6/11。清澄白河・東京都現代美術館で『池田亮司 +/- [the infinite between 0 and 1]』。過剰なほど明瞭なコントラストを伴い、もしくは認知できるギリギリの微小な差異とともに、白と黒と数列とが厳密に対置された空間。ビデオプロジェクターによる巨大で高精細な映像、フォトプリント、正弦波のサウンドなどで構成されたインスタレーションの中で、私たちは自らが無限のデータのうちに解放されるような至福と、ノイジーで変数的な生々しい個としての実体とを交互に覚える。数学については知識もセンスも無いため、作品コンセプトを十分に理解することはかなわなかったが、この凄まじい体験は極めつけだ。東京都現代美術館の企画展示室がこれほど贅沢に、しかも有効に用いられているのを見たのは初めて。見逃さなくて本当に良かった。
6/14。六本木・Gallery le bainで『TONERICO:INC. Case Study 01 [STOOL]』。ホワイトアッシュの成形合板による至ってシンプルな16の形状のスツールがそれぞれ柾目・板目の木取りで計32タイプ。基本形から徐々に展開されたと言うデザインスタディをそのまま提示した微妙なバリエーションは、まるで八百屋のカゴに整列した果物や野菜を見るようでなんとも楽しく微笑ましかった。
6/23。外苑前・PRISMIC GALLERYで『ISOLATION UNIT / 柳原照弘展「real fake」』。大阪を拠点に活動する柳原氏は今その動向が最も気になるデザイナーの一人。パスタの形状をそのまま金属に置き換えたジュエリー。見慣れたものから思いがけない美しさがひき出される不思議。展覧会としてはかなりボリュームが少なかったのが残念だが、それもまた狙いなのかもしれない。
6/26。勝どき・オオタファインアーツで『見附正康展』と『イ・スーキョン展』。九谷焼赤絵の作家・見附氏による大皿4点。細密な絵付けは以前の展覧会よりもさらに自由度を増し、グラフィカルになっていた。いつか必ずや購入したい。
全くノーチェックだったイ・スーキョン氏のインスタレーションは思いがけず素晴らしいものだった。韓国のトラディショナルな陶器を破砕、シャッフルし、原形無視で金継ぎした、いびつなフォルムのオブジェたちが、天井から吊るされた軽量鉄骨のフレームに並ぶ蛍光灯に照らされ、ぬめるような光沢を放つ。その様子は実験室で培養された生物群、あるいは『AKIRA』ラストシーン近くの鉄男を彷彿させる。辰砂による赤い線で描かれた大きなドローイング2点も圧巻。
7/23。六本木・Gallery le bainで『内田繁展 2009 NY展へ向けて ぼやけたもの 霞んだもの 透けたもの ゆらいだもの』。手前のオープンスペースには合板を切り抜き組み合わせた樹木のオブジェと立礼の茶席。ギャラリーに入るといつもは白い壁面が真っ黒に塗られ、カラフルなメラミン化粧板をグリッド状に造作した「棚」がずらりと取り付けられていた。最奥の概ね完全な形状から次第にその部分が欠落し、やがて断片化して手前側の壁一面に飛び散るその様子は、メンフィス的である以上にソル・ルウィットのキューブやドナルド・ジャッドの後期作品との関連を感じさせる。フロアには2007年の展覧会にも登場した半オブジェ・半家具の「ムー」が数体。その上には水の入った撹拌装置付きの黒い箱がふたつ。それを通過した強い照明が足下で揺れる。徹底してドライでコンセプチュアルな空間表現に対して、「ムー」の存在はいかにも野蛮で無邪気だ。そのユーモアと違和感、そしてある種の不気味さが、いま内田氏の心中にある「わび」なのだろうか。