7/31。『犬島「家プロジェクト」』を一巡りして犬島港東岸へ。チケットセンター前から延びる海岸沿いの道(下の写真)を南下。彼方の煙突を目印に『犬島アートプロジェクト「精錬所」』へと向かった。近づくに連れ、犬島みかげの石垣とガラスの建造物、煉瓦造の煙突と緑の樹々が次第に奇妙なコントラストを見せ始める。以下、写真はクリックで拡大。
焦色をした低い煉瓦の壁で細かく仕切られたアプローチを抜けてエントランスへ。この時は精錬所敷地内の広場で維新派による『台湾の、灰色の牛が背伸びをしたとき』の公演日。アプローチ内には様々な食べ物や飲み物を供する屋台がひしめいていた。そしてエントランス手前に並ぶこと十数分。いよいよ精錬所内へ。
『犬島アートプロジェクト「精錬所」』は1909年築の銅精錬所を改装したもの。操業していたのは10年ほどの間で、その後は廃墟化していたようだ。2008年に改築が施され、ベネッセアートサイト直島の施設としてオープン。設計は三分一博志建築設計事務所、インスタレーションは「家プロジェクト」と同じく柳幸典氏が手掛けている。上の写真は精錬所屋上の風景。
インスタレーションは『ヒーロー乾電池』と総称され、三島由紀夫にまつわる様々なモティーフが重厚な建造物にコラージュされた極めて大胆でスケールの大きい作品となっている。中でも『ソーラー・ロック』と呼ばれる空間には圧倒された。44トンの犬島みかげ一枚岩と三島由紀夫「松濤の家」の廃材。西日差し込む半円ドーム内に浮かび上がる記憶の断片たち。
建物を出てさらに南へ。上の写真は広場脇の山道から見た維新派の野外劇場の様子。よく見ると巨大操り人形の「彼」が舞台裏に座って休憩中だった。
山道を登るに連れて崩れかかった煉瓦造の煙突が迫ってくる。上の写真はそのうち最も崩壊の進んだもの。高さは5、6階建てのビルほどはあろうか。この巨大さと反り返り具合。あまりにシュールで美しい。
敷地南端の高台から溜池を望み、放置された煉瓦壁の施設を見下ろしながら東の海岸方面へ。山道を下りきって草むらを抜けると、施設内でも一際建物らしい面影を残した発電所の跡がこつ然と現れる。上の写真がその様子。
こうした屋外動線の適度にワイルドで適度に手の入った整備具合は絶妙だ。施設内部もさることながら、ランドスケープとして見た精錬所も素晴らしい。三分一氏の他にデザイナーがいらっしゃるとすれば、ぜひお名前を伺いたいものだ。
廃墟手前の広場から海岸沿いを再び建物へ。上の写真は丸太と針金の仮設デッキを経由して維新派の野外劇場へと向かう様子。日没の迫る中、ステージは静かに始まった。新天地を求め世界へと散らばった日本人たちの戦前戦後が淡々と、時空を超えてリミックスされてゆく。お馴染みのラップとマスゲームは『ろじ式』をも上回る見事さ。驚いたのは維新派作品としては異例に思えるほどに台詞の比重が高かったことだ。素朴で飾り気の無い言葉が胸に迫り、様々な記憶がまたここでも揺り起こされる。泣けてきた。
終演後も行きと同様、高速艇の特別便に乗り込んだ。高松へと向かう暗い海をぼんやりと眺めながら、犬島での濃密な体験を反芻するのが実に心地良かった。
犬島アートプロジェクト「精錬所」(ベネッセアートサイト直島)
台湾の、灰色の牛が背のびをしたとき(維新派)