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life of "love the life"

名言コレクション : 倉俣史朗の言葉

さほど機能に左右されないもの、たとえばコンセントやスウィッチプレートの位置をきめるとき、ぼくはその部屋の中でどこが一番きれいに見える位置かを自分の感性できめる。
そのことをある雑談のとき知人の建築家に話をしたところ、その事務所では“きれい”とか“美しい”というのは軽蔑の言葉であると聞き、多少揶揄的な意味を含んでのことであろうが、しばしとまどいおどろいてしまった。
誤解を受けることを承知でいうならば、あらゆる意味においてぼくが寸法を決める裏付は、その良し悪しは別として全て自分の美感である。それがいかなる形の上の美であろうとも。
大きなものを造る建築家にとってミリ単位で鎬を削り美を捜し求める愚かさよりも、もっと“大きな”次元での社会的提案性(テーゼ)の方がはるかに重要なことかもしれない。
今までも、そしてこの小さな室内にもテーゼなどは微塵もない。自分のたいして恵まれてもいない感覚をミリ単位でこつこつと研ぎ積みかさねてきたにすぎない。
それは思考のない無責任な気楽さでもあり、見るまえに跳べてしまう阿呆の幸せでもある。(倉俣史朗)

「Japan Interior Design」No.202,1976年1月号
パブ『LOS・COS・MOS』記事より
発行:インテリア出版株式会社

2008年08月29日 22:00 | trackbacks (0) | comments (0)
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