7/31。犬島で「家プロジェクト」と「精錬所」、維新派を見終えて高速艇の特別便で高松港へ。中央通りをしばらく南下して中央公園の手前で左折。志度街道を瓦町一丁目の信号手前で右折し、トキワ新町の飲食店街を歩くと、間もなく右手に『おふくろ』が現れる。白地の行灯看板には赤いラインで描かれた碗のイラストに「しるの店」のコピー。開業は1966年3月とのこと。幅の狭い紺暖簾を分けてアルミの引戸から店内へ。以下、写真はクリックで拡大。
店構えこそ1間そこそこと控えめながらフロアは驚くほど広い。右手には手前からずっと奥へとメラミン化粧板の長いカウンターが延び、中央に通路を挟んで左手にはテーブルがいくつか。簡素な和風の蛍光灯ペンダントライトにぼんやり照らされた内装はいい塩梅にくたびれている。天井は通路の上だけが網代で左右のベージュはおそらくクロス張り。壁はプリント合板だろう。一際目を引くのがカウンターバックを埋める木製の食器棚。使い込まれた色合いと重厚な造作が店の雰囲気をぐっと引き締める。
加えてさらに迫力満点なのがカウンターにずらりと並ぶ惣菜のステンレストレイだ。スツールに腰掛けると思いつくまま一気に注文。
瀬戸内らしい魚介と家庭料理。シンプルで何の飾り気も無い品々がしみじみと美味い。二人分のご飯はおひつでたっぷりと。
最後に赤味噌のあさり汁と白味噌のぶた汁を注文。この碗が直径20cmほどはあろうか。あまりに見事なボリュームと具沢山ぶりに食べきれるだろうか、と不安になったのは一瞬で、すんなりさっぱりと胃袋に収まってしまった。
突出したところの無いがゆえの充足感。それにひきかえ会計の安さは信じ難い。遅くまで開いているのは地元の方ばかりでなく旅行者にとっても大いに助かる。ああこんな店が近所にあれば、と他で何度も思いはしたが、この店は本当に格別だ。
おふくろ/香川県高松市瓦町1丁目11-12/087-831-0822
17:00-23:30/日祝休
7/31。『犬島「家プロジェクト」』を一巡りして犬島港東岸へ。チケットセンター前から延びる海岸沿いの道(下の写真)を南下。彼方の煙突を目印に『犬島アートプロジェクト「精錬所」』へと向かった。近づくに連れ、犬島みかげの石垣とガラスの建造物、煉瓦造の煙突と緑の樹々が次第に奇妙なコントラストを見せ始める。以下、写真はクリックで拡大。
焦色をした低い煉瓦の壁で細かく仕切られたアプローチを抜けてエントランスへ。この時は精錬所敷地内の広場で維新派による『台湾の、灰色の牛が背伸びをしたとき』の公演日。アプローチ内には様々な食べ物や飲み物を供する屋台がひしめいていた。そしてエントランス手前に並ぶこと十数分。いよいよ精錬所内へ。
『犬島アートプロジェクト「精錬所」』は1909年築の銅精錬所を改装したもの。操業していたのは10年ほどの間で、その後は廃墟化していたようだ。2008年に改築が施され、ベネッセアートサイト直島の施設としてオープン。設計は三分一博志建築設計事務所、インスタレーションは「家プロジェクト」と同じく柳幸典氏が手掛けている。上の写真は精錬所屋上の風景。
インスタレーションは『ヒーロー乾電池』と総称され、三島由紀夫にまつわる様々なモティーフが重厚な建造物にコラージュされた極めて大胆でスケールの大きい作品となっている。中でも『ソーラー・ロック』と呼ばれる空間には圧倒された。44トンの犬島みかげ一枚岩と三島由紀夫「松濤の家」の廃材。西日差し込む半円ドーム内に浮かび上がる記憶の断片たち。
建物を出てさらに南へ。上の写真は広場脇の山道から見た維新派の野外劇場の様子。よく見ると巨大操り人形の「彼」が舞台裏に座って休憩中だった。
山道を登るに連れて崩れかかった煉瓦造の煙突が迫ってくる。上の写真はそのうち最も崩壊の進んだもの。高さは5、6階建てのビルほどはあろうか。この巨大さと反り返り具合。あまりにシュールで美しい。
敷地南端の高台から溜池を望み、放置された煉瓦壁の施設を見下ろしながら東の海岸方面へ。山道を下りきって草むらを抜けると、施設内でも一際建物らしい面影を残した発電所の跡がこつ然と現れる。上の写真がその様子。
こうした屋外動線の適度にワイルドで適度に手の入った整備具合は絶妙だ。施設内部もさることながら、ランドスケープとして見た精錬所も素晴らしい。三分一氏の他にデザイナーがいらっしゃるとすれば、ぜひお名前を伺いたいものだ。
廃墟手前の広場から海岸沿いを再び建物へ。上の写真は丸太と針金の仮設デッキを経由して維新派の野外劇場へと向かう様子。日没の迫る中、ステージは静かに始まった。新天地を求め世界へと散らばった日本人たちの戦前戦後が淡々と、時空を超えてリミックスされてゆく。お馴染みのラップとマスゲームは『ろじ式』をも上回る見事さ。驚いたのは維新派作品としては異例に思えるほどに台詞の比重が高かったことだ。素朴で飾り気の無い言葉が胸に迫り、様々な記憶がまたここでも揺り起こされる。泣けてきた。
終演後も行きと同様、高速艇の特別便に乗り込んだ。高松へと向かう暗い海をぼんやりと眺めながら、犬島での濃密な体験を反芻するのが実に心地良かった。
犬島アートプロジェクト「精錬所」(ベネッセアートサイト直島)
台湾の、灰色の牛が背のびをしたとき(維新派)
7/31。高松港高速艇乗り場にて。
犬島までは桟橋の先に見えるちいさな船で1時間弱。維新派犬島公演のための特別便。瀬戸内国際芸術祭終了後の現在、高松から犬島へ向かうには直島-豊島を経由する必要がある。写真はクリックで拡大。
7/31。高速バスで高松入り。『玉藻うどん』で食事後、維新派公演のための高速艇で早めに犬島へ。先ずは『家プロジェクト』を一巡り。瀬戸内国際芸術祭2010に合わせてオープンしたベネッセアートサイト直島の関連作品群。岡山県の離島、犬島北岸の港周辺に『F邸』、『S邸』、『中の谷東屋』、『I邸』の4つが点在する。建築設計は妹島和世建築設計事務所。うち3ヶ所のインスタレーションを柳幸典氏が手掛けている。以下、写真はクリックで拡大。
上の写真は犬島港から最も近い丘の上にある『F邸』を北側から見たところ(建物北面全景/建物東面全景)。アプローチは写真奥にあたる建物南側。西側エントランスから館内へ。中央に鎮座するネオンの『電飾ヒノマル』を一周し、その左脇の出入口から外へ進むと、くねくね曲がった塀の内側をミラー張りにした『鏡の坪庭』がある。簡潔で細部の美しい木造妻入り瓦葺きの建物を通して、周辺の緑豊かな環境と大胆不敵なインスタレーションが接続する。
港へ戻って南側にある住宅街へ。細道を抜けると曲面ガラスを連ねた建物『S邸』が登場。上の写真はその西面全景(東面全景)。柱になりそうな部材がほとんど見当たらない。驚くべき軽さ。
ガラス内の中空にはところどころ破けて矢の突き刺さったレースが吊るされている(東側から見たガラス内の様子/南側からのレース近景)。南側には若いオリーブの木々。これらが『蜘蛛の網の庭』。上の写真は北側からのレース近景。
丘の中腹に沿った細道を西へ向かうと芝生の中に銀色のお椀を伏せたような建物『中の谷東屋』が左手に現れる。上の写真はその東面全景。こちらは西面全景。コンクリートの基礎とアルミ合金の屋根の間に立つと物音が奇妙に反響する。いくつか置かれたチェアはSANAAがデザインし2005年に製品化された『アームレスチェア』のアルミバージョン。
東屋正面の坂道を北へ下ると畑の向こうに『F邸』を若干小振りにしたような建物『I邸』が見えてくる。南側へまわると色とりどりの花畑。建物内部のプロジェクターからガラス面に対して巨大な目の映像が写し出されている。あまりにシュール。白昼の悪夢を思わせる眺めに息を呑む。
どの作品にも説明的なところは微塵もなく、集落の合間にひっそりと佇む。作家を特定したことに加え、設置エリアを小さく限ったことによって、個々の作品の繋がりが生まれている。結果として独特の強力な「磁場」のようなものをつくり出すことに成功しているように思われた。謎めいた「風景」としての建物とインスタレーション。何やら得体の知れないぞわぞわした感覚を受け取ってしまったようだ。
池沿いの道を過ぎて港を一巡り。チケットセンターから南へ延びる道を『精錬所』へと向かった。
犬島「家プロジェクト」(ベネッセアートサイト直島)
7/25。『詩仙堂』の坂を降りて一乗寺下り松のひとつ下の辻を左折。住宅街をしばらく行くと右手にパティスリー『タンドレス』が現れる。もとは『ベックルージュ』として1999年にオープン。2009年10月にリニューアルされ現在の店名となった。ざっくりとしたベージュの左官仕上げに四角い小窓をいくつか開けた一軒家の外観は、かろうじて店に見えなくもない、と言うくらいにさりげない。以下、写真はクリックで拡大。
左側のポーチから右手のドアを開けて店内へ入ると向かいの壁際にベンチシート。手前に小さなテーブルが5つ。チェアが添えられているのは右側の2つのテーブルだけ。席は全部で7人分ほどしかない。通路を挟んでカウンターショーケースとレジが並び、通路奥の突き当たりにキッチン。カウンターと床は暗い染色の木材で、他の内装は概ねベージュかオフホワイトの明るい色合いで仕上げられている。カウンターバックの壁は大理石のモザイク張り。ベンチシート上の壁面は左官で、横方向に大きく波打つパターンが上下からの間接照明に浮かび上がる。
小振りなショーケースのなかにはケーキがぎっしり、と言いたいところだが、夕刻に訪ねたこともあってすでに売り切れの品も目立った。取り急ぎふたつを注文。ベンチシートの左端に横並びとなった。
上の写真はコントゥ・ドゥ・シャンパーニュ。白桃とロゼシャンパンのムースにナッツのベース。濃厚な風味が微かなオレンジの香りに包まれながら鮮やかにひろがる。う、美味い。
上の写真はキャネリエ。シナモンの生地とヌガー。それぞれに独特の固さや粘りをもつ二種の層が交互に重なり、えも言われぬ食感に。これは楽しい。
上の写真は後日(12/4)にいただいたカシス・オランジュ。見た目にも明快なコントラストの二層が端から食べ進むに連れて様々に立ち現れる。微かなクローブの香り。
上の写真(こちらも12/4)はポンム・ヨグール。柔らかなリンゴのムースとヨーグルトのムースがプルーンジャムをサンドしたビスキュイによって三方から支えられている。頂上にあるフレッシュなリンゴはサイズ以上のインパクト。
どの品も濃厚で鮮やかな素材の風味が圧倒的。その組み立て方は実に大胆かつ絶妙で、いただきながら思わず何度も目を見合わせた。表現力、パンチ力、ともに抜群な大人のケーキ。それだけに嗜好は分かれるだろうが、探求心と遊び心のある向きにはたまらないケーキであることは間違いない。とっておきの店だ。
タンドレス/京都府京都市左京区一乗寺花ノ木町21-3/075-706-5085
11:30-19:00(イートインは土日13:00-18:00)/火水木休
7/25。『オレノパン』から南東へ移動。一乗寺下り松の辻から坂をしばらく上がると右手に『詩仙堂』の額を掲げた山門が現れる。『詩仙堂丈山寺』の建物は文人・石川丈山の山荘『凹凸窠』(おうとつか/1641年築)が後に禅寺として転用されたもの。
ゆるい石段のつきあたりには老梅関と呼ばれる門。正面からやや左にずれた位置にあるためアプローチから境内は直接見えない。くぐると白砂の庭を手前に建物が連なる。左手の受付を通って縁側から瓦敷の玄関へ。左へ折れて仏間の前を過ぎると、座敷から南側の庭へと視界が一気にひろがる(南東に向かって庭を見た写真/縁側から庭を見下ろした写真)。以下、写真はクリックで拡大。
縁側は東西の座敷をつなぎ、その折れ曲がった箇所から三角形の台が張り出す(下の写真)。手摺の向こうに手水鉢が立ち上がり、足下には小川が流れる。
東の座敷から庭へ降り(降り口から庭を見た写真/降り口の踏石の写真)、ちいさな滝の音を聞きながらうしろを見返すと、建物の3Fにあたる嘯月楼の丸窓がよく見える(下の写真)。
庭は大きくふたつのレベルに分かれており、南奥はさらに一段と低い(下の写真はそこから建物を見返したところ)。奥に高木の林。手前に低木の植え込み。絶妙に折り重なったレイヤーが『詩仙堂』ならではの眺めを生み出している。
短い石段を下りると左手に添水(そうず/ししおどしのこと)。作底に添水を用いた例としてはごく初期のものらしい。広場(下の写真)から西側に歩を進める。
ゆるい傾斜を下るにつれて植栽は密度と種類を増す(下の写真)。その中をかきわけるようにして残月軒などの離れが配置されている。
さらに奥へ進むとふたたび広場。供養塔が庭の終点となる。下の写真は建物へと戻る途中足下を横切った小川の様子。
起伏といい植栽といい建物といい、実に緻密で変化に富み美しい。溢れかえる野趣に解け合う極めつけの人工美。庭とインテリアとがこれほど見事にひとつながりになった場所も他に無い。夢のような光景に思わず息を呑んだ。