3/10。佐倉市立美術館へ『没後80年 森谷延雄展』を見に行った。
森谷延雄(1893-1927)は昭和の最初期に家具デザイナーグループ『木のめ舎』を主宰した人物。ドイツ表現主義に啓発された独特の造形センスによって、黎明期にあった日本のデザインシーンに大きなインパクトを与えている。『木のめ舎』の活動は森谷の夭逝に伴い最初の展覧会のみで閉ざされてしまったが、そのメンバーは家具研究グループ『型而工房』へ移り、そこに在籍した豊口克平から『工芸指導所』を経て、やがて剣持勇らを代表格とするインテリアデザイナー第一世代へと繋がる潮流が生まれた。
そんなわけで、私たちもいちおうインテリアデザイナーの端くれであるからには、やや遠方ではあるがこの展覧会はぜひ見ておかなくてはならない。ご先祖様の墓前に詣でるような気分で京成電車に揺られる身となった。
正直なところ展示のボリュームにはさほど期待はしていなかったのだが、会場に着いてみるとその内容は思いのほか充実したものだった。東京高等工業学校(現在の東京工業大学)での作品に始まり、清水組(現在の清水建設)在籍時に手がけた様々なインテリアの写真と家具の実物、ヨーロッパ留学期に残した膨大な家具実測図、帰国後に手がけた博覧会施設のデザイン、とここまででやっと第一会場。
森谷特有の清廉かつ詩的でどことなく乙女チックなデザインは、第二会場の冒頭で一気にそのピークを示す。帝都復興創案展のための家具スケッチ(1924)は、あえて実用性よりも着想の豊かさに重きを置いた連作。現代の目で見ると、不思議なことにインテリアデザイナー第二世代の境沢孝、あるいはポストモダンとの時空を超えた感性の繋がりを感じずにはいられない。
上の写真は第11回国民美術協会展に出品された3つのモデルルーム『家具を主とせる食堂書斎及寝室』(1925)に関する展示の一部。左が「鳥の書斎」の肘掛椅子で右が「ねむり姫の寝室」の腰掛。写真撮影は許可されていなかったが、このコーナーにはもうひとつ、展覧会のメインビジュアルに用いられた「朱の食堂」の肘掛椅子が展示されている。これらはBC工房によるリプロダクト。森谷のデザインをリアルに伝える展覧会のハイライトだ。家具のアップはこちら。脚や肘掛部分の控えめな装飾が印象的。
続く展示室には京都帝国大学(現在の京都大学)のインテリアと家具(1925)、聖シオン会堂の家具(1926)などが並び、森谷の最後の仕事となった『木のめ舎』の家具(1927)へと連なる。バウハウスもモダニズムも日本ではほとんど知られることの無かった時代に「安くて而も芸術上誤りの少ない家具を作り出して見たい」との思いから生まれた数々の木工家具は、どれも至って簡素なもの。その細部には森谷の研ぎ澄まされた感性と遊び心が漲り、胸を打つ。森谷は『木のめ舎』の展覧会準備中に倒れ、その初日を見ずに33年の濃密な生涯を終えている。