祀、色彩などの各章ごとにインテリアデザインと日本人との歴史的な関わりが解説され、それぞれにおいて現代の生活空間との関連性、さらに今後の課題に関する論考が展開されることで、内容は『インテリアと日本人』よりも一層詳細になり、かつ整理されている。文体は「です・ます」調だが、その語り口は簡潔で小気味良い。
『茶室とインテリア』の最後の章にあるこの一節(「精神の機能性」)は、デザインやファインアートと言った概念が西欧から持ち込まれる以前の日本において、インテリアとは芸術の一切を互いに結びつけるものであったことを説明すると同時に、これからのインテリアデザインの行くべき方向についての示唆を含むものだ。
9/6。『井筒屋』の完成写真撮影。フォトグラファー・佐藤振一さんの車に同乗して小田原へ。
器や箱物などこまごまとした商品が無数に並ぶハウスウェアショップの撮影は準備が整うまでが大変だ。売場としては問題が無くても、写真的にはどうしても商品ボリュームをある程度減らさないことには絵にならない。商品を減らせば自ずとレイアウトも調整せざるを得なくなるわけで、ますます時間がかかる。
午後一番からセッティングをはじめて、撮影が本格的にはじまったのは16:00頃から。この日は天気が悪く、辺りは夜のように暗くなったり、かと思えば急に明るくなったりを繰り返し、なかなかシャッターを切ることが出来ない。
エントランスサインの照明が赤いのは蛍光灯ダウンライトに撮影用のフィルターを被せたため。
私たちはと言えばこの日に限って間抜けなことにカメラを持ってくるのを忘れてしまい、佐藤さんのコンパクトデジカメをお借りして、いつものように撮影現場の撮影。
最終的に『井筒屋』の店内は、69.4平米ほどのフロアに、それぞれつくりの大きく異なる売場が小箱のように詰まった空間となった。クロームメッキのスチールパイプを配置したパーティションは、思った以上に視覚に効いているかもしれない。こちらは別の角度からの写真。
OSBを多用した接客エリアはマッシブな表情に。デジカメの発色がイマイチでなんだか黄ばんだ感じの写真になってしまったのが残念。
撮影はハロゲンとエースラインの照明を交互に付け消ししつつ、同時にカラーフィルターを使い分けて多重露光する方式で進められた。終わったのは夜中の1:00頃。いやはや、お疲れさまでした。苦労した分、仕上がりが楽しみだ。
9/5。夕刻に国立能楽堂へ。『納涼茂山狂言祭2006』の最終公演を見た。演目は『粟田口』、『狐塚』、『六地蔵』。
茂山狂言は他の伝統芸能に比べ敷居の低い感じであるのがいい。様式美を堪能すると同時に、大いに笑わせていただく。『粟田口』で大名役の千五郎氏が身に付けていたのは船を大胆にあしらったグラフィカルな衣装。これが実にカッコ良かった。
さて、なかなか足を運ぶ機会の無い国立能楽堂は狂言に劣らず魅力的な建物だった。外構のプランニングはバックヤード的な要素も平気で見せてしまうような状態で、なんだか高速のインターチェンジみたいだな、と思わせるゆるさだが、中に入ると印象は一変する。中庭を囲む重厚な鉄筋コンクリートのホワイエと、それに内包された繊細な木造のディテールとの対比はため息ものの美しさ。対して劇場のインテリアはオーソドックスなもの。ステージだけをやさしく効果的に浮かび上がらせるライティングが見事。観客席は見易いレイアウトで、座り心地も良い。
完成は1983年。設計は大江宏。
秋の深まる頃には中庭の眺めもなかなかのものだろう。良い公演があれば、11月頃にでもまた見に来たいものだ。
9/4。東京都庭園美術館へ『旧朝香宮邸のアール・デコ』展を見に行った。“見に行った”と言うよりも写真を撮りに行ったと言う方が正しいか。このイベントの主要な展示物は旧朝香宮邸であるところの美術館の建物それ自体。そして目玉はなんと言っても館内での写真撮影が可能なこと。そりゃもう撮りまくりましたとも。
と言うわけで、説明は抜きにしてこの日の成果物を一気にアップ。
・正面外観
・正面玄関ガラスレリーフ
・正面玄関ガラスレリーフ(拡大)/コインロッカー室
・大広間
・大広間/大広間から2Fへの階段見上
・次室
・大客室
・大客室から次室を見る/大客室扉
・大食堂
・大食堂照明/レリーフ/扉
・大広間から2Fへの階段/照明柱
・大食堂前から2F、3Fへの階段
・ラジエーターグリル(大広間/小客室/大食堂/2Fホール)
・各室照明(正面玄関/大広間/大食堂/廊下)
・各部ディテール(外部/外部/大食堂前から2F、3Fへの階段/2Fベランダ)
・茶室「光華」外観
・茶室「光華」立礼の席/広間
・茶室「光華」小間
9/1。世田谷美術館へ『クリエイターズ 長大作/細谷巖/矢吹申彦』を見に行った。前に世田谷美術館を訪れたのはジェームズ・タレルの展覧会の時だから、かれこれ8年ぶり。駅から遠いのも、内井昭蔵の設計による80年代らしい建築意匠も相変わらずだ。
展覧会は建築家・家具デザイナーの長大作氏、アートディレクター・グラフィックデザイナーの細谷巖氏、イラストレーターの矢吹申彦氏の個展を3ついっぺんに開催したような体裁となっている。それぞれのクリエーターにはこれと言った関連性は無く、3人の作品が同時に展示されることも無い。世代的には名前の順にほぼ10年ごとの開きがある。
一体どういう企画意図でこうなったのかは展覧会カタログを読んでも良くわからない。しかし各々の作品のボリュームはデザイナーの展覧会としてはかなりのもので、その質の高さも尋常ではない。不勉強な私たちは細谷氏と矢吹氏の作品をまとめて拝見したのは初めてだったのだが、会場を去る頃にはすっかり打ちのめされてしまった。こうした不意の出会いの演出を可能にすることにおいては、この会場構成はアリだろう。
長氏の展示は『かきシリーズ』と呼ばれる一連の椅子をメインとするもの。半世紀にわたって時々に新しい技術を盛り込みながら改良を加え続けるデザインへの執念と、結果として生まれた魅力的なバリエーションの数々。平伏するより他は無い。個人的には松本幸四郎邸などで使用された中座椅子(1958)、国際文化会館ティーラウンジのパーシモンチェア(2006)、ラムダシリーズの肘付椅子(1967)などが最も印象深かった。ちょうスツール(1992)の座り心地の良さと、イグナチオチェア(1998)の圧倒的な質感の高さも忘れ難い。
細谷氏の展示エリアでは最初期の作品であるオスカー・ピーターソン・クインテット(1955)と勅使河原蒼風個展のポスター(1956)にいきなり足を止められた。壁と言う壁を高密に埋め尽くす作品群は、背景写真を倒立させてしまったヤマハYDS2のポスター(1959)、毛筆タイポと三船敏郎との間合いが絶妙過ぎる「男は黙ってサッポロビール」の広告(1966)、周到なセッティングで決定的瞬間をつくりあげたキャノンAE-1のポスター(1977)などを経て、キューピーマヨネーズの広告(1976-)へと至る。最近の広告物からはとんと感じられなくなってしまった心を鷲掴みで揺さぶられるような感覚が、そこら中に漲っていた。制作に際して描かれた手書きのスケッチが、ガラスケース無しで間近に見られるとはなんという幸運。
矢吹氏のイラストレーションに描かれた世界観は、最初期のジェファーソン・エアプレインのポスター(1972)の頃から現在に至るまで一貫している。見事なまでのぶれの無さときたらもう驚愕ものだ。しかしそこには息の詰まるような印象は無い。むしろ感じるのは開放された都会の野生のようなものだ。
もしかするとこの御三方の共通点はその辺にあるのかもしれないな、と、宙空に浮かぶ樋口一葉のイラストレーション(2000)を見ながら考えた。
8/31。17:00過ぎに『井筒屋』の商品ディスプレイ作業が終わって早めの夕食へ。中央通り沿い、『井筒屋』の並びにある料理店『だるま』に初めて行ってみた。小田原観光では定番の大型店にして老舗。1893年創業。
建物は関東大震災後の1926年に立て直されたもの。瓦葺き唐破風造りのエントランスポーチは重厚過ぎるくらいに重厚なデザイン。向かって右側の茂みの中には達磨、左側にはおかめの陶像が佇んでいる。子供が泣き出しそうなくらいにインパクトの強い店構え。
暖簾をくぐり、衝立ての向こう側にまわると、これまた重厚なインテリアが眼前に広がる。壁や床のデザインはわりと適当な寄せ集めだが、升目に銘木をあしらった折上格天井は私たちのような素人の目で見てさえいかにも相当なものだ。高さは4m前後はあろうか。やり過ぎも徹底的だとかえって清々しい。
あじとまいかの造り、金目の煮物、伊勢海老の鬼がら焼など、地魚を中心にたっぷりといただいて、お代は一人3000円台半ば。着いた時間帯にはさすがに他の客はあまり居なかったものの、18:00を過ぎる頃には1F食堂フロアはほぼ満杯。団体観光客風なテーブルよりも、意外に軽装で地元風の人が多い。中にはTシャツにサンダル履きでどう見てもご近所からの赤ちゃん連れ家族も居たりして、ほとんどファミリーレストランの様相。いや、文字通り、ここはファミレスなのだ。建物は国の登録有形文化財だけど。
だるま/神奈川県小田原市本町2-1-30/0465-22-4128
11:00-20:00(LO)/無休
8/31。小田原『井筒屋』の商品ディスプレイ2日目。この日も11:00過ぎに到着。店内は先日棚から間引いた商品や梱包材が片付いて、すでにずいぶんすっきりした状態。あとは若干の整理と飾り付けをすれば売場は完成だ。intewarrior・山下さんの指示で早速作業開始。
先日届いた箸什器やカトラリー什器、接客テーブルのセッティングが進み、ここに来てようやく図面に描いた全ての要素がフロアに揃った。ウィンドウディスプレイ用のステンレスの円形台も到着。根来塗の重箱が飾られた。
店先では小林ガーデンさんが植栽の作業。自然石の小振りなプランターが置かれて、エントランスの雰囲気が一気に良くなった。ありがたや。
17:00頃に一通りの作業が完了。これで無事オープンを迎えられます、と満面の笑顔の岡部さんご夫妻に見送られながら引き上げた。
翌9/1。うるしと和の生活具・小田原『井筒屋』はリニューアルオープンを迎えた。お近くにお越しの際はぜひお発ち寄りを。漆器を見る目が変わること請け合い。
井筒屋/神奈川県小田原市本町2-1-39/0465-22-3049
10:00-18:30/水休
8/27。東京国立博物館で開催されていた『プライスコレクション 若中と江戸絵画』の最終日に滑り込み。
16:00頃に正門を訪れると、入場まで30分待ちとのこと。平成館前にずらりと延びた行列の最後尾に並ぶ。思いのほか進みは早く、10分くらいで館内へ。エスカレーターを挟んで6室に分かれた会場のうち、やたらと混雑していたのは若沖作品が多数展示されていた2番目の部屋まで。以降は割合ゆったりと観ることができた。閉館の30分ほど前にガラガラの会場を逆行して、若沖をもう一度鑑賞。『鶴図屏風』に見られる単純化されたフォルムとそのバリエーション、『雪中鴛鴦図』の水中から半身をのぞかせるオシドリを中心とする巧みな画面構成に唸る。
広告物でのメインビジュアルとして用いられていた『紫陽花双鶏図』も、展示の目玉として扱われていた『鳥獣花木図屏風』も無論素晴らしかったが、このイベントの最大の見所はなんと言っても最後の2室にあったジョー・プライス氏入魂の特別展示だろう。ここで展示作品を照らすのは主に側方からのライティング。その光量と色温度はゆっくりと変化するようにプログラムされていた。作品のセレクトは明らかに演出効果を引き出すことを主眼においたもので、そこにテーマや歴史的な意味合いでの一貫性が無かったことは残念と言えば残念だが、日本家屋での自然光のうつろいを思わせるライティングのもと、各作品が見せる様々な表情はとても興味深いものだった。
この展示で最も印象的だったのは酒井抱一の『佐野渡図屏風』と『十二か月花鳥図』。おそらくフラットなライティングのもとでは何でも無い画面にしか見えないであろう『佐野渡図屏風』が、静かに降り積もりつつある雪をあれほど豊かに表現したものであったとは、まさに目からウロコだ。『雪中美人図』(礒田湖龍斎)に描かれた白地に白い柄の着物の表現、『白象黒牛図屏風』(長沢芦雪)の大胆なデフォルメと構成も見事だった。
9/23から開催される京都展では『十二か月花鳥図』をなんと自然光のもとで展示するらしい。これを観るためだけにでも京都に行きたくなるなあ。合わせて細見美術館で鈴木其一も観たい(傑作揃いのプライスコレクションだが、其一についてはどうも不発気味だった気がするのは私たちだけだろうか?)。
他にも記憶に残る作品を挙げ始めるときりがないくらいだが、中でも森狙仙の描く猿(『梅花猿猴図』と『猿猴狙蜂図』)には強烈に心を動かされた。一瞬を捉えたその間合いの美しいこと。