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身体と空間の芸術, 都市とデザインと : 展覧会行脚のメモ 2007年11月・2

11/24。自由が丘『alternative』でランチの後、六本木へ移動。オオタファインアーツで『見附正康展』を見た。見附氏は1975年生まれの九谷焼の作家。現在「赤絵細描」の第一人者である福島武山氏(その作品と動画は必見)に師事し、石川県で活動している。「赤絵細描」は中国明代の赤絵金襴手を手本に金沢で発達した色絵のテクニック。
展示されていたのは大皿4点、蓋物2点、花瓶1点。シンプルなフォルムの器に描かれたパターンの細密さはあまりに凄まじく、じっと目を凝らさないとフォーカスが合わないほど。描かれているのは瓔珞(ようらく/古代インドの装身具をパターン化したもの)や七宝(しっぽう/円を重ねて繋いでいく仏教由来の吉祥文)と言った一般的な古文様だが、それらが同心円上に綺麗に配置された様は和風と言うよりむしろエキゾチック。異様なまでの細密さが、ある種呪術的な雰囲気を醸し出す。これまでに体験したことの無い感覚に、思わず息を呑んだ。

同日、銀座へ移動してMEGUMI OGITA GALLERYで『中村ケンゴ ”スピーチバルーン・イン・ザ・ビーナスと21世紀のダンス”』を見た。作品についての詳しい解説はこちら。マットな質感の中にやわらかな奥行きと光沢を秘めた画面(「近代の日本画」の技法で描かれている)が、ほぼモノトーンに近い配色によって力強く引き立つ。特に『21世紀のダンス』のシリーズは、マティスの絵画をサンプリング・再構成した結果、自然物モチーフのパターン(例えばトード・ボーンチェなど)を思わせるファッショナブルさと、暗くシニカルな批評性を同時に獲得しているのが興味深い。
シリーズ中にはダンサーが黒で描かれたものと、白で描かれたものの二通りがある。個人的に、そのミステリアスさに心惹かれるのはやはり「黒」の方だが、明るさを装った「白」の方がコンセプト的にはより捩れている。どちらも魅力的だ。

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11/30。打合せからの帰りに青山のCLEAR GALLERYで『倉俣史朗 Liberated Zone』を見た。倉俣のデザインした家具・プロダクト作品のうち、アクリルとガラスを主素材とする代表作が8点余り展示されている。私たちにはどの作品とも10年以上ぶりの再会だ。以前ならその存在感に圧倒されるばかりで、まったく目に入らなかったアクリルの継目や金物の溶接箇所を、今では冷静に見ることができる。当時持てる知恵と技術の粋を凝らした倉俣と制作者の共同を物語るそうしたディテールの囁き声に、私たちはそっと耳を傾けた。
展示作品中、その洗練性において際立っていたのが『Glass Chair』(硝子の椅子/1976/三保谷硝子製作)と『Luminous Chair』(光の椅子/1969/イシマル製作)だった。とりわけ『Glass Chair』のもつ非現実性は、現物を目の当たりにしない限り、まず実感することはできないものだ。倉俣の作品について語られる場合、そこに込められた夢とポエジーに主眼が置かれることが多い。しかし椅子や家具という概念に対するパロディとしてあまりに完璧な『Glass Chair』のデザインは、甘いロマンチシズムの彼岸にあると言っていい。『Glass Chair』のとなりに佇む『Miss Blanche』(ミス・ブランチ/1988/イシマル製作)は、なんだか少々申しわけなさそうで微笑ましかった。
『Miss Blanche』を除き、全ての作品はギャラリーで購入することができる。家具類にはおおよそ数十万円から数百万円の値が付いていた。今はとてもじゃないが、『Glass Chair』と『Luminous Chair』はいつか何とかして手に入れたいものだ。まずはどこにどうやって置くかが問題だな。

工芸とデザインと現代美術。もはやぼんやりと霞んでしまったその境界を、行き歩いたような3つの展覧会だった。

2007年12月11日 06:00 | trackbacks (0) | comments (0)
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