5/16。『島原大門』をくぐってしばらく直進。3つめの角を左折すると、破格に広い間口を持った建物が現れる。格子に覆われたそのファサードは圧巻だ。こちらが『角屋』(すみや)。1500年代末創業の揚屋。現在の建物はその遺構で、美術館として公開されている。揚屋とは今で言う料亭のこと。中でも『角屋』は特別高級な文化サロンだった。現在の建物は1641年に六条三筋町から移築され、その後1787にかけて増改築が施されたもの。六条三筋町に花街が出来たのは1602年のことだから、部分によっては400年近い年月を経ていることが推測される。
上の写真は通りの南側から見た店構え(こちらは通りの北側から見たところ)。学生が集合しているところがかつての正面入口で、写真のさらに左側に美術館の入口がある。以下、写真はクリックで拡大。
こちらは正面入口を敷地内から見返したところ。石畳を右(写真では左の方)へ進むと玄関が現れる。上の写真は玄関から石畳を見返したところ。べんがらの赤が目に鮮やか。正面入口の真向かいには運営用の内玄関。
本来なら豪華絢爛な座敷の数々を筆頭に上げるべきところかもしれないが、個人的にそれら以上の魅力を覚えたのは内玄関を抜けてすぐ(上の写真)に登場する巨大な台所と配膳場。商業建築の迫力を存分に味わえる空間だった。中でも印象深いのが立花を頂いた飾りかまど。天井からいくつか吊るされた「八方」と呼ばれる照明器具も特徴的。天窓を含め開口部が多く設けられており、明るい作業場となっている。こちらはずらりと並んだおくどさん(かまど)。
上の写真が台所全景。内玄関の右側は板の間を挟んで配膳場がひろがっている(写真右端が帳場)。こちらは板の間からおくどさんを見返したところ。こちらは奥から見た配膳場と台所の全景。
客用の玄関を正面に進むと左手に中庭、右手に上の写真の座敷がある。一室に様々なデザインの格子が用いられた様子が面白い。床の間の掛け軸は井上士朗『不尽の山』。
中庭の手前を左へ進むと大座敷に至る(上の写真)。こちらは座敷から見える庭。臥龍松を中心に茶室などの離れがいくつか点在している。
玄関脇の階段を2階へと上がると、有名な「扇の間」や「青貝の間」を含む6つの座敷がある。残念ながらこちらは撮影不可。とは言え、装飾物のコンディションからすると、間近に拝見できただけでも十分にありがたいことだ。ご高齢のガイド氏が揚屋と遊郭の違いを何度も繰り返して江戸の吉原との格式の違いを力説される様子も面白かった。なんとも京都らしいではないか。