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身体と空間の芸術, 都市とデザインと : 展覧会行脚のメモ 2008年5月

5月某日。メゾンエルメス8階フォーラムで『サラ・ジー展』。ガラスブロックの外壁に囲われた明るいウッドフローリングのフロアに、近所の量販店やコンビニで買ってきたような雑貨、食品パッケージなどが大量にぶちまけられていた。その様子は一見雑然としているが、観る者はほどなく個々のオブジェクトの配置に一連の「物語」を思わせる緻密な流れが秘められていることを了解する。フロア中央のエレベーターから晴海通り側の丸柱を取り巻くタワー状の集積へ。エレベーター裏側のスペースから階段を上へ。歩調はゆっくりと、その流れに沿って自然に進んでゆく。所々、設備メンテナンス用の床パネルが剥がされた部分があり、消火栓や分電盤室のドアは半開きになっている。オブジェクトはスキ間に侵入し、建物と半ば一体化しつつあるように感じられる。大規模でありながら儚く繊細で、ゴミ同然でありながら圧倒的に美しい。

5月某日。サントリー美術館で『ガレとジャポニズム』。アール・ヌーヴォーの代表的ガラス工芸家、エミール・ガレの作歴を通して、当時のヨーロッパの美術シーンへの日本美術の影響がいかに大きかったかを体感することのできる内容。単純なコピーからスタートし、次第に精神性を増しつつ独自の世界観を確立してゆく過程が興味深い。最後の最後に展示されていた脚付杯『蜻蛉』(1903-4/最晩年のガレが製作し、限られた近親者だけが譲り受けていたという希少な作品。世界初公開)の深遠な表情に心打たれた。なるほど、これがガレの魅力か。この歳になってようやく理解できたかも。

5/10。水戸芸術館で『宮島達男 Art in You』。空間を贅沢に用いたシンプルな展示手法のおかげで、建物のもつ特徴的なプランニングが思いのほか際立っていた。動線を単純にも複雑にも設定し得るホワイトキューブの連なりは、まさに磯崎氏ならでは。展示作品の見所は新作の立体作品『HOTO』(2007-8)に尽きる。鏡面仕上げの金属による巨大なタワー状の塊。表面に取り付けられた無数のLEDがバラバラに明滅とカウントダウンを繰り返す。それは猥雑なエネルギーを、強力に、それでいて至って静謐に、あたかも堂内の御神体のように発散し続ける。

5/23。ギャラリー間で『杉本貴志展 水の茶室・鉄の茶室』。入場するとまず現れたのが『鉄の茶室』(1993)。パターン状に部材をくり抜いた余り鉄板を継ぎ接ぎした間仕切りは、重厚さと軽さを兼ね備える(写真/外観内部1内部2)。

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展示室と中庭との間には『古梁の待受ベンチ』が横たわる。中庭には一抱えを超える大振りの『鉄の花器』。こちらも廃鉄を転用したもの。

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中庭から上階へ。遮光された展示室内へ入ると『水の茶室』が。天地に張り渡された無数のワイヤーに沿って水滴がゆっくりと連続的に降下してゆく。ライトアップされた夥しい水滴の群れが間仕切りとなり、動線を示す(写真/123)。

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どちらの茶室もいわゆる「茶室」としての完結性を目指すものではない。特に天井を持たないことは、シースルーの間仕切り以上に決定的な要素であるように思う。破格に開放的な空間性に対し、簡易な路地からはじまる動線の設定は、茶事を行う上で至って真っ当なもの。そこに在るのは「素材」そのものの豪放にして艶やかな佇まいであり、亭主と客との間に成り立つ「作法」そのものであって、おそらく「空間」ではない。当日『水の茶室』で実際に催された茶会を内外で眺めながら、杉本氏のインテリアデザインに共通する劇場性について思いを巡らせた。

2008年07月11日 05:00 | trackbacks (0) | comments (0)
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