10/28。立石で打合せの後、『立石様』を初めて訪れた。私たちが知ったのはつい最近のことだが、古くから信仰されている下町の神様なのだそうだ。『立石祠』、『立石稲荷神社』とも称され、字の通り御神体は石。石と言っても大きさはかなりのもので、地表にはその一部分だけがちらりと顔をのぞかせている。江戸時代に実際にどのくらいの深さがあるのか掘り起こそうとした人が居て祟られた、とか、日清・日露戦争時にお守りとして削って持ち去られた、などの逸話も広く知られているようだ。とにかく、縄文初期には海の底だった(現在も中川の水面より下にある)低湿地にこのような巨石がぽつんとあることが、昔の人にもずいぶんと不思議に思われたらしい。
場所は京成立石駅から東へ歩いて10分ほどの住宅街。葛飾税務署裏側の路地に面する公園(立石児童遊園)の東側入口に「立石祠」の標と小さな鳥居がある。
鳥居をくぐり、敷石沿いに進むとさらに小さな鳥居に突き当たる。『立石様』はその向こう側の水色にペイントされた玉垣の中にいらっしゃった(別方向からの写真,説明板)。
江戸名所図絵「立石村立石」の挿絵を見ると『立石様』のまわりはやや小高い地形となっている。すぐ周辺から埴輪や土師器が見つかっていることも考え合わせて、どうやら『立石様』は古墳時代の墳丘から突き出した石室の一部らしい、というのが最近の有力説のようだ。また、材質的に見てその出自は千葉県・鋸山から切り出された房州石だろうとのこと。
名所としても信仰の対象としても今ではほぼ忘れ去られてはいるものの、『立石様』が東京低地の真ん中でその風景の移り変わりと下町の盛衰を他の何物より永く見守って来た存在であることはきっと間違いない。西から来た新参者ですが、今後とも何卒宜しくお願い申し上げます。