先日、都市徘徊blogを見て気がついた。銀座の『樽』はどうやら数年以内に無くなりそうだ。『樽』は1953年開業のバー。渡辺力、剣持勇の両氏がインテリアデザインを手掛けている。
初代オーナーの故・赤羽猛は銀座でバー『機関車』も経営していた。こちらは交詢ビル隣の瀧山町ビル(第22ポールスタービル/1928年築/設計:三輪幸左右衛門)内に1934年開業。翌年同ビルに『ミラテス』(ブルーノ・タウトがデザイン、経営に携わった雑貨店/現存せず)も開業している。『機関車』の最初のオーナーは俳優・斉藤達雄で、赤羽が店を譲り受けたのは1938年頃。1966年にコリドー通りへ移転し、1988年に赤羽の逝去とともに閉店した。瀧山町ビルの『機関車』は舞台美術家・吉田謙吉(今和次郎とともに考現学の成立に寄与した人物)が、コリドー通りの『機関車』は先の渡辺・剣持両氏がインテリアデザインを手掛けている。ふたつの『機関車』を橋渡すように、伝説となるべくして『樽』は開業した。
さて、『樽』があるのは銀緑館(第一銀緑ビル/設計はビルオーナーの松岡清次郎が手掛けたようだ)の地下1階。1924年築の建物だから、おそらく『樽』の開業時にはすでに結構な古ビルだったに違いない。その後オーナーやバーテンダーの代替わりを経て、銀緑館ともども『樽』はしぶとく生き延びてきた。
そして、今世紀に入って松坂屋と森ビルが進める松坂屋銀座店および銀座六丁目2街区の一体開発計画が徐々に具体化し、その命運は遂に絶たれようとしている。2007年の報道によると、地上15階建(松坂屋は低層階のみ)程度となる新ビルのデザインは谷口吉生氏が手掛ける予定とのこと。インテリアデザインの名店が消えることは残念だが、谷口氏が開発の完了(今のところ2013年を予定)まで関わるなら、あの場所にさぞかし端正な景観が生まれるに違いない、と期待も膨らむ。
バーとしての『樽』は別段突出した美点の無い店だ。人に薦めはしない。それでも、ふたりの巨匠がその最も脂の乗った時期に共作した空間は、いまそこにしかない。長いカウンターと変形の大テーブルが広いフロアにざっくりと配置された居心地の良いその空間には、インテリアデザイン全盛を目前に控えた時代の自由でカジュアルな雰囲気が息づいている。
樽/東京都中央区銀座6-11-10銀緑館B1F/03-3573-1890
18:00-1:00/日休
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