5/16。荒川先生に引率していただいてインテリアデザインコースの一回生と一緒に『長江家住宅』を見学。こちらは1736年創業の呉服商で屋号を「袋家」と言う。現在の町家は1822年に建てられ、主に大正期にかけて増築や改修を経たもの。以下、写真はクリックで拡大。
場所は烏丸四条の近く。新町綾小路の交差点を下がると右手に江戸期の面影を色濃く遺した重厚な店構えが現れる。こんな風に時代から取り残されたような建物が点在するのが現代の京都市中心街の風景だ。
南棟左手の玄関をくぐると正面に土間、右側に畳敷の部屋が奥へと連なる。上の写真は手前からふたつ目の部屋(ナカノマ)から道路側の部屋(ミセノマ)を見返したところ。左にある収納家具の上は天窓になっており、室内は思いのほか明るい。続く一部屋(ダイドコ)を挟んでオクノマを見たところがこちら。
一方、土間は道路側からミセニワ、ゲンカンニワ、調理器具を備えたハシリニワへと続く。上の写真はハシリニワの吹き抜けを見上げたところ。こちらの写真右はハシリニワ手前側にある井戸のまわりで、写真左は奥側にあるおくどさん(かまど)のまわり。
オクノマのさらに奥には坪庭がある。縁側から浴室と脱衣所の前を通って坪庭の右手にまわると二間続きの離れ座敷。上の写真はその奥側の部屋から坪庭を見返したところ。こちらはその道路側の部屋の内観(こちらは床の間まわりの近景)。こちらは奥側の部屋。障子の向こうには立派な蔵がある。
先程のハシリニワを抜けて洗面所や便所の脇を過ぎ、作業場の中を通ってさらに進んだところにあるのがプライベートなもうひとつの庭。これが敷地の終点となる。鰻の寝床は斯様に細長い。
ダイドコの急な階段はその上とオクノマの上にある二階へと繋がっている。こちらは二階道路側の窓からナカノマとミセノマの屋根を見たところ。軒先の一文字瓦のディテールが分かりやすい。こちらは奥の縁側に面した猫間障子(こちらの写真左が小障子を開けたところ、写真右は縁側から見た小障子のディテール)。このスタイルは珍しい関東猫間。縁側から坪庭を見下ろすと上の写真のような眺め。こちらはミセノマの上にある屋根裏部屋。ミセニワから梯子を使って上がる。屋根の「むくり」に沿ってカーブしながら低い天井が張られている。
事前に情報の全く無いまま訪れただけに、京の大店の典型がこれほど良好なコンディションで維持され、しかも現役で使用されていることに心底驚かされた。それでいて造作は内外ともに簡素そのもの。この衒いの無さがこそが美しく、さらに感動を深める。商い場の原点を訪ねにまたぜひお伺いしたい。
京町家(Wikipedia)
ちっさいときはなんかて感じおへんどしたやけど
確かに今思うと日本の商いの原点ちゅうか、
商空間が京都には残っとるどすやろ。
京都人やけほななく、
そないゆー風に感じる日本人全体かて
断片的な記憶で残っとるほやけど凄いと思う。
結局のトコどっぷり日本人やのでしょう!
やけんど省く文化もここまでくると
色使いは別として造形的には
モダン極まりまへんですやろ
このまんま今作ったとしてもモダンどすもん!
明かりの使い方や外部との関連性や
間取り・・・・
どれをとっても一朝一夕ででけるモンほななく
完成されたモダニズムを感じさせまんねんどすやろ
昔の人にここまでやられへんと今の人は
きついきつい
さらわてなってのJAPANモダニズムを
追求せな!
でけるかいな????
文で書くと方言て変ですね
>kiyoさん
あちこち転々としているがためにどこの言葉も身につけられずにいる私たちにとって、方言や訛りはまさしくエレガンスの極みです。東京では東京弁がほぼ死に絶えていてどことなくおかしな標準語ばかり耳にしましたが、京都だとけっこう頻繁に京都弁にゾクッとさせられますね。ところどころ意味が分からないのがまた素敵です(笑)。
長江家住宅は京の店屋のお手本のような建物でした。飾り気の無さときたらもう筋金入りで、結果そのこと自体が意匠として成立している。モダニズムを凌駕して、むしろミニマリズムと言いたいくらいです。