4/26。東京オペラシティアートギャラリーで開催中の『藤森建築と路上観察』のオープン記念講演へ。司会を松田哲夫氏が担当し、藤森照信氏、赤瀬川源平氏、南伸坊氏、林丈二氏が対談するかたちでの進行。以下はその簡単な覚え書き。
路上観察学会発足まで
・マンホールのふた、穴あきコンクリートブロックなど(林氏)
・壊れたテレビの中に鶏を飼っている物件の発見(赤瀬川氏)
・四谷の純粋階段の発見/祥平館という旅館
トマソンの第一号(赤瀬川、南、松田
・「芸術以外に無用のモノが存在する驚き」(赤瀬川氏)
「芸術も何かしら“ひっかかるもの”が無ければタダのゴミ」(同氏)
・東京建築探偵団発足(藤森氏/1974)
堀口捨巳、今和次郎の実作などを発見
いろいろやってすっかり飽きた頃に本にしようと言う話しが来る(藤森氏)
・『マンホールのふた 日本篇』をきっかけに林氏、藤森氏、赤瀬川氏が出会う
「今時眼からウロコが落ちるようなことがあるとは」(藤森氏)
「立派なモノを見ても眼からウロコは落ちない」(南氏)
・『ハリガミ考現学』(南氏)
龍安寺の貼紙「単なる散歩(禁止)」「犬の散歩(禁止)」括弧内が消えている
・路上観察学会発足(1986)
建築史家・藤森氏の建築家デビュー
・処女作『神長官守矢史料館』(1991)をみんなで見に行く
結構良かったので一同安心する/しかし何かヘン
「作った」と言うより「あった」と言う感じ
・『タンポポハウス』(藤森氏自邸/1995)
・『ニラハウス』(赤瀬川氏邸/1997)
建築家に頼むつもりは無かった「快適じゃ無さそうだから」(赤瀬川氏)
最初は割合フツーの家を計画
せっかくだからとヘンな家を要望(赤瀬川氏)されて嬉しかった(藤森氏)
→「屋根に草」案と「玄関に跳橋」案を提案
跳橋に決まると思った(藤森氏)が草が採用される
茶室に薪の天井を計画したが作り方が分からない
→中止しようとしたら赤瀬川氏が機嫌を損ねたので自力で施工
斧だと薪の割れ方が気に入らないのでノミで叩き割る
「まるで石器時代じゃないか」(赤瀬川氏)
田舎から床柱用の桑の木を電車で運ぶ
→長さが足りず斜めに立てかけることに
・縄文建築団の発生
藤森氏と茶室
・これまでに茶室を7つ設計
・中村昌生氏から連絡「とうとう怒られる」と思ったら「君の茶室は面白い」
『矩庵』(2003)を中村氏、熊倉功夫氏、表千家の人が見に来る
・『高過庵』(藤森氏実家の茶室/2004)を縄文建築団で施工
いつも人に引き渡してばかりなので自分の茶室が欲しくなった(藤森氏)
足場(足場だけはプロ施工)が取れた時にあまりに高くて驚く
7mのハシゴが必要/茶を点てると揺れる/有名になり過ぎて見物人に困る
窓からの景色がブリューゲルの絵のよう(誰もこちら側を気にしていない)
→ラファエロの人物はこちら側を意識しているようで好きじゃない(藤森氏)
まとめ
・つくることを人に丸投げするのはもったいない(藤森氏)
年一回くらいは縄文建築団でなにか作りたい(同氏)
みんなが工夫しないと完成しない(林氏)
マジメな人が一番苦労する/関わっていると体調が良くなる(松田氏)
・ヴェネツィア・ビエンナーレ建築展日本館コミッショナー(藤森氏/2006)
縄文建築団が参加
→コミッショナー自らが施工に加わっているのを見て隣の韓国館の人が驚く
・ピラミッドみたいな巨大建築物が理想(藤森氏)
人がわらわらと集まって居なくなるとそのままのかたちで建物が出現