2/22。勝野が浅草のカフェ&ギャラリー『ギャラリー・エフ』に立ち寄ったところ、1月で終わっていたはずのオーストリアの陶芸家トーマス・ボーレ氏によるストーンウェア(炻器/半磁器)の展覧会『ちび陶』が会期延長されていた。拝見したところ、これが思いのほか素晴らしい内容。夕刻にヤギを連れて再びギャラリーへ。『なにわや』で小一時間ほど家族会議の後、三たびギャラリーを訪ねて作品をひとつ購入させていただいた。
サイズは直径9cm、高さ6.5cmほど。下の写真は裏側を見たところ。表面に深く透明な質感を与える赤い釉薬が、半ば滴となって野蛮な顔をのぞかせる。
傾けると下の写真のような具合。中央の素焼きの部分が外側よりも出っ張っており、立てると一本足のような状態となる。
一見シンプルな形状のボーレ氏の作品は、実のところどれもがこうした入り組んだ中空の複雑な形状を持ち、手に持つと意外に軽い。会場では他に50前後の「ちび陶」と、大型の作品を数点見ることができた。ひとつひとつろくろで成形されるため、ひとつとして同じ作品は無い。「ちび陶」の制作にあたっては、500gの土を用いることだけがあらかじめ決まっている。こうした複雑な成形を型抜きで実現するのはかえって難しいと理屈では分かっても、その極めてシャープでなめらかなフォルムが、言わばローテクな手法から生み出されているとは、にわかに信じ難い。
この展覧会では「ちび陶」用に上の写真のようなパッケージがあつらえられていた。外側がエンボスのかかったマットな黒で、内側がフラットな赤。中箱に円形の切り取り線がいくつか重なっており、多少の作品形状の変化には対応できるようになっている。蓋部分の裏には小さなパンフレットが添えられていた。簡潔にして丁寧なデザイン。ここにもまたボーレ氏の作品世界が象徴されているようだ。
Thomas Bohle
review:トーマス・ボーレ陶器展 ちび陶(ex-chamber museum)
2/18。原宿から東新宿にバス移動して大江戸線で飯田橋へ。一通り視察物件を片付けてから、神楽坂の上の方にある『五十番』に立ち寄った。1957年開業の中国料理店。
坂に面した1Fには中華まんの販売窓口があり、通常は歩道でつづら折りになった購入客の行列がほとんど店の目印のようになっている。幸いこの日は平日の午後遅くとあって待ち時間無し。すぐに食べられる肉まんとあんまん、調理用の純正肉まんと貝柱肉まんをひとつずついただいた。随分以前にお土産にもらったことはあったが、自分で買うのはこれが初めて。
土地勘が無く、座って食べられそうな場所を近くに見つけられなかったので、と言うかたまたまものすごくお腹がすいていたから、毘沙門天脇の路地で早速かぶりついた。直径おそらく12、3cmはあるだろう。なにしろでかく、皮がふわふわとして分厚い。そして肉まんの具の濃厚な風味とジューシーさと言ったら実にこの上ない。食べ方に気をつけないと手の中がびしょびしょになりそうなくらいだ。皮の厚さは伊達ではない。とろりとした食感で甘さ控えめのあんまんもまた美味い。
上の写真はアトリエでパスタパンを使って蒸した純正肉まん(左)と貝柱肉まん(右)。メッシュの上に直接置いたところ、大き過ぎてひとつずつしか調理できなかった。せいろ買わなくちゃ。
2、3日後の調理となったため、その場でいただいた時ほどではなかったものの、そのジューシーさは健在。素敵だ。
今度は上階のレストランにもぜひ伺いたい。締めはやっぱり肉まんで。
五十番/東京都新宿区神楽坂3-2/03-3260-0066
11:30-23:00(土-22:00,日祝-21:00)/無休
2/11。合羽橋本通りを浅草から上野方面へ歩く途中で見つけた小さな喫茶店。
お薦めは「お茶」か「珈琲」か。それが問題だ。
2/7。原宿で打合せと現場視察の後、六本木へ移動。ル・ベインで深沢直人氏デザインのチェアを見てから『カファ・ブンナ』でひと休みさせていただくことにした。六本木通りを駅方面へ少し進み、明治屋の手前の角で左折。ほどなく右側に現れる古いアパートビルを見上げると、プランターをいくつか下げた格子窓と控えめな木彫りの看板が2Fから出迎える。ビル中央の階段を上がり、テラス風の通路に面したドアを開けて店内へ。
エントランスから正面の白漆喰壁沿いに左手へ進むと、奥に延びた10席弱のカウンターにぶつかる。老マスターに会釈して、カウンター向かいのテーブル席に落ち着いた。テーブルは小さなものが3つあるだけなので、店の席数はおそらく全部で20あるかないか、と言ったところ。カウンター席はそこそこ明るいが、この一角の照明はベンチシートの隅に置かれたスタンドライトがふたつに壁掛けされた電球が一個と極めて暗い。オープンしたのは1960年代末とのことで、内装も、家具もそれなりに古い。BGMのシャンソンに耳を傾け、灯油ストーブで暖をとりつつ、次第に六本木の喧噪から遠く離れた気分になる。ラテンブレンドとデミタス、ババロアを注文。
店内の演出はフランス風ながら、コーヒーの味はさほど重くない。バランスに優れ、飲みやすく、ほっとするような味わいだ。特に私たちが好きなのは、まろやかでかつキレのあるデミタス(注文時、マスターに「砂糖を入れずにお飲みになっていただきますがよろしいですか?」と確認される)。ブランデーの効いたソースでいただくババロアもまたコーヒーを引き立てる逸品。マスター(能勢氏)は、林玄氏(コクテール堂創業者)、松樹新平氏(建築家)と共にコクテール堂系の喫茶店スタイルの確立に寄与した人物なのだそうだ。
2004年初頭まで、この店のすぐ階下にはインテリアデザイン史上伝説的な存在のバー『バルコン』(内田繁氏デザイン/1973)があったが、今はその面影はどこにも無い。立て続けの大開発が余波を残す六本木界隈にあって、『カファ・ブンナ』の存在は奇跡に等しく思われる。
カファ・ブンナ/東京都港区六本木7-17-20-2F/03-3405-1937
12:00-22:30/日休
「げんさん」のオールドコーヒー(SALUT/オハヨー乳業)
1/29。東西落語研鑽会の会場はいつもよみうりホール。場所は有楽町駅すぐ側の読売会館(元の有楽町そごう)7F。現在階下にはビックカメラが入居している。1957年築。建物とホールの設計は村野・森建築事務所。
座席が小さめだったりトイレがビックカメラと共用だったりと、今時のホール施設としては設備的に少々厳しい面はあるものの、その空間の持つ魅力的は他に替え難い。
1Fから2Fレベルへと優美なカーブを描く桟敷席。複雑な造形の天井面。1100席のキャパシティを持つにしてはステージが近い(柳家喬太郎師匠は「こっちに来てご覧なさいよ。被告みたいですよ。」と仰っていた。11/26)。落語を見るには打ってつけだ。
客席両袖の壁は大きなリブが連続するように造形されており、その表面をガラス質のモザイクタイルが覆う。淡いブルーからイエローに至るグラデーションが間接照明に映えて美しい。全体にさほど豪華な意匠は施されてはいないとは言え、隅から隅まで紛れも無い村野藤吾作品。心斎橋そごうのようにあっけなく姿を消してしまわないことを祈りたい。
この日の終演後、印象的だったのは、私たち以外にもホール内を撮影している人が何人も居たこと。建築やデザイン関係者に潜在する落語ファンの割合が徐々に増えて来ているのだとしたら、私たちとしてはちょっと嬉しい。
よみうりホール
読売会館(旧有楽町そごう)(Citta'Materia)
1/7。横浜にぎわい座で『立川談春独演会』。横浜にぎわい座は桜木町駅近くのビル内にあるホール。訪れたのはこれが初めて。座席は背に小さな折り畳みテーブル付きで、2F桟敷席下には提灯がずらり。ステージには寄席囲い(提灯付きの和風プロセニアムみたいなもの)も仮設され、体裁はすっかり寄席仕様。客席には適度な傾斜があって割合に前が見易く、シートは小振りながら「きゅうきゅう」と言うほどではない。鈴本に比べれば天国のように快適だ。いいなあ横浜。
立川こはるさんの『小町』に続いて談春師匠の登場。演目は初めて聞く『棒鱈』(ぼうだら)。この噺の構造が実に面白い。
表面上は田舎侍の無粋に江戸っ子が腹を立ててひと騒動、という筋書き。田舎侍がマグロの刺身のことを「赤ベロベロの醤油漬け」と言うあたりで爆笑とともに噺が急展開し始めるが、ここでの笑いは田舎侍のおかしな言葉遣いと同時に江戸の悪食に対して向けられることになる。田舎では刺身と言えば白身であり、赤身やタコを濃い味にしたものなど下衆な食い物に過ぎない。垢抜けないのはお互い様なのだ。田舎侍の台詞はおそらく九州弁であろう訛で演じられる。時代背景は幕末。薩長と、国のイニシアチブをさらわれつつある江戸との微妙な力関係が噺の伏線として効いて来る。
シンプルなようでややこしい噺も談春師匠にかかればさらりと小気味良い。仲入りに続いての演目は談春師匠では2度目の『妾馬』。東京国際フォーラムで聞いたときよりもさらに可笑しく、かつ流麗。感動が沸き上がった。
1/29。よみうりホールで『第二十六回東西落語研鑽会』。先ずは柳家三三師匠で『権助提灯』。軽めの根多ながら、初めて聞く三三師匠の落語は力強かった。初っ端にもかかわらず客席との間合いが絶妙。こ、これはヤバい。今後チェックしなくちゃ。続いて二番目にはなんと桂春団治師匠が早々の登場。しかも『桃太郎』に『鋳掛屋』と上方の小憎たらしい子供の噺を立て続けに。以前に渋谷で拝見した折は惚れ惚れするような男前だったが、この日はなんとも可愛らしい春団治師匠だった。さらに続いては柳家小三治師匠。春団治師匠主演の映画『そうかもしれない』(小三治師匠も通行人Aで出演とのこと)の話題を枕に『あくび指南』へ。師匠ならではのとぼけた味わいが凝縮された根多。淡々としているのに聞き入ってしまう。
仲入りに続いて春風亭昇太師匠の『茶の湯』。毒性の高さとチャーミングさが見事にマッチして爆笑。ハマり根多。そしていよいよのトリは林家染丸師匠。鳴物に踊りまで加えての大胆で華やかな演出。それでいて落語の粋は決して失われることがない。この楽しさは染丸師匠の高座でしか味わえない貴重なものだ。いやはや、今回の『研鑽会』もお腹いっぱい。
1/14。サントリー美術館で『和モード 日本女性、華やぎの装い』、江戸東京博物館で『北斎 - ヨーロッパを魅了した江戸の絵師 - 』を見た。
期待をはるかに上回る見応えがあったのが『和モード 日本女性、華やぎの装い』。会場は6つの章に分かれて構成されていた。
1章と2章は平安から江戸時代にかけての和装の変遷を絵画や実際の衣装などで紹介するもの。和装の成立した平安時代と言えば十二単(じゅうにひとえ)だが、要するにこの頃は女性も男性も袴(はかま)履きの上に重ね着だった。平安末期に小袖(こそで)が登場し、室町時代に入るとそれが表着(うわぎ)となることでいわゆるキモノの原型が出来上がる。江戸時代には連続パターン一辺倒だったキモノの柄がぐんとグラフィカルな表現となり、いよいよファッション性が高まった。
興味深いことに、絵画を見る限り江戸前期までは誰一人として正座をせず、女性も男性もあぐらをかいたり片膝を立てたりと実に自由でリラックスした姿勢をとっている。キモノのかたちもまたゆったりしたもので、お端折の習慣は無く、帯はかなり細い。一体どのような経緯でキモノが現在のように窮屈なスタイルとなり、和室では正座が決まり事のようになってしまったのか。残念ながら展覧会ではそこまでのことは分からなかった。
3章は化粧や喫煙具、4章は髪型と髪飾りの変遷の紹介。特に髪飾りの展示は膨大で、その細工の精緻さといい実に圧巻だった。名も無き職人と江戸の大通たちのこうした小物のデザインに対する熱意には鬼気迫るものがあり、心底恐れ入る。5章は明治以降の女性のファッションの広告ポスターによる紹介され、6章はクリスマスと正月に因んだコレクション展示となっていた。
江戸東京博物館の特別展のボリュームは毎度大変なものだ。『北斎 - ヨーロッパを魅了した江戸の絵師 - 』もまたしかり。とりあえずオランダ商館からの発注により北斎とその工房が描いた肉筆画(そのほとんどがオランダ国立民族学博物館とフランス国立図書館からの一時的な里帰り)を重点的に見よう、と気構えたものの、やはり途中で目眩を覚えるような展覧会だった。
肉筆画の持つ迫力は実物ならではの醍醐味。緻密に描かれた各モチーフの輪郭と、ほとんどエアブラシを使ったようにしか見えない彩色の見事なグラデーション。生命感に溢れ、奥行きのある作品群に思わず息を呑んだ。
中盤の浮世絵のエリアは後ろ髪を引かれつつもどうにか流して見終え、国内所蔵の肉筆画のエリアに差し掛かってまた足が止まった。終盤の絵本・絵手本のエリアまでをじっくりと見て、なんとか閉館間際に終了。時には生々しく細密に、時には戯画化して軽快に、と自在にその表現を変えながら、対象物の持つダイナミズムとその本質を一枚の画にしてしまう北斎の洞察力と描写力はあまりに凄まじい。
展覧会の最後に、北斎が誰かに宛てた手紙が一枚展示されていた。そこには83才の北斎の自画像が添えられている。ユーモラスながら迷いの無い筆遣いは、全ての作品を見終えてなお一際印象に残るものだった。これまたオランダ国立民族学博物館の所蔵品なのがやけに情けない。お爺ちゃん、大事にしてもらってね。
1/2。東京国立博物館で長谷川等伯『松林図屏風』のついでに見たものをいくつか。
もとは京都の浄瑠璃寺に所蔵されていたと言われる『十二神将立像』のうち子神。鎌倉時代、運慶派の職人の作とされる。高さは70cmくらいと小さめだが、ユーモラスなポーズといい表情といい、実に生き生きとした造形に驚かされる。頭上にちょこんと乗っかった鼠が可愛い。これが7、800年も前の作品とは。フィギュアに懸ける日本人の情熱と感性はこの頃から変わってないんだな。
江戸後期の古伊万里『染付鼠に大根図菊形皿』。大胆な構図。ぼかしの使い方もいい。
江戸後期の袱紗『紺地鼠に大根模様』。金糸をふんだんに使ったなんとも贅沢で御目出度い図。
教科書でお馴染み、青森県つがる市木造亀ヶ岡出土の土偶。イヌイットと日本人の関連を思わせるいわゆる遮光器土偶。縄文時代。
これまたお馴染み、縄文時代の『火焔土器』。新潟県長岡市馬高で出土したと言われるもの。実際に見ると、なんとも凄い造形だ。直径は50cm弱だが、サイズ以上の迫力を発散している。