2/12。『エットレ・ソットサス 定理に基づいたデザイン』を見た。会場であるShiodomeitariaクリエイティブセンター周辺の張りぼてイタリア街な環境デザインは目眩がしそうな酷さ。しかし幸い展覧会は予想以上に素晴らしい内容だった。
会場には十数点の家具作品と、数点ずつのリトグラフ、セリグラフが展示されている。様々なプロダクトのイメージドローイングを思わせる平面作品だけでも見応え十分だが、圧巻なのはやはりエットレ・ソットサス氏が60年代から80年代にかけてデザインした貴重な家具たちだ。
特に興味深かったのは『スーパーボックス』と名付けられたシリーズ(1966)。これらはすべて単純な直方体のフォルムを持つ高さ2mほどの収納家具で、そのグラフィカルでフラットな表面ゆえに強烈な存在感を持つ。ディテールは限りなくシンプル化され、メラミン化粧板をトメ(部材を45度で突き合わせること)で収めるテクニックが平然と用いられている。これには正直驚いた。
一方、79年以降にデザインされた家具シリーズはがらりと様相を変える。様々な形態が不思議なバランスで連なるその造形はなんともミステリアスで、いつまでも見飽きることが無い。
展覧会に添えられた前文もまた簡潔ながら心打たれるものだった。
リンクの下はその一部抜粋。
エットレ・ソットサス 定理に基づいたデザイン
SOTTOSASS ASSOCIATI
なぜシャンパンは紙コップに注がれないのか。殺すための剣はなぜ彫り物で飾り立てられていたのか。なぜバイクのデザインはいつも速さを連想させるメタファーを表現しているのか。なぜ娘達やご婦人は何かの祭壇のように、いつもテーブルや家具の中心線上に、花を生けた花瓶や彫像や親、子供の写真立てを飾りたがるのだろうか。教会の祭壇の中心線上に設けられる小さな壁龕のように。
デザインの背後にはいつもほんの一瞬の沈黙が隠されている。何かがやって来る、もしくは何かが起こる期待感。ひとつのデザイン、ひとつのプロジェクト(企て)がこの世にすえられた瞬間、それを手がけたものには責任が課せられる。バイソンを殺すために弓矢を使った者は、バイソンに許しを乞うことになるだろうし、敵を殺すために剣を使うことは、血が噴き散るということだろう。テーブルの上にスープの皿が添えられていたら、その皿を与えてもらえる幸せも感謝したくなるだろう。
デザインという定理は実に晦渋なものである。
「エットレ・ソットサス 定理に基づいたデザイン」カタログ(2006)より