2/14。銀座・巷房で『佐藤卓展「2つの実験」』。巷房は奥野ビルディング(旧銀座アパートメント)内に3つのスペースをもつギャラリー。奥野ビルディング(鉄筋コンクリート造7階地下1階建)は1932年築。西条八十、吉田謙吉(参考)らが入居した由緒ある古ビルだ。設計を手掛けたのは川元設計事務所とされており、この「川元」が川元良一だとすると、奥野ビルディングは同潤会アパートや九段会館(旧軍人会館)の兄弟、と言うことになる。
さて、先ずは地下へ。小部屋が1室と階段下が展示スペース。小部屋には円筒形の台が置かれ、その天面に小さな人形が埋め込まれていた。レトロでバタ臭い様式のキャラクターは、上方から投射されるビデオプロジェクターの映像や光で刻々と表情を変え、やがてたどたどしい子供の声色で「いろは」を順に喋りはじめる。固有の表層を持たないアウトラインデータとしてのキャラクター。階段下ではその様子をビデオモニターを介して見ることができた。照明が落とされたフロアはビルのつくりと相まって、いかにも怪しい実験室の様相。
3Fのギャラリーに入ると、一辺30cmほどの木の小箱が床上にずらりと並ぶ。数にして50ほど。透明の上蓋を通してひらがながひとつずつ収まっているのが見える。ひらがなは白い紙がゆるやかに変形しながら積み重なることで立体化されており、それぞれに特徴的なボリュームを持つ。質感を伴ったオブジェクトとしての文字。「い」には「い」らしいかたち、「ん」には「ん」らしいかたちが与えられているのが楽しい。いや、しかし、地下の展示を思い返すとなんだか不気味だ。ここでは実体と非実体が容易に入れ替わり、その曖昧な境が現実世界を浸食するように思えて来る。小さいながら、とても印象深い展覧会だった。
同日。六本木・サントリー美術館で『国宝 三井寺展』。個性豊かな仏像群に目を奪われた。中でも不動明王立像(通称:黄不動尊/鎌倉時代・13世紀)は凄かった。息づかいが聞こえてきそうな生々しさと、近寄り難い高潔さを同時に感じさせる佇まい。如意輪観音菩薩坐像(平安時代・10世紀)のしなやかなポーズ、毘沙門天立像(小振りでリアルな方/平安時代・10世紀)の凛々しさ、阿弥陀如来立像(鎌倉時代・13世紀)の超絶ディテール、十一面観音菩薩立像(平安時代・9世紀)の愉快な四頭身、新羅明神坐像(平安時代・11世紀)の繊細な造形とミステリアスな表情も忘れ難い。狩野光信の障壁画は個人的には今ひとつ。
2/24。銀座・ギャラリー現で『倉重光則 - 不確定性正方形 - 』。ガラス部分を鉄板で閉ざされたドアを開け、ギャラリーに入ると床一面がこれまた鉄板で綺麗に覆われていた。まるで重力が増したような錯覚を覚えながら壁面へ目を向けると、ビデオプロジェクターから白い正方形が投射されている。明滅する正方形とギャラリーの床壁の際を、それぞれ一部分ずつ赤いネオン管が縁取って不完全な領域を強調する。軽やかさと重厚さ。静けさと凶暴さ。極めつけに単純で、体験的なインスタレーションだった。
眺めていると、なんと倉重氏ご本人からお声がかかった。ギャラリーのスタッフの方からコーヒーをいただきつつ、初期の作品とアメリカのミニマル・アートとの偶然の同時性について、昨年開催された赤坂アートフラワー08で自分の作品を見るために行列に並んでみたこと、などなど、貴重なお話や愉快なお話を伺う。私たちにとって奇跡のような数十分だった。ギャラリーを出てから感激がじわじわと。作品の厳しい抽象性からは全く想像のつかない気さくなお人柄にかえって面食らってしまったことが悔やまれる。願わくば日本のミニマリストたちが体験した1970年前後の空気感について、もっとお話が伺ってみたい。
倉重光則(JDN)