2012年の花見の時期に近所で撮った写真あれこれ。
祇園白川、辰巳明神の夜桜。
鹿ヶ谷、霊鑑寺の椿(他の写真1/写真2)。こちらはその近くの哲学の道。
真如堂、三重塔裏のしだれ桜。こちらは元三大師堂前の桜と梅。
川端冷泉、夷川ダムの桜(岡崎疎水周辺の他の写真1/写真2/写真3/写真4)。
木屋町御池、高瀬川一之船入の桜(他の写真)。
2012/4/7。『草間彌生 永遠の永遠の永遠』観賞後、駅へ向かう途中に『グタイピナコテカ』跡を通りかかった。
上は中之島ダイビルのちょうど南側にあるY字路の別れ際の風景。奥に見える工事現場がもと『グタイピナコテカ』があった場所。『グタイピナコテカ』は1962年に具体美術の代表であった吉原治良(よしはらじろう)が実家所有の油蔵を改装して構えた施設。多くの前衛アーティストたちがここで展示や制作を行った。インテリアデザインに関するところでは、野井成正氏(昨年にこの場所から徒歩10分ほどの『design de >』で開かれた展覧会が記憶に新しい)が工業高校卒業後に『グタイピナコテカ』に出入りしており、向井修二氏らの制作を手伝っていたことが知られている。
上は工事現場の仮囲い北側に取り付けられていた2枚のプレート。こちらは右のプレートのアップ。
上は先ほどの分かれ道にあった道標。1799年に建てられたもの。こどもの背丈ほどのみかげ石に「右ハ 梅田 十そう 大仁 尼がさ紀 左り 安治川 やぐら迄十七丁程」と刻まれている。こちらはその脇にあった旧町名「宗是(そうぜ)町」とその由来を記した碑。
ちなみに北向かいの中之島ダイビル5Fには『宗是』という名のそば店がある。渡辺節設計の旧ダイビル時代からこの辺りで親しまれている食事処だそうだ。また、1-3Fの商環境デザインはinfix(間宮吉彦氏/1F『丸福珈琲』と『サトウ花店』のインテリアも)、1F『タイユアタイ/レスレストン』と3F『ヴィノテカ ポルトガリア』のインテリアデザインはJA laboratory(東潤一郎氏)が手掛けている。
島根県州旅行(その1・その2)のおまけ。写真はクリックで拡大。
2010/8/6。八重垣神社の正面、道路を挟んだ向かいにあるカッコいい椿の大樹。こちらがその由来の立て札。こうした『連理玉椿』もしくは『夫婦椿』と呼ばれる二股の椿が境内にも何本かある。
こちらは根元の近景。見上げると丸々とした立派な枝がひろがる(上の写真)。こちらは椿から神社正面への眺め。
上の写真は神社正面鳥居の左脇にあるカーブミラー。千木付き。スチール製。
八重垣神社(Wikipedia)
7/31。高松港高速艇乗り場にて。
犬島までは桟橋の先に見えるちいさな船で1時間弱。維新派犬島公演のための特別便。瀬戸内国際芸術祭終了後の現在、高松から犬島へ向かうには直島-豊島を経由する必要がある。写真はクリックで拡大。
7/16。21時過ぎにアトリエを出て祇園祭の宵山へ。
烏丸四条を西へ向かうと通りは溢れんばかりの人出。高層ビル群に負けじとそびえ立つ絢爛豪華な山鉾たち。甲高く荘厳な金属音を奏でる祇園囃子。
写真(クリックで拡大)は現在最大の鉾と言われるている月鉾。建造年についてはっきりした情報は見当たらないが、古くは1573年6月(同年8月に室町幕府が滅亡している)の刻銘が付いた部材も存在するとのこと。前後を飾る駒形提灯は今年から電球型LEDの内照式となっている。
初めて見る祇園祭は驚くほどカオティックで未来的だった。
祇園祭(Wikipedia)
7/4。浅草寺裏の駐車場より。写真はクリックで拡大。
2年弱を要した修復工事もそろそろ終盤。解体中の巨大な足場鉄骨の眺めは実にダイナミック。ピカピカの飾り金物との対比がこれまた見事なものだった。
浅草・修復工事中の浅草寺本堂(August 4, 2009)
2010・あけましておめでとうございます(January 4, 2010)
7/4。浅草・食通街にて。写真はクリックで拡大。
ごちゃごちゃした街並と看板群。その向こうに見える建設中の東京スカイツリーは展望台を頂いてから俄然カッコ悪くなったとの評判だが、こうして観光地らしく賑々しい眺めのなかに溶け込んだ様子はそれなりに味わい深い。
6/28。京阪の神宮丸太町駅と出町柳駅の間で鴨川に掛かる荒神橋を東から西へ。川上の飛び石に亀が混じっているのを見つけた。以下、写真はクリックで拡大。
上は東岸の土手からの写真。さらにズームアップするとこんな具合。11匹の亀はそれぞれ重さ3トンほどのコンクリート製。こちらの写真は橋の上から撮ったもの。
上の亀にぐっと近づくとこんな具合。彼らの生まれは1990年代半ば頃。河床のコンクリート敷石とともに設置されたもので、設計担当は京都府京都土木事務所河川課技師(当時)の吉見重則氏とのこと。20年弱のあいだ水流に洗われた亀は細部の模様がぼやけ、輪郭に丸みを帯びている。ちょっぴり侘びたその風貌は、なかなかにチャーミングだ。
5/1。東京国立近代美術館から神保町方面へ移動の途中、竹橋ジャンクションで見つけた建物が妙に気になってパチリ。写真はクリックで拡大。
首都高5号池袋線高架下にあるおそらく倉庫と思しいちいさな2階建て(Google Maps with Street View)。錆びた鋼板葺きのファサードはまるで抽象絵画の佇まいだ。ロケーションも、部材の継目や窓のコンポジションも、実に申し分無い。
4/18。大阪市立美術館で『扇絵名品展』を見た後の天王寺公園夕景。
阪神高速へと真っ直ぐに延びる舗道。右手、動物園の向こうに通天閣。
素晴らしくカッコいい眺め。
ゲートのデザインはミンチにされそうでちょっと恐い。
「一度出たら入れません」。
4/4。京阪電車から大川沿いの見事な桜並木が見えた。国立国際美術館で『絵画の庭』を見た後、天満橋まで戻って花見散策することに(以下、写真はクリックで拡大)。
天満橋南詰東側の階段を降りた土手から造幣局方面への眺め。
大川と遊覧船と川崎橋と桜。
川崎橋から京橋方面への眺め。
川崎橋から造幣局『桜の通り抜け』を見下ろしたところ。
思いがけないタイミング、思いがけない場所で、今年最高の桜を堪能することができた。
12/4。六本木・東京ミッドタウンのクリスマスディスプレイをパチリ。
パターン抜きされた巨大な和紙の輪がシャンデリア状に連なる。控えめで上品。静かなインパクトがあり印象的だ。どなたがデザインされたのだろうか(見上げた様子/ディテール)。
どなた様も良いお年を。
11/28。浅草・ホッピー通りを抜けてウィンズの裏辺りから望む晩秋の夜の花やしき(こちらはコインパーキング越しのやや遠景)。
Beeタワーはいつどこから見てもただひたすらわびしくて良い。
10/18。午後のアトリエ前共用通路より。
現在の高さは200mくらいとのこと。2ヶ月前から50mほど成長した。最近では時折夜間工事が行われている様子。先月発表された高さ変更の影響があったりするんだろうか。高所で作業なさっている皆様、お疲れさまです。どうぞご安全に。
新東京タワーの名称決定(June 13, 2008)
10/22。JR京都駅新幹線ホームにて。
夕焼けに映える駅ビルは完成後12年を経て未だピカピカしている。その手前に並んだホームは良くも悪くも近代初頭から代り映えのしないままだ。この風景のコントラストはおそらくこれからも当分中和されることはないだろう。
10/22。おそらくずいぶん前からある街灯のデザインがこの日妙に気になって撮影。京都四条寺町・藤井大丸前にて。
こんなあたまをした怪獣の類いを何かで見た気がする。
もう一枚。
10/15。慶応義塾大学三田キャンパスで『谷口吉郎とノグチ・ルーム』を見た帰り、赤羽橋南詰の桜田通り沿いにて。
ビルの谷間に残った三角形の小さな土地に実にいい佇まいの神社が鎮座していた。
伏見三寳稲荷神社(Googleマップ)
ペットアーキテクチャー(goo辞書)
10/13。下馬・tocoro cafeで『tocoro展 - 岡田直人 - 2009』を見て三軒茶屋駅へ引き返す途中、不意に出くわした眺めに足を止められた。
屋根の看板には「やっぱ自分の踊り方でおどればいいんだよ。江戸アケミ」。この日は閉まっていたが、ここはフジヤマという名のレコード店。シャッターボックスに貼り付いた赤い円形が本来の店名看板。日本のロックの世界では超の付く有名店で、今年はオープンから27年目なのだとか。故・江戸アケミの言葉が掲げられた経緯はこのページの下の方に紹介されている。背景には弘善湯の煙突。
じゃがたらにそれほど深く浸ったことは無い。それでも80年代にラジカセからよく聞こえて来たあの音の妖しい輝きを思い出すと、なんだか胸が詰まる。
10/9。夕刻、板橋区立美術館で『一蝶リターンズ』を見ての帰路、首都高速5号池袋線と新大宮バイパス、一般道と高架歩道へのスロープが交錯する西高島平駅前辺りにて。
防音壁の横腹がぬめるような曲面を描きながら薄暮を照り返す。
9/16。浅草橋界隈でディスプレイ資材のリサーチ。
初秋の江戸通り沿いはまさしく紅葉の盛りだった。
写真は『丸正』にて。
8/30。ウヱハラ先生のメガーヌ号で千葉県佐倉市へ。国立歴史民俗博物館と佐倉市立美術館をはしごした後、都内へ戻って台場へ。折しも台風11号が関東へ接近中。
台場夕景。嵐の中、屋形船が色とりどりに浮かれる。
一方、ガンダム立像。柵の外側を取り巻く大勢の人々が、夏の終わりを告げるにしては冷た過ぎる風雨に打たれながら、不思議なくらい静かに、その中心をじっと見守る様子が心に残った。
9/16。夕刻前にアトリエから出かけようとすると、ビルの共用通路から工事中の東京スカイツリーが見えることに気がついた。
現在の高さは150mくらいとのこと。まだ1/4だ。完成時の高さを想像するとちょっと目眩がしそうになる。タワーの直径は意外に大きく、構造体はこれまた意外にがっちり。この調子だと完成予想図のような繊細なイメージは期待できそうにないが、不安定な印象を与えることもないだろう。
なんだか今後の成長が楽しみになって来ちゃったなあ。
新東京タワーの名称決定(June 13, 2008)
8/1。夕刻、御徒町台東中学校近くのオフィスビルにて。
合歓木(ネムノキ)の花をまじまじと見たのは十数年以上ぶりかもしれない。こんな不思議な姿だったっけ。あまりに繊細で蒸発してしまいそうだ。
7/5。浅草を散歩中、久しぶりに浅草寺(せんそうじ)の境内を通り掛ると、本堂が鉄骨造の巨大な工事用足場にすっぽりと覆われていた。
これはこれでカッコいい。夜間作業とかやってるとさらに良さそうだ。
修復工事は2010年11月頃完了予定とのこと。
平成本堂大営繕 ご寄進のお願い(浅草寺)
平成本堂大営繕 工事進捗状況のご報告(浅草寺)
6/23。『ラパン』で珈琲とサンドイッチをいただいてから中央通りを『鈴本演芸場』へ。途中、三洋電機販売のビル(銀杏柄レリーフの鋳鉄パネルに覆われたファサードが目印)脇に意外なものを発見。
日本初の本格的珈琲店『可否茶館』(かひさかん)跡地の碑。碑文の拡大写真はこちら。『可否茶館』の開業は1888年。経営難のため数年で閉店した後、1968年に創業者・鄭永慶の孫にあたる人物が阿佐谷に同名の喫茶店を再興したのだそうだ。この店は現在も阿佐ヶ谷駅北口ガード下のゴールド街2Fで営業している。そう言えば『阿佐谷銘茶楽山 新店』の現場に通っていた頃、一度だけ伺った。至って普通の喫茶店だったように記憶している。この碑が立てられたのは2008年4月13日(『可否茶館』開業からちょうど120年)とのこと。
それにしても、近所にこんな場所があったとは。珈琲好きとしてはけっこう嬉しかったりするが、この貧相なデザインはなんとかならなかったのかなあ。
「可否茶館」跡地記念碑設立除幕式(日本鄭氏子孫会)
「可否茶館」日本最初の本格的珈琲店(倉敷珈琲物語)
5/17。元浅草勉強会02の後、お祭り気分を味わいに浅草へ散歩。2年ぶりのお出ましとなった一之宮の宮入りを見物。予定から2時間遅れの20:30頃、雷門前に神輿が到着。
超速の手締めを合図に、折り畳まれた提灯をさらに突き上げんばかりの勢いで、神輿は仲見世へ突入していった。
3/28。大阪は千日前・南海通りにて。『福太郎』を出てさらに東へ向かうと、こんな風景がひろがる。
まるで描き割りのように薄っぺらでリアリティの欠落した街。なんともチャーミングだ。写真中央には宴会場『味園』、キャバレー『ユニバース』のネオンサインがそびえ立っている。
3/28。大阪は難波・吉本会館正面にて。
ブティックじゃなくてパチンコ屋さん。
施工精度はオリジナルといい勝負でした。
10/28。立石で打合せの後、『立石様』を初めて訪れた。私たちが知ったのはつい最近のことだが、古くから信仰されている下町の神様なのだそうだ。『立石祠』、『立石稲荷神社』とも称され、字の通り御神体は石。石と言っても大きさはかなりのもので、地表にはその一部分だけがちらりと顔をのぞかせている。江戸時代に実際にどのくらいの深さがあるのか掘り起こそうとした人が居て祟られた、とか、日清・日露戦争時にお守りとして削って持ち去られた、などの逸話も広く知られているようだ。とにかく、縄文初期には海の底だった(現在も中川の水面より下にある)低湿地にこのような巨石がぽつんとあることが、昔の人にもずいぶんと不思議に思われたらしい。
場所は京成立石駅から東へ歩いて10分ほどの住宅街。葛飾税務署裏側の路地に面する公園(立石児童遊園)の東側入口に「立石祠」の標と小さな鳥居がある。
鳥居をくぐり、敷石沿いに進むとさらに小さな鳥居に突き当たる。『立石様』はその向こう側の水色にペイントされた玉垣の中にいらっしゃった(別方向からの写真,説明板)。
江戸名所図絵「立石村立石」の挿絵を見ると『立石様』のまわりはやや小高い地形となっている。すぐ周辺から埴輪や土師器が見つかっていることも考え合わせて、どうやら『立石様』は古墳時代の墳丘から突き出した石室の一部らしい、というのが最近の有力説のようだ。また、材質的に見てその出自は千葉県・鋸山から切り出された房州石だろうとのこと。
名所としても信仰の対象としても今ではほぼ忘れ去られてはいるものの、『立石様』が東京低地の真ん中でその風景の移り変わりと下町の盛衰を他の何物より永く見守って来た存在であることはきっと間違いない。西から来た新参者ですが、今後とも何卒宜しくお願い申し上げます。
9/22。午後から葛飾区立石で打合せ。京成立石駅の南口を出てすぐの場所に、『立石仲見世』と看板の付いたなんとも渋い商店街があった。1945年の終戦後からこの地にマーケットが自然発生。1960年にアーケードが設置され、現在に至る。
商店街は120mほどの通りが2本と、30m弱の短い通りが南北方向に3本平行するかたちで構成されている。特に面白いのは西側にある長短ふたつの通りだ。幅3mも無いくらいの通りに様々な業種の店舗が狭い間口でぎゅう詰めになっている。軒先を一直線に走る蛍光灯、簡素なアーケードもまた味わい深い。上の写真はその通りを駅側入口から見たところ。
上の写真は通りの中ほどから駅側を見返したところ。物価の安さ、総菜の充実ぶりについつい財布を取り出しそうになったが、これから電車で帰るんだよな、と思い出し踏みとどまった。
上の写真は東側の通りの中ほどにあった『かぎや染物店』。シースルーの粋な佇まい。その斜め向かいの喫茶店『ルミエール』でさらに打合せの続き。商店街が2006年の個人的ベスト邦画『間宮兄弟』(森田芳光監督)の主要なロケ地であり、この喫茶店で撮影されたシーンも存在することを知ったのはついさっきのこと。
映画のある風景 その5 間宮兄弟ロケ地 - 立石商店街(日本映画劇場)
間宮兄弟
4/6。吉祥寺でケーキを買ってから井の頭公園を横断して古田さんのアトリエへ。花見シーズン終盤の桜の名所は夕刻にも関わらずかなりの人出。写真は井の頭池に掛かる七井橋の中央から南東側を見たところ。
水面に浮かぶボートが桜以上に満開だった。特に向こうの方なんかはほとんど芋洗い状態の浮かれっぷり。これはこれで壮観だ。
2/11。合羽橋本通りを浅草から上野方面へ歩く途中で見つけた小さな喫茶店。
お薦めは「お茶」か「珈琲」か。それが問題だ。
10/18。近所の春日通り沿いにて。紙の販売会社・深山の東京本社ビル棟屋。好天のもと、新御徒町の駅へ向かう途中でいつも見上げる「紙」のロゴが、この日は一際カッコ良かった。いかにもさりげないが、いい仕事。どなたがデザインなさったのだろう。
10/16。わずかに小雨の降る中、『センガイ・SENGAI - 禅画にあそぶ - 』を見に出光美術館へ。
美術館は日比谷・帝劇ビルの9F。写真は展覧会を見た後で脚を休めたロビーの様子。ソファは全て東側の開口部に面して置かれている。手前に日比谷壕、少し向こうに楠正成像、彼方にひろがる皇居の緑。
写真右手のパーティションの隣には無料のティーサーバーがある。熱いお茶をいただきつつ、しばしぼんやりと過ごすのもこの美術館を訪れる際の楽しみのひとつだ。
9/29。『台東デザイナーズビレッジ』の施設内覧および説明会に行ってみた。旧小島小学校の校舎(1928年築/鉄筋コンクリート造)1、2Fを再利用したデザインビジネス支援施設。2Fの一部には早稲田大学研究所、3Fには東京芸術大学の一部施設が入居している。
屋上の北西角から南側を見たところ。
屋上の北東角から南西角を見たところ。円筒状のコーナーが全体の簡素なデザインをかえって際立たせる。なんだか妙に可愛らしい建物だ。
デザイナーズビレッジの入居条件は大変魅力的だったが、応募倍率はかなり高い。入居者は書類審査と2度にわたる面接で厳正に選ばれるとのこと。私たちのようにお金儲けが大の苦手なへっぽこデザイナーは到底お呼びではなさそうだった。
6/25。大阪視察の途中、南堀江にて。
特に「ペ」がいい。いや、「ギ」もいいな。
ビルもちいさくてかわいらしい佇まいだった。
6/9。帰宅途中に鳥越のお祭りを見物。新御徒町の駅を出ると、町神輿がそこかしこでこの日最後の盛り上がりを見せていた。
観光化された他の祭礼と違い、鳥越にはいかにも地域の神事らしいコンパクトさがある。お囃子は歩いて神輿を先導し、周辺に警察車両の姿はほとんど見かけ無い。手拍子やかけ声の調子は実に整然として耳に心地良い。私たちのような余所者は完全にお呼びでない感じだが、まつりと言うものは適度に閉じられていた方が美しいのだと思う。
下の写真は本日10日の出番を待つ千貫神輿(東京一重いと言われている)。
OZONEの布&トートバッグマーケットも最終日。雨、降らないといいな。
5/30。打ち合わせからの帰りに隅田公園の脇を通ると紫陽花が満開だった。
下の品種には「カシワバアジサイ」との札。
公園を離れて、江戸通りを下る途中も歩道の脇は紫陽花だらけ。つい気になってしばらく写真を撮り続けた。
それにしても、色といいかたちといい、近所を少し歩くだけでもいろんな種類が見つかるものだ(他の写真1,2,3)。
梅雨入り直前の爽やかな数日。
アジサイ(Wikipedia)
4/23。名古屋の地下鉄名城線市役所駅ホームにて。
サイズの小さな文字を太くしようとして無理が出たのか、「ナゴヤドーム」の文字が独特な雰囲気を醸し出している。ちょっと「ヤマト」っぽい。
ちなみに表示の駅名はナゴヤドーム・前矢田ではなく、ナゴヤドーム前・矢田。
3/3。午後過ぎに湯島天神の梅まつりへ。
歩いて来れる距離にも関わらず、ここを訪れるのは初めてのこと。残念ながら梅はほとんど咲いていなかった(おそらく散ってしまったのだろう)が、建物のそこら中に梅をモチーフとする装飾が散りばめられているのを眺めては感心。境内中央の社殿(上の写真)は総桧造りの壮麗なもの。建て替えられたのは1996年とのこと。どうやって消防法をクリアしたんだろう?と思ったら、ホームページでその辺のことが少し触れられていた。20世紀末の都会のど真ん中に木造の社寺建築が新築されるとはなんとも素敵だ。
お参りを済ませ、梅よりも焼きそばソースのにおいの勝る人混みの境内から早々に退散。『うさぎや』でどら焼きを買ってから『ラパン』で一息ついた。
12/28。『きむらや』で玉子焼をいただいた後、『魚の棚商店街』でヤギの実家へのお土産を物色。1618年に始まる明石城の築城と城下の町づくりに伴って成立した商業地は、現在もその周辺に生活する人々から“うおんたな”と呼ばれ親しまれている。大漁旗を模したフラッグの舞う午後のアーケードはものすごい賑わい。
100以上の商店が軒を連ねる中で、扱われているのは多くが海産物とその加工品。獲れたての地魚が路上にひしめき、その間にこれまた大量のかまぼこやちくわなどなどが挟まった状態。
明石を象徴するキャラクターと言えば蛸。干物がずらりと吊るされた店先は、実にワイルドな雰囲気。
鰯ちくわと鯛ちくわ、それから焼き穴子の串を購入。夜になって、小雪の舞子から高速バスで徳島へ。
12/26。『finerefine』大阪高島屋店から堺筋を北上して日本橋から地下街へ。四ツ橋線のなんば駅に向かう途中で久しぶりに鯨と遭遇。この石の彫刻は、1994年にこの地下街が『虹の街』から『なんばウォーク』に改装された際にお目見え。以来静かに物議を醸し続けている。
その胴体と尾はどうも自然には繋がりそうにない。「バキッ」という音が聞こえて来そう。
実のところ、2頭のセミクジラが遊ぶ様子を再現したんだそうだ。なるほどね。
9/19。打合せの帰りに成城学園前の駅ホームで見つけた大型行灯広告。
マツダのショールームだった頃を思えばずいぶんと大胆な変貌ぶりではあるけど、実は意外にハマってるんじゃないか、とも思ったり。
7/29。隅田川花火大会の日。昨年同様、マンションの通路から見ることができれば良かったんだけど、今年は外装工事のため薄いメッシュ状の仮囲いシートを通しての鑑賞。
これはこれでまあ奇麗だけど、やっぱりスッキリしないよね。
そんなわけで、皆様今年はお誘いできなくてごめんなさい。
7/27。先日お色直し工事の終わったニイミの伯父さんの前を通りかかった。
以前に比べるとかなり顔色が良く、少し若返ったように見える。
伯父さん、意外と大事にされてるんだね。
ところで、この辺りにニイミのビルはいくつかある。上の写真は通りを挟んで伯父さんの向かいにあるニイミの別棟を見上げたところ。バルコニーがカップ&ソーサーになっているのがニクい。
雪の日のニイミ伯父さん(Jan. 21, 2006)
7/21。打合せが終わって、小田原駅前の地下街にある喫茶店で休憩。
店名は『喫茶ジャンボ』。ロゴはワイルドだが、ゾウのキャラクターデザインと店の構えはかわいらしく、しかもやけにきっちりと整った印象。鉢植えの配置まで全く隙がない。
ぎっしり具合がいい感じのサンプルケース。
プリンパフの盛りつけはほぼパーフェクトと言って良いほどサンプル通り。店主氏の生真面目なお人柄を伺わせる。味も期待通りのジャンクさで大いに満足させていただいた。
6/30。『大昌園』からの帰りにかっぱ橋を通りかかると、もう七夕の飾り付けが。
七夕まつりは今日(6日)から10日まで。
6、7、8日は入谷の朝顔市で、9、10日は浅草寺のほおずき市。
5/25。ふたつめの打合せに向かうべく成城学園前から代々木上原へ。さらに幡ヶ谷方面へ歩く途中でちょっと変わった風景に出会った。
車一台を縦列駐車するのがやっと、というくらいのやたらと細長い住宅地が坂道に沿って延々と連なっている。上の写真は代々木上原方面から見てその住宅地の先端辺りを撮ったもの。もう少し近づくとこんな感じ。
Googleマップで見ると長さにしてほぼ200mくらいがこうした“逆・鰻の寝床”な状態であることがわかる。地形的にはおそらくあぜ道か用水路の名残だろうとは思うけど、なんでまたこんなことになったのやら。21世紀の東京はメガロポリスであると同時にいまだ広大な田園でもある。
『立田野』の前辺りから撮影。
ゴールデンウィーク最後の人手に湧く歩行者天国。
中央通り(Wikipedia)
5/4。夜の築地市場。広大な敷地と高層ビル群との対比。
休市日にもかかわらず、たくさんの大型トラックが出入りしていた。
この風景も2012年以降、消え去ってしまいそうな情勢のようだ。個人的には移転そのもの以上に移転後の跡地開発の方が気がかりではある。70年以上にわたって都民の台所を支えてきた場所にふさわしいセンスの良い計画が立案されることを願うばかり。日本橋みたくならなきゃいいんだけど。
市場の歴史(東京都中央卸売市場)
中央区の顔「築地市場」移転問題について考える(中央区タウン)
ザ・築地市場
1/21。今日は雪。田原町界隈は人も車もまばら。そのおかげか、いつもならとっくに売り切れているはずのペリカンのロールパンを16:00過ぎに買う事が出来た。ラッキー。
合羽橋商店街の入口に鎮座するニイミの伯父さんにもうっすらと積雪が。心無しか威厳が増したような。
7/30。マンションの廊下から隅田川花火大会を観賞。残念ながら第一会場は給水塔の陰になってしまうんだけど、第二会場の方は部屋を出たところ真正面。
その始まりは1733年という歴史ある隅田川の花火。川幅が狭くなった昨今ではほとんど住宅・オフィス街の狭間という条件からさほど大きな玉を打ち上げることはできない。第一会場は5寸玉、第二会場は2寸5分玉が最大のようだ。それゆえ半端に派手な花火よりも、単色の上品な花火の方が印象に残る。
とは言え、時々大きめのが上がる時、ビルの向こうに火柱が立つような光景が繰り広げられるのもなかなかの見物ではあったりする。
特集・2005年隅田川花火大会(浅草い〜とこ/隅田川花火大会の歴史など)