東京ミッドタウンのつづき。『とらや』と『MUJI』以外にもインテリアデザイン面で気になる店舗がいくつか。
柳宗理氏、小泉誠氏ら、日本人デザイナーがデザインしたテーブルウェアを扱うショップが『SAYA』(3F)。運営は佐藤商事、店舗のデザインは小泉誠氏が手がけている。気取ったデザインのブティックが居並ぶ中に、剥き出しのコンクリートブロックと薄手の暖簾の店構えが現れる様は実に潔く痛快だ。店内の造作も極めて簡素だが、過不足の無い小泉デザインが伺える。ローコストかつハイクオリティ。こうした仕事にはデザイナーとして勇気づけられるものがある。
イデアインターナショナルが運営する家電ショップ『Idea Digital Code』(3F)のデザインもまたシンプルそのもの。真っ直ぐな形状の什器のみで構成された真っ白な空間だが、主要部分の素材は人造大理石。ストックの扉や引き出しはトメ(45度にカットされた部材の突き合わせ)で収まっている。一見当たり前のようでいてその実フェティッシュなデザインを手がけたのはKata(形見一郎さん)。
有機的なカーブを描く木造作の連なりによる洞窟のような空間が特徴的なニットショップ『lucien pellat-finet』(2F)。店舗のデザインは隈研吾建築都市設計事務所によるもの。ヒューマンスケールで質感の高いインテリア。隈氏はミッドタウン内のサントリー美術館のデザインも手がけている。
京都から東京へ初進出のインテリアショップ『Sfera』(3F)。白い空間の中に木質の東屋をふたつ置いたようなデザインを手がけたのはクラーソン・コイヴィスト・ルネ。造作としては悪くないが、ライティングがどうしようもない。おかげで空間としての仕上がりがパっとせず、惜しいことになっている。
どなたがデザインされたのかは不明だが、ジャムやマーマレードのショップ『Belberry』(B1F/写真)はモール材とファブリックの使い方がユニークな可愛らしい空間。『MARNI』(2F/写真)(店舗のデザインはサイバーライト)は基本的にいつも通りの造りながら、スクエアな店舗区画を生かしたシンメトリカルな什器構成が新鮮。大味でカッコいい。
東京ミッドタウン・とらやとMUJI(April 30, 2007)
21_21 DESIGN SIGHT(April 29, 2007)
4/16。東京ミッドタウンへ初めて行ってみた。オープン後2週間あまりを経た平日だったが、かなりの盛況ぶり。私たちを含め、物見遊山の類いと思しい格好・挙動の人が多い。
商業施設のエリアは、細長い吹き抜けの周りを共用通路と店舗が取り囲むガレリアを中心とするオーソドックスで比較的分かりやすい構成となっている。多少厚化粧ではあるが、その作法は多くの郊外型ショッピングモールに共通するものだ。ふたつの「ヒルズ」を経た結果として、こうした空間が東京の都心に臆面無く作られるようになったことは興味深い。横浜クイーンズスクエアや福岡キャナルシティ、名古屋ミッドランドスクエアなどのような個性的でスケールの大きな商環境は、おそらく東京には馴染まないのだろう。
そんなわけで、商環境としては至ってフツーな東京ミッドタウンだが、個々の店舗のデザインについては質の高いものが目立った。中でも最も素晴らしかったのが『とらや』と『MUJI』。どちらもミッドタウン随一の大型店。
垂直面のほとんどが白い陶製の穴開きブロックで埋め尽くされた『とらや』(B1F)の空間は、その素材から醸し出される遺跡のような「重さ」と、至ってシンプルなプランニングがもたらす「軽さ」の対比が特徴的。まさに『とらや』らしい巨大な暖簾が、一際見事に映える。フランク・ロイド・ライトが現代に再生したかのような、力強く印象的なデザインを手がけたのは内藤廣建築設計事務所。
空間だけを見ると『TORAYA CAFE』で評判を落とした虎屋がここに来て眼を覚ましたか、と思われたが、運営面のまずさは相変わらずのようだ。年配スタッフの要領を得ない応対と、接客テーブルの正面から伺えるバックヤードの騒々しさが気にかかる。入れ物に見合った内容を期待したい。
とらやグループ
とらや東京ミッドタウン店(内藤廣建築設計事務所)
家具のサイズオーダーなどのサービスを付加したミッドタウンの『MUJI』(B1F)は、その店のつくりもまた規格外。面積こそ標準的ながら商品ディスプレイの間隔は大きく、他の『MUJI』とは一線を画する余裕が感じられる。化粧品や生活雑貨、文具も一通り揃うが、固定の大型ガラス製什器に積まれ、完璧なライティングが施されたその様子はとても量販店には見えない。
内装には自然な質感の木材やスチールなど、久しぶりに初期の無印良品の伝統に立ち返った素材が用いられている。それらの構成はかつてなくダイナミックで、しかも繊細だ。大胆な面とボリュームから成る空間は、近年のスーパーポテトのデザインから失われつつあった静けさと緊張感を思い起こさせる。そこには杉本貴志氏の確かな存在がある。
東京ミッドタウン・SAYA、Ideaなど(April 30, 2007)
21_21 DESIGN SIGHT(April 29, 2007)
4/13。花緑まつりの幕が上がる前の鈴本演芸場。元浅草に引っ越してからまる2年が経とうとしているが、寄席を訪れるのはこれがはじめて。
ステージも客席もぎゅぎゅっとコンパクト。親密な間合いが新鮮だ。なるほど、これが鮨詰めと言うやつか。
客席の傾斜はゆるく、前に客が居るのと居ないのとでは、眺望が天と地ほど違う。私たちは後半ずっと頭を横に傾けながら見ていたので、さすがに首が痛くなった。また、幸いこの日は何の問題も無かったが、最近の寄席では客のモラルの低下が問題視されているらしく、高座の最中に携帯電話が鳴るのはザラで、フラッシュが光ることさえ珍しくないようだ。もともと寄席や演芸場と言うものはゆるいシステムの中で客側の質と常識を頼りに運営されるだけに、こうした風潮は致命的になりかねない。
有名落語家の高座がテレビか大ホールでしか見られなくなる日もそう遠くないかもしれない。それまでに間に合えばぜひこうした落語や演芸の打てる小劇場を設計してみたいものだ。今は機会をつくってなるべく多く、この雰囲気を楽しんでおくことにしよう。
コーネリアスと花緑師匠。
4/5。CORNELIUS GROUP(小山田圭吾(Gt),あらきゆうこ(Dr&Fl),清水ひろたか(Gt&Bs),堀江博久(Key&Gt))のライブを見に渋谷AXへ。“SENSUOUS SYNCHRONIZED SHOW”のタイトルを与えられたステージは、4人の演奏とその背後一面の映像スクリーン、そしてフルカラーLEDを用いたライティングが見事にパッケージされたもの。カラフル。完璧。特に映像の素晴らしさは際立っていた。早くソフト化されないものか。
観客の年齢層はわりと高めで、まるで旧知の知り合いを見守るような、独特な暖かさのある落ち着いた雰囲気が心地良かった。かつてロリポップソニックだった人が、まさかこれほど強靭なオリジナリティを獲得し、『point』や『sensuous』のような傑作を生み出すとは世の中分からないものだ。歳をとるのも悪くないな。
4/13。鈴本演芸場4月中席夜の部へ。この日の鈴本は開席百五十周年記念特別公演として、『花緑まつり』と銘打ったプログラムが組まれていた。台所鬼〆さん『金明竹』、林家二楽師匠の紙切り、林家彦いち師匠『みんな知っている』、柳亭市馬師匠『一目上り』、林家たい平師匠『あくび指南』、翁家勝丸さんの太神楽曲芸、橘家圓太郎師匠『馬の尾』、林家正蔵師匠(この時はまだ祝儀隠しはバレていなかった)『豆腐小僧』で仲入り、と言う贅沢さ。皆さん素晴らしかったが、個人的に一番シビれたのはたい平師匠。あざとい顔芸でもやらない限りあまり笑いどころの無い地味めな演目を、なんとも味わい深く、かつ上品に演じられていた。
最後はいよいよ柳家花緑師匠の『子別れ』。上・中・下を通しでたっぷりと。くすぐるような笑いを散りばめながらの情感のこもった人情噺に何度も涙。明らかにこの日の花緑師匠は以前曳舟で見た時とは次元の違う輝きを放っていた。仲入り後の時間を独り占めできたことも功を奏し、そこには完成された骨太な世界がかたち作られていた。
おそらく落語家・花緑師匠の魅力は“語り部”としての無二の資質にあるのではないか。演じる人の生き方そのものが反映されるのも落語なら、噺の持つ可能性を最大限に引き出すのもまた落語なのだろう。表現する行為の持つ様々な側面とその奥深さについて、思わず考えを巡らせた。
柳家花緑(Wikipedia)
4/13。午後過ぎからランチミーティング。目黒雅叙園へ初めて足を踏み入れた。
スペースコロニーもかくやと思わせる広大で徹底的にクリーンな空間。内装の細部はバカバカしいくらいに作り込まれているにもかかわらず、あまりにスケールが大きいため、総体としてはシンプルであるとさえ感じられる。
胸の空くようなハイパー和風。恐れ入りました。
4/12。翌日からの商品搬入を控え、ほぼ完成となった新丸ビル『studio graphia』へ。入場の仕方やビル内の動線が工事時からかなり変更されていて、若干ウロウロと迷いながら4F現場に到着。
ディベロッパー側の工事も一段落。前回依頼した補修工事の具合も概ね良好で、ここに来てようやく整った状態で店舗全体を見ることがかなった。仕上がり的には万全とは行かないが、許容範囲内、と言って良いだろう。CAリーディングさんの粘りとラストスパートに感謝。
ファサードのコーナー部分にブルーの差し色が入った。
ショーウィンドウ什器上にあるメインの店名サインが点灯(上の写真左)。ディベロッパー工事もこれで完了か、と思いきや、排煙スイッチが棚什器に被さっている箇所があった(上の写真右/小さな2個のボックスはエアコン用のセンサー)。打合せに無かった部分なので、移設・補修を依頼。せっかくきれいに仕上がった壁に傷みが生じそうでか気がかり。
ショーケース内にはグレーの特注色を施したディスプレイライト(上の写真左)。MAXRAY・宮野さんにお願いして特急で作っていただいた。上の写真右は店舗右側に並ぶ棚什器のアップ。店内に商品が並ぶとステンレス鏡面の仕上が生きてくるだろう。
一通りのチェックが終わった頃に、偶然にも隣の店舗区画『Idea Seventh Sense』をチェック中だった形見さんと北見さんにご挨拶。お二人にお会いするのは1年ぶりくらいで、ようやく元浅草に引っ越してからの名刺を手渡すことができた。Kataでは7F『丸の内ハウス』をはじめ、新丸ビル内でいくつかのプロジェクトを手がけられているとのこと。
形見さんの隣でlove the lifeが仕事をする機会なんて、きっとこれが最初で最後だろう。
4/8。花まつり茶会の前に『Dans Dix ans』(ダンディゾン)に立ち寄った。ずいぶん前から行かねばと思いつつ機会の無かった店。青山『d'une rarete』(デュヌ・ラルテ)に続く淺野正己氏プロデュースのパン屋として2003年オープン。
内外装のデザインは斉藤真司さん。斉藤さんは当時設計施工も手がけていたSHIZENのデザイナーで、現在はTYPE-ONEを主宰されている。『Dans Dix ans』は斉藤さんの代表作であると同時に、SHIZEN代表・島田武さんのテイストが色濃く反映された空間だと聞いていた。
大正通りを西へしばらく進み右手の裏路地に入ると、小さな広場に面したガラス張りの小さなビルがある。その片隅に置かれた小さな看板が『Dans Dix ans』の目印。ゆるやかな階段をB1Fへと降りて、大きな一枚板の自動ドアを開けると、パン屋と言うには実に異質な空間がひろがっていた。
店舗区画はガラスの間仕切りでキッチンとショップに大きく2分割され、双方に視線を遮るものはほとんど無い。ショップ中央に置かれたショーケースはガラス越しにキッチンの作業台へと繋がり、一体のボリュームとして存在する。ショップ側のドライエリアに面して天井吊りの商品棚(キッチンとの間をレールで移動することが出来る)があり、ガラスと垂壁を通した向こう側には緑鮮やかな笹の植込と手水鉢がのぞく。
ショーケースは小さなダウンライトと造作内のLEDで、商品棚は斜めの折り上げ天井からのスポットライトで照らされ、その他の照明はごく控えめ。暗い店内に商品と植込、そして揃いの白いユニフォームを着けたスタッフの姿だけが浮かび上がる。
研ぎ澄まされ、清々しい緊張感に満ちた空間は、とても気軽に写真が撮れるような雰囲気ではなかった(上の写真は帰ってカットしてから撮ったもの。店内の写真は『JAPANESE DESIGN』などに掲載されている)。調理中の足下まで丸見えの、全く逃げ場のない店内が、オープン後数年を経てこれだけ美しく保たれている背景には、スタッフの弛まぬ努力と優れたプランニングがあるに違いない。これほどまでに強烈なオリジナリティを持った店を見たのは本当に久方ぶりだ。文句無しに店舗デザインの名作。
BE20(フレッシュバター20%+水)とS77(豆乳77%、油脂なし)、セーグル・オ・ルヴァン、ニームとキンカンのジャムを購入。どれも大変美味でした。S77のもちもちした食感は特に印象的。
Dans Dix ans/東京都武蔵野市吉祥寺本町2-28-2
0422-23-2595/11:00-19:00/水・第1、3火休
4/8。午前中に代官山で住宅物件のダイニングテーブル納品に立ち会い。吉祥寺の藁科邸へ移動して阪口さん亭主のゆるい茶会に参加。ちょうどこの日は仏陀の誕生日、と言うこともあって、曼荼羅(淺川さん私物)あり、マニ車あり(古井さん私物)の不思議な設えに。結界と炉まわりの造作はOSBの組み立て式(スタンダードトレード製作)。
こうした席は勝野もヤギも初めて。一から十まで教わりながらなんとか進行について行きつつ、何気に美しい阪口さんの所作に見入る。
淺川さんお手製の懐石がまた実に感動的だった。写真は桜ご飯(左上)、ダールカレー風味の味噌汁椀(右上)、アボガドと甘酸っぱいソースが乗った鯛のタイ風味(左下)、そして油揚げのサモサ(右下)。青柳と桜鯛の向こう付けや桜ピクルスも忘れ難い美味しさ。
オトナとして見習うべきところ多大なひと時を過ごさせていただきました。感謝。
1974年から80年代初頭にかけて、新宿御苑近くの原田喜佐商店ショールーム・壁装館の地下にあったスペースで“キサデコール”の呼び名を冠したセミナーシリーズが開かれていた。『四人のデザイナーとの対話』(1975/新建築社)はその最初期に催された4つのイベントをまとめた本。批評家・多木浩二氏がゲストクリエーターを迎えての対談の形式がとられている。各回のゲストは建築家・篠原一男氏、グラフィックデザイナー・杉浦康平氏、建築家・磯崎新氏、そしてインテリアデザイナー・倉俣史朗氏。
一読しての印象は、とにかく生々しいものだ。東京オリンピックから大阪万博にかけての狂騒が終息し、オイルショックのただ中で多くのクリエーターが頭打ちを覚えながら、それでも何かを新しくつくり出さねばならない宿命に対峙する姿が文中のそこかしこから見て取れる。
どの対談も結論らしい結論の無いまま途切れるようにして終わるが、それぞれの内容は現代の眼で見ても実に興味深い。篠原氏の住宅作品の中に「都市のイメージ」の侵入を感じ取る多木氏の問いかけに対して、篠原氏は日本建築と自然との関わりを論じることで応えようとする。杉浦氏は「図」の発生と展開をチンパンジーのドローイングにまで遡って解説し、楽譜と地図の歴史的成立過程に至るまで、徹頭徹尾、持論を繰り広げる。磯崎氏の「手法論」を構造主義的視点から読み解こうとする多木氏に対し、磯崎氏は生の現場に携わる立場から疑問を表明し続ける。
白熱した3つの対談に比べ、倉俣氏と多木氏の対談は拍子抜けするほど捉えどころの無い内容に終始している。直感的で、時折はぐらかすような倉俣氏の言葉に対し、多木氏も焦点を探りかねているように見えるが、結果として表層的事実に対する「逆説」としての倉俣デザインの本質に触れることに成功している。
70年代当時のクリエーターを取り巻く苛立と諦めの漂う状況は、90年代バブル経済崩壊後の状況にも多少共通するところがあるように思う。70年代のクリエーター達は市場経済の台頭に真っ向から対立したあげく表舞台から排除され、90年代のクリエーター達は自らマーケットへと身を投じたまま享楽の淵から浮かび上がって来なかった。
それぞれの末路は大きく異なるようだが、結局のところデザイナーや建築家は未だ商業や経済の仕組みを自らの作品の中に消化できないままでいる。この本は貴重な文化史的記録としてばかりでなく、クリエーターに対する警句としても読むことが可能だ。
四人のデザイナーとの対話(amazon.co.jp)
4/5。16:00過ぎに丸の内へ。studio graphiaの工事完了チェックと、CAリーディングさんからオーナーへの一応の現場引き渡し。
少し遅れて着いてみると、現場はまだクリーニングの途中だった。あらま。
養生が無くなって、モルタル打ちの床の状態を初めてちゃんと確認することが出来たが、なかなかいい具合にラフな仕上がりで一安心。
クリーニング作業と平行して、マークスの皆さんを含め工事完了チェック。主に塗装工事に関わる細かな修繕を除いて大きな問題無く終了。懸案だった区画右側のビル環境造作と店舗造作の見切りの問題については結局現状のままとすることになった。良かったような、ちょっと残念なような。
ギザギザの意匠パイプにも無事スポットライトが当たった。不思議な存在感が増大。
そんなわけで、空間そのものはどうにか許容範囲の仕上がりにはなった。ひとまずCAリーディングの皆さんに感謝。しかしディベロッパー側工事の作業はまだしばらく続く模様で、天井の点検口はまだあちこち開いたまま。うーむ。どうにもなかなかスッキリしない現場だなこりゃ。
最近見た展覧会のうち3つについての覚え書き。
3/28。studio graphia現場から銀座へ徒歩移動。十一房珈琲で一休みしてから松屋のデザインギャラリーで開催中の『断面A-A 山本秀夫のプロダクトデザイン』を見た。山本秀夫氏がデザインを手がけたプロダクトを、その簡略化・拡大された断面図とともに展示する内容。
要求される機能はそれぞれに高度であったり複雑であったりするが、それらを満たした上で山本氏の提示するフォルムは素っ気無いほどにシンプル。こうした仕事は並大抵の力量で出来るものではない。特に素晴らしいと感じたのは良品計画のための一連のデザインと、丸ビルのトイレまわりの器具デザイン。良質のプロダクトの集積が良質の環境の創出へと繋がることを示す好例。大変勉強になりました。
3/29。ギャラリー間へ『アトリエ・ワン展 いきいきとした空間の実践』を見に行った。建築プロジェクトそのものにさほど力が無く、2004年にキリンプラザ大阪で見た『街の使い方展』に比較すると、質、内容ともに退行してしまっているように感じられたのは残念。第一会場の大半を占める人形劇場は本来プロセニアムアーチのみで成立するものであって、客席を間仕切る曲げベニヤの造作が「いきいきとした空間の実践」に寄与しているとは言い難い。とは言え『ホワイトリムジン』はやっぱり最高に素敵だ。次に期待。
3/31。『山本達雄「nido」』を見にギャラリー ル・ベインへ。
通りから中庭、ギャラリー内部に到る広いスペースが仮設のパンチカーペットで競技場のトラックに仕立てられていた。あとは無造作にぐるぐると巻かれて積み重なったロープや発砲樹脂製のチューブが点在するだけ。来場者はそのロープやチューブにずどんと腰掛ける。
これは遠い昔の運動会や競技会を思い出して甘酸っぱい気分になれるインスタレーションであると同時に、おそらく山本氏の師である内田繁氏と三橋いく代氏がそのキャリアの最初期にデザインした家具『フリーフォームチェア』(1969)へのオマージュだ。山本氏はきっとロマンティストで、かつ義理堅い人物に違いない。いつかお会いしてみたいものだと思う。
3/28。14:00からディベロッパー側工事の仮引き渡し。ビル内の冷温水供給が遅れていることなどから、まだ空調は完全に稼働していないが、電気設備や防災設備の工事は概ね終了。通路側正面の店名サインの照明が点かないことを除けばほぼ問題無し。
今回はベース照明に久しぶりにCDM(コンパクトな放電管。明るく、消費電力が小さい。少々高価なことと、調光ができないのがタマに傷。)を使うことができた。クリアでメリハリの効いた光がなかなかいい感じ。
ようやく照明が点灯したことに伴って、15:00から引き続きテナント側工事の仕上がりチェック。レジ台後ろのダークグレーの壁の塗装ムラと、通路側正面の白い垂壁に若干浮き出たボードの継目ラインの補修をCAリーディング・米澤さんと田代さんに依頼。
それにしても、まだ一度もクリーニングを入れていないにせよ、現場がやたらとほこりまみれなのが気に入らない。監理の行き届いた現場は工事中でも自ずとそこそこ片付いているもの。汚い現場は三流の現場だ。お二人に注意はしておいたが、果たして真意が伝わったかどうかは分からない。
細かな不満を数えはじめればきりないが、ともあれ、明暗の厳しく対峙する空間はほぼ当初からのデザイン意図通りのものとなった。奇麗になった状態を早く見てみたい。