1/2。東京国立博物館は平常展無料観覧日。国宝室に長谷川等伯(1539-1610)の『松林図屏風』(しょうりんずびょうぶ)を見に行った。6曲1双の紙本墨画。
禁止マークの表示されたものを除き、ここでは写真撮影がほぼおとがめなし(当然ながら、フラッシュや三脚の使用など明らかに人迷惑な行為は不可)。『松林図屏風』も撮影OKだった。実際にはこれだけの大作(高さ1568mm、伸ばした状態での幅7120mm)の全景を人が居ない状態で撮るのはまず無理とは言え、なんとも太っ腹で嬉しい限り。
遠目には霧に消え入る静謐な松林が極めて写実的に表現されているように見えるが、近づくとその筆遣いは意外なほど激しい。生々しく描かれているのは「松」ではなく「大気」なのだ。
上は斜め右からの写真。
上は斜め左からの写真。できれば広間にぽんと置いた状態で、自然光の変化とともに、もっと様々な角度から眺めてみたいところ。優れた屏風絵はそれ自体平面であると同時に、その可動性ゆえ空間を劇的に変貌させることの可能な道具でもある点が面白い。
限りなく疎な物性で空間を意味付けること。私たちにも等伯のような表現ができるだろうか。
10/7。新国立劇場で勅使川原三郎『消息 - Substance』。小劇場に入ったのはこの日が初めて。仮設的で濃密な空間。ステージとの距離が近い。しかし前方にはプロセニアムの上枠のような状態で吊られた造作があり、前面にずらりと並んだ蛍光灯が目を眩ませる。やがて光の緞帳が上昇し、暗転。
ステージ上がぼんやり明るくなると、左右に斜めに傾いた金属パイプが風にしなう竹林のように群れをなしており、ダンサーたちはその間から現れては消える。特に静と動を激しく繰り返す佐東利穂子氏の存在は凄まじい。時折、床面にライティングの描く円環が空間に狭い領域を生み出し、ダンスはその内外で展開する。ステージ上部は蚊帳のようなもので覆われており、その下面には床より若干小さなサイズの円環が、暗い中心を持つ月のようにぽっかりと浮かぶ。最奥の壁面に沿ってぶら下がった数個の電球もまたダンサーたちにそれぞれ小さな領域を提供する。
勅使川原氏の作品としては要素が多く、構成的にやや求心力を欠くようにも思われたが、もしかすると劇場の規模が変わればそれだけで随分と印象が変わるかもしれない。進化の予感のある作品だ。
11/4。彩の国さいたま芸術劇場で維新派『nostalgia』。20世紀初頭の南米を舞台に、騒乱と大戦の影の中で迫害を受ける移民カップルの出会いと、それぞれの旅を描く。
舞台の大仕掛け。断片的な台詞と抽象化された動作。形式的には変わらぬ維新派流のスペクタクルながら、全体を通しての印象はより生々しい。装置類にはいつもほどの圧倒的なボリュームは無く、替わりに巨大な書き割りがステージをレイヤーに分け、ダイナミックに入れ替わる。また、マスゲーム的な演出はいつも以上に洗練され、迫力のあるものとなっていた。史実を参照し、ほぼ時系列で組み立てられたストーリーは、維新派の作品としては異例に分かりやすい。
エンターテイメントとしてのクオリティが一気に高められ、猥雑さや手作り感が若干影を潜めてしまったことに寂しい心持ちも無くはない。それでも維新派が明確に新しい段階へと踏み出したことを祝福したいと思う。これが三部作の最初とのこと。引き続き登場するであろう着ぐるみ人形の<彼>、キャラクターたちの行く末など、今後の謎解きと展開が気にかかる。
12/16。再び新国立劇場・小劇場。勅使川原三郎『ミロク MIROKU』。勅使川原氏のソロ作品。三方をフラットな壁に囲まれたステージ上には装置らしいものが一切無い。勅使川原氏が静かに現れ、横長四角形を照射するよう制御されたライティングが壁面をグリッドパターン状に発光させ始める。壁は全面を蛍光ブルーに塗装されている。空間を支配する青い光の明滅と滑らかな動きの中で、蛍光オレンジのTシャツを着けた勅使川原氏が、残像とともにダンスする。
ステージ中央に四角いスポットライトが落とされると、ダンスはその領域を避けながら、あるいはその中に居る見えないダンサーとデュエットするようにして展開する。後半、裸電球が上部からぶら下がり、それを手にした勅使川原氏はソケットに付いたスイッチを入切しながら目まぐるしく動く。点光源から放たれる光によって壁面に拡大される勅使川原氏の影が、時折人間ではない「何か」を想起させる。
やがて青い光が上昇パターンを描きはじめ、静かにエンディングが訪れた。その様子を詳述することは避けておこう。ステージから客席に向かって真っ直ぐに吹いた一陣の風の肌触りを、おそらく私たちは決して忘れない。なんというシンプルで、ストレートで、心豊かな演出か。
SABURO TESHIGAWARA / KARAS
維新派
DANCE CUBE/アプローズ・ダンス!EAST
勅使川原三郎が新作『消息 - Substance』を上演(2007年11月号)
勅使川原三郎のソロ『ミロク MIROKU』(2008年1月号)
*リンク先中段以下に写真入記事
11/3。三鷹市芸術文化センター・星のホールで『立川志の輔独演会』。開口一番・立川志の春さんの『道灌』に続いて志の輔師匠の登場。あまり声の調子が良くないとのことで、枕を長めにとっての演目は自作の新作『買い物ぶぎ』。買い物を頼まれてドラッグストアへ来たおじさんにマーケティングの不条理を延々掘り起こされてパニックに陥る店員に大笑いしつつ、その設定の綿密さに舌を巻く。
仲入りを挟んで『井戸の茶碗』。二組の武士の意地の張り合いの板挟みとなるお人好しの屑屋。終盤、屑屋をキレさせてしまうのは実に師匠らしいユニークな演出。制度に潜む矛盾に蟻地獄のようにはまってゆくキャラクターの悲喜劇を、志の輔師匠はいともスマートかつ現代的に描く。
11/21。みたか井心亭で『寄席井心亭 数えて百五十夜 霜月』。林家たい平師匠の会。井心亭は1983年に三鷹市の和風文化施設として設けられた木造平屋の建物。設計は番匠設計。最初にたい平師匠の『反対俥』(はんたいぐるま)。人力車夫に引っ張り回される客のハチャメチャな根多を、思い切り今風にアレンジしてさらにハチャメチャに。続いて三遊亭歌彦さんの『新聞記事』。さらに 林家久蔵師匠の『浮世床』で仲入り。
最後にたい平師匠で『粗忽長屋』。これが実に鮮やか。ところどころ時事ネタでくすぐりながら、まともな人物をほとんど介在させずに、ナンセンス極まりない根多を破綻無く飄々と演じる。笑いの向こうに芸の凄みが垣間見える落語。終演後にサインをいただいた。
11/26。よみうりホールで『第25回東西落語研鑽会』。先ず桂つく枝師匠で『四人癖』。初っ端から品のある見事な上方落語。その表情の楽しく豊かなこと。今後要チェック。続いて全国落語台本コンクール優秀賞作品の 『夢で逢えたら』 (冨田龍一氏作)を柳家喬太郎師匠で。切ない幽霊根多を師匠らしく怪しく映像的に力演。続いて林家正蔵師匠と柳家花緑師匠のダブル司会でコンクールの表彰式。こちらにも喬太郎師匠が登場。さりげなくコケてみたり、椅子の後ろに恨めしげに立ったりするのが妙に可笑しい。本当にちょっとした動作が舞台に映えるのだ。コントとか芝居もやってみてほしいような、やらないでほしいような。
仲入りを挟み花緑師匠で『唖の釣』。 師匠の落語は人数の出る会ではあまり印象に残ったことが無いのだが、この日は違った。テレビでは口演の難しい根多を嫌味無く粋に演じて正蔵師匠に繋ぐ。『鬼の面』は林家しん平師匠の新作(正:上方由来の古典・0802/22訂正)。正蔵師匠らしい人情味の豊かな根多。人は悪くないが悪戯心が過ぎて事件を引き起こしてしまう旦那のキャラクターが師匠自身に重なる。最後は桂三枝師匠で自作の新作『宿題』。お馴染みの根多ながら、各師匠が盛り上げた会場の空気を一身に引き受ける熱い高座だった。涙ぐむくらいに爆笑。
12/12。博品館劇場で『たい平たっぷりナイト2』。先ずは林家たい平師匠で『七段目』。上方由来のはめもの(口演途中のお囃子)入りの芝居噺。歌舞伎のパロディを相当上手く演らなくては面白くならない根多だが、さすがは師匠。役者の物真似を分かりやすく織り交ぜて巧みに現代化しつつ、抜群のテンポで華やかに演じる。林家ペタ子さんの歌の後仲入り。たい平師匠がiMovieで作ったと言う空の写真のスライドショーに続いて最後は『芝浜』。
無知な素人が言うべきことではないかもしれないが、『芝浜』の山場は前半の財布を拾うシーンにあるのではないか。そこで観客に芝の浜の風景を想起させることが出来るかどうかが、この根多の良し悪しを決定付ける。とすれば、この日のたい平師匠の『芝浜』は文句無しの佳作だった。思わず魚屋夫婦に感情移入して涙、涙。
12/18。内幸町ホールで『東西若手落語家コンペティション2007 第5回』。出演陣がじゃんけんで登場順を決めて、トップは立川志ら乃さんの『火焔太鼓』。志らく師匠ゆずりの暴走機関車のようなスピード感と脱線具合に爆笑。次は三遊亭歌彦さんの『片棒』。声が非常に良く、言葉使いは流れるように美しい。しかし、申し訳ないことに何故か眠たくなる(11月の井心亭でもそうだった)。続いて桂春菜さんの『七段目』。歌舞伎部分が今ひとつ未完成で、根多全体に一体感を欠く印象ではあったが、独特の色気を感じさせる噺家さんだった。
仲入りを挟んで三遊亭遊馬さんの『佐野山』。江戸後期の相撲取・谷風と佐野山にまつわる講談由来の根多。伏線、登場人物ともに多く、落語としては面白くし辛そうな構成ながら、表情豊かでメリハリの効いた遊馬さんの口演は素晴らしかった。最後まで明確な種明かしをせずにお終いにしてしまうがこれまた粋だ。最後は桂かい枝さんで自作の新作『ハル子とカズ子』。熱演が続いて観客も疲れただろう、と思われたのか、お得意の軽めの根多。とは言え、関西のおばあちゃん同士の会話は実に良く練られており、客との間合いの取り方もまた一流だ。終演後、観客による投票が行われ、この日の優勝者はかい枝さんに決定。正直、この場においてはラッキーな選出であったと思うが、おそらくかい枝さんはまだ爪を隠しておられる。2月のグランドチャンピオン大会が楽しみだ。と思ってたんだけど、迂闊にもチケットを取り損なってしまった。。。無念。
12/27。『珈琲美学』を出てヤギの実家(阿波市)まで一旦戻り、家族全員で夕食へ。私たちのリクエストで『新見屋』のたらいうどん(詳しくはこちらを参照)におつき合いいただいた。
318号線脇の駐車場からコンクリートの不揃いな階段をとことこ降りて、食券売場のお兄さんに一通りを注文。カウンターの向こうはそのままキッチンで、後ろを向くと足下は宮川内谷川(みやごうちたにかわ)の川辺へと柵も無しにそのまま続いている。手前の個室座敷に入ってエアコンのスイッチを勝手に入れ、座布団を並べて落ち着く。ほどなく先ほどのお兄さんが飲み物から順に注文した品を運んで来る。このワイルドさと適当さがこの店の持ち味だ。
うどんはふくよかでややねじれた形状。独特の食べごたえがある。溶き卵の入った川魚の香り高い出汁に葱とすだちを好みで入れていただく。素朴にして完璧。美味い。
たらいうどん店では定番の沢蟹の唐揚や川魚の塩焼、釜飯もいただいて満喫。こんどは暖かい季節の早い時間に来て、眺望込みで楽しみたいものだ。
新見屋/徳島県阿波市土成町宮川内字上畑100-1/088-695-2068
11:00-19:30(売切御免)/無休
徳島・松乃家たらいうどん(February 2, 2007)
徳島・かねぎん坂野(January 3, 2006)
12/27。『三八』田宮店から車を東へ走らせ、駅前を迂回して南へ。『珈琲美学』yamashiroで寛がせていただいた。オーナー・小原博氏による『でっち亭』(81、2年頃開業。2007年に『珈琲美学』chiyogamaruにリニューアル)の姉妹店として1990年に開業した自家焙煎珈琲店。ここのところ足を運ぶ機会に恵まれず、2、3年ぶりの訪問となった。
市中心部を離れ、アスティとくしまや徳島文理大学に近接したこのエリアにはどことなく落ち着いた雰囲気があり、小洒落た飲食店がちらほらと点在している。そうした中、駐車場の北側と東側とにL字型に配置された簡素な木造平屋の『珈琲美学』の外観は、少々味気なく見えなくもない。が、駐車場に面した建物角にある入口から店内へ入るとその印象は一変する。
小屋組の露出した天井は思いのほか高く、重厚だ。内装の大部分は焦茶に染色された木造作が占め、窓から差し込む自然光がそこに深い陰影を与える。入口の正面には豆売りなどの物販カウンターとレジがあり、向かって右側にカウンター席。東側の棟は全てテーブル席。その配置や黒いウレタン塗装に革張りのチェアのボリュームはゆったりとしており、頭上の空間も含め心地の良い余裕を感じさせる。席数の多さに対してスタッフの人数はすいぶんと少なそうに見えるが、目配りは行き届いており応対にもそつがない。営業時間の長さも含め、実に使い勝手が良く有り難い店だ。
上の写真は美学ブレンド。かなりソフトな味。おそらくペーパードリップかと思われる。ビスコッティと一緒に付いて来るのは阿波和三盆糖(岡田製糖所のものだろうか)。そのまま食べても、珈琲に入れても良し。
上の写真左上はドライブラック。ネルで点滴抽出するとのこと。こちらは力強くまろやかな苦味の珈琲。美味い。この後いただいたインドネシア・トラジャも香り高い逸品だった。また、この店はデザートも素晴らしく、外せない。写真右上がレアチーズケーキ。左下があずきのケーキ。右下が鳴門金時ケーキ。どれも上品な甘さで珈琲との相性は抜群だ。
そう言えばこちらでまだエスプレッソのメニューをいただいたことが無い。次回はぜひ。
珈琲美学 yamashiro/徳島県徳島市山城西1-7/088-655-8877
8:30-23:00/無休(1/1のみ休)
12/27。昼食に徳島ラーメンを食べに徳島市内へ。北田宮にある『三八』(さんぱ)田宮店を訪れた。『三八』は1970年に鳴門市撫養町南浜で開業。もとは岡田冷菓というアイスクリーム店だったそうで、今でもメニューにはラーメンとアイスクリームが並んでいる。2005年に本店の立ち退きに伴い、新たな旗艦店としてこの田宮店がオープン。現在鳴門市と大阪市に合わせて3つの系列店を持つ。
駅から合同庁舎の前を北上。吉野橋を西へ少し進み、右折した脇道沿いに『三八』田宮店が現れる。淡いベージュのサイディングパネルに覆われた簡素な平屋の店舗は、駐車場をたっぷりと備えた敷地の中ほどで、取り残されたようにぽつんと佇んでいた。「支那そば」と大書きされた暖簾をくぐり、自動ドアから店内へ。手前の券売機で食券を購入して席に着く。店内の印象は外観同様に簡素で明るく清潔だ。最奥がキッチン。低い間仕切りを挟んだ手前が客席。右手は間にスタッフ動線のある長U字型のカウンター席で、左手には対面ベンチシートのテーブル席ブースがふたつみっつ。吉野家とファミリーレストランを折衷したようなプランとなっている。郊外のロードサイド店としては極めて合理的なつくりだ。
『三八』のラーメンは、徳島ラーメンの中でも小松島系中華そばに分類される。さっぱりとした中にまろやかな甘味とコクを感じさせるスープと、中細ストレート麺の組み合わせがこの店の特徴。具材はチャーシュー、メンマ、もやしとねぎ。どこをとってもあっけないくらいにシンプルだが、食べ進めるに連れてじんわりと美味い。
年末とは言え13:00過ぎの店内はなかなかの盛況で、客の回転は早い。周りを伺うとほぼすべてのオーダーが「ラーメンとめし」なのが興味深かった。今度来た時には真似してみよう。アイスクリームもぜひいただいてみたい。
三八(さんぱ)田宮店/徳島県徳島市北田宮2-467
088-633-8938/10:30-21:00(売切御免)
火,第三月休(第三月が祝日の場合は前週か翌週に振替)
12/26。石井町の藍商住宅をちらっと拝見した後、吉野川を北岸へ渡って橅養街道を東へ。鳴門市大麻町大谷の『森陶器』で買い物をした。たしか4度目くらいの訪問。この近辺は大谷焼の里と呼ばれ、現在7つの窯が営まれている。
1780年に豊後(大分県)の陶工・文右衛門が肥前(佐賀・長崎県)風の染付磁器の技術を当地に移植したのが大谷焼の起源。1784年に信楽(滋賀県)の陶工・忠蔵の指導を受け、地元産の鉄分の多い土を生かした陶器制作が始まったことが、現在の大谷焼のスタイルへと直接繋がっている。その後、藍の加工に必要であった大型容器の制作技術が発達。寝ロクロ(横になって足で回すロクロ)を用いて成形される瓶や睡蓮鉢は大谷焼を代表する製品となった。
上の写真は『森陶器』店舗南側にある登り窯(平地に築かれているの珍しいもの。現在は使われていない)から作業場を見下ろしたところ。大物がずらりと並ぶ様は壮観だ。左の方に見える瓶の高さは身の丈に迫る(大瓶を手前に登り窯を見上げた写真/登り窯の頂上から傾斜を見た写真)。
上の写真は北側の駐車場から見た店構え。この向こうにあのような風景があるとはとても思えない素っ気なさ。
大谷焼の他の窯の例に漏れず、『森陶器』では大小含め種々多様な製品を見ることができる。とりわけ私たちが好きなのは、上の写真のような日用器(一輪挿しと平皿と小鉢。平皿が直径165mmほど)。赤みがかった焦茶のマットな表面に、いぶし銀の深い光沢がさざ波のようにひろがる。この独特の質感が大谷焼の華だ。
シンプルなかたちに漲る気品と愛らしさ。デザイナーの琴線に触れてやまない洗練されたセンスは、大谷焼でもこの窯の製品に突出して感じられる(平皿と小鉢を別アングルで見た写真)。
今度はもうふたまわりくらい大きな花瓶を購入したい。貯金しなきゃ。
森陶器/徳島県鳴門市大麻町大谷字井利ノ肩24/088-689-0022
8:30-17:00(日9:30-)/無休(工房は日休)
伝統的工芸品に指定された大谷焼産地の活性化に関する調査研究報告書
窯元巡りの旅/大谷焼(たぬきおやじの旅の途中)
ところで、『森陶器』では飼猫さんまでいぶし銀だった。徹底してるなあ。
12/26。午後早くにフジグラン石井を視察してから六條大橋手前の『田中家住宅』と『武知家住宅』に立ち寄ってみた。この付近は地名を藍畑と言い、藍商家などの古民家の点在する美しい集落となってる。
上の写真は『田中家住宅』(国指定重要文化財)の東側外観。田中家は江戸初期から続く藍商。この住宅は1859年から1887年の間に建設されたもので、1977年から1981年にかけて解体修理が施されている。左手の2棟が藍寝床(あいねこ/藍の葉を発酵させて「すくも」と呼ばれる染料に加工する場所)。中央に突き出して見える茅葺屋根が主屋。石垣には地元産の青石が用いられている。
南側にある表門から中へ入ると前庭(屋外作業場)がひろがる。上の写真は敷地の南西隅から撮ったもの。
上の写真は前庭の西側に面した藍納屋。巨大なシーソーのようなものはヒムロの古木で出来た跳釣瓶(はねつるべ)。その支柱や井戸まわりはやはり青石の見事な造作となっている(井戸まわりと表門内側の写真)。
一方、『武知家住宅』もまた主屋(1862年築)を中心に据え、各棟が周囲をとりまく構成。青石がふんだんに用いられているのも『田中家住宅』と同様だが、主屋の屋根は入母屋の瓦葺。武知家が士分であったことを示している。上の写真は敷地西側の長屋門から撮ったもの。『田中家住宅』以上に広々とした前庭の南側(写真左)にあるのが県指定有形民俗文化財の藍寝床。
長屋門の下に掛けられているのは竜吐水(りゅうどすい/消火用の水鉄砲)。
どちらの住宅も実際に住居として使用されており、残念ながら通常は公開されていない。この日は遠巻きに拝見するだけにした。『田中家住宅』は土日のみ見学可能(要予約)とのこと。次回の帰省時にはぜひ。
阿波の文化財建造物 - 民家 - (歴文クラブ)
石井町の民家(徳島県立図書館/阿波学会研究紀要)
12/25。舞子から高速バスに乗って1時間あまりで徳島駅前に到着。紀伊國屋書店で少し下調べをしてからヤギの家族の車で伊予街道を西へ。鮎喰川を渡ってすぐの場所にある『長尾織布』を訪ねた。阿波じじら織で知られる綿織物メーカー。開業は1897年。
通りに面した白漆喰塗りの店構えは意外にこぢんまりとしており、暖簾は出ていたものの、中の明かりは消えていた。奥で話し声がしたので、失礼して見せてもらっても良いかと伺うと、年配の女性社員の方が応対して下さった。ひとまず店内に並んだ阿波しじら織を用いたアパレル製品などを一通り見て、反物を選ばせていただきたい旨を申し上げると、A5大ほどの分厚いサンプル帳が2冊登場。300種類以上の生地を目の前にしてさすがに悩んだが、なんとか数種を選んで実際の反物を見せていただいた。本当は全部持って帰りたいところをぐっとこらえて、この日は2種を購入。
上の写真が購入した阿波しじら織反物のうちのひとつ(拡大写真)。ブルーの濃い部分には藍染めの糸が用いられている。表面にある細かいシボがこの製法の特徴。手触りが良く、実に涼しげだ。
有り難いことに、この日は工場を拝見させていただくことができた。『長尾織布』では製糸、染色から織布、加工までが一貫して行われている。平屋のまま敷地の奥へ奥へと続く工場の規模は店構えからはとても想像のつかない大きさで、ちょっと目眩を感じるような迷宮的感覚を覚えるほどだった(工場を裏側から見るとこんな具合)。
上の写真は店のすぐ奥にある最も広い工場棟。旧式の織機がずらりと並ぶ(別の写真)。座って作業をなさっている方は工場を代表する熟練工なのだそうだ。
その奥の棟で行われているのは製糸の作業(別の写真)。さらに奥には染色のための別棟がある。藍染の作業場は冬は稼働していないが、そちらも覗かせていただいた。地面にいくつも並んだ木の蓋の下には大谷焼のおおきな瓶が埋められている。
上の写真は阿波しじら織のシボをつくりだす工程。手前で織物を湯に着け、向こうの四角い部屋で乾燥させる。
近いうちに、いただいた反物の仕立てを頼みたいと思っている。さて、上がりは夏に間に合うだろうか。
長尾織布/徳島県徳島市国府町和田189/088-642-1228
9:00-16:00/土日休
12/25。前日に神戸入りし、この日は四国へ移動。舞子から高速バスに乗る前に明石に寄って、朝昼を兼ねた軽い食事。訪ねたのは『お好み焼道場』。店名に「お好み焼」とは付くが、玉子焼(明石焼)の老舗として名高い。開業は1954年。勝野が高校時代に随分お世話になった店だ。地元では簡略に『道場』の名で通っている。
明石駅南口を出て東西に走る通りの向こう側を歩くと、ほどなく『道場』の場所を案内するビル看板が現れる。裏道へ吸い込まれ、最初の角を右に曲がると、幅2メートル少しくらいの路地の左に簡素な2階建ての飲食店がずらり。その合間に見える黄色地に赤い細ゴシック体の「玉子焼」の行灯看板が店の目印。アルミサッシの引戸を開けると右手前に階段とレジがあり、テーブル席の向こうにキッチンが見える。1Fはすでに埋まっており、この日は2Fの座敷席に上がらせていただいた。鉄板付きの各テーブルの上には天井吊りの換気フード。内装は白いビニールクロスと木目調の化粧板で至って質素に仕上げられている。玉子焼を人数分注文。
ほどなく白木の下駄に乗ったあつあつの玉子焼が登場。1人前10個。おそらく鰹ベースの出汁は冷たく、薬味は無し。この店の玉子焼は比較的大きめで、ふわふわと柔らかいのが特徴。きりっとした濃いめの出汁に浸せば、とろとろと崩れて蛸の切り身が顔を出し、すするようにしていただくことになる。これが滅法美味い。店構え同様、体裁はシンプル極まりないが、その味わいは実に上品で、粋だ。
本当はお好み焼きもいただきたいところだったが、バスの時間が迫っており、昼時に差し掛かって店が込みはじめたこともあって、後ろ髪を引かれる思いで席を立った。やはり『道場』が私達的・玉子焼のスタンダード店。またゆっくりと訪れたいものだ。
お好み焼道場/兵庫県明石市大明石町1-6-6/078-911-8084
11:00-20:30/年中無休
12/22。浅草寺仲見世の西の脇道にある釜飯の有名店『麻鳥』(あさどり)を初めて訪れた。開業は1972年。
店構えは交差点に面した建物の角を斜めに切り落とすようにして設けられており、入口の左側には外釜場(釜飯の調理実演ブース)、右側のショーケースにメニューサンプルが並んでいる。べんがらの暖簾を分けて店内へ。店員さんの案内に従って、右手にあるメインのキッチンと外釜場の裏側に挟まれた細い通路を進み、奥のテーブル席に到着。八畳間くらいのスペースに4人掛けのテーブルが7つほど、通路脇に4、5人掛けのカウンター席が詰め込まれている。さすがにゆったりとは行かないが、左官と木造作によるそつのない内装と、抑えの効いた照明のおかげもあって、割合落ち着いた雰囲気となっている。入口のすぐ右脇には急な階段があり、その先に座敷席があるようだ。キッチンをのぞくと調理スタッフは少なくとも5、6人。それにしては見るからに狭い。動線面も含め、運営面にはかなり苦労があるだろうと察する。
かき釜飯と五目釜飯の「竹」を注文。釜飯は注文後2、30分かかるとのことなので、穴子焼をつまみながら待つ。メニューをよく見ると魚介と鳥の串焼きの種類もかなり充実しており、客としてはなかなか使い勝手が良さそうに思われる。実際、他のテーブルを見ると客層は様々で幅広い。
釜飯は一品ずつ小さな釜にしゃもじを添えて供される。さっぱりとした出汁に素材の良さが引き立つ実に上品な味わい。おこげまで美味しくいただいた。観光地のど真ん中で丁寧な仕事をなさっていることが大変好ましく、有り難い。今後もぜひお世話になりたいものだ。
麻鳥(あさどり)/東京都台東区浅草1-31-2/03-3844-8527
11:00-21:30(LO21:00)/年中無休
デザインの背後にはいつもほんの一瞬の沈黙が隠されている。何かがやって来る、もしくは何かが起こる期待感。ひとつのデザイン、ひとつのプロジェクト(企て)がこの世にすえられた瞬間、それを手掛けた者には責任が課せられる。バイソンを殺すために弓矢を使った者は、バイソンに許しを乞うことになるだろうし、敵を殺すために剣を使うことは、血が吹き散るということだろう。テーブルの上にスープの皿が添えられていたら、その皿を与えてもらえる幸せも感謝したくなるだろう。
デザインという定理は実に晦渋なものである。(エットーレ・ソットサス)
「エットレ・ソットサス 定理に基づいたデザイン」展覧会カタログ(2006)より
編集:松風綾/訳:N.N.U./発行:Shiodomeitaliaクリエイティブセンター
2007年の大晦日にソットサス氏が亡くなりました。心よりご冥福を祈ります。
12/16。六義園の『紅葉と大名庭園のライトアップ』最終日。
すでに紅葉は大方が落葉となり、園内は初冬の風情。それでも、思いのほか趣向を凝らしたライトアップのおかげで、十分に見応えのある散策となった。
落葉樹に対しては暖色の、常緑樹に対しては寒色のライトアップ。上の写真は園内南側から見た中の島。見事に手入れされた植栽の織りなす見事な人工美は、まるで「日本庭園のフィギュア」のようだ。
西側の吹上茶屋で松の雪吊り(樹木の雪よけのため円錐状に張り巡らされたロープの造作)越しに池を見ながらひと休み。
今度は昼間にぜひ来てみよう。
六義園(庭園へ行こう。/東京都公園協会)
12/14。『KOJIRO』を出て春日通りを西へ。厩橋に少し近づいたところで見つけた物件。本所警察署『厩橋地域安全センター』。もとは『厩橋交番』として建てられたもの。警察庁による交番の統合整理によって2007年4月に衣替えとなったようだ。平日の8:30から17:15のみ地域安全サポーターが駐在する。1928年築。
大通りの交差点の隅切りに合わせた三角の平面形と、石造りを模したコンクリートの装飾が特徴。薄暗く人通りのほとんど無い中に、ブルーのランプがぽつんと目立つ。無人の内部から蛍光灯の光がこうこうと漏れ出す光景はちょっとシュールで印象的だ。
角から見ると上の写真のような具合。
「交番」から「地域安全センター」に移行(東京村.COM)
本所警察署厩橋交番(楓車輌)
みなさまが良い一年をお過ごしになられますよう。
本年もlove the lifeを宜しくお願い申し上げます。
今回は東京で年を越しました。写真は初詣時に開帳されていた鳥越神社の御本社御輿。東京一重いのだそうですよ。
このブログ『life』のエントリーも、3年近くが経って随分と増えました。これからも変わらず、淡々と書き続けてゆこうと思っています。