7/20。目黒で仕事の打合せ。夜9時前に『とんき』で夕食を摂った。目黒の『とんき』と言えば都内に暖簾分けがいくつあるか分からないくらいの老舗だが、東京に暮らして10年も経つと言うのに訪ねたのはこの日が初めて。電柱広告をたよりに行人坂と権之助坂を繋ぐ路地へと入ると、ほどなく幅5メートルはあろうかという木製引戸を構える2階建てがあらわれた。なんだか大家さんちへご挨拶に行くような神妙な気持ちになりつつ、これまた立派な暖簾をくぐって店内へ。
左手に仕込用のキッチンがあることを除いて間仕切りは無い。フロアの大半を占めるのは作業台の並んだ板張りのオープンキッチンで、その周りをコの字に囲むようにして白木の客席カウンターがへばりついている。流れ作業によってみるみるうちに出来上がってゆくとんかつと、てきぱきと持ち場をこなすスタッフたちの姿を、天井から何十灯も吊るされたガラスシェードの丸っこいペンダントライトがこうこうと照らす。ぞくぞくするほどダイナミックな光景だ。
店に入ると先ずメモを手に持ったおじさんに「ロース」か「ヒレ」か「串」かを伝えてからカウンターの後ろに並んだ待ち合い席へ。適当に座っていると、おおかた準備が整ったところで先のおじさんが決まった席へと案内してくれる。この辺の作法は以前通った自由が丘の店と大差ないので戸惑わずに済んだ。
出て来た「ロース」と「ヒレ」(どちらもご飯と豚汁、漬物付きの定食)はまさしく『とんき』の原型を感じさせるものだった。超の付く有名店だけに、衣と肉が分かれてしまいやすいのがどうとか、火の通り具合がどうとか、いろいろ言う人も多いみたいだが、それはそれ、これはこれだ。薄く香ばしい衣とともにいただくさっくりした歯触りの『とんき』のとんかつを、私たちは好ましい味だと思う。
カウンター内のスタッフはひとりひとりの客の食事のスピードを見計らってご飯や付け合わせのキャベツのおかわりを尋ねてくれる。食べ終わる頃には楊枝入れの上に蓋代わりに被せていたガラスコップをひょいと取り、おしぼりと熱いお茶を出す。こうしたカウンター越しの押し付けがましさのないサービスがまた都会的で実に心地良い。
店の最奥には大きなガラス窓があり、その向こうには坪庭になっている。日のあるうちだとちょっといい感じだろう。早い時間は混むとは聞くが、今度は夕方前辺りにまた行ってみよう。
とんき目黒店/東京都目黒区下目黒1-1-2
03-3491-9928/16:00-22:45(LO)/火・第3月休
*その後リンク切れとなった部分を是正(Sep. 23, 2012)
7/14。水道橋のフォトラボから九段下のプリントショップまで歩く途中で靖国通り沿いの『いもや』の前を通りかかった。都内で天婦羅、天丼、とんかつの店を展開しているローカルチェーン店のひとつ。この神保町三丁目店は天ぷら専門。この日は店構えを写真に収めただけで通り過ぎたが、この界隈では特に気に入っている店のひとつだ。
すりガラスのはめ込まれた木製の引戸と白地の簡素な暖簾越しに蛍光灯の光がこうこうと漏れ出す(別アングルの写真)。店に入ると洗い出しのフロアに白木のカウンターキッチンがあるだけであとはほとんど何の造作もない。席数は全部で20くらいだろうか。スタッフ3、4人の無駄の無い動作と、見事なまでにシンプルなキッチンの設備が、どこに座っても手に取るように見渡せる。いかにも掃除がしやすそうなつくりのおかげもあってか、油を大量に使うにも関わらず、いつ来ても店内はピカピカだ。メニューは単品の天婦羅と、600円と800円の定食のみ。
天婦羅の味は特筆するほどのものではないし、名の通った老舗と言うわけでもない。それでもわざわざ足を運びたくなるのは、おそらく建物の壁が無ければ丸きり屋台のようなこの店が、飲食業の原点を一切の虚飾を省いた素の状態で見せてくれるからだろう。
天ぷらいもや三丁目店/東京都千代田区神田神保町3-1
03-3261-7982/11:00-20:00/隔水休
11/4。シアター1010でイッセー尾形のステージを見てから夕食へ。北千住にはほとんど来たことの無かった私たちだが、ここが大衆酒場の街であることは事前のリサーチによって把握済み。そんなわけで『大はし』に行ってみることにした。創業明治10年という大衆酒場界における名店中の名店。駅前のアーケードからサンロード商店街に入るとほどなく「千住で二番」と書かれた看板が見つかった。暖簾をくぐって、いざ店内へ。
まず目に入るのは奥へとながーいカウンター。店内は間口も6メートルくらいあってけっこう広い。カウンターの片側には酒瓶と肴の皿を積み上げながら飲み食いする客がわんさかとひしめいていて、反対側では老主人と若主人の二人が勢い良く往復し、すれ違いながら注文を取ったり瓶のふたを開けたり給仕をしたり。メニューは小皿ばかりだから注文はひっきりなしで二人の動きはほとんど止まることがない。カウンターの中には調理や洗い物のための設備は一切無く、あるのは空になったボトルや瓶の蓋(これを会計時に確認する)を置いておくための棚だけ。つまるところ、このカウンターは二人の主人のための純然たる花道でありステージだ。
テーブル席もあるにはあるが、この店は絶対カウンターだな、と思いながら店の入口で待機していると、ちょうど良く2、3分後に向かって左側のカウンターが空いて、そこに案内された。カウンターの中程にある切れ目を抜け、花道を横切り席に着いて飲み物を注文。オペレーション動線と客動線とが微妙に交差しているのが面白い。ホントは焼酎セット(亀甲宮にホ−プ製炭酸、アイスボックス、梅シロップ付き)が頼みたかったところだけど、勝野は下戸でヤギは病み上がりなので烏龍茶とビールで我慢。
牛にこみ、肉どうふ、カニクリームコロッケ、あんきも、などなど肴もガンガン注文。一皿の値段がとにかく安い。醤油とざらめによるスタンダードな味付けの名物・牛にこみは噂に違わぬ旨さ。カシラとすじによる硬軟の食感の取り合わせがいい。肉どうふの豆腐も牛肉の旨味が染みて甘くてとろとろの実にいい塩梅。かれいの煮付けも最高。他の食べ物の味はまあ普通だったが、なにしろここは大衆酒場。酒と煮込みの脇を固めるメニューとしてはどれも申し分無い。
大正時代から使われていたと言う古い建物は昨年末に新しく建て直されてしまったが、それでも蛍光灯に照らされた簡素な店内は活気に満ちている。客には渋いオヤジも多いが女性も多い。客層が幅広いのは間違いなくこの店の懐の深さを示す大きな美点だ。都心に志の低い店がどれだけ増えようと、21世紀の大衆酒場であるこの店の空気感は当分変わることは無いだろう。若主人の超男前な電卓さばきがそれを保証している。
大はし/東京都足立区千住3-46
03-3881-6050/16:30-22:30/日祝休
*2006/8/29、店の正面の写真を追加。