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身体と空間の芸術, 都市とデザインと : 国立能楽堂・納涼茂山狂言祭2007

8/18。国立能楽堂『納涼茂山狂言祭2007』の夜公演へ。ここで茂山狂言を見るのは昨年に続いて2度目。相変わらず国立能楽堂は気楽でいい。勝野は竺仙の絹紅梅、ヤギはTシャツにジーンズ、という他の能楽堂だと着物マダムの皆さんに白い目で見られそうな出で立ちだったが、ここでは余計な気遣いをしなくて済む。

建物は大江宏建築事務所1983年の作。外苑西通りと明治通りを繋ぐJRの線路脇の道を、その中ほどで少し住宅街の側に入ると柿葺(こけらぶき)を模した金属屋根が折り重なって表れる。

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ファサードや外構のデザインはまとまりに欠けるが、インテリアは見事なものだ。上の写真は終演後の舞台。光源をほとんど意識させない超フラットなライティングが異空間を浮かび上がらせる。

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上の写真はエントランスロビー。上部に木製ルーバーを設けた開口部のデザインが巨大な半蔀(はじとみ)を彷彿させる。

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上の写真はエントランスロビーからホワイエへと続くメイン通路。中庭(写真右)を半周するようにして横ルーバーの意匠が続く。

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ホワイエで天井は一段と高くなる。上部はぐるりと光壁。縦向きとなった木製ルーバーがそのスケール感を強調する。見所の外側にある通路(写真左)を含め、舞台以外のライティングには蛍光灯が上手く使われている。

最初の演目は京極夏彦作の『豆腐小僧』。千之丞氏演じる豆腐小僧の可愛らしさと、千五郎氏演じる大名の雷親父ぶりの対比が実に鮮やか。休憩をはさんでの『三人かたは』はナンセンスの極み。笑いのパワーが凄い。最後の『神鳴』(かみなり)は田楽の流れを汲む楽しくおめでたい演目。八百万の神の国に住む民衆の厚かましさとたくましさに思いを巡らせつつ、大いに笑わせていただいた。

2007年08月30日 01:00 | trackbacks (0) | comments (0)

食べたり飲んだり : 浅草・駒形どぜう

8/10。福間さんのお誘いで『駒形どぜう』へ。1801年創業のどじょう料理店。初代越後屋助七は「どぜう」の表記の発案者とされる。浅草でも指折りの有名店で、アトリエからはほとんど近所と言って良いくらいの距離ながら、訪れるのはこれが初めて。

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場所は駒形橋の手前を少し南に下った江戸通り沿い。路地を挟んだ隣はバンダイの本社で、少し北側にはエースの本社がある。1964年に建てられた木造の店舗は地上3階・地下1階の4フロアを擁し、席数は250を超える。シンプルさの中にも威風を感じさせる外観は、東京の庶民の文化と気質をよく表すように思う。店先にある『江戸文化道場』の看板は、隔月で催されている芸能、工芸などに関する講座の告知。

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暖簾をくぐり、引戸を開けると、籐を敷き詰めた入れ込み座敷の賑わいが眼前にひろがる。気分は俄然盛り上がり、早速「そこ座っていい?」と靴を脱ぎそうになったが、この日は脇の階段から2Fの大広間に通された。1Fも2Fも天井は高く、内装のつくりは外観同様実にしっかりとしており、余計な装飾は無い。古い建物にしてはエアコンの効きは良く、そこらじゅうで鍋の湯気が立ち上っているにもかかわらず室内は快適だ。座卓を3人で囲み、どぜう定食を2人前とくじら刺身、鯉のあらいなどを一気に注文。ほどなく、座卓に仕込まれた小型のコンロにどぜうなべが乗せられた。

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はじめて嗅ぐどじょうと味噌の合わさった香りは、不思議に懐かしく、優しいものだった。どじょうは丸のままだが、最初から骨まで柔らかく煮込まれている。たっぷりと葱を混ぜ、好みで山椒か七味をかけていただくと、その風味はさらに引き立つ。強いくせのようなものはどこにも無く、なんと言うか、しみじみ美味い。どじょうを開きにして卵でとじた柳川では、ふくよかな食感が一層強調される。これもまた捨て難い。

四十手前にして今さらのどじょう開眼。近々飯田屋にもぜひ行ってみなくては。

駒形どぜう/東京都台東区駒形1-7-12/03-3842-4001
11:00-21:00(LO)/年中無休

2007年08月23日 18:00 | trackbacks (1) | comments (2)

名言コレクション : 内田繁の言葉

明治の近代化は、日本の文化のなかに美術と芸術という概念を移植しました。本来、日本の文化には、美術や芸術というカテゴリーはありません。今日でいう「日本の美術品」はすべて「道具」でした。中世絵巻や水墨画も、雪舟の大和絵屏風も永徳の障屏風も、狩野派の風俗画も、宗達・光琳の工芸も、もちろん日用のためのものも、すべて道具でした。道具は、生活や儀礼や芸能のために使われます。刀や槍のような武具も道具でした。日本の文化にとって、道具とは使えるものに他なりません。

貴族の暮らし、武家の暮らし、裕福な人びとの暮らし、庶民の暮らしと、さまざまな暮らしがありますが、道具とは一様に暮らしのためのものです。こうした道具の中にこそ「美」は存在したのです。それらは、どのレベルの暮らしにおいても、それぞれの日常生活をつくり出すものです。「美」は日常の中にあるのです。それは普通の暮らしの中にあります。「普通のデザイン」にとってもっとも大切なのは、美しいかどうかということです。美とは決して高価なものを指すわけではありません。どれほど質素で素朴なものでも、美しいものと、美しくないものがあります。それはおそらく普通であるか、否かの違いにあるのだと思います。(内田繁)

普通のデザイン(著:内田繁/編集:米澤敬/工作舎)より。

2007年08月22日 01:00 | trackbacks (0) | comments (0)

食べたり飲んだり : 麻布十番・浪花屋

8/9。『更科堀井』で食事の後、『浪花屋』にも立ち寄った。たい焼きと甘味、軽食の店。1909年に麹町で開業し、40年ほど前に麻布十番へ移転。以後木造の店舗での営業を続けていたが、2005年に建て替えのため麻布十番温泉近くの仮店舗へ一時移転。2007年5月に再びもとの場所での営業を再開した。創業者の神戸清次郎は大阪の出身で、たい焼きの考案者とされる。

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ひとつの金型で一匹ずつしか焼けない製法のため、縁日のたい焼きのように量産することはできない。この日は2Fのカフェスペースで並ぶこと十数分、テーブルに着いて注文してからさらに十数分待った。と言ってもこのくらいはまだラッキーな方で、持ち帰りを頼むと確実に小一時間は待たねばならない。

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私たちは仮店舗を訪れることがなかったため、『浪花屋』のたい焼きをいただくのはずいぶんと久しぶりのこと。薄くパリっとした香ばしい皮の中に、ほくほくのつぶあんがぎっしり詰まった昔ながらのたい焼きの美味さは、時間の流れを全く感じさせないものだった。そして暑い季節となれば、焼きたてのたい焼きと一緒に食べたいのはやはりかき氷。この身体に悪そうな温度差がいい。

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惜しいのは新しい建物とその使い方が良くないこと。もとの小さな土地に出来たビルは、道路の反対側から見上げたところおそらく6階か7階建て。各フロアに深めのバルコニーを設け、西日を少しでも遮ろうとしているのは分かるが、その脇に避難階段を置かざるを得ないため、エレベーターはおのずとフロアの中央に近い場所となる。おかげで店舗は2フロアとなったにもかかわらず、印象的にはずいぶんと窮屈になってしまった。特に2Fでは会計や配膳の機能がすでに客席側へと溢れ出してしまっている。店舗のプロが設計したものではないことは明らかだ。運営面での慣れの問題などいろいろ事情はあるのだろう、とは思うものの、なんとも残念でならない。

帰り際に振り返ってみると、店先のたい焼き専用キッチンの奥にも椅子とテーブルが置かれているのが見えた。どうやら1Fでも食べることができるようだ。空調のろくに効かないなか、ぎゅう詰めのフロアで汗をかきながらたい焼きを頬張ったあの木造店舗の記憶が、あそこでなら再現されるかもしれない。そう思うと、また麻布十番へ行くのが楽しみになってきた。

浪花屋/東京都港区麻布十番1-8-14/03-3583-4975
10:00-20:00/火、第3水休

2007年08月20日 02:00 | trackbacks (1) | comments (0)

食べたり飲んだり : 麻布十番・更科堀井

8/9。目黒での打ち合わせから小泉誠展へ向かう途中、麻布十番で地下鉄を降りて遅い昼食を摂ることにした。向かったのは『更科堀井』。更科を屋号とする蕎麦屋の本家本元とされる堀井家の店。

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更科の創業は1789年。様々な変遷を経て『更科堀井』が開店したのは1984年。麻布十番商店街の端っこと言って差し支えないこの場所だが、今では六本木ヒルズにほど近い好立地となった。煉瓦調タイルに覆われたマンションビルの1Fに掛かったその暖簾の様子は、雑多な植栽に埋もれてしまいそうなくらいに静かで控えめだ。

照明を押さえた店内に入ると目の前に大テーブル。それを挟むようにして右手に小さなテーブル席がずらりと並び、左手に座敷席という配置。小テーブルの列に割り込んで、店内を隈無く見渡せる場所にレジカウンターが置かれている。この日は少し奥の座敷に落ち着いた。もりの大盛りと冷しじゅん菜とろろそばを注文。

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そばにはしっかりとしたコシがある。風味はさっぱりとして、のどごしが実にきれいだ。“洗練”という言葉の似合うこの店の味をストレートに楽しむなら、スタンダードな「もり」か、蕎麦の芯のみで打った「さらしな」がいい。「から」、「あま」の2種類のつゆが出されるのもこの店の特徴。「から」のつゆは並木とまでは行かないが、濃く、強い。冷しじゅん菜とろろそばは、たっぷりと盛られた具の食感と、そばとの相性が様々に楽しめる面白い品だった。

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サービスは気さくながら目は十分に行き届いている。老舗のオーラを感じさせない自然体の雰囲気が好ましい。その庶民性ゆえにこの店の味は特別であり、蕎麦には素人の私たちにとって確かな指標となってくれる。そばは堀井。つゆは並木。

更科堀井/東京都港区元麻布3-11-4
03-3403-3401/11:30-20:30/水休

2007年08月19日 04:00 | trackbacks (0) | comments (0)

都市とデザインと : 小泉誠展 匣&函

8/9。『小泉誠展 匣&函』を見にGALLERY le bainへ。

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ギャラリーの正面は動線に対して斜めに設えた白い間仕切りで遮られていた。これは発泡スチロールの塊を積み上げたもの。小さく切り欠いたような入口から中に入ると、白いボリュームはガラス面を挟んで中庭からギャラリーへと貫入し、展示スペースはいつもと丸きり異なる印象に。コストをかけず、最少の手数で空間を変化させる手法にいきなりはっとさせられた。

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白い箱の内外にはJパネル(杉)の箱と、それを組み合わせたいくつかの作品が、ごろんところがされるような姿で置かれていた。座ったり寝そべったりは自由。それぞれが家具でありつつパーソナルな空間でもある。どの作品もかたちそのものは至って単純で、一見無造作にも思えるが、中に入ってみると妥協無く細かな寸法調整が施されていることが分かる。居心地が良いのだ。しかも楽しい。

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上の写真右はデスクとベンチの組み合わせ。上の写真左などはかなりアクロバティックな幾何学的構成。おそらく部分的に金物で補強されているのだとは思うが、外見上はふたつの木の箱でしかない。その佇まいはほとんどミニマルアートだ。

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どの展示作品にもプロダクトとしての完成度と実験性とが高い次元で両立されていた。「箱」という素朴なテーマにこれほどの深みを与えた小泉氏の手腕とクリエイティビティに驚き、頭が下がる。大変勉強になりました。

Koizumi Studio(小泉誠)

2007年08月15日 14:00 | trackbacks (0) | comments (0)

食べたり飲んだり : 田原町・デンキヤホール

8/6。午前中の打ち合わせからの帰りに『デンキヤホール』の前を通りかかった。とんかつサンドのショーケースがまだ店先に置かれていたので昼食用に購入。近所にもかかわらず、いただくのはこれが初めて。この日店に入ったのは11時を過ぎた頃。残り3個で売り切れのタイミングだった。

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ペリカン製のパンに挟まったサクサクのひれカツ。ソースのかかり具合が控えめなのがいい。シンプルな美味さにほっとする。

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この『デンキヤホール』の営業形態はかなり変則的だ。ランチタイムはとんかつ定食を食べさせる店で、午後の休憩をはさんで夕方からはなぜかメニューがお好み焼きに変わってしまう。で、一番人気のとんかつサンドだけは朝8時から数量限定で販売されている。なんでこんなややこしいことになってるんだろうか(上の写真は夜の営業時の様子。店構えの写真はこちら)。また、観音裏の千束商店街に同名の喫茶店があるが、関係があるのかどうかは不明。もともと電気屋だった、かつて仁丹塔のそばにあった、と言った噂もいくつか耳にするものの真相は分からない。浅草のちいさな謎。

デンキヤホール/東京都台東区寿4-7-7/03-3847-2727
とんかつサンド販売・8:00-売切まで
とんかつ定食・11:30-14:00,お好み焼き・17:30-21:30/日祝休

2007年08月14日 11:00 | trackbacks (0) | comments (0)

食べたり飲んだり : 中目黒・まえだや

8/4。MOKAさんご両人のお誘いで中目黒のジンギスカン店『まえだや』へ。ブームがあったのかどうか良くわからないジンギスカンだが、この店はそんなことになる遥か前の1999年にオープンしている。

駅から山手通りを南下して立体交差を左折。駒沢通りを北上し、目黒川と歩道橋を過ぎた辺りで右手の路地に入ると、最初の角に『まえだや』が見つかる。木造家屋の1Fを改装し、簡素なアルミサッシをはめ込んだだけの店構え(もとは豆腐屋だったと聞く)。目立った看板も無ければ暖簾も無く、ビールメーカーのロゴ入りの置看板だけが店名を示す。ただならぬ潔さ。

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中央の引戸から店内へ。モルタルの床に白いボード貼りの内装もまた店構え同様に簡素そのものだ。手前の6畳間ほどのフロアにちいさなテーブルが4つ5つ。左奥のキッチンスペースに貼り付くようにして5席ほどのカウンター。まずはお待たせしてしまったお二人に謝りつつ、華奢なパイプ脚のスツールに腰掛けて飲み物を注文。上品な味付けの島らっきょうとザーサイ、キュウリとセロリのにんにく和えをつまみながら肉を待つ。

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ほどなく木目の化粧板のテーブルに七輪が置かれ、ネギ塩焼とロースの網焼が登場。マトンではなくラムを使用しているとは言え、敢えてこうした出し方をする店は少ないのではないか。果たしてその肉質は実に素晴らしく、柔らかさとジューシーさに顔がほころぶ。

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続いてはいよいよジンギスカン。この日は店主・前田ゆかり氏が直々に油を引き、野菜のセッティングをして下さった。その作法は実に丁寧で、思わず見ほれるほど。いただく箸にも気合いがこもる。ネギ塩焼、網焼と同様ジンギスカンの肉も厚切り。羊肉ならではの風味はあっても嫌な臭みは微塵も無く、美味い。シメにいただいたニラ玉雑炊のふわりと優しい食感も忘れ難いものだった。

食器の趣味もまた店のつくり同様に控えめで可愛らしい。白い三角巾の女性とモヒカンの兄ちゃんのサービスも含め、この店の素っ気無さは見事に徹底されている。それだけに肉の持つ力強さが一層際立つ。勝負所をこれだけ明快に示した店は世間にそう多くはない。いつの間にか席の埋まっていた店内は、七輪の煙と、蛍光灯の白い光と、不思議な清潔感とで満たされていた。この店のデザインは完璧だ。

まえだや/東京都目黒区中目黒1-5-8/03-3716-8322
18:30-24:00(土-23:30)/日祝休

2007年08月12日 16:00 | trackbacks (0) | comments (0)

身体と空間の芸術 : 鈴木真吾 / 須田悦弘 / アニアス・ワイルダー

7月に見た展覧会のうち現代美術系の3つについてのメモ。

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鈴木真吾個展「手のひらを太陽に」 2007/7/6-28 KANDADA
会場の『KANDADA』はコマンドNが運営するアートスペース。印刷会社・精興社の1Fを活用した白く天井の高い空間。6点あまりの立体作品とインスタレーションはどれもチェーンリング、パーラービーズ、マッチ棒、コインなど、無数の小さなパーツを丹念に組み上げることで大小のミニマルなボリュームを形成するもの。鈴木氏はこれらを個と社会の関わりのメタファーとして捉えている。どの作品にも純粋かつ単純であるが故の驚きがあり、美しい。中でも一円玉をミラーボールに仕立てた作品『きらきらぼし』は感動的だ。壁や床に投影された無数の円形の中に、縮小された一円玉の模様がうっすらと浮かび上がる様は、鈴木氏も全く予想していなかったものだと言う。『1000のバイオリン』は黒い折り鶴を25×40(=1000)のグリッド状に壁面へと配列し、参加者が折った千円札の折り鶴と交換してゆくプロジェクト。上の写真は勝野とヤギが交換してきた折り鶴。千円札と同じサイズの紙を折っているためこんなかたちに。鈴木氏のサイン入り。どうにかして額装したいと思っている。

須田悦弘展 2007/6/26-7/28 ギャラリー小柳
植物を象った木彫数点での新作展。ギャラリーは銀座の外れにあるビル8Fの割合に広いスペース。白い壁の所々に剥き出しのコンクリート柱が露出しており、須田氏ならではのハイパーリアルで繊細な造形による朝顔や菖蒲などの夏草が、その片隅から生えてきたような姿でさりげなく、点々と置かれていた。ひとつひとつの作品は見事だが、空間的な工夫を感じる展示ではなく、以前に見た資生堂ギャラリーでの展覧会に比べると全体の印象は弱い。価格表を見ると大きめの作品には400万円以上の値が付いており、全て売約済み。さすが。でも私たちにとっては入口エレベーター脇のカウンター下にひっそりと展示されていた雑草の木彫(非売品)が最も魅力的だった。

アニアス・ワイルダー展 7/7-31 INAXギャラリー2
イギリスのアーティスト、アニアス・ワイルダー氏によるインスタレーション展。6mの全長を持つ無数の木片を規則的に組み上げた八角柱の造形が、ギャラリーの両壁をつなぐかたちで宙に浮かぶ。信じ難いことにこの横倒しの積み木には釘や接着剤などは一切用いられておらず、両端からの圧力だけで支えられていた。軽量鉄骨にボード貼のような内装壁では強度が足りないため、両壁の一部はくり抜かれ、鉄筋コンクリートの躯体壁が露出した状態。力のかけ具合は造形と躯体壁の間に三角形の楔を打ち込むローテク極まりない手法で調整されていた。私たちが見に行った前日、東京では震度3の地震があったのだが、よく壊れなかったものだ。デザインや建築に携わる人間にはなんとも堪らない危うさ。それは数学的で、同時に呪術的でもある。

2007年08月09日 11:00 | trackbacks (0) | comments (0)

落語初心者のメモ : 落語初心者のメモ 2007年7月

7/12。銀座ブロッサムで「大銀座落語祭」初日。第1部はコント劇団、ザ・ニュースペーパーのスペシャルライブ。テレビでは放送不可能であろう際どい政治ネタの応酬に爆笑しつつも時折冷や汗をかいたり感心したり。これほど骨太で、丁寧に練り上げられたコントを目の当たりにするのは十数年ぶりではないか。恐ろしくカッコいい芸だ。こりゃまた拝見しなくちゃ。
第2部は桂ざこば桂南光桂雀々三人会。この三師を東京で揃って聞くことが出来るとはなんたる幸せ。最初に登場した雀々師匠の演目はなんと『代書屋』。しかも「ポンでーす」のバージョン。さすがに少々緊張の面持ちではあったが、枝雀落語の継承者としての覚悟を感じさせる高座に笑い泣き。南光師匠は『ちりとてちん』。独特の枯れた声質と柔らかな口調が上方落語のトーンを際立たせる。カラフルな表情に枝雀落語の面影を見てまた泣き笑い。ざこば師匠は『遊山船(ゆさんぶね)』。お馴染みの怒り顔と素っ気無い枕が嬉しい。お囃子を取り入れての華やかな演出は上方落語ならでは。時折大阪ことばの解説を織り交ぜながら、素晴らしくテンポ良く聞かせる。そのサービス精神と技の凄みに心打たれた。
第3部は立川志の輔の会。『柳田格之進』をたっぷりと。抑制された展開の中で、師匠ならではの緻密な人物描写が見事に際立つ。もう言うこと無し。ただ感涙。

7/18。よみうりホールで「談志・志らく親子会」。最初は立川志らく師匠の『片棒』。映画ネタ、懐メロネタを軸に据えた大胆なアレンジと目まぐるしい展開が圧倒的。続いて立川談志師匠の『木乃伊取り(みいらとり)』。『木乃伊取り』を師匠で聞くのは2度目だが、印象は前回とは全く別物。特に間にお囃子を入れての関西風の演出と、サゲの意外なアレンジには驚いた。途中一度噺に詰まる場面はあったものの、座布団から転がり落ちたりしながらの(「弟子の前でやる芸じゃねえなあ」には笑った)熱演。久々に師匠ならではの鋭さを感じさせる嬉しい高座だった。仲入を挟んで志らく師匠の『茶の湯』と『浜野矩随(はまののりゆき)』を立て続けに。こうした聞かせ方は実に楽しく、志らく師匠らしい。ようやく私たちなりに志らく落語の楽しみ方が分かってきたかも。いや、まだまだ甘いな。

7/20。紀伊國屋サザンシアターで「桂文珍大東京独演会vol.1」。ビデオ上映を開口一番にかえて文珍師匠の登場。先ずはお馴染みの小咄『マニュアル時代』でタイムリーな時事ネタを織り交ぜつつ客慣らし。続いて柳貴家小雪師匠の水戸大神楽。変わらぬ芸の安定感と美しく切れのある所作が素晴らしい。再登場の文珍師匠の演目は『らくだ』。大阪ことばでの『らくだ』を聞くのは初めて。豹変するくず屋の丁寧な描写には大いに笑いながらもぞっとさせられるものがあった。この凄みもまた文珍落語か。仲入を挟んでは桂米左林家うさぎ林家市楼の三師による大阪・天神祭りのだんじり囃子の演奏。重厚で複雑なリズムが超クール。二丁鐘(すり鐘)の響きに汎アジア的な雰囲気がある。トリは文珍師匠の得意演目の中でも私たちが最も好きなもののひとつ『商社殺油地獄(しょうしゃごろしあぶらのじごく)』。見事な老松の描かれた鏡板を背に、途中お囃子を従えての豪華バージョン。何度聞いても抱腹絶倒の傑作。

7/31。紀伊國屋ホールで「第三回黒談春」。黒談春は立川談春師匠によるマニア向けの会。最初は謎の前座・春作さん(眼鏡をかけた談春師匠)の『力士の春』(春風亭昇太師匠の新作)とそのパロディ『噺家の春』を立て続けに。力の抜けまくった棒読みっぽい口調が妙に可笑しい。『噺家の春』の内容はかなりマニアックで、落語初心者の私たちには半分くらいしか分からなかったが、全部分かりたいような、分かりたくないような。それにしても斬新な演出だなこりゃ。続いては着替えを挟んで談春師匠による根多おろしの『質屋庫(しちやぐら)』。しつこいくすぐりが延々続く展開のためか、東京ではあまりやる人が居ないとのことだが、力量によっては大ネタに化ける演目。私たちは以前桂歌丸師匠で聞いたことがあるがそれはもう見事なものだった。談春師匠は笑福亭仁鶴師匠の演出を下敷きに、得意の流麗な江戸ことばであえて淡々とよどみなく聞かせる。仲入に続いて登場した談春師匠は「会場に録音している奴が居るらしい」と凄むといきなり三遊亭圓朝作の怪談『真景累ヶ淵(しんけいかさねがふち)/豊志賀(とよしが)』へ。これも根多おろし。途中、枕代わりとばかりに嫉妬にまつわる打ち明け話を挟んで笑わせつつ、これまた流れるような口調で語り終える。『質屋庫』といい、師匠の話芸の卓越ぶりと今後の可能性とを同時に感じさせる高座だった。

2007年08月06日 06:00 | trackbacks (0) | comments (0)

落語初心者のメモ : 落語初心者のメモ 2007年6月の残り

時間があれば落語の日々。しかし見れば見るほど、落語に接することは落語家という人間そのものに接することに相違無いと思う。分かった気になることはできても、実際は分からないことだらけ。どうやら「落語通」には一生なれそうにない。デザインもまた然り。

6/14。武蔵野市民文化会館で「桂歌丸笑福亭鶴瓶林家正蔵 夢の三人会」。最初は鶴瓶師匠。赤茶地に大胆な黒い雪輪柄の着物が素晴らしくカッコいい。上方の落語家には伝統的にお洒落な方が多いのだろうとは思うが、中でも師匠はトップクラスではあるまいか。演目はお馴染みの『青木先生』。以前青山で聞いた時とは違い、静かな幕切れが切なさを残す。仲入を挟んで正蔵師匠は『悋気の独楽(りんきのこま)』。師匠お得意の可愛らしい丁稚が印象的な好演。トリは歌丸師匠による左甚五郎もの『ねずみ』。見事な語り口とキレの良いサゲにシビれた。

6/15。赤坂区民センターで「第7回夕刊フジ平成特選寄席」。ホールとその周辺施設のインテリアデザインは1995年に近藤康夫氏が出掛けている。オーバル形の天井造作が特徴的。コンパクトな空間には傾斜がたっぷりとられており、ステージが非常に見やすい。
最初は三遊亭遊馬さんの『酢豆腐』。噺と動きのテンポが抜群に良く、豊かな声量が生きる。久々の爆笑落語だった。ブレイクの予感。続く柳家喬太郎師匠は池袋と今は無き東横線高島町駅への熱い思いを延々と。「前座さん、今日のネタ『高島町』でいいから」のところではお腹がよじれて死ぬかと思った。長大な枕に連なる演目は『諜報員メアリー』。凄まじいまでのナンセンスさ。衝撃的。仲入を挟んでの林家彦いち師匠は『熱血怪談部』。お得意の体育会系な語り口からは意外なサゲのシュールさが妙に味わい深い。トリは立川志らく師匠。激しい新作が二人続いた後に選んだ演目は、古典の中でも一際アクションが需要となる『愛宕山』。師匠らしく息つく間もなく一気に演じ切る。ある種異様な盛り上がりの楽しい会だった。

6/19。なかのZEROホールで「立川志の輔独演会」。落語向きとは言い難い大きなホールで、少々風邪気味だったとは言え、久しぶりに見た志の輔師匠の落語はやはり格別。丹念につくり込まれたディテールが実に楽しく、それを追ううちに巨大な重力に捕われるがごとく、ぐんぐんと噺の世界へと引き込まれる。演目は番頭さんの暴走ぶりが印象的な『千両みかん』と、愛すべきダメキャラクターの演じ分けが楽しい『へっつい幽霊』。

6/28。保谷こもれびホールで「桂歌丸独演会」。演目は『お見立て』と『白木屋』。特に『白木屋』は素晴らしかった。江戸落語の開祖とされる初代三笑亭可楽作の三題噺。定八の転落までの芝居掛かった展開、裁きの場での東海道五十三次をもじった申し開き、そして軽妙な駄洒落でのサゲが師匠ならではの流麗な口調で語られる。これが堪らなくいい。白木屋は日本橋に実在した小間物・呉服店で、現在の東急百貨店にあたる。

7月の分はまた今度。

2007年08月03日 08:00 | trackbacks (0) | comments (0)

身体と空間の芸術 : 市川平「コンタクト・ドーム」

7/22。横須賀・カスヤの森現代美術館へ。市川平さんと西雅秋氏の展覧会『dialogue.3:形の方策』のオープニング。

市川さんの作品はメインの展示室をまるごと使った『ユニバーサル・システム』と題するインスタレーションだった。これは昨年JR仙台駅で開催された展覧会『待ち人の眼差し「駅 2006」Vol.1仙台』のために製作された作品の別バージョン。ブラックライトに照らされた蓄光のBB弾が傾斜したベルトコンベアで上方へと運ばれ、先端で透明樹脂板のレールへと落下。レールはもと来た場所へとBB弾を誘導し、一連の循環が繰り返される。重厚で単純極まりない機械のムーブメントを前にしばらく佇むと、しだいにBB弾と樹脂板のぶつかるパラパラという音が雨脚のように聞こえ、まるでマイナスイオンの立ちこめる中に居るような気分が訪れる。不思議な静謐。

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この日のもうひとつの目的は『コンタクト・ドーム・ツアー・プロジェクト』の進捗を拝見すること。2002年から数年に渡って市川さんが継続中のプロジェクト。美術館の裏の林に鉄板のドームが立ち上がりつつある。上の写真はドームへのアプローチとその外観。

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ドームの中に入って見上げると、気分は『未知との遭遇』。亜鉛メッキされた継ぎ接ぎの面と、無数に開けられた穴から漏れる光が美しい(アップの写真はこちら。右はドームの入口)。

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その空間には大人が何十人も入れる広さがある。“建造物”と言って差し支えの無いこの立体作品を、市川さんはほとんど一人でつくり続けている。製作開始から5年を経て、脚もとは苔むしつつあった。

『コンタクト・ドーム』はこの秋に完成予定とのこと。今から楽しみだ。

市川 平・西 雅秋「dialogue.3:形の方策」(カスヤの森現代美術館)

2007年08月01日 23:00 | trackbacks (0) | comments (0)
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