2012/4/16。『マスターズクラフト パレスホテル東京』C工事引き渡しの前に青山にある商環境デザイン物件を駆け足で視察。
最初に『Found MUJI』青山(2011)へ。無印良品のスタッフが世界各地で発見、もしくはコラボレーションした生活用品が販売されている。場所は青山通りと骨董通りの交差点近く。店舗は無印良品1号店(1983)をリニューアルしたもの。内外装デザインは以前に引き続きスーパーポテト(杉本貴志氏)が手掛けている。上はその店構え。こちらにある写真と比較すると、開口部などはそのままに、主に素材とサインだけが変更されていることがよく分かる。
1、2Fのフロア構成や階段の位置、什器の構成にも大きな変更は無い。ただし、売場は1Fをギャラリー、2Fをショップとしてその性格が明確に二分されている。特に1Fは以前に比較して陳列量が格段に少ない。個々の商品の特徴とバイヤーの意図がしっかりと伝わるだけでなく、木材を贅沢に用いたインテリアと相まって、無印良品ならではの世界観が存分に表現されていた。
2Fに上がると1Fの商品を種類、数量ともにぐんとボリュームアップされた状態で見ることができる。以前の状態に近いのは2Fの方だが、古い人間には1Fの印象の方がむしろ懐かしい。青山3丁目店が無くなってしまった今、コンパクトながら極めて無印良品らしい無印良品が、この地に帰って来たことが意味するものは大きい。
続いて『Cafe & Meal MUJI』南青山(2011)で朝食兼昼食。こちらも内外装デザインはスーパーポテト。場所は骨董通り沿いの小原流会館向かい。上はエントランスを入ってすぐのベーカリーの様子。瓶詰めやポリプロピレン収納ケースを用いたディスプレイ、保存瓶のシャンデリアにモノクロ写真のウォールグラフィック、質感の高い木製什器などの抜かり無い構成は、同系列店のデザインボキャブラリーがほぼ完成されたことを伺わせる。今後はこの南青山店のように『Cafe & Meal MUJI』単独での出店も増やしてゆく方針のようだ。こちらは店内奥窓際のカウンター席からフロア越しにデリカウンターの方を見たところ。この日いただいたプレートはこちらとこちら。
上は『Costume National Aoyama Complex』(2011)。内外装デザインはエンニョ・カパサ氏(Costume National デザイナー)と岡山伸也氏が手掛けている。ブティックとギャラリー、バー、オフィスとゲストハウスの複合施設。骨董通りから小原流会館の信号を曲がってグラッセリア青山の脇道を奥へ進むと右手に白い建物が現れる。
岡山氏は60年代後半から活動する関西インテリアデザインの重鎮。境沢孝氏やアレッサンドロ・メンディーニ氏とのコラボレーションでも知られる。ここでのデザインは岡山氏としては極めてミニマルな部類に入るが、ファサードのガラスに面して天井から吊るされた、高さ・幅ともに5m以上はあろう幾何学模様を描くハンガーパイプは圧巻だ。これだけのサイズの平面的な造作が振れ止めなしで支持されていることは、実際に目の当たりにしてもすぐには信じ難い。最奥の壁面からランダムに突き出した無数のガラス棚の施工も非常に美しい。
Costume National Aoyama Complex
通りに戻って農林水産省共済組合南青山会館の角を左へ曲がりしばらく進むと右手に『Carina』(2009)が現れる。1Fの子供服を中心に2F、B1Fの3フロア(それぞれ45平米ほど)で構成されたブティック。建築設計は妹島和世建築設計事務所。ファサード(上の写真)全面を覆うのはアルミのエキスパンドメタル。大きめのカッティングが青海波を思わせるパターンを描く。こちらはエキスパンドメタルの穴から内側をのぞいたところ。右側にペアガラスのスクリーンが見える。残念ながらこの日のちょうど翌週に閉店されたとのこと。中も拝見しておけば良かった。
通りを突き当たりまで進んで右折。表参道へ出ると右手に『Comme des Carcons』青山店(上の写真)。1999年に川久保玲氏、フューチャーシステムズ、河崎隆雄氏がデザインした内外装をリニューアルしてこの日の前々週末に再オープンしたばかり。ファサードの曲面ガラススクリーンから青いドットが無くなって透明に。インテリアはモノトーンとなった。
できれば『Utrecht』にも伺いたかったが定休日。また次の機会に。
2012/4/7。グタイピナコテカ跡から梅田方面へ移動。2011年5月のオープン以来、なぜか行く機会の無かった『JR大阪三越伊勢丹』を視察。商環境デザインを手掛けたのはコマースデザインセンター(徳島功氏)+STAR(佐竹永太郎氏)。
圧巻なのは大阪ステーションシティのアトリウム広場に面したメインエントランス階にあたる2Fからの3層吹き抜け(上の写真/横位置の写真はこちら)。上階にかけてややすぼまるようにして、楕円形に配置されたアルミ押し出し成型のルーバーがフロア中央に見事な曲面を描く。吹き抜けの下は化粧品売場。
上は3F通路からルーバーを見たところ。吹き抜けまわりのインテリアは至って簡潔。うっすらとグラデーションの施された手摺やルーバー越しに、売場や人通りが見え隠れする様子が楽しい。こちらはエスカレーター側から通路越しにルーバーを見たところ。
上は3F通路から2F化粧品売り場を見下ろしたところ。こちらは4F天井とルーバーが接する部分。上へ行くほどサイズの小さい4種類のルーバーが用いられている。
フレグランスやフラワーアレンジメントなどの売場が並ぶ1Fのデザイン(上の写真)もユニークだ。壁面や柱まわりなど、要所にゆったりとした曲線と曲面が取り入れられ、上階に共通するホワイト基調の簡潔な空間の中に優しく包み込むような感覚が与えられている。
上は6F通路の様子。アルミのルーバーによるアーチがこちらにも用いられ、売場のファサードを構成している。
写真にはあまり写っていないが、共用部だけでなく個々の売場まで、各フロアごとに統一感のあるデザインが施されていることは、伊勢丹系の百貨店らしい特徴だ。ただ、その強力な編集手法がここではやや過剰に働いていることは否めない。おそらく「斬新な共用部」に「いつも通りの売場」ではその関係に無理がある。今後のリニューアルを経て、ルーバーの向こう側から売場や商品が適度に主張しはじめた時、ようやくこの商環境は完成するのだろう。
大丸心斎橋店や日本橋タカシマヤなどの近代建築、岡山タカシマヤなどの村野藤吾作品を除いて、百貨店の商環境が記憶に残ることはほとんど無い。それだけに、『JR大阪三越伊勢丹』のデザインは、百貨店の生き残り云々以上ではなく、先日のDSMGやユニクロ銀座と同様、大型商業施設の新しいあり方を考えさせるものだった。
10Fレストランフロアで『高麗橋 吉兆』(インテリアデザインは橋本健二建築設計事務所)をファサードだけ拝見した後、B2F食品フロアの『赤福』でひと休み。赤福ぜんざいなどをいただいて帰京。
2012/3/24。『カフェーパウリスタ』(1911年開業/現在地での営業は1970年から)でモーニングの後、パナソニック汐留ミュージアムで『今和次郎採集講義』。『かおりひめ』で釜揚げたらいうどんとミニあられ丼のセットと伊予定食の昼食後、末広町・3331アーツ千代田で『つくることが生きること』。
そんなこんなで代官山へ移動。2011年末オープンの商業コンプレックス『DAIKANYAMA T-SITE』にある『北村写真機店』を視察。『TSUTAYA』の母体であるカルチュアコンビニエンスクラブと『カメラのキタムラ』が手掛ける写真機器店。インテリアデザインは植木莞爾氏(近年、一般にはアップルストアのコンセプトデザインや建築家・谷口吉生氏とのコラボレーションなどで著名)が代表を務めるカザッポ&アソシエイツ。
旧山手通りの北側に面した『蔦屋書店』(建築デザインはKDa)の2号館と3号館の間を抜けてしばらく進むと、右手にある白い建物の1Fに控えめな自動ドアと小さな店名サインが見つかる。
店内はフロア手前と奥のエリアに光天井によるフラットなライティング、フロア中央の木製棚に対してはスポットライトによるライティングを配し、明快にゾーニングされている。
上は店内奥右寄りからエントランス側を見返した様子。コンパクトな店内にボリューム、バリエーションともにかなりの商品を置いてそのまま見せる手法がとられているが、全ての造作が平行線上に並ぶ厳しい構成は、雑然とした印象を一切与えない。
2Fはアマナイメージズのフォトストックを高画質プリント、額装したギャラリー(上の写真)。すべての作品は備え付けのiPadからサイズやフレームを指定して発注・購入することができる。こちらはガラスとステンレスフラットバーによる階段手摺のディテール。これほどシンプルな納まりなのにビクともしない。
代官山 北村写真機店(T-SITE)
下のリンクは植木莞爾氏に関する過去記事。
7人の商空間デザイン(2006年11月02日)
植木莞爾の言葉(2010年07月25日)
白金台・Chocolatier Erica(2010年10月07日)
ちなみに『北村写真機店』の向かいにあるカフェ&バー『IVY PLACE』の内外装デザインはカザッポ&アソシエイツ出身の長崎健一氏(KROW)が手掛けているとのこと。内装屋諸君は要注目の師弟競演だ。
下の写真は夕暮れの『IVY PLACE』。その上に金星と木星が並ぶ。東京の都心にもこんなに大きな空があったんだな。
その後さらに『CAMPER』代官山店(2009/インテリアデザインはコンスタンチン・グルチッチ氏)、『TSUMORI CHISATO』代官山店(2011/インテリアデザインはイガラシデザインスタジオ)、『SUNAO KUWAHARA』代官山店(2000/インテリアデザインはWONDERWALL)を短時間視察して帰京。
2012/3/23。『マスターズクラフト』パレスホテル東京の現場を出て銀座へ移動。久々の『ランブル』でスマトラのカフェノワールとランブレッソをいただいてから『SHISEIDO THE GINZA』(2011/内外装デザインはKDa)を1Fのみ視察。さらに今年3/16にオープンしたばかりの『ユニクロ』銀座と、川久保玲氏(コムデギャルソン)のディレクションによる『ドーバーストリートマーケットギンザ』(以下DSMG)をじっくりと拝見した。それぞれギンザコマツのテナントとして東館(ユニクロ)と西館(DSMG)をほぼ専有する大型店。
上の写真は中央通りに面した『ユニクロ』銀座のエントランス。こちらは上階を見上げたところ。12Fまで全部ユニクロ。フロア面積は世界最大とのこと。インテリアデザインはWonderwall。こちらは1F左側からの全景。正面にLEDディスプレイの列柱を見ながら、フロア中央に据えられた巨大なガラスケース状のショーウィンドウ脇を抜けるようにしてエスカレーターへ。
2Fの中央もまたガラスケースで占められ、その内部は1Fを見下ろす吹き抜けとなっている。上がその全景。面発光する天井と床に挟まれ、垂壁や梁型を覆う鏡面のステンレスが回転するボディの群れを増殖して見せる。大胆、かつシンプル極まりない仕掛けだ。
さらに圧巻なのが11FのUTストア。上がそのフロア中央からの全景。天井は鏡面仕上げ、床はバイブレーション仕上げのステンレス。左右には食品庫を思わせるステンレス扉のショーケースで埋められ、フロアには分厚い透明アクリルの棚什器が整然と並ぶ。
上はやや斜めからの全景。ショーケース上部にあるジェニー・ホルツァーばりの赤いLEDディスプレイが天井面に写り込む。こちらはアクリル棚単体の様子が分かる写真。こちらは壁側ショーケースのディテール。シャープなことこの上ない。
上は10Fのユニクロ×アンダーカバー。ウッドフローリング、オリジナルのカーペットや壁紙、ペンダントライトなどを用いてカジュアルで家庭的な雰囲気に。こちらはその別の位置からの写真。こちらは12Fのイベントフロア。
4Fと7Fにはすずらん通りをまたいで西館『DSMG』へ繋がる連絡通路がある。上は4F連絡通路の『ユニクロ』側から『DSMG』側を見たところ。アーチ状の造作は亜鉛メッキのスチールで仕上げられている。ナイス駄洒落(亜鉛メッキの別称はユニクロメッキ)。こちらは7Fにある『ローズベーカリー』銀座。下はすずらん通りに面した1Fの様子。
『DSMG』の売場はコムデギャルソンと他の数多くのファッションブランドとのコラボレーションで構成されている。貧乏人には手の届かない値札がほとんどではあったものの、今や大型店からはほとんど失われてしまっているファッション特有の高揚感を本当に久しぶりに味わうことができて実に気分が良かった。インテリアの様子は公式ホームページと『FRAME』の記事に詳しい。写真やテキストでは面白さを伝えることは難しいが、内装屋諸君は必見だ。何しろ内装屋は絶対にやらない(でも内装屋しか気付かない)であろうクレイジーなディテールが満載なのだ。
それにしても、名店として知られたギンザコマツを舞台に繰り広げられるファストファッションとハイファッションの両雄による意地のぶつかり合いは、まさに真剣勝負の凄まじさだった。片方では5000円のジャケットが、もう片方では50万円のジャケットが、それぞれの美学と哲学を持って対等に商われている。思わず目眩がしそうなこのギャップこそが、現在のファッションの在り方であり、また銀座と言う場所の在り方でもあるのだろう。
これが21世紀なんだな、と強烈に印象づけられるふたつの店だった。
UNIQLO GINZA
DOVER STREET MARKET
2012/3/23。閉店を翌日に控えた『万惣』神田本店へ。M2Fのフルーツパーラーで朝食を摂った。
上はフルーツホットケーキ。こちらは普通のホットケーキ。その美味しさについては以前の記事に書いた通りだ。
上の写真左は万惣フルーツパフェ。写真右は苺のピュアジュース。どちらもコンディション最高のフルーツ素材がこれでもかとばかりに投入された逸品。問答無用の美味。
上は以前に紹介し損ねたM2Fフルーツパーラー店内の様子。壁面を覆うガラス質モザイクタイルの銅色と天井の明るい水色がシンプルに対比されたインテリアは、落ち着きと華やかさを同時に感じさせる。何度見ても印象深い。こちらはメインの客席全景。こちらは1Fくだもの売場へと続く階段の様子。こちらはカウンターショーケースを兼ねたパントリー。インテリアデザイナーの名前は結局分からず仕舞となってしまった。
上は1Fくだもの売場からM2Fフルーツパーラーにかけての店構え全景。こちらは中央通りと靖国通りの交差点北西側から見たビル全景。さほど古そうには見えないが1967年築とのこと。それにしてもビルの取り壊しが全店休業の直接の原因とはなんともやるせなく残念だ。近い将来に、あの味とあの雰囲気が、何らかの形で復活してくれることを願わずにはいられない。
神田・万惣フルーツパーラー(2009/1/23)
万惣フルーツパーラー
「カーネーション」が終わってしまった。デザインを生業にすることをあれほど直球で描く朝ドラはきっと今後当分ないだろう。好演の尾野真千子氏から夏木マリ氏へバトンタッチしての晩年編が「デザインと治癒」という極めて今日的なテーマで締め括られたことは興味深い。
しかし糸子が最後に設けたサロンが恐ろしく悪趣味だったのは残念だ。実際の糸子、いや小篠綾子は「洋裁コシノ」のリノベーションをインテリアデザイナー・野井成正師匠に託している。下のリンクがその写真。小篠氏は優れたクライアントでもあった。
加えて、そんな小篠氏の遺作とも言えるサロンが、ドラマの便乗商法で現在こんなことになってしまっているのがまた残念でならない。 当の小篠氏は下界のことなどさほども気にかけてはおられないかもしれないけど。
2010/9/25。インテリアデザインコース4回生研修旅行の最終日。ソウル中心部のやや北方にあるふたつの古宮、景福宮(キョンボックン)と昌徳宮(チャンドックン)に挟まれた北村(ブッチョン)と呼ばれるエリアに『Gallery MIUM』(ギャラリーミウム)がある。周辺には伝統的住宅建築スタイルである韓屋(ハノク)の街並。『Gallery MIUM』もまた韓屋をベースにリノベーションを加えた施設で、ギャラリーとカフェを備える。開業年や設計者などの詳細は不明。以下、写真はクリックで拡大。
上の写真が『Gallery MIUM』の外観。中央の階段から庭へと上がる。
建物は庭を中心としてコの字に配置されている(上の写真/別アングル)。南側の通りを見返した様子がこちら。南から北へゆるやかにせり上がった地形の北村でも比較的上の方にあたるロケーションからは、ソウル市街を臨むなかなか優雅な眺望がひろがっている。
施設としての決まったエントランスは無いようで、三方どこからでも靴を脱いで室内へ上がることができる。上の写真は西のギャラリースペースから南側を見たところ。こちらは北側を見返した様子。こちらはさらに奥にあたる北西角のスペース。主にプライウッドを用いたプロダクトはキム・ソンテ氏の作品。
上の写真は北のスペース。やや東側から西側を見たところ。この日はラグの上に座布団と膳が並び、座敷のような設えとなっていた。四方はグラフィカルな格子パターンの障子で囲われ、頭上には丸太を用いた小屋組。こちらは東側を見返した様子。奥は一面を韓紙(ハンジ)で覆われたミニマルなインテリアとなっている。こちらは北東角から南側を見たところ。天井や床の高さの異なるスペースが開放的に連なる。
居心地の良さにすっかりくつろがせていただいたにも関わらず、スタッフの方がほとんど顔を見せなかったのを良いことに、買い物もお茶もしなかったのが大変申し訳ない。またぜひ伺わねば。
2010/9/24。インテリアデザインコース4回生研修旅行の続き。清渓川をひたすら東へ。途中、広蔵市場を抜けたりしつつ東大門まで到着。興仁門路を少し南下したところに『東大門歴史文化公園』(トンデモンヨッサムヌァコンウォン)がある。2009年4月に着工し、現在もまだ工事中。ザハ・ハディッド・アーキテクツのデザインにより『東大門デザインプラザ』(DDP)を含む複合的な開発が行われている。一部施設はすでにオープンしているものの、当初2011年末と発表されていた完成予定は2013年まで延びているらしい。下の写真は施設全体を北側から南へ見たところ。以下、写真はクリックで拡大。
敷地の中央を斜めに突っ切るようにしてソウル城郭の一部が遺されている。日本統治中の1926年に東大門運動場の建設に際して破壊されたものをこのプロジェクトで復元。2007年まで市民に親しまれた運動場の名残もふたつの照明塔(光源はフルカラーLEDに交換)と「東大門運動場記念館」に見ることができる。さらには工事中には朝鮮時代の訓練都監(分院)などの遺構が発掘されており、公園内のオープンスペースに移設保存されている。近世以降の歴史が複雑に折り重なり、交錯した何とも数奇な場所だ。
北東のエントランスから施設内へ。コンクリートによる有機的な造形が高低差のある地表をダイナミックにうねる。スケボーはおそらく禁止されている様子。こちらはそのインテリアの一部。こちらは敷地東側から西を見たところ。こちらは敷地中央からやや南東方向を見たところ。植栽に多用された松が当地らしさを感じさせる。こちらはさらに南へ進んだところ。
上の写真は敷地やや南東側から北を見返したところ。意識の中で遺跡と建物の境界が次第に曖昧になってゆく。
上の写真は南東側の屋上から施設全体を北へ見たところ(同じくやや北側からの写真)。こちらは敷地中央のスロープから北東側を見たところ。こちらは敷石のディテール。色やテクスチャーの異なる菱形の御影石が整然と並ぶ。
上の写真は敷地中央やや東側の屋上から南への夜景。投光器によるライティングはかなり控えめで、スロープ足下の黄味掛かった間接光がほのかに動線を示す(その他の夜景)。
上の写真は敷地中央から見た西側市街の夜景(別アングル)。ソウル随一のきらびやかなファッションの街に対面して、『東大門デザインプラザ』は日中とは打って変わったクールで落ち着きのある空間に変貌する。
Dongdaemun Design Plaza(英語ページ)
東大門歴史文化公園(iTour Seoul)
東大門歴史文化公園(ユートラベルノート)
2010/9/24。インテリアデザインコース4回生研修旅行の続き。『三星美術館リウム』からタクシーで都心へ移動。明洞(ミョンドン)のカフェでしばし休憩の後、南大門路を徒歩で北上。清渓川(チョンゲチョン)を見学。1958年から暗渠化が始まり1971年に高速道路が開通。2003年から高速道路の老朽化に伴う撤去と河川の復元が着工。2005年以降、親水施設として解放されている。パワフルで目まぐるしい変遷ぶりには驚くばかり。以下、写真はクリックで拡大。
上の写真は清渓川と南大門路の交差点に当たる広橋(クァンギョ)から東を見たところ。全長6km弱の川幅は広くて30メートルほど。両岸に野趣溢れる緑化が施されており、その距離感は実に親密だ。
上の写真は橋脇の階段から川岸に降りたところ。市民も、観光客と思しい人々も、みな表情が晴れやか。
上の写真は清渓川と三一路の交差点に当たる三一橋(サミルギョ)を西側から見上げたところ。
上の写真は川をだいぶ東へ進んだところにある五間水橋(オガンスギョ)周辺の夜景。近隣に巨大なファッションビル群を擁し、噴水とともにライトアップされるこのエリアを通称「ファッション広場」と呼ぶそうだ。
今年7月末の豪雨時には清渓川が市街へ氾濫。十数人が河川内に孤立する事故が生じたそうだが、幸い現在はほぼ復旧している模様。今度ソウルを訪れた際にはさらに東のポドゥル湿地(ポドゥルスプチ)辺りまで散策してみよう。
2010/9/24。インテリアデザインコース4回生研修旅行の続き。『パークハイアット』ソウルからタクシーで南山(ナムサン)公園南の漢江鎮(ハンガンジン)へ。『三星美術館リウム』(サムスンミスルグァンリウム/2004)を見学。3棟の建物からなる美術館。以下、写真はクリックで拡大。
上の写真が南東側のウッドデッキから見た美術館全景。左がメディアアートの展示が併設される「児童教育文化センター」(設計はOMA)、中央が古美術を展示する「MUSEUM 1」(設計はマリオ・ボッタ氏)、右が現代美術を展示する「MUSEUM 2」(設計はジャン・ヌーヴェル氏)。遠景に見えるのは『グランドハイアット』ソウル。宮島達男氏のLED作品が埋め込まれた「児童教育文化センター」脇のスロープを下り「MUSEUM 1」正面のエントランスへ。
上の写真は「MUSEUM 1」内のエントランスホール全景。白い塗装面と木質のルーバーによるゆったりと落ち着いた贅沢な空間。
エントランスホール天井から少し突き出した円筒の中には緩やかで優美な螺旋階段(上の写真)が。その周りに古美術の展示室が配置されている。
先ほどのスロープをエントランスで折り返し、さらに下って「児童教育文化センター」へ。上の写真はそのアプローチから見たインテリア全景。いびつな黒いボリュームの中には映像作品の充実したコレクションがある。
上の写真は黒いボリュームの下にある展示室の様子。土木建造物を思わせる大胆な空間構成にメディアアート作品(別アングル)がよく似合う。
地下フロア東側のドライエリアに面したオープンスペース床にはマイケル・リン氏の作品が展示されていた(上の写真)。
どの建物も細部まで丁寧に施工されており、三者三様のデザインを期待以上に堪能することができた。「MUSEUM 2」の写真を撮れる場所が無かったのが心残り。
2010/9/24。インテリアデザインコース4回生研修旅行の続き。正午前後に『パークハイアット』ソウル(2005)を見学。インテリアデザインと建物外観のデザイン監修をスーパーポテトが手掛けている。先ずは2Fのグリルレストラン『コーナーストーン』で早めのランチ。以下、写真はクリックで拡大。
高層ながらフロアの面積はホテルとしては比較的コンパクトで、通路やエレベーターホールなどの機能はタイトにまとめられている。上の写真はエレベーターを降りて左手の客席から店内奥を見たところ。ウッド調のルーバーと御影石とステンレスがグラフィカルかつ大胆に空間を分節。造作の所々をフルカラーのLED照明が彩る。上質さとエネルギッシュさを同時に感じさせるデザインだ。こちらは同じ向きを個室内から見たところ。
エレベーターを24F(最上階)で降りると正面にホテルのフロントがある。左手に進むと喫茶と軽食を提供する『ザ・ラウンジ』(上の写真)。白いルーバーが吹き抜け上部を飾り、ゆったりとした客席に大きな異形の御影石がうずくまる。
3Fはミーティングルームフロア。上の写真はエレヴェーターを降りて左手を見たところ。アイレベルの上でわずかにずらされたステンレスのルーバーが緩やかな曲線を描き、ミーティングルームの外壁一面を構成。その上下の間接光で照明のほとんどが賄われ、フラットな天井は木質でシンプルに仕上げられている。こちらとこちらはもう少し左手からフロア奥を見たところ。さらに奥へ進むと右手にタペストリーガラスで間仕切られたミーティングルーム3室が並ぶ。
1Fエントランスでタクシーに乗って次の見学先へと移動。
PARK HYATT SEOUL(日本語ページ)
2010/9/23。インテリアデザインコース4回生研修旅行の続き。水原市からKORAILでソウルへ戻って地下鉄で梨大駅へ。『梨花女子大学校』のキャンパスコンプレックス(2008)を見学。建築設計はドミニク・ペロー・アーキテクツ。
駅前の繁華街を北へ抜けて大学の門をくぐると、広い石畳の向こうに緑地が広がるのどかな風景。その奥にヴォーリズ建築事務所の設計による学舎(1935)が見える。近づくと上の写真の眺め(近景)。緑地中央に切り込んだ谷間に向かう坂を下りて地下のキャンパスへ。
谷の両側はストライプ状に分節されたガラススクリーン(上の写真は谷底から見上げたところ)。サッシは鏡面状のメッキで仕上げたスチール製のようで、ボルト締めのディテールと共に独特の武骨な質感を見せる。こちらは谷の北側にある階段を見上げたところ。こちらは階段側から見返したところ。ガラススクリーンからの反射光が石畳に幻想的なパターンを描く。こちらは屋上緑地の遊歩道。建築自体のインダストリアルなデザインとの落差があまりに徹底的で面白い。目眩がしそうだ。
上の写真は階段の上から繁華街側への眺め。左手に3機のエレベーターとダクトスペースがあり、その間が地下の池への吹き抜けとなっている。
上の写真はエレベータを地下4階まで降りてダクトスペース外壁を見上げたところ。鱗状の鏡面パネルに覆われた曲線的な造形。こちらはエレベーター前の通路。奥にスターバックスがある。
上の写真は先ほどのエレベーター前通路をもう少し引いて見たところ。手前に地下フロアだけを繋ぐエレベーターがある。グラフィカルな壁面とパンチングメタルの天井、蛍光管の照明がインテリアを特徴付けている。
上の写真は同じフロア南側にあるカフェ手前のオープンスペース。右手の傾斜した天井は屋外の坂道の下面にあたる。左手の数字と矢印は映画館スクリーンへの案内サイン。
上の写真はフロア中央西側にあるオープンスペース。こちらは谷を挟んでフロア中央東側の通路。
こんな贅沢な環境で勉強できる学生は幸せだ。何とも羨ましい。
梨花女子大学校(Wikipedia)
梨花女子大学校日本語ページ
2010/9/22。韓国へインテリアデザインコース4回生研修旅行。江南(カンナム)のホテルで一泊後、23日朝にバスで水原(スウォン)市へ。『華城(ファソン)』の一部を見学。1794-96年にかけて建造された李氏朝鮮の城塞。長さ5kmあまり城壁が行宮(あんぐう)を囲い、市街地や河川との入り組んだ共存振りが独特の景観をかたち作る。以下、写真はクリックで拡大。
バスを降りると大通りの先に長安門(チャンアンムン)。上が正面外観。こちらは入口を見上げた様子。石組と煉瓦組の混構造。こちらは丸太を多用した軒下のディテール。
上は長安門を抜けて反対側から見上げたところ(別アングル)。周辺に高層の建物が少なく、青空(そして芝生)との対比が美しい。こちらは城壁に登ったところから西方への眺め。こちらは門の上部にある板間(別アングル)。全体としては市街側へ半円状に張り出した平面形をもつ二重の門となっている。
城壁を東側へ進むと水原川に跨がるようにして華虹門(ファホンムン)が登場する(上の写真)。板間に腰を下ろすと吹き抜ける川風が心地良い。こちらは門の北側の眺め。子供には格好の水遊び場となっている。こちらは南側の眺め。竜頭の運転席と神輿の客車を持つ連節バスは華城列車と呼ばれ、城内で運行されている。
さらに東へ進むと監視と眺望を兼ねた角楼のひとつ、訪花随柳亭(パンファスリュジョン)が現れる。足下に観賞用の池を配しての眺めは、その背景がいかにも雑然とした市街地となってしまっているため、往時を偲ぶことが難しい。それでも建物自体の可憐な佇まいは十分に魅力的だ。上の写真はその美しい軒下のディテール。こちらは外観全景。中に入ると異形の木材による軸組が面白い。
東暗門(トンアンムン)を過ぎて城壁をさらに東へ進むと軍事訓練施設のひとつ、鍊武台(ヨンムデ/上の写真)に突き当たる。こちらはその北側にある塀のディテール。半円の瓦を組み合わせたグラフィックパターン。こちらは東側を見たところ。東西側の塀はざっくりとした仕上げの石組みで極端な目地勝ちのデザインとなっている。東の塀の向こうは国弓(クッグン/韓国の伝統弓術)の体験施設。正面やや右手に見えるのが蒼竜門(チョンニョンムン)。こちらはその別アングルからの写真。正面に見えるのが東北空心墩(トンブクコンシムトン)。楕円形の平面と螺旋階段をもつ監視台。
のんびりしているうちに時間はあっという間に過ぎて見学はここまで。残念ながら華城全体の半分も訪ねられなかった。近くのレストランで昼食を採ってからソウル市内へ移動。
華城(Wikipedia)
水原市日本語ウェブサイト
2010/9/12。『荒川益次郎商店』へ視察(と、買い物)に伺った。1886年創業の和装小物店・荒川が運営するおそらく世界で唯一の「半襟」専門店。2010年7月に開業。内外装デザインを手掛けたのは辻村久信デザイン事務所。以下、写真はクリックで拡大。
烏丸四条の交差点を下がって一本目の綾小路通を右へ。ほどなく室町通手前のビル角に端正な白木造りの店構えが現れる。大きなガラス面越しに見える白木丸太を用いた半襟のディスプレイが象徴的で印象深い。上の写真は北側外観。左手の大きな格子戸を引いて店内へ。
上の写真はエントランスの左手を見たところ。ガラス天板に桐のトレイを数十台備えた引き出し什器が腰高にあり、その上には先ほどと同じ仕組みのディスプレイ。こちらの丸太は天井から吊るされ、金属ステーで壁に固定されている。写真右端の丸太を見ると、斜めに差し込まれた丸棒が半襟の姿を整えていることが分かる。左側奥にはレジカウンター。こちらは店内左側全景とその奥からエントランス側への見返し。
フロア中央にテーブル状の什器。店内右側(上の写真)にも先ほどと同じ引き出し什器があり、その上には壁造作から持ち出された2段の棚什器。これらはL字に折れて店内奥まで続く。合わせて百台を軽く超える桐のトレイには、ほぼすべて異なる色柄の半襟が平たく畳まれた状態で収納されている。こちらは店内右側全景とその奥角の様子。
上の写真は店内奥からエントランス側への全景。板壁のスリットと丸太のディスプレイが縦のラインを強調し、自然光と相まって、木立の中を思わせるような眺めが現れる。ベース照明は最少限のスポットライトと引き出し什器裏の間接光だけで賄われている。
この日は爽やかな青緑の和服をお召しの店長さんに丁寧なご案内を頂きつつ、時間をかけてゆっくりと、店内にある商品のほとんど全てを拝見することができた。上の写真はそのごく一部。特に下段は秋へ向かっての品揃え。虫かごや稲穂、すすきの刺繍が可愛らしい。半襟のデザインはやはりこうして使用時に近い姿にしてはじめてその力を発揮する。一見シンプル極まりない丸太のディスプレイが意味するところは実に大きい。
そんなこんなで、この日はクリスタルビーズが刺繍された半襟などなど、いくつかを購入してすっかりご機嫌の勝野だった。商品は時節事に細かく入れ替えられており、ごく限られた機会にしか手に入らないものも多いとのこと。なんだかちょっと危険な店に出会ってしまったかも。
荒川益次郎商店/京都府京都市下京区白楽天町504/075-341-2121
11:00-19:00/火休
2010/8/25。渋谷のビアスタンド『STAND S』で夕食。山本宇一氏がプロデュースする丸の内『STAND T』の姉妹店で一号店。オープンは2008年10月。内外装デザインはKata(形見一郎氏)。以下、写真はクリックで拡大。
駅から文化村通りへ。東急百貨店本店を過ぎてさらにしばらく行くと、右手のマンション地上階に黄色っぽい光を放つ一角がある。向かって左側のテラス席と右側のカウンター席の間を抜けるようにして店内へ。
上は左側最奥のテーブルから見た店内全景。杉材の造作と蛍光灯混色のライティング、というデザインコンセプトは『STAND T』にも継承されている。天井は低めに抑えられており、単一素材に包まれた感覚はこちらの方がぐんと強い。マッシブで直線的な空間の印象を杉の質感がやわらげている。
料理やシステムも『STAND T』同様にゆるくて必要十分。
さらに2010/08/26。京都へ戻る前に『STAND G』で夕食。オープンは2010年7月。これにて遅ればせながら系列の3店舗をひとめぐり。こちらの場所は銀座と新橋のちょうど中間にあたる首都高下コリドー街向かいのテナントビル1F。
3店共通のデザインをここでは最も洗練された姿で見ることができる。シャープな造形性とひときわ大きな“G”のサインが印象的だ。
上はコリドー街に臨むテラス席で一杯の図。かつて渡辺力、剣持勇の両氏による共作のバー『機関車』が存在したこのエリア(参考:「銀座『樽』へ行くなら今のうち」)に、形見さんによる優れて21世紀型の商環境デザインが登場したことには感慨深いものがある。いつも通りの料理に女性スタッフの絶妙な応対、ウヱハラ夫妻との会話に癒されて京都への帰路に着いた。
STAND S/東京都渋谷区宇田川町37-16/03-5452-0277
17:00-24:00/無休
STAND G/東京都中央区銀座7-2-1/03-5537-0203
17:00-200/日休
2010/8/25。六本木・森美術館で『ネイチャー・センス展』。
会場に入るとゆったりしたアプローチの向こうに先ず見えたのが吉岡徳仁氏の作品『スノー』(2010)。1997年以降、ISSAY MIYAKEのウィンドウディスプレイなどで吉岡氏が用いて来た手法を発展させたもの。以下、写真はクリックで拡大。
半透明なシート状の面で前後を覆われた室内に大量の羽毛が封じ込められている。室内の床には小さなファンが固定されており、断続的に風を送り出す。羽毛が吹き上げられ舞い落ちる様子は、間近にスローモーションの大波を見るようで幻想的だ。
主な照明は右側にまわり込んだ通路奥のスペース全体を用いた面光源によって間接的に賄われていた。直接の照明を一切用いないことで、ミニマルなディテールを損なうこと無くそのままに見せる手法。見事だ。こちらはシート面の近景。左下にファンが見える。
上の写真は同じく吉岡氏による『ウォーター・ブロック』(2002)シリーズのひとつ。レンズやプリズムなどに用いられる光学ガラスを塊のままベンチにしたもの。断面から向こう側を見るとこんな具合。こちらはそのディテール。こちらは観客が居る展示室内の様子。
『スノー』の手法にも『ウォーター・ブロック』の素材にも先行する使用事例があるにはあるが、これほど大胆で、しかも極めて質の高い展示を見せつけられてしまった後では、最早誰もが吉岡氏の専売特許と認めるより他は無いだろう。そう思わせるのはまさにデザインの力に他ならない。
続いては篠田太郎氏の『残響』(2009-2010)。巨大な三面のスクリーンそれぞれに内側からビデオ映像が投影されていた。駐車場、動物園、首都高下の日本橋川、台場など。室内にこつ然と現れたフルサイズの都市に人気は無く、それを間近で見るが故に異様なリアリティが感じられる。物理的な制約を無視して編集された景観。この日最も印象的だった作品。
スクリーンの裏側に隠れるようにしてちいさな一室で展示されていたのが同じく篠田氏による『忘却の模型』(2006)。樹脂とスチールで出来た天動説の宇宙模型。地上から湧き出た血液は地平線から流れ落ち再び地上へと循環する。
次の展示室にあったのは篠田氏の『銀河』(2010)。乳白色の液体で満たされたドーナツ型のプール。天井に取り付けられた数十個の装置から時折一斉に滴が落下し、液面に描かれた無数の波紋もまた同時に消える(近景)。重森三玲による東福寺方丈庭園東庭からの着想とのこと。
トリは栗林隆氏。上の写真は『ヴァルト・アウス・ヴァルト(林による林)』(2010)。大きな展示室いっぱいにひろがる白い林。これは実際の樹木を阿波和紙で象って天井から吊るしたもの。そもそも樹木を原材料とする紙で出来た人工の林。観客は林の下から室内に入り、ところどころに開けられた穴から「地上」に顔を出す。気分はまるで冬眠の途中で目覚めた小動物。楽しい作品だった。こちらは「地下」と「地上」の境目の写真。栗林氏の作品としては他に『インゼルン 2010(島々2010)』(2010/全景/頂上からの眺め)、『YATAI TRIP(ヤタイトリップ)』(2009-2010/全景)が出展されていた。
新作を中心に、ひとつのテーマに沿って、少数の作家による体験型のインスタレーションを大空間いっぱいにゆったりと配した内容は美術展としては非常に新鮮で現代的だと思った。今後もこうした思い切ったイベントをぜひ見てみたいものだ。
「自然」の捉え方は千差万別。他の作家による全く別の『ネイチャー・センス展』もあり得るだろう。
2010/8/16。東福寺境内から六波羅門を抜けて道なりに南下。ほどなく右手に光明院が現れる。東福寺塔頭(たっちゅう)のひとつで重森三玲1939年作庭の波心庭(はしんのにわ)を擁する。山門から左手に進むと無人の入口の左脇に竹筒が置かれている(こちらはモミジの葉が型押しされた入口土間のディテール)。その中に各々心ばかりの拝観料を納め、先ずは方丈の方へ上がらせていただいた。以下、写真はクリックで拡大。
上の写真は方丈手前から見た波心庭全景。白砂と苔が入り組んだ微妙な凹凸面に75の石が立つ。背後の斜面を駆け上がるサツキやツツジの丁寧な刈り込み。覆い被さるモミジ。その様子はむくむくと湧き上がり渦巻く雲を思わせる。立体的。
上の写真は方丈から書院を挟んで南側にある本堂からの全景。おそらく正面と言って差し支え無いだろう。モミジの向こう側には蘿月庵(らげつあん)と呼ばれる茶室があり、そのデザインを手掛けたのも重森とのこと。この日は下調べが足りず見逃してしまった。加えて、山門と入口前の間にあった雲嶺庭(うんれいてい)も小規模ながら重森の作。写真撮っとけば良かった。残念。
こちらは同じ位置から見た縦位置での写真。上の写真は中央組石まわりのディテール。苔のエッジに小さめの石が無数に埋め込まれ、独特の表情をつくり出しているのが分かる。こうしたやや大きめの組石が庭の北側と南側にもあり、それぞれに釈迦三尊、阿弥陀三尊、薬師三尊を表すそうだ。こちらは本堂南側からの全景。
上の写真は方丈東側の渡り廊下から見た全景。こちらはやや方丈寄りの位置から庭北側を見たところ。下は同じ位置から見た縦位置での写真。
こちらは書院から障子を通して庭を見たところ。こちらは書院の南面にある丸窓の様子。北面の欄間には左官を曲線状に空かしたユニークな意匠が施されている。
明快かつ融通無碍な構成によって生み出される変化に富んだインスタレーション。宗教的な意味合いは十分に含みながらも、この庭の眺めは全くクールで斬新だ。個人的には詩仙堂に勝るとも劣らぬ衝撃的な体験。酷暑も意識の彼方へと遠のいた。
光明院(京都観光Navi)
8/16。川端三条ではまぞぉさんチームと合流し、京阪で東福寺へ。駅前の本町通をしばらく南下。九条通を横断し、東福寺交番のサインが現れたところで左折。北門をくぐり、道なりにまたしばらく。洗玉澗と呼ばれる渓谷に掛かる臥龍橋(1847年建造の木造橋廊/橋の途中での写真)を渡り、日下門からようやく境内に入る。左に経蔵、右に本堂を見ながら奥へと進み、庫裡の入口で拝観料を納めていよいよ方丈庭園へ。建物(1890年築)の四方を重森三玲デザインの庭が取り巻く。1938年の作庭。以下、写真はクリックで拡大。
東福寺方丈航空写真(Googleマップ)
庫裡の廊下から渡り廊下に出るとすぐ右手に登場するのが東庭。上の写真は正面右側から、こちらは左側から見たところ。苔と白砂の平面に円柱型の石が点在し、北斗七星を構成する。これらの石材は境内南西にある東司(とうす/便所)の柱石の余りとのこと。
上の写真は渡り廊下の反対側を見たところ。方丈の正面にひろがる南庭。大きさも高さも様々な石が苔の築山へと視線を導くように置かれている。こちらは正面左側から、こちらは右側からの眺め。こちらは白砂と苔と葛石がぶつかる右側手前隅の厳しいディテール。幾何学的にミニマライズされた鎌倉庭園。
方丈正面を通って右へ回ると西庭。上の写真は正面やや右側から見たディテール。方形に刈り込んださつきが市松に配置され、苔の曲線とぶつかり合う。こちらは南庭側から見た西庭全景。こちらはさつきを手前に通天橋を眺めたところ。
縁側をさらに建物の裏側へ進むと北庭へ至る。上の写真は正面左側からの全景。苔の面に市松に置かれた敷石のグリッッドは、奥へゆくに従ってその密度を粗くし、やがてサツキの丸い刈り込みとその奥のモミジへ、さらにその向こうの渓谷へとかき消える。こちらは同じ方向を見た横位置での全景。こちらはやや近景。こちらは正面右側からの全景。下の写真は北庭の手前側ディテール。緑の浸食が全景とは異なるかたちで進んでいる。
様式から抽象へ、そして無へと連なる全体構成は、極めてシンプルであればこそ、強く心に響くものだった。
方丈を離れ、本堂の東側を通って三門(1405年築)に目を見張りつつ南下。六波羅門を抜けて次の目的地へ。龍吟庵を見逃したことに気付いたのは随分後のこと。また行かなくちゃ。
『出雲大社庁の舎』に続いて、島根研修旅行で訪ねた場所をふたつ。
2010/8/6は『島根県立美術館』へ。建築デザインはこちらも菊竹清訓建築設計事務所。オープンは1999年。以下、写真はクリックで拡大。
出雲往来の側にある駐車スペースから館内へ。高い天井の波打つフォルムが大きなガラス面越しの宍道湖へと連なるインテリア。ディテールはあくまで控えめに押さえられている。こちらはロビーから展示室へのアプローチにあたる中二階。ベンチのかたちはロゴマークとお揃い。
上の写真は屋上から松江城方面を眺めたところ。光る湖面と銀色の屋根が融け合う様子が美しい。こちらは宍道湖側からの外観。こちらは屋上の全景。中央にあるカバの像のそばにはこんな立て札が。
湖畔にある屋外彫刻のうちひとつは籔内佐斗司氏作の『宍道湖うさぎ』(別アングルの写真)。文脈といい配置といい実に完璧なインスタレーション。楽しい。
2010/8/7は『島根県立古代出雲歴史博物館』へ。建築デザインは槇総合計画事務所。出雲大社の東隣に2007年オープン。残念ながら十分に見る時間が無く、外観の写真はこちらを除いてほとんど撮ることができなかった。東入口からギャラリーを抜けて受付へ至るとガラスの箱状の開放的な空間。内部にはショップ、カフェ、展望テラスが空中歩廊を介して連なる。
上の写真は2Fの空中歩廊から西側を見たところ。こちらは1Fで東側にある展示室棟を見たところ。たたら製鉄の壁面の表情がガラスとは対照的だ。こちらは3F中央の展望テラス脇から下階を西側へ見下ろしたところ。ガラス越しの北側屋外にひろがる植栽は水田を思わせる。中央奥に見える白い三角屋根は工事中の出雲大社本殿。
受付脇から展示室棟に入ると中央ロビー。上の写真はその奥から受付側を見返したところ。北と東の壁に沿ってL字に配置された低いパーティションがあり、表面に散りばめられた半透明の部分から内部の照明が漏れ出している。
上の写真は中央ロビーの真ん中にあるショーケースを空中歩廊に連なるデッキから見下ろしたところ。中の「宇豆柱(うずばしら)」は出雲大社本殿1248年造営時の遺構と言われ、直径1.4mほどの杉材をを3本束ねたもの。同様の柱が計9本あり、当時の本殿を支えていたらしい。一体どれほど巨大な建物だったのか。
島根県立古代出雲歴史博物館
島根県立古代出雲歴史博物館(Wikipedia)
2010/8/6から一泊二日でインテリアデザインコース3回生の島根研修旅行。いろいろと巡った中でも8/7に訪ねた『出雲大社庁の舎(ちょうのや)』が最も印象深い。菊竹清訓建築設計事務所1963年の作。以下、写真はクリックで拡大。
バスターミナルから北へと向かい、土産物店を過ぎて神楽殿の手前を右へ。堀川を渡るとこの建物の南側(上の写真)に出る。こちらはやや南西側、こちらはやや南東側から見たところ。
上の写真は東側のほぼ全景。南北両端の階段部で支えられた2本の大梁に東西面のルーバーが立てかけられている。稲掛けをモチーフに明快な構造で表現された造形は極めて力強い。階段部のレリーフパターンがその象徴性をより一層高める。
東側中央やや右寄りにあるメインエントランスから通路を抜けて建物の西側へ出ると、左手いびつな壁面が突出し(上の写真)、刈穂をイメージさせる意匠となっている。こちらは右手のルーバーを見たところ。後付けの無粋な壁面緑化がなんとも痛々しい。残念。
上の写真はエントランスからすぐ左手に行ったところ。ここにはもともとイサム・ノグチがデザインしたオリジナルの巨大なペンダントライトがあったとのこと。お目にかかれずこれまた残念でならない。
照明はかなり少ないが、ルーバーを通した自然光のおかげで室内は明るい。上の写真はメインエントランス側(北側)を見返したところ。先ほどのいびつな壁面は左手の階段に合わせて構成されている。
シンプルで、かつ装飾的要素を十二分に消化した見事なデザイン。まさに名作。静かな感動がやがて大きく胸に迫る。
出雲大社は現在「平成の御遷宮」の最中で、全体の様子を拝見できるのは2016年以降(本殿の工事は2013年に完了予定)。また改めて伺うとしよう。
2011年あけましておめでとうございます。と言いつつ引き続き昨夏の話題を。
8/1。犬島ツアーから一夜明けて高松『うどんバカ一代』で遅い朝食。この日は瀬戸内国際芸術祭2010に敢えて背を向け『栗林公園』をじっくりと堪能することにした。高松平野にモコモコと隆起し独特の景観をかたちづくる山塊群の一角、紫雲山を借景とする回遊式の大名庭園。1625年に生駒家が築庭を開始し、その後水戸徳川家が100年あまりをかけて造営。1700年代半ばに概ね現在見る姿となった。私たちが前に訪ねたのは20年以上前。幸か不幸か、その時のことはほとんど何も覚えていない。以下、写真はクリックで拡大。
東門から讃岐民芸館、商工奨励館を右に紫雲山へとまっすぐ進み、芙蓉池から左へ。鶴亀松を過ぎて箱松の奇観(全景/近景)に感心しつつ道なりにしばらく歩くとようやく最大の見所へ到着。南湖と掬月亭(きくげつてい)を中心とする見事な庭が圧倒的スケールとともに展開される。
上の写真は南湖南から紫雲山を見たところ。水際や植栽の造形が際立つ。こちらはもう少し紫雲山寄りの楓岸と呼ばれるエリアから掬月亭を見たところ。杮葺の直線的な屋根が控えめで良い。東岸には飛来峰と呼ばれる築山。その右脇にある吹上の美しい湧き水がこの庭園の水源となっている。
上の写真は飛来峰の頂から見た南湖全景。手前に偃月橋(えんげつきょう)。南湖の北岸をなぞり、根上り五葉松の脇を過ぎて、別名「大茶室」とも呼ばれる掬月亭へ。西側に設けられた管理棟の脇から縁側を介して初莚観北棟に上がる。ここから東に向かって初莚観、さらに掬月と三つの棟が雁行配置されている。こちらは南側の庭から見た初莚観外観。こちらはその庭を見返したところ。左手に見える八畳の茶室の場所は初莚観と掬月の接続部にあたる。先ずは初莚観北棟でお茶とお菓子をいただいて、いよいよインテリア探索。
上の写真は初莚観を東側へ向かって見た全景。広々とした座敷から白州、根上り五葉松を介して南湖へと視界がひろがる。和紙貼り天井のすっきりとした空間。床の間の背面は黒漆塗りの井桁菱格子で、その外側は紋紗貼りの障子。実に明朗でモダンな意匠に驚かされる。こちらは雨戸下桟のディテール。こちらは東の庭から蘇鉄の植え込み越しに掬月を見たところ。
そして上の写真が掬月を東側に向かって見た全景。こちらは西側を見返したところ。この棟だけに格天井が奢られている。南湖に向かって張り出すように配置され、三方が縁側となったインテリアはほとんど庭の一部。清々しく開放的なことこの上ない。
上の写真は掬月東縁側のディテール。欄干の端に設けられた僅かな傾きが庭へと向かう意識を加速し、飛び立たせる。何とも心憎いデザインだ。
これほどの壮大なスケールをもつ庭でありながら細部まで一切の手抜かり無く、至って品良くシンプルな意匠でまとめあげられていることに心底恐れ入った。この状態を維持することに要する手間と労力を考えると気が遠くなる。何たる意気と趣味の良さ。
7/31。『犬島「家プロジェクト」』を一巡りして犬島港東岸へ。チケットセンター前から延びる海岸沿いの道(下の写真)を南下。彼方の煙突を目印に『犬島アートプロジェクト「精錬所」』へと向かった。近づくに連れ、犬島みかげの石垣とガラスの建造物、煉瓦造の煙突と緑の樹々が次第に奇妙なコントラストを見せ始める。以下、写真はクリックで拡大。
焦色をした低い煉瓦の壁で細かく仕切られたアプローチを抜けてエントランスへ。この時は精錬所敷地内の広場で維新派による『台湾の、灰色の牛が背伸びをしたとき』の公演日。アプローチ内には様々な食べ物や飲み物を供する屋台がひしめいていた。そしてエントランス手前に並ぶこと十数分。いよいよ精錬所内へ。
『犬島アートプロジェクト「精錬所」』は1909年築の銅精錬所を改装したもの。操業していたのは10年ほどの間で、その後は廃墟化していたようだ。2008年に改築が施され、ベネッセアートサイト直島の施設としてオープン。設計は三分一博志建築設計事務所、インスタレーションは「家プロジェクト」と同じく柳幸典氏が手掛けている。上の写真は精錬所屋上の風景。
インスタレーションは『ヒーロー乾電池』と総称され、三島由紀夫にまつわる様々なモティーフが重厚な建造物にコラージュされた極めて大胆でスケールの大きい作品となっている。中でも『ソーラー・ロック』と呼ばれる空間には圧倒された。44トンの犬島みかげ一枚岩と三島由紀夫「松濤の家」の廃材。西日差し込む半円ドーム内に浮かび上がる記憶の断片たち。
建物を出てさらに南へ。上の写真は広場脇の山道から見た維新派の野外劇場の様子。よく見ると巨大操り人形の「彼」が舞台裏に座って休憩中だった。
山道を登るに連れて崩れかかった煉瓦造の煙突が迫ってくる。上の写真はそのうち最も崩壊の進んだもの。高さは5、6階建てのビルほどはあろうか。この巨大さと反り返り具合。あまりにシュールで美しい。
敷地南端の高台から溜池を望み、放置された煉瓦壁の施設を見下ろしながら東の海岸方面へ。山道を下りきって草むらを抜けると、施設内でも一際建物らしい面影を残した発電所の跡がこつ然と現れる。上の写真がその様子。
こうした屋外動線の適度にワイルドで適度に手の入った整備具合は絶妙だ。施設内部もさることながら、ランドスケープとして見た精錬所も素晴らしい。三分一氏の他にデザイナーがいらっしゃるとすれば、ぜひお名前を伺いたいものだ。
廃墟手前の広場から海岸沿いを再び建物へ。上の写真は丸太と針金の仮設デッキを経由して維新派の野外劇場へと向かう様子。日没の迫る中、ステージは静かに始まった。新天地を求め世界へと散らばった日本人たちの戦前戦後が淡々と、時空を超えてリミックスされてゆく。お馴染みのラップとマスゲームは『ろじ式』をも上回る見事さ。驚いたのは維新派作品としては異例に思えるほどに台詞の比重が高かったことだ。素朴で飾り気の無い言葉が胸に迫り、様々な記憶がまたここでも揺り起こされる。泣けてきた。
終演後も行きと同様、高速艇の特別便に乗り込んだ。高松へと向かう暗い海をぼんやりと眺めながら、犬島での濃密な体験を反芻するのが実に心地良かった。
犬島アートプロジェクト「精錬所」(ベネッセアートサイト直島)
台湾の、灰色の牛が背のびをしたとき(維新派)
7/31。高速バスで高松入り。『玉藻うどん』で食事後、維新派公演のための高速艇で早めに犬島へ。先ずは『家プロジェクト』を一巡り。瀬戸内国際芸術祭2010に合わせてオープンしたベネッセアートサイト直島の関連作品群。岡山県の離島、犬島北岸の港周辺に『F邸』、『S邸』、『中の谷東屋』、『I邸』の4つが点在する。建築設計は妹島和世建築設計事務所。うち3ヶ所のインスタレーションを柳幸典氏が手掛けている。以下、写真はクリックで拡大。
上の写真は犬島港から最も近い丘の上にある『F邸』を北側から見たところ(建物北面全景/建物東面全景)。アプローチは写真奥にあたる建物南側。西側エントランスから館内へ。中央に鎮座するネオンの『電飾ヒノマル』を一周し、その左脇の出入口から外へ進むと、くねくね曲がった塀の内側をミラー張りにした『鏡の坪庭』がある。簡潔で細部の美しい木造妻入り瓦葺きの建物を通して、周辺の緑豊かな環境と大胆不敵なインスタレーションが接続する。
港へ戻って南側にある住宅街へ。細道を抜けると曲面ガラスを連ねた建物『S邸』が登場。上の写真はその西面全景(東面全景)。柱になりそうな部材がほとんど見当たらない。驚くべき軽さ。
ガラス内の中空にはところどころ破けて矢の突き刺さったレースが吊るされている(東側から見たガラス内の様子/南側からのレース近景)。南側には若いオリーブの木々。これらが『蜘蛛の網の庭』。上の写真は北側からのレース近景。
丘の中腹に沿った細道を西へ向かうと芝生の中に銀色のお椀を伏せたような建物『中の谷東屋』が左手に現れる。上の写真はその東面全景。こちらは西面全景。コンクリートの基礎とアルミ合金の屋根の間に立つと物音が奇妙に反響する。いくつか置かれたチェアはSANAAがデザインし2005年に製品化された『アームレスチェア』のアルミバージョン。
東屋正面の坂道を北へ下ると畑の向こうに『F邸』を若干小振りにしたような建物『I邸』が見えてくる。南側へまわると色とりどりの花畑。建物内部のプロジェクターからガラス面に対して巨大な目の映像が写し出されている。あまりにシュール。白昼の悪夢を思わせる眺めに息を呑む。
どの作品にも説明的なところは微塵もなく、集落の合間にひっそりと佇む。作家を特定したことに加え、設置エリアを小さく限ったことによって、個々の作品の繋がりが生まれている。結果として独特の強力な「磁場」のようなものをつくり出すことに成功しているように思われた。謎めいた「風景」としての建物とインスタレーション。何やら得体の知れないぞわぞわした感覚を受け取ってしまったようだ。
池沿いの道を過ぎて港を一巡り。チケットセンターから南へ延びる道を『精錬所』へと向かった。
犬島「家プロジェクト」(ベネッセアートサイト直島)
7/25。『オレノパン』から南東へ移動。一乗寺下り松の辻から坂をしばらく上がると右手に『詩仙堂』の額を掲げた山門が現れる。『詩仙堂丈山寺』の建物は文人・石川丈山の山荘『凹凸窠』(おうとつか/1641年築)が後に禅寺として転用されたもの。
ゆるい石段のつきあたりには老梅関と呼ばれる門。正面からやや左にずれた位置にあるためアプローチから境内は直接見えない。くぐると白砂の庭を手前に建物が連なる。左手の受付を通って縁側から瓦敷の玄関へ。左へ折れて仏間の前を過ぎると、座敷から南側の庭へと視界が一気にひろがる(南東に向かって庭を見た写真/縁側から庭を見下ろした写真)。以下、写真はクリックで拡大。
縁側は東西の座敷をつなぎ、その折れ曲がった箇所から三角形の台が張り出す(下の写真)。手摺の向こうに手水鉢が立ち上がり、足下には小川が流れる。
東の座敷から庭へ降り(降り口から庭を見た写真/降り口の踏石の写真)、ちいさな滝の音を聞きながらうしろを見返すと、建物の3Fにあたる嘯月楼の丸窓がよく見える(下の写真)。
庭は大きくふたつのレベルに分かれており、南奥はさらに一段と低い(下の写真はそこから建物を見返したところ)。奥に高木の林。手前に低木の植え込み。絶妙に折り重なったレイヤーが『詩仙堂』ならではの眺めを生み出している。
短い石段を下りると左手に添水(そうず/ししおどしのこと)。作底に添水を用いた例としてはごく初期のものらしい。広場(下の写真)から西側に歩を進める。
ゆるい傾斜を下るにつれて植栽は密度と種類を増す(下の写真)。その中をかきわけるようにして残月軒などの離れが配置されている。
さらに奥へ進むとふたたび広場。供養塔が庭の終点となる。下の写真は建物へと戻る途中足下を横切った小川の様子。
起伏といい植栽といい建物といい、実に緻密で変化に富み美しい。溢れかえる野趣に解け合う極めつけの人工美。庭とインテリアとがこれほど見事にひとつながりになった場所も他に無い。夢のような光景に思わず息を呑んだ。
7/25。『オレノパン』一乗寺本店で昼食。フレンチレストラン『おくむら』の系列店として2008年10月にオープンしたベーカリー。内外装デザインは辻村久信デザイン事務所。以下、写真はクリックで拡大。
一乗寺下がり松のバス亭から白川通を北上し、白川沿いの細道へと右折。少し進むと1Fを白木の短冊、2Fをダークグレーのサイディングで覆われた妻入りの店構え(上の写真)が右手に現れる。大きなガラス窓の向こうに並んだパンを横目に建物の左にある白い階段を上がり、突き当たり右側のエントランスから店内へ。ドアを開けると目の前にあるレジを挟んで左手にキッチン、右手に売場。パンを選んでレジ前の細い通路をキッチン側へ進むと、すぐ左手に2Fへの階段がある。
内装は白い造作をベースに木造部材のテクスチャーを生かしたもの。1Fキッチンの天井だけがダークグレーのパネル張りとなっている。上の写真は2Fの客席全景。左手にある手前に出っ張った壁の向こうはトイレ。スリット状の窓が空いた壁の向こうには2Fのキッチン。小さなフロアに十数席がコンパクトに収まり、白い羽目板張りの壁が入れ子の小屋をイメージさせる。端正であると同時に自然で可愛らしい雰囲気も感じさせるインテリアだ。
上の写真がこの日いただいたパン。給仕の際に二人分にカットして下さった。生キャラメルクリームパン(写真左上)を筆頭に、どれも具材の風味が大胆に生かされている。ものによっては好みがはっきり別れそうではあるものの、インパクトは十分。一乗寺まで足を運ぶ甲斐も十分にある。今年7月には祇園店もオープンしているが、この空間を利用できる値打ちは代え難い。
私たちが特に好きな一品はこの日頼まなかったゆず食パン。今度はぜひイートインでいただいてみよう。
オレノパン 一乗寺本店/京都府京都市左京区一乗寺谷田町5/075-702-5888
9:00-17:00/月休
7/18。正午から『東華菜館 本店』で会食。四条大橋西詰南側にある建物は1926年にビアレストラン『矢尾政』として竣工。その後オーナーが代わり1945年から中華料理店として営業を続けている。ウィリアム・メレル・ヴォーリズが設計を手掛けた唯一の飲食店ビルとのこと。以下、写真はクリックで拡大。
上の写真は四条大橋から見た建物全景。レリーフ状のテラコッタタイルのパターンや屋上の瓦にスパニッシュスタイルが見て取れる。右寄りにある塔屋はエレベーターのマシンルーム。こちらはもう少し近づいたところの北東角近景。
上の写真は四条通に面した北側ファサード見上げ。その下の方にあるエントランス周りの装飾に目を凝らすと、カサゴのような魚や貝の装飾があるのが分かる。こちらはエントランス全景。青銅色の欄間から少し奥まったところが通常開閉されるドアで、その上にはホタテ貝と2匹のタコの装飾がある。海産物バロック。
店内に入ると1階客席は上の写真のように壁も天井も重厚なスパニッシュスタイルのパターンで埋められている。おそらくカラーガラス製かと思われるペンタントライトは元々あったものではない。キノコを逆さにしたような独特のデザイン。ミスマッチだが不思議にカッコいい。
エントランス右手に案内され、現存するものとしては日本最古と言われるエレベーターに乗り込み、この日は4Fの客席へ。1Fに比べると装飾も色使いもぐんとカジュアル。明るく開放的な空間だ。上の写真がその全景。さながら上海か香港のようなコロニアルな雰囲気も感じられるのは、中国風のものに変更されたペンダントライトのせいだろうか。こちらは天井とペンダントライトの近景。こちらは西側客席まわりの近景。
いただいた料理はアワビ・エビ・イカの和え物、季節の野菜炒め、エビチリ、スブタなど。どれも実に彩り良く、さっぱりとした味付けが素材を引き立てる。安心感のある美味さ。なるほど、これぞ京都でも随一の繁華街にあって60年以上愛され続ける中華料理店ってことだ。窓の外に南座周辺の雑然とした風景を眺めながら、大いに納得した。
東華菜館 本店/京都市下京区斎藤町140-2/075-221-1147
11:30-LO21:00/無休
7/4。『STAND T』で夕食。東京駅前、新丸ビルの1Fにあるビアスタンド。山本宇一氏がプロデュースする渋谷『STAND S』(2008年10月オープン)の姉妹店として2010年4月にオープン。インテリアデザインはKata(形見一郎氏)が手掛けている。以下、写真はクリックで拡大。
外堀通りと行幸通りの角に面し、ビル商業ゾーンのメインエントランスに連なったガラス張りの店舗区画は、以前『PG cafe Paris』のあった場所。高過ぎる天井高といびつな平面形を、形見氏は最少限の手数でひとまとまりの空間に仕立て上げている。
フロアに点在する家具類とカウンター、間仕切りは概ね杉材に覆われ、素地の質感を生かした仕上げが施されている。天井のそこかしこからは縦長、横長の照明ボックスが吊るされ、それらに混じって白く大きな『T』のロゴサインがふたつ。照明ボックスの中にはそれぞれ黄色の蛍光灯が2本と白色の蛍光灯が1本。混色の微妙な光に包まれた店内には、賑やかな、でも不思議に冷めた雰囲気が漂う。その光景はどこか見知らぬ街角の止まり木を思わせる。
いただいたのはビールやソフトドリンクの他にグリーントマトのピクルス、にしん入りポテトサラダ、インカのチーズグラタン、牛すじと大根の煮込みなどなど。デザートにプリンアラモードも。ドリンクやフードはカウンターで注文し、そのタイミングによって自分でテーブルへ運んだり後で持って来てもらえたりする。このシステムがまだ試運転中なのか、今後もこのままなのか、そこのところは判然としない。なんともゆるいが、それもまた良し。
店を中心を占めるような造作や、象徴的な仕掛けはどこにも無い。テーブルに居ても、舗道から見ても、この店のテリトリーは至って曖昧に感じられる。その仮設性と、都会への浸透性ゆえの迫力は『STAND S』や『STAND G』(2010年7月オープン)よりも一層強い。行儀の良い丸の内の街並の真ん中にこんな店が加わったことのインパクトは、あの『丸の内ハウス』の登場に勝るとも劣らないんじゃないか。実に痛快だ。
STAND T/東京都千代田区丸の内1-5-1 新丸の内ビル1F/03-3240-6008
11:00-22:30LO/無休
7/4。白金台『Chocolatier Erica』(ショコラティエ・エリカ)をようやく訪ねることができた。オープンは1982年。おそらくその頃、世間は「ショコラティエってなんですか?」てな状況だったんじゃないか。内外装のデザインを手掛けたのはカザッポ&アソシエイツ(植木莞爾氏)。以下、写真はクリックで拡大。
地下鉄を降りて目黒通りから外苑西通りへ。坂道をしばらく北へと下ってゆくと、右手の白いタイル張りのビル1Fに『Chocolatier Erica』が現れる。ミントグリーンのファサード造作と、大きなガラス面越しに見える白いインテリアとの対比が爽やかだ。上の写真はファサードを坂のやや上から見たところ。ビルの平面形は右手の客席に向かってすぼまっており三角形に近い。こちらは下側から見たエントランスまわり。ドアハンドルのラインが優美。もう少し引いたところで見るとバックヤードの窓にもミントグリーンの造作が施されているのが分かる。
ドアを開けると左手にカウンターショーケース。正面の壁は白く細いスチール枠にミラーをはめ込んだグリッドで構成され、手前にふくらみながらゆるくカーブしている。上の写真は道路側の客席からカーブ面を見たところ。左にある展示台は華奢なパイプ脚で支えられミラーの前に浮かぶ。中央にはバックヤードへの入口。その上にある開口の内側に天吊型のエアコンが収まる。
グリッドはその枠だけを残してカーブの終端からさらに右手にある客席へとまっすぐ連なってゆく(上の写真)。壁沿いにはミントグリーンのベンチシート。その前にちいさな白い大理石の天板を持つ丸テーブルと、白い成型合板にパイプ脚のチェアが並ぶ。どのディテールもユニークで、特に背と座を別パーツとしたチェアのフォルムは印象深い。道路側にも同じテーブルとチェアがいくつか並べられており、合わせた席数は20弱ほど。オーニングを通した自然光と、間接照明がフロアを柔らかく包む。こちらはカウンター側への見返し(写真左)とベンチシートまわりのアップ(写真右)。全体にポストモダンエイジを微かに感じさせながらも、すっきりと引き締まった品のある空間にまとめられている。それにしても80年代の植木デザインをこれほど良好なコンディションで体験できるとは。素晴らしい。
上の写真は奥がトリュフ数種で手前がマボンヌと言う品。共通する素朴で優しい甘味は、この店が経た時の長さを感じさせるとともに、今や貴重な個性となっている。マボンヌはバー状のミルクチョコレートの中にマシュマロとクルミを入れたもの。見た目も食感も楽しい。持ち帰ったミントやミステール(ゆず)、ラムレーズンも実に風味豊かで美味しくいただいた。こりゃ東京土産に最適だな。
Chocolatier Erica/東京都港区白金台4-6-43/03-3473-1656
10:00-18:30/8月1日-31日,12月31日-1月3日休
7人の商空間デザイン(November 2, 2006)
ユーハイム 千駄ヶ谷店(September 18, 2009)
植木莞爾の言葉(July 25, 2010)
5/16。『島原大門』をくぐってしばらく直進。3つめの角を左折すると、破格に広い間口を持った建物が現れる。格子に覆われたそのファサードは圧巻だ。こちらが『角屋』(すみや)。1500年代末創業の揚屋。現在の建物はその遺構で、美術館として公開されている。揚屋とは今で言う料亭のこと。中でも『角屋』は特別高級な文化サロンだった。現在の建物は1641年に六条三筋町から移築され、その後1787にかけて増改築が施されたもの。六条三筋町に花街が出来たのは1602年のことだから、部分によっては400年近い年月を経ていることが推測される。
上の写真は通りの南側から見た店構え(こちらは通りの北側から見たところ)。学生が集合しているところがかつての正面入口で、写真のさらに左側に美術館の入口がある。以下、写真はクリックで拡大。
こちらは正面入口を敷地内から見返したところ。石畳を右(写真では左の方)へ進むと玄関が現れる。上の写真は玄関から石畳を見返したところ。べんがらの赤が目に鮮やか。正面入口の真向かいには運営用の内玄関。
本来なら豪華絢爛な座敷の数々を筆頭に上げるべきところかもしれないが、個人的にそれら以上の魅力を覚えたのは内玄関を抜けてすぐ(上の写真)に登場する巨大な台所と配膳場。商業建築の迫力を存分に味わえる空間だった。中でも印象深いのが立花を頂いた飾りかまど。天井からいくつか吊るされた「八方」と呼ばれる照明器具も特徴的。天窓を含め開口部が多く設けられており、明るい作業場となっている。こちらはずらりと並んだおくどさん(かまど)。
上の写真が台所全景。内玄関の右側は板の間を挟んで配膳場がひろがっている(写真右端が帳場)。こちらは板の間からおくどさんを見返したところ。こちらは奥から見た配膳場と台所の全景。
客用の玄関を正面に進むと左手に中庭、右手に上の写真の座敷がある。一室に様々なデザインの格子が用いられた様子が面白い。床の間の掛け軸は井上士朗『不尽の山』。
中庭の手前を左へ進むと大座敷に至る(上の写真)。こちらは座敷から見える庭。臥龍松を中心に茶室などの離れがいくつか点在している。
玄関脇の階段を2階へと上がると、有名な「扇の間」や「青貝の間」を含む6つの座敷がある。残念ながらこちらは撮影不可。とは言え、装飾物のコンディションからすると、間近に拝見できただけでも十分にありがたいことだ。ご高齢のガイド氏が揚屋と遊郭の違いを何度も繰り返して江戸の吉原との格式の違いを力説される様子も面白かった。なんとも京都らしいではないか。
5/16。『長江家住宅』を見学後、昼食を摂ってから京都市街を移動。堀川通を横切り五条通を渡って花屋町通を西へ。壬生川通との交差点を過ぎて道なりに少し歩くと花街「島原」(しまばら/嶋原とも書く)。のエリアに入る。
入口の大門と立派な見返り柳に思わず感動した(写真はクリックで拡大)。東京では落語で聞いたことしかなかった光景を、京都で目にすることができるとは。
石碑と案内図によると島原の遺構として現在残るのは置屋『輪違屋』(わちがいや)と揚屋『角屋』(すみや)、この大門だけのようだ。
5/16。荒川先生に引率していただいてインテリアデザインコースの一回生と一緒に『長江家住宅』を見学。こちらは1736年創業の呉服商で屋号を「袋家」と言う。現在の町家は1822年に建てられ、主に大正期にかけて増築や改修を経たもの。以下、写真はクリックで拡大。
場所は烏丸四条の近く。新町綾小路の交差点を下がると右手に江戸期の面影を色濃く遺した重厚な店構えが現れる。こんな風に時代から取り残されたような建物が点在するのが現代の京都市中心街の風景だ。
南棟左手の玄関をくぐると正面に土間、右側に畳敷の部屋が奥へと連なる。上の写真は手前からふたつ目の部屋(ナカノマ)から道路側の部屋(ミセノマ)を見返したところ。左にある収納家具の上は天窓になっており、室内は思いのほか明るい。続く一部屋(ダイドコ)を挟んでオクノマを見たところがこちら。
一方、土間は道路側からミセニワ、ゲンカンニワ、調理器具を備えたハシリニワへと続く。上の写真はハシリニワの吹き抜けを見上げたところ。こちらの写真右はハシリニワ手前側にある井戸のまわりで、写真左は奥側にあるおくどさん(かまど)のまわり。
オクノマのさらに奥には坪庭がある。縁側から浴室と脱衣所の前を通って坪庭の右手にまわると二間続きの離れ座敷。上の写真はその奥側の部屋から坪庭を見返したところ。こちらはその道路側の部屋の内観(こちらは床の間まわりの近景)。こちらは奥側の部屋。障子の向こうには立派な蔵がある。
先程のハシリニワを抜けて洗面所や便所の脇を過ぎ、作業場の中を通ってさらに進んだところにあるのがプライベートなもうひとつの庭。これが敷地の終点となる。鰻の寝床は斯様に細長い。
ダイドコの急な階段はその上とオクノマの上にある二階へと繋がっている。こちらは二階道路側の窓からナカノマとミセノマの屋根を見たところ。軒先の一文字瓦のディテールが分かりやすい。こちらは奥の縁側に面した猫間障子(こちらの写真左が小障子を開けたところ、写真右は縁側から見た小障子のディテール)。このスタイルは珍しい関東猫間。縁側から坪庭を見下ろすと上の写真のような眺め。こちらはミセノマの上にある屋根裏部屋。ミセニワから梯子を使って上がる。屋根の「むくり」に沿ってカーブしながら低い天井が張られている。
事前に情報の全く無いまま訪れただけに、京の大店の典型がこれほど良好なコンディションで維持され、しかも現役で使用されていることに心底驚かされた。それでいて造作は内外ともに簡素そのもの。この衒いの無さがこそが美しく、さらに感動を深める。商い場の原点を訪ねにまたぜひお伺いしたい。
京町家(Wikipedia)
5/1。竹橋から表参道へ移動。根津美術館で『国宝燕子花図屏風 琳派コレクション一挙公開』。2009年の新装開館以来、訪ねるのはこの日が初めて。建築デザインを手掛けたのは隈研吾建築都市設計事務所。以下、写真はクリックで拡大。
表参道突き当たりの外観は一瞬あれっ?と思うくらいに仮設倉庫風。しかし門を抜けた後、アプローチからの光景は見事だ。軒下のディテールのミニマルなこと。エントランス手前から見ても建物自体はやはり仮設倉庫っぽいが、薄っぺらい屋根を支える鉄骨柱まわりのラフな納まりを眺めるうちに、これは数寄屋なんだな、と納得。
竹集成材と砂岩、ガラスと鉄で出来たインテリアには、隈建築ならではの質感の高さと軽快さが存分に発揮されている。上の写真は1Fホールから展示室の方を見たところ。こちらは展示室手前からミュージアムショップの方を見たところ。こちらの写真左はミュージアムショップ手前の空間。その上階にあるラウンジ(先の写真右)には、ロゴデザインから着想したと思われる特徴的なかたちのベンチが並ぶ。これも竹集成材。
南東側の軒下をくぐって庭園へ。上の写真は庭先から振り返ったところ。この控えめな佇まいが建物を最も魅力的に見せる。こちらは南東側外観の近景。こちらはB1F茶室口からの見上げ。
広大な庭園はやや鬱蒼としており良くデザインされているとは言い難いものの、都心に居ることを忘れさせる野趣がインパクト大。上の写真は展覧会に合わせて咲き誇る燕子花。その向こうの池では親亀子亀が甲羅干し。さらに奥には古びた木の小舟が一艘。
本館から離れ、庭園の樹々に埋もれるような姿で建つのが『NEZU CAFE』(ネヅカフェ)。手前から見ると平屋の体裁。地形を上手く利用して、裏手の地下レベルに車寄せなどの動線を隠している。ガラス越しには溢れんばかりの緑。和紙調のシートを通して店内には木漏れ日のような光が差し込む。食器類にはさりげなくエンボスで燕子花があしらわれていた。会計やサービス機能を一手に引き受けるカウンターは席数のわりに小さい。カウンター背後の扉類も和紙調シート張りなので汚れがちょっと心配。それにしてもこの贅沢な眺めの中で快適に一服させていただけるのはありがたいことだ。運営は大変そうだけど、ぜひとも頑張ってこのスタイルを守っていただければと思う。
展覧会は思いのほかこぢんまりしてはいたが、おそらく初見の『桜下蹴鞠図』(俵屋宗達工房の作と言われる)は大きな収穫だった。一見しておおらかで優雅。その実、構成といいタッチといい、極めて厳しく洗練されている。『夏秋渓流図』(鈴木其一)と『燕子花図屏風』(尾形光琳)もそれぞれじっくりと味わうことができた。凄いコレクションだなしかし。
5/1。朝から展覧会をはしご。先ずは東京国立近代美術館の『建築はどこにあるの? 7つのインスタレーション』へ。門をくぐるとロビー脇の庭に最初の作品が。以下、写真はクリックで拡大。
『まちあわせ』はアトリエ・ワンによるインスタレーション。竹でできた大型動物の一群が竹橋でまちあわせ。上の写真はロビーとショップのあいだから門の方を見返したところ(門側から見た写真)。楽しく軽快でチャーミングな佇まいに思わず顔がほころぶ。芝生に落ちる影も美しい。
展示室に入るとすぐに出くわすのが中村竜治氏によるインスタレーション『とうもろこし畑』。か細い紙のフレームによる構築物。爪楊枝くらいの部材が接着剤でトラス状に繋がり、100立方メートルほどの塊となる(近景1,近景2)。思わず目を疑うくらいに儚げで、それゆえ逆説的に強烈な印象を放つ作品。まるでリアルとアンリアルの大断層だ。その傍らのアントチェアには2006年の作品『クマ』がちょこんと置かれていた。こちらも紙製。
この展覧会で個人的に最も心を動かされたインスタレーションが中山英之氏の『草原の大きな扉』。その手法は1/3スケールの建築模型とそのドローイングを配置しただけの至って単純なもの。プロジェクトの内容は、ふたつのちいさな建物の片方(写真1,写真2)にカフェの運営機能を、もう片方(写真1,写真2)にテーブルやチェアを収納し、必要に応じて周辺の草原を客席として利用するというもの。シェルターとしての建築ではないオープンな場としての非建築。微妙なスケール感が相まって、不思議に心地の良い空間を味わうことができた。
より建築的な体裁でありながら、一層微妙で曖昧なスケールを感じさせるのが鈴木了二氏によるインスタレーション『物質試行 51:DUBHOUSE』(遠景,近景)。模型ともインテリアとも家具とも捉えることのできる「建築の中の建築」。研ぎ澄ました切っ先を突き付けるような端正な空間性とシャープなディテール。
建設現場で見たレーザー墨出し器から着想を得たと言う『赤縞』(写真1,写真2)は、レーザーが描く無数の平行線の中を人や物体が移動することで生まれる極めつけに抽象的で変幻自在なインスタレーション。展示室入口で貸し出されるオーガンジーの切れ端を使えば、より多層的で複雑な空間が現れる。これが内藤廣氏の作品だとは実に意外。
さらに菊地宏氏による『ある部屋の一日』、伊東豊雄氏による『うちのうちのうち』(写真1,写真2,写真3)と作品が続く。過去にもコンセプチュアルで体験的な展示手法を用いた建築展を見たことはあるが、これほど明快に新作のインスタレーションのみを揃えた展覧会に出会ったのは初めてのこと。広大なフロアに作品はたったの7つ。贅沢だ。比較的オーセンティックな美術作品を扱って来た美術館までもがいよいよ彫刻や絵画だけの入れ物ではなくなりつつあることは興味深いし、その先鋒が建築であるのも面白い。
4/28。授業後、学校から京都駅へ。新幹線の発車時刻まで『マールブランシュカフェ』でひと休み。辻村久信デザイン事務所がインテリアデザインを手掛けた洋菓子店&カフェ(以下メニュー以外の写真はクリックで拡大)。
南北自由通路を八条側へとしばらく歩き、新幹線中央口のところで右折。エスカレーターを下ると近鉄名店街の入口右手のガラス越しに『マールブランシュカフェ』の客席が現れる。タイルと木材を使い分けた質感の高い壁、ぽってりと丸みを帯びた一人掛けソファが特徴的だ。エントランスは写真左手の通路を少し進んだところにある。
フロア中央にキッチンと物販カウンター。客席はそれを取り巻くように配置されている。上の写真はエントランス左側のガラス越しに見た客席。こちらは先程とは一転してスクエアなデザイン。薄く張り出したベンチシート、麻の葉のパターンを抜いたフェルト状のクッション、ファブリックに印刷を施し布団張りしたサインボードなどユニークなディテールが散りばめられている。
上の写真はフロア奥から先程の客席を見返したところ。ライティングはほぼ間接光、しかも主に下方からの照明で賄われている。テーブルの上に置かれた箱にはカトラリーやお手拭きなどがすっきりと納まっていた。
上の写真は同じ場所からエスカレーター側を見たところ。向こうに最初の写真のソファ席がある。この日いただいたのはフレンチトーストのセット。一緒に付いてきた濃茶味のラングドシャ「茶の葉」が美味しかった。赤い鱗紋の鉄瓶はこちらのオリジナル。
駅ビル施設内のカフェテリアとあって、全体に機能重視でざっくりとまとめられた空間ではあるものの、辻村デザインならではのディテールがそこかしこに散りばめられた楽しい店だった。カジュアルでいて落ち着きのある雰囲気が有り難い。今後は出張時の息抜きに大いに利用させていただこう。
マールブランシュカフェ
京都府京都市下京区東塩小路釜殿町31-1 近鉄名店街みやこみち
075-661-3808/9:00-LO20:30/無休
インテリアデザイナーたるもの、京都に来たら真っ先に詣でるべき名所旧跡と言えば慈照寺(じしょうじ/銀閣寺)に他ならない。境内にある東求堂(とうぐどう)北東の一室・同仁斎(どうじんさい)は書院造最古の現存例。つまりは我が国におけるインテリアデザインとディスプレイデザインの原点を垣間見れる場所だ。そんなわけで4/27、春の特別公開を目当てに雨の中をバスで白川今出川へ(以下写真はクリックで拡大)。
庭までのアプローチ沿いにある銀閣寺垣(ぎんかくじがき/近景)。
銀沙灘(ぎんしゃだん/近景,本堂南西から,本堂南東から)と東山。
観音殿(銀閣)と向月台(こうげつだい)を銀沙灘越しに見る(近景)。
東山から見た境内と京都市街。
そしてこれが東求堂(遠景,近景)。残念ながら内部の撮影は不可。同仁斎の心地良い狭さと簡素さ、その付書院の窓からの眺めに思わずじーんと来た。この日のディスプレイには君台観左右帳記の写しも。こちらは裏から見た東求堂。左手に小さく見える「同仁斎」の扁額は足利義政筆とのこと。
庭木越しに見た観音殿(遠景,近景)。こちらはその裏手に置かれていた屋根の杮葺(こけらぶき)の原寸カットモデル。
東山麓の斜面はうねる苔の森。素敵なテクスチャー。こういうのを「触景」と呼ぶのだろうか。
センス良く人手の掛かった庭を介してひと繋がりになる風景とインテリア。やはり本物はいいな。秋の特別公開も見に来よう。
4/25。家事と仕事の合間に『虎屋菓寮』京都一条店まで散歩。和菓子店『とらや』の喫茶スペースとして2009年に開業。建築デザインを内藤廣建築設計事務所が手掛けている。場所は御所のすぐ西側。烏丸通りを一条通りで左折すると、広い間口に低い妻屋根を乗せた建物が現れる。
上の写真がその外観。左側にある蔵のような棟がギャラリーで、この日は富岡鉄斎展が開かれていた。建物の下半分を覆う白い部分は漆喰ではなく凸面状の白いタイル張り。微妙にもこもこした表情は、でっかい木綿豆腐を連想させる。
一方、菓寮の棟は高さを抑えられており外観のデザインも至って控えめ。しかしその内部には思いも寄らぬ大胆で広々とした空間がひろがっていた。
木製アーチの連続で構成されたヴォールト天井を南北端の細い鉄骨が支える様子は実に軽やか。トップライトを含む自然光と間接照明が開放感を一層引き立てる。その中に点々とアクセントを加えるコンパクトなペンダントライトは『とらや』のロゴを象ったもの。
北側の窓は庭に面しており、軒先にも席が設えられている。新緑を眺めくつろぎつつ、抹茶グラッセと菓子のセットをいただいた。
菓寮とは別に、烏丸通りに面した建物が物販棟として使用されている。こちらは改装ながらデザインはやはり内藤廣建築設計事務所によるもの。さすがに手堅く美しい(壁付サインの写真/物販カウンターの写真)。
菓寮はラストオーダーが17:30と営業時間が短いのが残念だが、考えてみればあの空間の魅力を存分に味わうには日の光が欠かせない。アトリエに籠ってばかりいないで、たまには昼間に贅沢をしに伺おう。
虎屋菓寮 京都一条店/京都府京都市上京区広橋殿400/075-441-3113
11:00-17:30(土日祝10:00-17:30LO)/元旦を除き無休
2/22。ギンザグラフィックギャラリーで『田中一光ポスター 1953-1979』を見た後、ハナエモリ銀座店の脇を通り掛ると、こんなウィンドウディスプレイが。
これはまさしく。展覧会に合わせた計らいだとしたら実に粋ではないか。
12/11。初台・東京オペラシティアートギャラリーで『ヴェルナー・パントン展』。デジャヴと言うかなんと言うか、実に不思議な感覚にとらわれた。20年近く前から作品集で見るたび大きな刺激をもらっていた「ファンタジーランドスケープ」。本物を体験できるとなると感動で涙ぐむんじゃないかと思っていたが、いざ中に入るとまるで実家に帰ったみたいに懐かしく、すっかりリラックスしてしまった。あまりに好きで、すでに自分の一部になってしまっていたんだろうか。ビデオ映像のパントン師匠が、デザインにおいて先ず考えるのは機能、フォルムよりも重要なのは色、と語っておられたのが特に印象深い。
1/8。三菱一号館で『一丁倫敦と丸の内スタイル』。これは予想外の収穫だった。1968年に解体、2009年に復元された三菱一号館の詳細な建築的解説を中心に、3作家の写真展を絡めながら、丸の内の発展史とそこでのライフスタイルを紹介する内容。ホンマタカシ氏の作品は230万個の煉瓦を製造した中国の工場を取材したもの。神谷俊美氏の作品はこの10年間の丸の内の風景をモノクロで捉える。順路の一番最後に控えた梅佳代氏の作品は三菱一号館の復元を工事現場で支えた人々のスナップ写真。この構成はずるい。泣ける。
1/10。サントリー美術館で『清方ノスタルジア』。最終日手前の会場は着物のご婦人方で盛況。お一人でじっくり鑑賞なさっている姿が多数あった。都市部での着物ブームと日本美術ブーム、双方が定着しつつあるような。
鏑木清方は美人画があまりに有名な明治前期生まれの画家。そうした代表作もさることながら、個人的に最も関心を覚えたのは風俗画と風景画。「朝夕安居」や「明治風俗十二ヶ月」は庶民生活の描写がなんとも瑞々しい。卓越したデッサン力。「暮雲低迷」の幽玄な空気感は「松林図屏風」(等伯)を彷彿させる。三遊亭円朝の肖像、その円朝の高座に落涙する月岡芳年の肖像など、清方が明治期サブカルチャーの直中に居たことを伝える作品も興味深い。「絵をつくるに、私は一たい情に発し、趣味で育てる。絵画の本道ではないかも知れないが、私の本道はその他にない」との気概には時代を超えての共感を覚える。
1/17。両国・江戸東京博物館で『いけばな - 歴史を彩る日本の美 - 』。ややシブめの内容だが、日本のディスプレイデザインの基本を知る上では外せない。仏事の供花から書院の成立、茶花から生花の発展までを網羅。元来男のものだったいけばなが江戸時代前期以降には女郎衆の芸事として広まり、明治以降には一般女性のたしなみとなってゆく過程も興味深いものだった。初代池坊専好による大砂物の再現CGは圧巻。信じ難い贅沢さ。
1/20。青山・スパイラルで『九谷焼コネクション』。最終日に滑り込み。これは本当に見逃さなくて良かった。上出恵悟氏が伝統工芸としての九谷焼を最少限の操作によってパロディ化した陶器とインスタレーションの数々。見附正康氏といい、九谷には突出した才能が生まれる土壌がありそうだ。
1/24。日本橋・三井記念美術館で『柴田是真の漆×絵』。柴田は江戸末期から明治にかけて活動した超絶技巧の漆芸家。軽妙で洒落っ気のある作風、抜群のグラフィックセンスに大いに刺激を受けた。多くの作品は米国キャサリン&トーマス・エドソン夫妻のコレクションから。図録にあるお二人の言葉「是真という人物の中に、私たちが時間をかけてこたえていきたくなる人間性を発見したのです。」との言葉は感動的だ。
同日、銀座・松屋銀座デザインギャラリーで『碗一式』。蒼々たるデザイナー師匠方が飛騨の春慶塗の手法による汁碗、箸、盆のデザインに挑む。小さなスペースながら破格の見応え。個人的に最も欲しいと思ったのは川上元美氏の一式だった。なんと簡潔で瑞々しく張りのあるフォルム。
1/29。六本木・サントリー美術館で『おもてなしの美 宴のしつらい』。サントリーの所蔵品から日本のパーティーグッズを集め、いつもよりゆったりとフロアを使いながらの展示。
個人的ハイライトは「月次風俗図屏風」(1600年代)。六曲一隻を上下二段の画面に分け、京都庶民の12ヶ月の風俗を描いたもの。群衆の生き生きとした様子のみならず、その装束や持ち物、当時の京町家の様子も克明に極めて克明に描かれている。さしづめ「熈代勝覧」の京都版。楽しい。平安セレブの新年会のセッティングを詳細に記録した「類聚雑要抄指図巻」の実物を見ることができたことも商売柄大変有り難かった。江戸末期の料理屋の様子を透視図的に描いた広重の「江戸高名会亭尽」の存在をこれまで知らなかったのは何とも迂闊。勉強しとかないと。
他の工芸品にも「縞蒔絵徳利」、「牡丹沈金八角食籠」、「吉原風俗蒔絵堤重」、「銀象嵌花丸文手燭」などなど、デザイン的に見応えのあるものが多い。「色絵春草文汁注」他で乾山の魅力も再確認。根来の漆器類の力強いフォルム、光悦の「赤楽茶碗 銘 熟柿」も素晴らしかった。
1/30。勝どき・btfで『鏡の髪型 清水久和』。平面的な作品かと思いきや実物は物体としての存在感が凄い。素朴なフォルムのインパクト。バリエーションが一気に増えたことが作品性を一段と強化する。もはや登録商標。路線継続に期待。
同日、銀座.松屋デザインギャラリーで『重と箱 見立てる器』。『碗一式』に続いて8名のデザイナー師匠方による飛騨春慶漆器の展覧会。
今回個人的に最も印象的だったのは岩崎信治氏による菱形の重。春慶の特徴を最大限に引き出す鋭角的フォルム。深沢直人氏の手提げ仕切り重も素晴らしい。簡潔なフォルムから匂い立つ趣味の良さ。川上元美氏の作品は鼓の形態を持つ弁当箱とへぎ目を生かした縁高重。前回のミニマリズムから一転、具体的な景色を感じさせる。恐るべき懐の深さ。数寄者だ。
1/31。上野・東京国立博物館で『国宝 土偶展』。土偶ってこんな感じ?という固定概念がものの見事に崩壊した。時代によってポーズや装束などに一定のフォーマットがあるにはあるが、造形そのものは皆さん自由過ぎ。
特に印象的だったのは「縄文のビーナス」と通称される品。フォルムといい文様といい、極めて簡潔で力強い。「立像土偶」や「ハート型土偶」などはシビれるファッショナブルさ。お洒落でカッコいい。かと思えば、同時代の土偶の仲間には腰の砕けそうな品も。アヒルとカメのハイブリッドのような「動物型土製品」など全く訳が分からない。アホアホかつシュール。「釣手土器」に付いたコウモリの装飾のポルコロッソぶり、「人と頭型土製品」の深遠な表情も忘れ難い。
昨年12/6。日曜の昼前にウヱハラ先生のメガーヌ号で埼玉県熊谷市に到着。『Public Diner』(パブリックダイナー)を視察した。2008年10月オープンのレストラン&カフェ。建築・インテリアデザインをKata(形見一郎さん)が手掛けている。駅からさいたま博通りを北進し、雀宮交差点を左折。ほどなく左手にもみの木のあるテラスと大きな片流れ屋根を乗せた米杉板張りの建物が現れる。
上の写真は敷地北西角辺りから見た建物全景。こちらは敷地南西角辺りから見たところ。
上の写真は通りに面した北側正面。敷地には柵の類いがほとんど無いに等しい。店とか建築とか言うよりも、まるで広場とその延長であるかのような潔い在り様が新鮮だ。こちらは西側の駐車場越しに見たところ。北棟と南棟を中央に張り出したテラスがつなぐ構成となっているのがわかる。テラスの下に見える白いサッシの部分がエントランス。入るとすぐに会計台を兼ねたキッチンカウンターがあり、その奥にキッチンがある。人通りの少ない場所であるにもかかわらず駐車場はほぼ満杯。店内は思わず目を見張る盛況振りだった。
内部には100を越える席数を擁する。北棟と南棟にひとつずつの大テーブルを核とするレイアウト。禁煙席となった南棟の西側には半地階のエリアがあり、その上に被さった中二階席から二階テラスへと客席は立体的にひろがる。上の写真は二階テラスへの出口から見下ろした南棟客席全景。写真左上と右上に見える白いでっぱりの中にはエアコンが納まっている。こちらは中二階からの階段見上げ(左)と南棟東側のボックス席とピンクの壁(右)。こちらは中二階席のチェアのディテール。形見デザインならではの様々な要素が、大きなフロアにゆったりと配された様子はなんとも壮観だ。
上の写真左は建物東側のWCへの通路途中にあるたばこ自販機、携帯電話充電コーナー、ピンナップボード。右はWCの手洗器部分。こちらはその反対側を見たところ。北側に面した窓とおむつ交換台とベンチ。
上の写真は中二階席からキッチンを見下ろしたところ。たくさんの若いスタッフの方々が生き生きと仕事をなさっている眺めは楽しく、ここが郊外都市の外れであることをすっかり忘れさせる。
が、テラス席からの眺めはやはり郊外そのもの。このギャップはかえって面白い。上の写真は二階テラス中央から北西方向を見たところ。ショートケーキ住宅群の左手にひろがる空き地のような場所には公園の表示が掲げられていた。スポーツ活動などに利用されている模様。なるほど。こちらは西側から見た二階テラス全景(左)と中二階テラス(右)。
上の写真はこの日いただいた食事。どれもボリュームたっぷりでなかなかいける。デザートも期待以上にしっかりしたものだった。食器類はイケア。
この店ではそのどこに居てもテラスを介して外部との繋りが意識される。フロアを埋める幅広い客層は全くもってファミレス同様。日常生活を都市空間へ解放する装置としての機能と性能は『バワリーキッチン』や『ロータス』や『くろひつじ』などの形見作品から継承され、ここに来て数倍強化・洗練されている。感動的だ。
Public Diner(パブリックダイナー)/埼玉県熊谷市肥塚4-29
048-580-7316/11:00-1:00/無休
11/4。六本木・AXISギャラリーで『三保谷硝子店 101年目の試作展』。イシマル、倉俣史朗との協同などで有名な三保谷硝子店と16名のクリエーターによるガラスの試作展。個人的に最も印象深かったのは八木保氏によるルーチョ・フォンタナへのオマージュ。単純明解で力強く、群を抜いて美しい造形。しかしフォンタナの名をキャプションにはっきりと記載していなかったことが気になる。
同日、乃木坂・ギャラリー間で『隈研吾展 Kengo Kuma Studies in Organic』。夥しい数のスタディ模型が会場を埋める様子に圧倒された。興味深く拝見したのはグラナダのパフォーミングアーツセンターと浅草文化観光センターの模型。特に浅草はこれまでCGから想像していたイメージよりもずいぶん楽しげな空間が期待できそうに思われた。地元住民としては少し安心。
11/6。恵比寿・山種美術館で『速水御舟 - 日本画への挑戦 - 』。速水御舟の実作をまとめて見たのは初めて。日曜美術館で取り上げられていたような、超絶技巧の画家ではないことは一見して明らか。それでもいくつかの突出した作品は聞きしに勝る凄みを感じさせる。マットゴールドの地に厚塗りの椿を描いた『名樹散椿』の迫力。特に蕾の描写の生々しいこと。『炎舞』の深く微細なグラデーションには目を奪われた。それらに勝るとも劣らない強い印象を残したのが別室にあった『墨牡丹』と『白芙蓉』。花の重さまで感じられるくらいの生命感漲る墨画彩色。これもまた御舟のひとつの到達点。山種美術館はまだ新しい建物に運営が慣れていないせいもあってか、応対に手抜きや刺々しさが目立つ。この様子だと休日はますます辛いだろう。頑張っていただきたい。
11/28。横浜本牧・三渓園内三渓記念館で『原三渓と美術』。三渓園は三方を高台に囲まれた大池を中心に、様々な古建築を移築点在させた庭園。人工の鄙なる風景はいかにも茶人好みの美しさだった。外から覗くだけではあったものの、京都二条城の楼閣を移築した『聴秋閣』の内部(写真1,2,3,4)を見ることができたのは幸運だ。遊び心に溢れた小さな宝石のような建物。持って帰りたかったなあ。また、紀州徳川家の別荘であった『臨春閣』(こちらも外から覗くだけ)の簡素美も見事なもの。特に水屋まわりのコンポジションにはシビれた。展覧会での作品は以前に別のイベントで拝見したことのあるものが多かったが、コレクター・三渓の一貫した美意識の伝わる内容が印象的だった。例年、夏には『臨春閣』と『白雲邸』に入ることが出来るらしい。また行かねば。
10/2。汐留、アド・ミュージアム東京で『特別企画 広告跳躍時代 昭和の広告展3 - 1970年代・80年代 - 』。この施設へ伺うのは初めて。近藤康夫氏による総アルミのインテリアデザインはカッコ良かったが、まともにコンテンツを見せようとする気がほとんど無さそうな展示手法には萎えた。後半に気を取り直し、三木鶏郎先生のCMソングをたっぷり聞いて退散。キリンレモンも牛乳石鹸も素晴らしい名曲だ。
10/9。西高島平、板橋区立美術館で『一蝶リターンズ - 元禄風流子 英一蝶の画業 - 』。こちらも伺うのは初めて。こぢんまりした簡素な美術館で、展示手法はなんだか学園祭っぽく素朴な印象。
英一蝶の作品をまとめて見るのも初。個人的に最も心惹かれたのは意外にも『雨宿り図屏風』だった。屋敷の門前で様々な身分の人物達が雨宿りする様子が描かれた四曲の屏風。なんでまたこれを?と思うくらいに地味なモティーフだが、小技とユーモアと庶民への愛情に溢れた画面。いつまでも眺めていたくなる。『屋根葺図』、『投扇図』、『布晒舞図』、『不動図』の絶妙なストップモーション。『蟻通図』、『張果老・松鷺・柳烏図』、『社人図』の複数の軸によるコマ割的構成。江戸前期にしてすでにこんなダイナミックな表現があったとは。
10/13。下馬、tocoro cafeで『tocoro展 - 岡田直人 - 2009』。器を拝見しつつジェラートと冷えラテをいただく。tocoro cafeは3年ぶりの訪問。小泉誠氏デザインのインテリアは相変わらず居心地良く、エスプレッソ系ドリンクも美味い。岡田氏の器をまとめて拝見したのは初めて。独特の質感をもつ白釉に、ゆる過ぎずシャープ過ぎない薄手のフォルム。カフェで使用されている器の口触りの良さは実に忘れ難い。
10/15。慶應義塾大学三田キャンパスで『谷口吉郎とノグチルーム』。谷口吉郎による慶応義塾大学に関する建築作品の写真展示と『ノグチルーム』の一般公開。写真はパラパラとお茶を濁す程度。『ノグチルーム』は谷口設計の第二研究室談話室で、インテリアデザインをイサム・ノグチが担当している。2004年に建物の一部ごと新しい南館ルーフテラスに移設された。
オリジナルの『ノグチルーム』が出来たのは1951年。戦後のデザイン再興期に美術作家によるインスタレーションとしての室内空間がいきなり登場したわけだ。以来1990年頃まで、日本のインテリアデザインは建築よりもむしろ現代美術と親密に同期しながら展開してゆく。私たちにとってここを訪れることはほとんど巡礼みたいなもの。午後から夕方にかけての光の中で見るノグチルームはあまりにも素晴らしかった。
造作や家具は想像よりもこぢんまりしており、互いに寄り添うような距離で配置されている。あたりまえの生活感覚と芸術が何の違和感も無く混交する室内。この場所を原点に、歩みを始めることのできた日本のインテリアデザイナーは本当に幸運だった。ノグチルーム移設にあたっての設計を手掛けたのは隈研吾氏。元の間仕切りや天井の代わりに設えた白く透けた布はやはり今ひとつ開放的に過ぎる。そのまんま移築していただきたかったなあ。
10/28。紀尾井町、ニューオータニ美術館で『肉筆浮世絵と江戸のファッション 町人女性の美意識』。江戸初期の美人を描いた屏風『舞踊図』に始まって、寛文小袖以降のハイファッションを簡潔に見せる内容。時代とともに緻密さを増し、グラフィカルに洗練されてゆく文様が、元禄を頂点にミニマルな空間的表現へと変遷してゆくのが面白い。古いものは300年ものの小袖や振袖を良好なコンディションで鑑賞。大変勉強になった。
10/30。上野、国立博物館『皇室の名宝 日本美の華 1期 永徳、若沖から大観、松園まで』午後遅くに到着すると、待ち時間こそなかったものの、中はやはりぎゅう詰め。第一会場を1時間半、第二会場を30分ほどでなんとか周り切った。
冒頭、狩野永徳・常信の『唐獅子図屏風』の巨大さにいきなり度肝を抜かれた。そりゃ殿様も大喜びだろうさ、と納得。そして圧巻のハイライトは伊藤若冲『動植綵絵』全三十幅。江戸前期のシュールレアリスティックな画。驚異的細密さと画力、そしてボリューム。これが実質的デビュー作なのだから恐れ入る。現代の画家が一生かけてもこれだけの仕事を成し遂げる事は難しいんじゃないか。これだけでもうほぼお腹いっぱい。直後に見た酒井抱一の『花鳥十二ヶ月図』はまさに清涼剤の爽やかさだった。長沢芦雪『唐子睡眠図』、葛飾北斎『西瓜図』なども印象深い。
近現代の作品が並ぶ第二会場では並河靖之『七宝四季花鳥図花瓶』の凄まじい超絶技巧に驚愕。これが有線七宝とは信じ難い。上村松園『雪月花』は雅な筆致と斬新な画面構成にため息。松園作品は今後要チェック。
10/22。京都へ日帰り出張。『Cao Cafe Ishikawa(カオカフェイシカワ)』で遅い昼食を採った。建築・インテリアデザインは辻村久信デザイン事務所。
三条を烏丸通りを越えて西へ。新町通りを越えると、左手に小さな前庭と簡潔なファサード(上の写真)を持つ妻屋根平屋の白い建物が現れる。現代の京都市街にあって、その潔くこぢんまりした佇まいはかえって印象的だ。
場所柄当然ながら間口の狭さに比べて敷地は奥へと随分長い。上の写真は最奥のテーブル席からエントランスを見返したところ。インテリアの造作も至って簡潔そのもの。白くフラットなひと続きの壁と天井を、モルタルの床下からの間接光が照らす。店内中央にある木地の間仕切りの中にキッチンとWC、空調機器が納まっている。エントランス側にはハイカウンター席。
上の写真左はキッチン側からテーブル席全体を見たところ。敷地の最奥は黒板塀に砂利敷きの小庭。写真右は建物南端のディテール。まわりにあまり高い建物が無いため、テーブル席は明るく開放的で、かつプライベート感の強い空間となっている。BGMが半端にアッパーでボリュームがやや大きいことを除けば、素晴らしく居心地が良い。
Cao Sodaと野菜たっぷりカレーを注文(写真左)。味は価格に対して可も無く不可も無く、と言ったところ。食後のカオチョコ(写真右)は大変美味しくいただいた。
店は2009年3月にオープンしたばかり。しかし空間的ポテンシャルは抜群だ。夜2時までの営業(2009年11月時点)とは近くの方が羨ましい限り。京都ならではの現代的な憩いの場所として末永く頑張っていただきたい。またお伺いします。
Cao Cafe Ishikawa/京都府京都市中京区三条通新町西入ル釜座町31
075-211-1814/11:00-2:00(LO1:00)/不定休
9/13に西新宿・OZONE、リビングデザインギャラリーで見た『山本達雄展 空間と家具の表情』についてはこちら。
同日、初台・東京オペラシティアートギャラリーで『鴻池朋子展 インタートラベラー 神話と遊ぶ人』。ロック少女の美術部活的なイメージも、ここまでのスケールとクオリティに達すると爽快なことこの上ない。ほとんどテーマパークだ。寓話と偶像を散りばめた平面作品やインスタレーションは、繊細でありながら時に巨大で、妄想的でありながら時に生々しい。どっぷりと、その世界観を堪能させていただいた。
9/17。松屋銀座7Fデザインギャラリー1953で『内田繁の厨子 新しい祈りのかたち』。内田氏デザインの厨子と、6名の作家・デザイナーによる具足を見ることができた。厨子とは仏具や教典を納める箱形の家具、具足とはここでは仏教小道具のセットのこと。祈りの道具としての機能と象徴性を、極めてミニマルな形態の中に表現する手法は、まさに内田デザインの真骨頂。薄いステンレス扉の赤の発色は深く鮮やかで、心に染み入るように思われた。
9/26。21_21 DESIGN SIGHTで『TOKYO FIBER '09 SENSEWARE』。様々なクリエーターとメーカーのコラボレーションによって、ハイテク人工繊維が主素材のプロダクトを試作、提案する展示会。事前情報では『笑うクルマ』(日産デザイン本部+原デザイン研究所)が目玉として紹介されていることが多く、正直なところやや敬遠気味。しかし足を運んでみると見るべき作品が多数。実に楽しく、勉強になった。個人的には『風をはらんでふくらむテーブルクロス』(シアタープロダクツ)と『柔らかく隆起するソファ』(アントニオ・チッテリオ)、『モールディング不織布による立体マスク』(ミントデザインズ)が特に印象的。素材の持ち味を最大限に引き出しながら、さりげなくディテールにまで気の利いた作品だった。
9/27。パナソニック電工汐留ミュージアムで『建築家 坂倉準三展 モダニズムを住む - 住宅、家具、デザイン』。最終日の閉館間際に滑り込んでセーフ。坂倉準三がこれほど多くの木造住宅を手掛けていたとは全く知らなかった。コルビュジェの直弟子として学んだ経験と、日本人として身に付けたヴァナキュラーな感覚が、活動の最初期から一貫して違和感無く自然に調和している。陸屋根にもピロティにもまったく執着せず、単なるスタイルではない本質的なモダニズム建築を展開する姿勢に深く感銘を受けた。ああ不勉強が悔やまれる。
9/13。西新宿・OZONEで『山本達雄展 空間と家具の表情』。リビングデザインギャラリーが7Fの奥へ移ってからの最初のイベントとのこと。こちらへ足を運ぶのはずいぶん久しぶり。たぶん2007年の『関洋展』以来か。
上の写真が会場全景。白い床と壁に無数の黒ぶちがシート貼りされた空間。
その中にこれまた白地に黒ぶち模様のちいさなスツールがぽつぽつと点在する。まるでダルメシアンの子犬たちが気ままに走り回っているような光景だ。
スツールはスチールプレートとスチールロッドによる華奢な構造にフェルトのような細かい起毛のある塗装処理を施したもの。黒ぶちの輪郭は抜かり無くぼかされている。さらに秀逸なのがそのディテール。後脚にお腹、そして尻尾(!)。抑制された張りのあるラインで「生き物っぽさ」が見事に表現されている。ほとんど凶悪と言いたくなるくらいの可愛らしさ。持って帰りたい。
カウンターの脇には2009年のミラノサローネで発表された『バンビチェア』がふたつ並んでいた。こちらのデザインコンセプトもダルメシアンと同様。模様はさらに凝ったものとなっている。下の写真がそのディテール。
実際に腰掛けさせていただいたところ、どちらも軽快な見た目からは意外くらいに丈夫そうだった。ますます持って帰りたい。商品化の予定を訪ねると、表面処理の耐久性を確保可能な工程を検討中のため、現在のところはまだ未定とのこと。
優れた提案性と洗練されたデザイン手法に敬服。今後が楽しみな作品だった。大胆かつ直球なインスタレーションを含め、いまのところ2009年の個人的ベスト家具展。見逃さなくてよかった。
Tatsuo Yamamoto Design Inc.(山本達雄)
9/10。夕刻『Cafe Ring』銀座並木通り店のプレオープンに伺った。名前はカフェだがお茶やコーヒーの店ではなく、プラチナとダイヤモンドをメインに扱うジュエリー店。内外装を手掛けたのは野井成正デザイン事務所。場所はプランタン裏の並木通り沿い。隣にはワークショップ108(西野和宏氏)デザインの『蕪屋』(1994)、斜め向かいには設計事務所imaデザインの『marimekko』銀座(2009)がある。店の様子のより良く分かる写真はこちらで。
明るいグレートーンのモザイクタイルで仕上げた内外装をサッシュレスのガラススクリーンで隔てた店構えは実に開放的だ。照明を埋め込んだボーダー状の天井造作のラインと、手前右側に2本ズラして配置された柱形ショーケースラインが縦横に連なり、店の奥行きを強調する。
店内の動線は左右の壁沿いに置かれた楕円形のカウンターショーケースによって滑らかにかたちづくられており、そのまん中から微妙にズレた場所にふたたび柱形のショーケースが1本そそり立つように登場する。この最少限の破調の要素が、せせらぎの中に打たれた杭のように、店内の移動にゆらぎをもたらし、眺めの起点となる。
上の写真はカウンターショーケースとその内部照明のディテール。回転可能な円いステンレスミガキのプレートは三本の柱で支えられており上下にも動かすことができる。このユニットがカウンター腰に内蔵されたハロゲンランプの光を商品へと反射する仕組み。調整にはやや手間取るかもしれないが、LEDなどでまんべんなくギラギラと照らすよりもずっと見た目に軽やかで品がある。
細かなアクリルのディスプレイ什器やミラー什器も野井さんのデザイン。これらがまた機能的で、いい佇まいなのだ。なんたる繊細さとクオリティ。
中央の柱形ショーケースには野井さんがデザインを手掛けたプラチナのリングが数種展示されていた。プレートを半円形に切って起こしただけのかたちが至ってシンプルで可愛らしい。野井さんもお気に入りとのことだった。
店構えから細部に至るまで、野井デザインならではの簡素の美に貫かれた快作。私たちもここまでの仕事を目指さねば。まだまだ精進。
8/19。清澄・小山登美夫ギャラリー『建築以前・建築以後』展内のイベントとして開催された『CROSS TALK 菊竹清訓×妹島和世×西沢立衛』の簡単な覚え書き。
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菊竹:建築家にはキャリアの最初に自邸を建てる人と、後になってから立てる人が居る。/独立して最初の3年間の仕事は木造建築の改装ばかりだった。/好きなように建てたい、という思いから『スカイハウス』(自邸)へ。/九州の旧家の座敷を基にプラン。/傾斜地だったので湿気を逃がすため高床に。→風通しが良過ぎて冬はすごく寒かった。
妹島:菊竹氏を『梅林の家』へ案内した時に「すごく透明な家ですね」と言われたのが印象的。「透明であることは多様であること」とも。
西沢:近頃は「庭と室内が全く別の世界でもいい」と思っている。
菊竹:『スカイハウス』が出来て、隣の土地が売りに出されてしまった。また、庭によくゴミを捨てられた。/子供部屋を子供の寸法に合わせて小さなモジュールでつくったことは大きな失敗だった。子供部屋は大人の個室と同じようにつくれば良い。もしくは子供部屋自体無くても良い。/バスルームを小さくしたことも失敗だった。ゆっくりと過ごす上で全く合理的ではない。/キッチンを小さくしたのも失敗。料理が出来ない。/コアシステムは一般に問題が多い。家のまん中にトイレがあると、とても使い辛い。/清家清氏の自邸は水廻りが家の端にあり、かつ建具が無かった。実に合理的。/『梅林の家』は動線がひと続き。連続性が透明性に繋がる。ガラスを多く使ったからと言って必ずしも「透明」にはならない。
西沢:「軽やかさ」をテーマにしたことはない。結果的に軽くなってしまう。
妹島:「壁」を基本には考えない。軸組的に発想しているのかもしれない。
菊竹:「仮説」が立てられることが建築家の条件。「仮説」は考えて立てるものではなく、偶然にやってくるもの。/地主(九州の実家)の家には本は無い。日々の興味は「ぼーっと過ごすこと」と天気だけ。/日本の独自性があるとすれば、異質なものを改変しながら数百年かけて受け入れる能力だろう。/ヨーロッパのデザイン様式は流行っては無くなってゆく。日本人は様式を平行して持ち続ける。/50年代に「人間は土地をつくることが出来るのではないか」という仮説から様々なプロジェクトを手掛けて来た。以来ずっと同じことをやりつづけている。/「土地」の話をレム・コールハース氏にすると(『スカイハウス』来訪時)、深く共感していたようだった(コールハースはオランダ人)。「菊竹の活動はアーキグラムに近いものと考えていたが、全く違うことが分かった」とのこと。/建築はコンテンポラリーアートとは距離を置いた方が良い。
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ギャラリーでは菊竹氏による1950-70年代のスケッチや模型をいくつも見ることができた。純粋な夢と理想に溢れきらきらと輝くような作品たち。なんと言うかもう「癒し系」なのだ。氏がギャラリーの壁に直接描いたドローイングも素敵過ぎる。
今週末まで開催「建築以前・建築以後」展(August 27, 2009 / excite.ism)
こちらからの続き。
8/21に六本木・AXISギャラリーで見た『ナインアワーズ展 - 都市における新しい宿泊のカタチ』についてはこちら。
8/24。六本木・21_21 DESIGN SIGHTで『山中俊治ディレクション「骨」展』。「生物の骨をふまえながら、工業製品の機能とかたちとの関係に改めて目を向けます」と言うコンセプトに最も深く合致した作品は、やはりニック・ヴィーシー氏の『X-RAY』シリーズと、玉屋庄兵衛氏と山中俊治氏による『骨からくり「弓曵き小早舟」』だろう。他の作品も補足の役割を十分に果たし、一貫した楽しい展覧会となっていた。「電信柱を取り上げて欲しかった」との三原昌平氏の感想は興味深い。
8/30。千葉県佐倉市・国立歴史民俗博物館の第3展示室で『百鬼夜行の世界』。展示替えのため、オリジナルとされる大徳寺真珠庵蔵の『百器夜行絵巻』(1500年代・伝土佐光信)を見ることが出来なかったのは残念。それでも室町の頃から繰り返し描かれ、時代ごとに変容した『百鬼夜行』のうち主立ったものを一同に見ることができたことは貴重だ。万物から霊性を感受し、それをユーモラスに「キャラ」化してしまう日本人の、ひとつの原点がここにある。中でも伝土佐吉光とされる絵巻の、暗雲立ちこめる妖しいエンディングには心惹かれた。
同日、同館企画展示室で『日本建築は特異なのか - 東アジアの宮殿・寺院・住宅 - 』。先ずは床面にシート貼りされた長安、ソウル、平安京の同寸配置図を眺める。似通った骨格を持ちながらも、結局のところ三者三様の様相を呈しているのが面白い。宮殿、寺院、住宅、それに大工道具についても同様だ。展示手法的にキャプションに頼り過ぎでは、とは思ったが、結局のところ「特異」なのは日本建築だけではない、と言うことは理解できた。精巧な展示物の数々の中でも平等院鳳凰堂の実物組物彩色模型は忘れ難い。表面を埋め尽くした鮮やか過ぎる文様のなんとサイケデリックなことか。
同日、佐倉市美術館で『オランダデザイン展』。ドローグの名作の数々に今では懐かしさと新鮮さの両方を覚える。歴史になったんだな。マーティン・バースの『スモークチェア』は実物を初めて見た。焼け跡のエレガンス。実にクール。この展覧会の個人的ハイライトは中盤のポスター作品群だった。簡潔な平面に上位次元をするりと忍び込ませるような、巧みな表現が多く見られる。まるでパラレルワールドの覗き窓だ。終盤に展示されたリートフェルト、モンドリアンらのデ・スティル関連作品も見応えがあった。
8/21。六本木・AXISギャラリーで『ナインアワーズ展 - 都市における新しい宿泊のカタチ』。京都市に2009年12月オープン予定のカプセルホテル『9h』のデザインプレビュー。柴田文江氏がクリエイティブディレクションとカプセルなどのプロダクトデザインを、廣村正彰氏がサインやアメニティ類のグラフィックデザインを、中村隆秋氏がインテリアデザインを担当なさるとのこと。
上の写真が会場全景。右側にカプセルが壁に収まった状態をグラフィカルに再現し、うち5箇所にカプセルの実物が展示されていた。黒い床に大きく表示されたカプセルの位置を示す矢印と番号が、即物的で実にいい。カプセル手前の天井スリット内に整列した照明なども、おそらく実際のインテリアに即したものと思われる。
図面を見ると、計画そのものは至ってまっとうなカプセルホテルそのものだ。2機のエレベーターを男女別にして乗降できるフロアを限定することで動線を分離し、シャワー、WCなどの設備をそれぞれ別のフロアに提供している。女性用水廻りフロアのプランが男性用と同じだとするとパウダースペースが不足する可能性が高いが、実際のところはどうなのだろうか。
細かいことはさておき、シンプルながらも質の高い共用空間がカプセルホテルにもたらされることの意味は大きい。簡潔で力強いグラフィックデザインも、大いに快適性を高めてくれるだろう。実際のところ、既存のカプセルホテルの弱点の大部分は、カプセルそのものではなくむしろ共用部分の貧弱さにあることは、泊まったことのある人なら誰しも感じているはずだ。
上の写真はカプセルユニットの外観。優しい曲面を描くFRPの造作はコトブキが製作を担当したとのこと。こうして見ると、なんだかメタボリズム、あるいはアーキグラムが連想される。
料金は一泊4900円とのこと。場所は四条寺町を下ったところで利便性は高そうだ。チャンスがあればぜひ利用させていただこう。
8/6。乃木坂・ギャラリー間で『カンポ・バエザの建築』。スペインの建築家、アルベルト・カンポ・バエザ氏はヤギにとって古くからの心の師匠的存在。簡潔な展示にやや物足りなさは残ったものの、ノーチェックだった近作をいくつも拝見できたのは有り難い。扱う空間のサイズは大きくなっても、作風は相変わらずミニマルなまま。そこを満たす光はますます詩情を豊かにしている。
同日、赤坂見附・ニューオータニ美術館で『謎のデザイナー 小林かいちの世界』。京都の図案化・小林かいちが大正後期から昭和初期にかけてデザインした絵葉書・絵封筒を一堂に集めた展覧会。ひとつひとつの作品はほんのちいさなもの。しかし木版で制作された精緻な画面が極めて饒舌に語りかける。和洋をひとつの世界観に束ねるかいち独特のセンスは今なお斬新で、そのクールな描線には生き生きとした力が漲っている。終わってみれば見応え十二分の重厚な展覧会だった。
同日、赤坂見附・オカムラデザインスペースRで『透明なかたち』。建築家・妹島和世氏、構造家・佐々木睦朗氏、美術家・荒神明香氏によるインスタレーション。厚さ3mmの透明アクリルの曲面パネルが組み合わさって自立し、迷宮的な空間が現れる。薄い紙で出来た押し花のような造花がパネルをなぞり、時折その内側に浸透しながら、境界の存在を一層曖昧なものにしてゆく。自分自身までが幻想の中に溶けてゆくような、不可思議な感覚。
8/8。ギンザグラフィックギャラリーで『ラストショウ:細谷巖アートディレクション展』。1Fに1950年代から90年代にかけての代表的なポスター作品が、B1Fには過去の細谷氏の発言、記述に新しくビジュアルを組み合わせたパネルがずらり。2006年の『クリエイターズ』展以来久しぶりに拝見した初期のポスターは、やはり強烈だ。『Oscar Peterson Quintet』が19歳、『勅使河原蒼風展』が20歳の頃の作品。骨太とはこういうことか。B1Fの展示では1956年の日宣美展出品前夜の様子を書き留めた文が心に染みた。デザインと青春。
同日、銀座・ギャラリー小柳で『石上純也+杉本博司』。両氏の建築作品を紹介する写真と模型、ドローイングなどの展示。美術家・写真家である杉本博司氏の建築作品を初めてまとまったかたちで見ることができた。地形を読み取り宇宙と繋がるランドアート的作風と、ディテールに集中することで一点突破する作風の対比が興味深い。石上純也氏の作品については、先ずは実物を拝見しないと。
8/14。上野・東京国立博物館で『染付 - 藍が彩るアジアの器』。中国、ベトナム、朝鮮、日本の染付の歴史を概観。スペースは平成館の特別展示室第1室と2室。いつもの特別展の半分なので余裕で見終わるかと思いきや、あまりの見応えにすっかり足が棒になった。染付の技術は元の時代の景徳鎮でいきなりほぼ完成の域に達している。『青花蓮池魚藻文壺』(せいかれんちぎょそうもんつぼ/1300年代・中国)の鮮やかな発色と、生命感あふれる筆致に思わず見入った。ベトナムの染付の奔放で力強い描線、朝鮮の染付の余白を生かした素朴美にも心惹かれる。それにしても1700年代後半以降の鍋島など、日本の染付に散見されるクールなグラフィックセンスはちょっと異様なほどだ。中でも『染付連鷺文三足皿』(そめつけれんろもんさんそくさら/1600-1700年代・鍋島)の洗練性は頂点にある。『染付子犬形香炉』(1800年代・三川内)のスーパーリアルな造形と愛らしい表情も忘れ難い。
8/21に六本木・AXISギャラリーで見た『ナインアワーズ展 - 都市における新しい宿泊のカタチ』についてはこちら。
続きはこちら。
8/29。国立能楽堂へ茂山狂言を見に行く前に時間が空いたので、以前から行かねばと思っていた『ユーハイム』千駄ヶ谷店でお茶。1988年オープンのレストラン&カフェ。インテリアデザインを手掛けたのはカザッポ&アソシエイツ(植木莞爾氏)。書籍では作品名を『レストランユーハイム イン津田ホール』などと紹介されている。場所は千駄ヶ谷を出ると右手目の前にある津田ホールの地下。
チェーン店でしかもできたのが20年以上前、ということからコンディションにはあまり期待していなかったが、インテリアの状態はかなりオリジナルに近かった。特にエントランス右手のカウンター席まわりはほぼ往時のまま。イエローの地にビアンコの大理石を散りばめたテラゾタイルも健在だ。上の写真はエントランス左手のカウンターショーケース前からカウンター席越しにテーブル席のエリアを見たところ。
カウンター席を反対側から見ると上のような具合。赤味掛かった木の内装を背景に、ミガキのステンレスによるショーケースやカウンターチェアのマッシブな造形が映える。天井には完成時には無かったスポットライトが増設されていた。二箇所にある光天井の光源色が違ってしまっているのはなんとも残念だ。
客席はL字に曲がりながらさらに奥へと続いている。こちらは白い塗装とダーク色のウッドフローリングの空間。上の写真はテーブル席のエリア手前から最奥を見たところ。天井に並ぶ逆円錐型の掘り込みはインパクト大。しかしその中に取り付けられたシーリングライトは完成時とは似ても似つかぬものだ。テーブルとチェアもオリジナルではない。
上の写真左はテーブル席エリア床ステップ部分のディテール。左手の床に取り付けられたステンレスのバーは壁に家具がぶつかるのを防ぐためのもの。こうした細かな心配りとヘビーデューティー性は植木デザインならでは。壁にある小さな丸い照明器具は点灯していなかった。写真右はカウンター席チェアのディテール。西洋甲冑を連想させる重厚さとふくよかなフォルム。ハイチェアながら座面はたっぷり。高齢の方が好んで陣取っておられる様子だったのが印象に残る。
テーブル席奥に向かって左手のパントリー(写真左)もまたピカピカのステンレスによる造形が特徴的。ただ、ショーケースともども現在はあまり有効に活用されておらず、物置に近い状態になってしまっていた。他にも間接照明が消えてしまっているところがあったりと荒れた使用状況が目立つのは、デザイナーとしても客としても重ね重ね残念でならない。とは言え、貴重なデザイン遺産が曲がりなりにも維持されていることは素晴らしい。今のうちにオリジナルの状態へと完全復活させられれば、ユーハイム(創業100周年とのこと)も津田塾大も株が上がるというものじゃないか。たぶん。
バウムクーヘンとカプチーノをいただいて、いざ能楽堂へ。振り返ってエントランス(写真右)を見ると、嬉しいことにここも完成時の写真で見たままの姿だった。ステンレスフレームの華奢なゲートに赤いファブリックのサインがエレガントな旗印を思わせる。
ユーハイム 千駄ヶ谷店/東京都渋谷区千駄ヶ谷1-18-24 津田ホール
03-3401-1357/11:00-22:00/無休
8/8。『妻家房』日本橋店から銀座方面へ移動。途中、京橋で『100%ChocolateCafe.』に立ち寄った。明治製菓が運営するチョコレート専門店&カフェ。内外装デザインはWanderwall(片山正通氏)。グラフィックデザインはgroovisions。オープンは2004年。これまた5年も経っていたとは。
ガラス面にふたつ小さくシート貼りされた店名を除き、看板らしいものの無い極めてすっきりした昼間の店構え。暗くなると店内最奥の白いタイル張りの壁に取り付けられたステンレス製の大きなロゴが、ダークな染色の木造作による板チョコ状の天井とともに象徴的に浮かび上がる。ロゴを挟んで右側のドアがトイレ、左側のドアがキッチンへ続いている様子。中央のドアを開けると、右側に二人掛けのハイテーブル席がずらり。左側に物販・レジカウンター。先に会計を済ませてから席へ移動。背後の壁一面に並ぶショーケースには2リットルくらいの大きさの透明樹脂ケースが56個。それぞれに異なる種類のチョコレートが詰まっている。
売り物を明確に示した直球のテーマ性と、ぬめるような質感を感じさせる光は、片山作品に特有のものだ。時間によっては行列のできる人気店だが、内装全体が良好なコンディションのまま維持されていることも素晴らしい。
上の写真はショコラドリンク(HOT)とショコラスカッシュ。どちらもなかなかの濃厚さ。
上の写真はワッフレート。長円皿から威勢良くはみ出すサイズに驚いた。細長い箱状のワッフルにチョコレートがみっちりで満足度大。
内装と同様、店先の置き看板も実に可愛らしく細部まで美しい。
価格設定は全体に至ってリーズナブル。今度はチョコレートケーキをいただいてみよう。
100%ChocolateCafe. /東京都中央区京橋2-4-16明治製菓本社ビル1F
03-3273-3184/8:00-21:00(土日祝11:00-19:00)/無休
100%ChocolateCafe.(Wonderwall)
8/8。日本橋で遅い昼食。コレド内4Fにある『妻家房』日本橋店へ。2004年オープンの韓国料理店。インテリアデザインを手掛けたのは飯島直樹デザイン室。ぜひ伺わねば、と思い続けて不覚にも5年が経ってしまっていた。
錆風塗装の鉄板に丸穴をグラフィカルに配した店構え。2枚の薄いプレートが細いフレームを挟んで共用通路側と客席側にビス止めされ、厚み数cmほどの壁を成している。その内側、と言うかスキ間は白くペイントされており、下方からハロゲンランプの間接照明がライトアップする。
店内は思いのほか広く、席数は合計80弱とのこと。上の写真は最奥からエントランスの方を見返したところ。左手には絶妙な高さのローパーティションで区切られたボックス席がいくつか並び、そこを通り抜けた向こうにもさらにテーブル席がある。内装もまた錆鉄の質感と、同じトーンに染色された木材とで構成され、丸形蛍光灯によるサークル状の照明器具が間仕切りの丸穴に呼応する。基本的な照度は壁際の間接照明と、最少限のダウンライトでまかなわれている。
上の写真は店内側から見た間仕切りのディテール。重厚な素材と、浮遊感さえ覚える軽やかな形式。他ではまず味わえないアンビバレンス。これが実に心地良い。
石焼ビビンパ・プルコギセットと冷麺・チヂミセットでがっつり腹ごしらえ。どれもさっぱりとした味付けで、近頃すっかり縮こまってしまっている私たちの胃袋にもすんなりと収まった。この内容、この空間にして価格は至ってリーズナブルだ。昼から夜までノンストップで営業しているのがまた有り難い。
妻家房 日本橋店/東京都中央区日本橋1-4-1 コレド日本橋4F/03-5204-0108
11:00-23:00(日祝-22:00)/不定休(コレド日本橋に準ずる)
7/2。神戸出張の合間に『はらドーナッツ』の神戸本店へ。『原とうふ店』(1968年開業)が2008年5月にオープンしたおから・豆乳ドーナツ店。
地下鉄・湊川公園駅から商店街を北上。アーケードを抜けるとすぐ右手の角に、白く簡素な店構えが現れる。ドーナツをモチーフにぺたっと「刷っただけ」の控えめなグラフィックの用い方がかえって印象深い。
電球色に統一されたあかりにぼんやりと包まれた店内。その造作もまた簡素そのものだ。しかしディテールは明らかに厳しく整理されたもので、こうしたテイストの店にありがちな、いかにもあざといローファイさは感じられない。手法は包装資材や印刷物のデザインにも徹底して踏襲されている。プロの仕事なのだ。
7/9。久しぶりに自由が丘の雑貨店をリサーチしたついでに『はらドーナッツ』自由が丘店に寄ってみた。2009年6月にオープン。
場所はすずかけ通りと自由通りの交差点近く。以前からここにあるベージュの外装パネルに覆われたちいさな3階建てのビル全体がリニューアルされ、白くフラットで豆腐のような建物へと変身していた。『はらドーナッツ』に合わせたのだろうか。
駅よりのビル角に本店同様のあかりが灯る。隣の区画はこの時まだ工事中。間口は本店に比べるとずいぶん広く、大きくとられたガラスの間仕切りを通して、奥のキッチンのよく片付いた様子が見える。
現時点で『はらドーナッツ』の店舗数は全国に19とのこと。本店オープンから1年あまりにして実に大変な勢いだ。ホームページの写真を拝見すると、どうやらこの質の高いつくりがきっちり全店に行き渡っている様子が伺える。きっと優れたアートディレクターがおられるに違いない。どなたの仕事なのか大いに気になるが、今のところその辺の情報は全然キャッチできず。ご存知の方、ぜひ教えて下さい。
おからドーナツの味は一言で言うと「懐かしい」。やや弾力のある素朴な食感に油の残り香。『栃木家』ほど洗練されてはいないものの、十分いける。
6/11。清澄白河・東京都現代美術館で『池田亮司 +/- [the infinite between 0 and 1]』。過剰なほど明瞭なコントラストを伴い、もしくは認知できるギリギリの微小な差異とともに、白と黒と数列とが厳密に対置された空間。ビデオプロジェクターによる巨大で高精細な映像、フォトプリント、正弦波のサウンドなどで構成されたインスタレーションの中で、私たちは自らが無限のデータのうちに解放されるような至福と、ノイジーで変数的な生々しい個としての実体とを交互に覚える。数学については知識もセンスも無いため、作品コンセプトを十分に理解することはかなわなかったが、この凄まじい体験は極めつけだ。東京都現代美術館の企画展示室がこれほど贅沢に、しかも有効に用いられているのを見たのは初めて。見逃さなくて本当に良かった。
6/14。六本木・Gallery le bainで『TONERICO:INC. Case Study 01 [STOOL]』。ホワイトアッシュの成形合板による至ってシンプルな16の形状のスツールがそれぞれ柾目・板目の木取りで計32タイプ。基本形から徐々に展開されたと言うデザインスタディをそのまま提示した微妙なバリエーションは、まるで八百屋のカゴに整列した果物や野菜を見るようでなんとも楽しく微笑ましかった。
6/23。外苑前・PRISMIC GALLERYで『ISOLATION UNIT / 柳原照弘展「real fake」』。大阪を拠点に活動する柳原氏は今その動向が最も気になるデザイナーの一人。パスタの形状をそのまま金属に置き換えたジュエリー。見慣れたものから思いがけない美しさがひき出される不思議。展覧会としてはかなりボリュームが少なかったのが残念だが、それもまた狙いなのかもしれない。
6/26。勝どき・オオタファインアーツで『見附正康展』と『イ・スーキョン展』。九谷焼赤絵の作家・見附氏による大皿4点。細密な絵付けは以前の展覧会よりもさらに自由度を増し、グラフィカルになっていた。いつか必ずや購入したい。
全くノーチェックだったイ・スーキョン氏のインスタレーションは思いがけず素晴らしいものだった。韓国のトラディショナルな陶器を破砕、シャッフルし、原形無視で金継ぎした、いびつなフォルムのオブジェたちが、天井から吊るされた軽量鉄骨のフレームに並ぶ蛍光灯に照らされ、ぬめるような光沢を放つ。その様子は実験室で培養された生物群、あるいは『AKIRA』ラストシーン近くの鉄男を彷彿させる。辰砂による赤い線で描かれた大きなドローイング2点も圧巻。
7/23。六本木・Gallery le bainで『内田繁展 2009 NY展へ向けて ぼやけたもの 霞んだもの 透けたもの ゆらいだもの』。手前のオープンスペースには合板を切り抜き組み合わせた樹木のオブジェと立礼の茶席。ギャラリーに入るといつもは白い壁面が真っ黒に塗られ、カラフルなメラミン化粧板をグリッド状に造作した「棚」がずらりと取り付けられていた。最奥の概ね完全な形状から次第にその部分が欠落し、やがて断片化して手前側の壁一面に飛び散るその様子は、メンフィス的である以上にソル・ルウィットのキューブやドナルド・ジャッドの後期作品との関連を感じさせる。フロアには2007年の展覧会にも登場した半オブジェ・半家具の「ムー」が数体。その上には水の入った撹拌装置付きの黒い箱がふたつ。それを通過した強い照明が足下で揺れる。徹底してドライでコンセプチュアルな空間表現に対して、「ムー」の存在はいかにも野蛮で無邪気だ。そのユーモアと違和感、そしてある種の不気味さが、いま内田氏の心中にある「わび」なのだろうか。
6/23。八雲で打合せの後、外苑前へ移動。プリズミックギャラリーで『「ISOLATION UNIT」展』を見てから外苑西通りを駅へと戻る途中、青空にそびえる『ドーリック』の前で思わず立ち止まった。1991年築のオフィス・商業ビル。設計は隈研吾建築都市設計事務所。
出来立ての頃に発散されていた濃厚なハリボテっぽさはすっかり薄れた。ややくすんだ質感の中に繊細な面処理が浮かび上がり、落ち着いた佇まいさえ感じさせる。ドリス式(私たちが学生の頃には「ドーリア式」と教わった)の巨大な柱の中身はエレベーターシャフト。別アングルからの写真はこちら。
年月が建物を完成へ導く、とは言うものの、この『ドーリック』にそれが当てはまるとは、よもや思わずにいた。都心にある隈作品の中で、個人的には一番好きかもしれない。ポストモダンの華。
5/21。京橋・INAXギャラリーで『チェコのキュビズム建築とデザイン』展を見た後、銀座・教文館のカフェでひと休み。1933年に完成したこの『教文館・聖書館ビル』はふたつのビルが最初から連結された状態で建てられている。中に入るのは初めて。設計はアントニン・レーモンド。奇しくもチェコ繋がり。
中央通りに面した外観は極めて控えめ。こちらのページ中段にある写真と比べると、そのモダンな佇まいは70年以上前の完成時からさほど大きくは変わっていないようだ。一部に施されたアールデコ調の装飾がテナントのファサードやネオンサインに隠された分、元来の匿名性がより高まったのは、果たして幸か不幸か。
装飾を最も良く残しているのが聖書館のエントランスホール。上の写真がその奥側からの見返し。装飾部分のアップはこちら。エントランスホールを抜けると中央の壁でふたつ分かれた階段室がある。こちらの写真左側が教文館ビルで右側が聖書館ビル。
上の写真がその階段室。どうと言うことはないが、不思議に魅力的な空間だ。上階のエレベーターホールも両ビルの共用となっており、往時の面影がわずかに感じられる。
上の写真は4Fの『CAFEきょうぶんかん』にある中央通り側のカウンター席からの眺め。もとは6Fにあったのだそうで、2006年3月にこちらへ移転したとのこと。白漆喰とダークな木造作の内装が東からの自然光とうすぼんやりした照明に浮かび上がる。壁には小沼充氏の手による可愛らしい左官の装飾。コーヒーもお菓子もリーズナブル。銀座の真ん中にこんな場所があるのは嬉しい限りだ。重宝しそう。
CAFEきょうぶんかん/東京都中央区銀座4-5-1教文館ビル6F/03-3561-8708
11:00-19:00(日13:00-19:00)/水休
5/2。遅ればせながら『Ao』を視察。青山・スパイラル斜め向かいに出来た約40ほどのテナントを抱える複合商業施設。2009年3月にオープン。その偉容を遠くから伺ったことはあったが、ちゃんと足を運ぶのは初めて。
この施設について、これまで人づてには散々な評判しか聞いたことがなく、実際に拝見してみた私たちにも特に書くべきことは思い当たらない。でも青山通りを逸れて細道をビルの裏側へまわれば意外に面白いことを発見した(上の写真/縦位置の写真)。
都心に取り残された低層の建物たちを背中にして見上げると、電線で細かく分割された空高く、乱雑なグリッドパターンがそびえ立つ。青山という街の混乱の縮図であるかのようなその眺めは、やや哀感を伴って、なかなか美しかった。
夜景になる前にそそくさと退散。あの電飾だけはどうしたって見るに堪えない。「LEDは工夫とセンスをもって使用すべし」って誰か法律で定めてくれないものか。いっそのこと「LED禁止」でもいいくらいだ。
3/6。青山・ワタリウム美術館で『島袋道浩展:美術の星の人へ』。島袋氏がゆるゆると手掛け続けるアートプロジェクトのうち、2001年から2008年までに手掛けられた十数点を主にビデオによって紹介する内容。オオタファインアーツで見た『シマブクロ・シマフクロウ』(1996)からいつの間にやら十数年。その作風はますます下らなさを増し、洗練され、強靭になっていた。探し物が見つかったり見つからなかったり、思わぬ出会いがあったり無かったりのプロジェクトは、どれも格好良く収束することはなく、ただ漫然と拡散してゆく。作品も下らなければ、それをぼんやり眺める私たちもまた実に下らない。生きてるってそんなもんだよね。と思ったり思わなかったりしながら会場を出た。何より最高だったのが『自分で作ったタコ壺でタコを捕る』(2003)。タコが捕れた瞬間の皆の嬉しそうな顔!、そして岸から海へと還されるタコの姿が忘れられない。
3月某日。初台・東京オペラシティアートギャラリーで『都市へ仕掛ける建築 ディーナー&ディーナーの試み』。これを見逃さなくて本当に良かった。スイス・バーゼルを拠点にヨーロッパ各地のプロジェクトを手掛けるD&Dの展覧会。彼らのデザインする建物は都市景観の中で擬態するように、あるいはひっそりと佇むように存在し、何らこれ見よがしなところがない。そこに周到に仕組まれた規則性と精緻なディテールが、日々建物を訪れ通り過ぎる人々の生活の中へと、美しい旋律を響かせるだけだ。会場の展示デザインもD&Dの手による。通常の展覧会では閉じられているギャラリー2手前の戸が、ここでは大きく開かれエントランスへと通じていた。些細なことながら、いつにないその風通しの良さが心に残る。チラシやポスターの「窓からの眺めも、私の部屋の一部なのでしょうか?」というコピーに『東京窓景』を思い出した。
3月某日。上野・東京都美術館で『「生活と芸術 - アーツ&クラフツ展」ウィリアム・モリスから民芸まで』。モダンデザインに反商業主義の遺伝子を組み込んだ男、モリスのことが最近とみに気になっている。タイミングよく拝見できてラッキーだ。会場冒頭、「役に立たないもの、美しいと思わない ものを家に置いてはならない」というモリスの言葉にいきなりガツンとやられる。ジョン・ラスキンのスケッチにはじまり、イギリスから中央ヨーロッパ、ロシア、北欧へのアーツ&クラフツのひろがりを一通り見ることができたのは有り難い。フィリップ・ウェッブのモダンな感覚、モリスのタペストリーの精巧さ(しかもかなり大きい)も印象的だった。後ろ1/3の日本の民芸運動に関するエリアにも見るべきものは多かった。でも全体としてはやや蛇足だったかも。
4/3。谷中・SCAI THE BATHHOUSEで『光の場 - 大庭大介』。7.5m×2mの大作を含む淡いパールカラーで点描された森の樹々のシリーズが素晴らしかった。角度によってその表情がダイナミックに変化することから、見るものは自然と身体を動かし、さながら絵の中を散策するような気分になる。ギャラリーを出ると、墓地周辺のあちこちで咲く満開の桜がこれまた点描の風景だった。
さらに同時開催の展覧会を見に4/5に恵比寿・magical ARTROOMへ。こちらは同様の画材を用いながらもぐっと抽象的な作品シリーズ。光学的イリュージョンの試行としてはより分かりやすいものの、細部に残る手仕事の跡がノイジーに感じられる。やっぱり森が好き。
4/5。パルコファクトリーで『浅田政志写真展 浅田家 - あなたもシャッター押してみて』。実在の「浅田家」であるご両親と兄弟の四人家族全員が揃って、大掛かりながら微妙にゆるいコスプレ(と言っても題材は「消防隊員」とか「ロックバンド」とか「選挙カー」とか)でおさまった写真がずらり。滑稽極まりないその様子が、やがていとおしくなる。なんて楽しそうなんだ、この家族は。馬鹿馬鹿しいくらいに単純であり、ハッピーであることが、なにより鋭く心に刺さり、泣ける。
4/11。花見の後、旧山手通りを鎗ヶ崎交差点方面へ向かう途中で『TKG代官山』の前を通り掛った。小山登美夫氏の運営するギャラリー。2007年10月オープン。閉廊後も照明が点された店内は、ほぼ「ショーウィンドウ」と言って差し支えの無いくらいにこぢんまりとしている。
内装デザインを手掛けたのは西沢立衛建築設計事務所。フロアのまんなかで透明アクリルのパーティションが大きくうねるような曲面を描く。いくつかのユニットを上下のちいさな金具で繋ぎ、床置きで自立させている。なんという軽やかさ。
実際に間近で見ると、その空間は図面や写真から想像するよりもはるかに楽しげだ。引いた位置から大きな作品を見るにはパーティションが邪魔になるかもしれないが、このギャラリーは手頃な小品の販売に注力しているようなのでさほど問題は無いのだろう。やや難があるとすればライティングの「むら」くらいか。
近いうちにぜひ中へ伺ってみよう。昼間の様子もきっと美しいに違いない。
TKG代官山/東京都渋谷区猿楽町29-18 ヒルサイドテラスA棟1
03-3780-2150/11:00-19:00/日月祝休
4/11。午後に三鷹・星のホールで柳家さん喬独演会を見て夕刻代官山へ。『boy』で髪を切り、『猿楽珈琲』で二十三番地珈琲とバニラアイスのせアイスコーヒーをいただいて一息ついた後、夜のヒルサイドテラス(1967-1992/設計:槇総合計画事務所)を少し散歩。
旧山手通り南側、D棟とC棟の間にある猿楽塚古墳(6-7世紀)のまわりをぐるり。C棟中央の細い通路を駐車場の方へ向かう途中で右手の視界がぱっと開け、ライトアップされた立派なしだれ桜が目に飛び込んできた(縦位置の写真)。
桜左手にヒルサイドプラザ(多目的ホール)への入口、右手には旧朝倉家住宅(1919)が見える。地下への階段に植え込まれたつつじもすでに満開。
思いがけず、今年最高の花見に。代官山にヒルサイドテラスがあって良かった。
地名で読む街の歴史 恵比寿・代官山・中目黒編(TokyoRent通信)
猿楽塚古墳(坂東千年王国)
代官山ヒルサイドテラスに今も残る旧家と古墳(東京レトロ散歩)
猿楽町 (渋谷区)(Wikipedia)
3/30。『アメリカン』を出て地下鉄四つ橋線で本町まで。靭公園を縦断して『VADE MECVM. Showroom #2』(ヴェイディミーカン・ショールームナンバーツー)へ。2006年4月開業のギャラリーショップ+カフェ。内外装のデザインを手掛けたのはISOLATION UNIT(柳原照弘氏)。柳原氏の作品を拝見するのはこれが初めて。
店は靭公園に裏側を面した小さなビルの1Fにあり、公園から直接入ることができる。黒いフレームの大きな窓越しに、店内のすっきりとした内装がよく見える。
エントランスのすぐ脇に、窓と平行してレジとキッチンとディスプレイを兼ねたコンクリート製のカウンターが床面から直接立ち上がっている。他には、おそらく柱型を利用したものと思われるふたつの棚を除き、固定物は置かれていない。客席には学校用の椅子と机を黒くペイントしたものが十数組使われており、客の人数に応じてそれらが並べ替えられる。黒尽くめのスタッフ諸氏が入念に客席を配置するのを待つ間、店内を興味深く拝見したり、壁にプロジェクターで流されていた『おいしいコーヒーの真実』を眺めたり。この日は上映のせいもあってかフロアの状態はゆったり、と言うよりほとんどがらんとしていた。なんとも商売っ気が薄い。ゆえにショールームなのか。
これ見よがしな造作は一切ないが、空間そのもののディテールに見所がいくつもある。特にパネル材による天井造作とエアコンの納め方、照明器具の選び方などに独特のセンスが感じられる。この店のデザインテーマは、そうしたさりげないディテールが構成する空間の、容器としての佇まいにある。濃密な「がらんどう」。その在り方はまさに公園の延長であるにふさわしい。
デザートメニューは『BROADHURST'S』製とのこと。これが実に美味かった。
VADE MECVM. Showroom #2/大阪府大阪市西区京町堀1-13-21高木ビル1F奥
06-6447-1335/8:00-19:00/水休
夕刻に店を出て、阪神百貨店でいか焼き。ホテルへ戻り荷物をピックアップして新幹線で帰京。
倉俣史朗デザインの公園を発見したのでメモ。
作品名は『マンションの中の児童公園』。ふたつの集合住宅棟のあいだにある。建物の竣工は1971年7月とのこと。その他のデータは一切不明。『JAPAN INTERIOR DESIGN』1975年4月号(no.193)に掲載。航空写真を見る限りコンディションは割合良さそうだ。ただし完成当時公園の北端に置かれていた飛行機(おそらくモランソルニエMS-880bの実機)は撤去されている模様。
近いうちに見に行ってみよう。
3/28。『大阪市中央公会堂』のレストランで野井成正さん、アシスタントの松本直也さんと昼食。『大阪市中央公会堂』は1918年に竣工。岡田信一郎が設計原案、辰野金吾と片岡安が実施設計を手掛けている。老朽化のため一時は取り壊しの危機に瀕したものの、1999年に免震装置の設置、耐震補強、内装の改修などを含む大規模な保存再生工事が開始され、2002年に完了。地下食堂は中央フードサービスが運営するレストラン『中之島倶楽部』へと様変わりした。
上の写真は南面(土佐堀川側)外観。リニューアル後に見るのは初めて。こぢんまりした佇まい、繊細なディテールはそのまま。それにしてもあまりに綺麗になっていて少々面食らった。やればできるじゃないか大阪市。
上は南面左側の出入口。このすぐ右脇にバリアフリー化に伴いエレベーター乗降口のガラスボックスが設置されている。レストランは建物中央の大きな階段を降りたところのちょっとした広場に面しており、地下とは言っても明るい雰囲気だ。海老フライ定食(写真では分かり辛いが海老がかなり大きい)やオムライスをいただきつつ談笑。
話しに夢中で時間が無くなってしまったため、建物の見学はまたの機会に。すぐ近くにできた京阪電車中之島線なにわ橋駅(設計は安藤忠雄建築研究所)も含め、またゆっくり拝見したいものだ。
3/28。心斎橋のホテルから地下鉄で淀屋橋へ。
梅田駅や心斎橋駅に比べると、淀屋橋駅のヴォールト天井はややスケールダウンしており仕様も簡素。それでも御堂筋線名物・40W蛍光灯の巨大ペンダントライトはしっかり取り付けられている。
こちらのペンダントライトはミガキ仕上げのスチールパーツが蛍光灯と同じくらいに存在を主張する武骨でレトロフューチャーな造形が特徴。中央の円筒型パーツ下面に埋め込まれたダウンライトは使用されていない様子だった。
3/27。大阪へ3日間の小旅行に出発。主なミッションは落語会。
心斎橋のホテルに荷物を置くとすぐさまタクシー移動。湊町リバープレイスの窓口で手続をして船着き場に降り、きらり号に乗船。『落語家と行く なにわ探検クルーズ』へ。この日16時便の案内役は笑福亭呂竹さん。
船は道頓堀川を西へ。道頓堀川水門を抜けて木津川を北上し、中之島北側の堂島川(旧淀川)を東へ。大川に入って少し北上したところで折り返し、東横堀川を南下。水門を抜け、再び道頓堀川に入って湊町船着場へ還ってくる。途中、呂竹さんの案内で落語『あみだ池』(和光寺)と『お血脈』(善光寺)の関連などについて興味深く伺う。造幣局の桜がまだほとんど咲いていなかったのはちょっと残念。
大阪市内を流れる堀川の水位は付近の地盤沈下のためやたらと高く見える。上の写真は中之島と堂島浜を繋ぐ大江橋(1935)あたり。橋と水面との間隔が極めて狭い。こうしたスキ間を通るため、堀川を運行する船の形状はかなり平べったい。この日乗ったきらり号は航路の条件に合わせて客室部分の船体そのものが上下する。船体を高くすると窓は全開になり、低くすると窓は閉じられる。川風の当たる開放的なクルーズと、水面ギリギリの目線を交互に体験できるのが面白い。
一番盛り上がったのはやっぱり道頓堀川戎橋界隈。上の写真はドンキホーテの見上げ夕景。
こちらはグリコ。
この場所で、これだけ川面の近くにいても嫌な匂いはほとんど全くと言ってよいほど感じられない。実に快適なクルーズだった。『野崎詣り』や『三十石船』、『遊山船』の風情は望めないが、21世紀の水都大阪もなかなか楽しいものだ。
3/8。地下鉄銀座線上野駅から東京都美術館へ向かう途中、JR高架下の交差点で国立西洋美術館の世界遺産登録推進に関する大きめのバナーが目についた。
バナーの取り付けられた解体用仮囲いの建物は『西郷会館』(1952)。設計を手掛けたのは土浦亀城。一般には『上野百貨店』、もしくはメインテナントであった『聚楽台』の名前の方が通りが良い。中央通りの突き当たりに位置し、上野公園の台地東側斜面にへばりつくようなデザインは、都心の近代建築物としては珍しく、ダイナミックな地形を生かしたものとなっている。銀座『三原橋センター』とともに、ユニークな敷地条件を生かした異色の土浦作品として知られる建物だ。『聚楽台』は2008年4月に閉店。改築後、2010年秋頃に再オープン予定とのこと。
国立西洋美術館云々については、基本的にフランス政府が目指すコルビュジェ作品のまるごと世界遺産登録の一環なわけで、台東区民としてはまあ勝手にやって下されば良いと思っている。
聚楽台(聚楽グループ)
昭和の残影 上野の老舗レストラン「聚楽台」閉店(産経ニュース)
閉店直前 上野の大衆食堂 聚楽台に行ってきた(メレンゲが腐るほど恋したい)
ル・コルビュジエの建築と都市計画の世界遺産推薦について(国立西洋美術館)
国立西洋美術館世界遺産登録推進(台東区)
3/7。矢来能楽堂で『日本の伝統芸能絵巻』を見てから神楽坂を下って『龍公亭(りゅうこうてい)』へ。1889年に『あやめ寿司』として開業。1924年の改築時に2Fを『龍公亭』とし、その後全フロアを中国料理店に。現在4代目が店主を務められているとのこと。2007年にビルの建て替えに伴い一時閉店。その間にheads(山本宇一さん)プロデュース、Kata(形見一郎さん)デザインによる姉妹店『SO TIRED』が新丸ビルにオープン。『龍公亭』は2008年6月にリニューアルオープンした。
白く塗り潰された煉瓦調のファサードに黒いフレームの開放的なガラススクリーン。大きめの自動ドアから店内へ入ると、レジカウンターのすぐ手前にデザートのショーケースが置かれている。アイドルタイムを廃し、カフェとしての営業にも力を入れている模様。フロアは最奥にキッチンを備えた1Fと、神楽坂を見下ろすテラスのある2Fに分かれている。この日は1F中ほどのベンチシートへ。見渡すと『SO TIRED』と同じ三方の競演となった店構えのそこかしこに、それらしいディテールが見られる。特に階段脇のカラーガラスのスクリーンは、姉妹店の記号、と言った趣だ。
赤と銀による力強い構成が印象的なグラフィックデザインを手掛けたのは、なんと松永真氏。上の写真はメニュー表。裏面にはローマ字ロゴとイラストが。
蒸し鶏のネギ・ショウガ風味、中国野菜の海老味噌炒め、カニ玉に酢豚。どの味にも尖ったところが無く、ホっとするようなやさしさと安心感がある。
そしてチャーハンの食感の素晴らしいこと。まさにザ・スタンダード。甘さ控えめの中国茶あんみつにマンゴープリン、フルーツソースと相性抜群の杏仁豆腐も美味しくいただいた。サービスを含めどこを取っても至ってさりげなく、それでいて質の高い、新しい老舗。虚勢と厚化粧に彩られた神楽坂という街の真ん中にあって、実に地に足の着いた爽やかな印象の店だった。『SO TIRED』も含め、またぜひお伺いします。
龍公亭/東京都新宿区神楽坂3-5/050-5535-3972
11:00-22:00LO(金23:00LO)/年中無休
2/14。銀座・巷房で『佐藤卓展「2つの実験」』。巷房は奥野ビルディング(旧銀座アパートメント)内に3つのスペースをもつギャラリー。奥野ビルディング(鉄筋コンクリート造7階地下1階建)は1932年築。西条八十、吉田謙吉(参考)らが入居した由緒ある古ビルだ。設計を手掛けたのは川元設計事務所とされており、この「川元」が川元良一だとすると、奥野ビルディングは同潤会アパートや九段会館(旧軍人会館)の兄弟、と言うことになる。
さて、先ずは地下へ。小部屋が1室と階段下が展示スペース。小部屋には円筒形の台が置かれ、その天面に小さな人形が埋め込まれていた。レトロでバタ臭い様式のキャラクターは、上方から投射されるビデオプロジェクターの映像や光で刻々と表情を変え、やがてたどたどしい子供の声色で「いろは」を順に喋りはじめる。固有の表層を持たないアウトラインデータとしてのキャラクター。階段下ではその様子をビデオモニターを介して見ることができた。照明が落とされたフロアはビルのつくりと相まって、いかにも怪しい実験室の様相。
3Fのギャラリーに入ると、一辺30cmほどの木の小箱が床上にずらりと並ぶ。数にして50ほど。透明の上蓋を通してひらがながひとつずつ収まっているのが見える。ひらがなは白い紙がゆるやかに変形しながら積み重なることで立体化されており、それぞれに特徴的なボリュームを持つ。質感を伴ったオブジェクトとしての文字。「い」には「い」らしいかたち、「ん」には「ん」らしいかたちが与えられているのが楽しい。いや、しかし、地下の展示を思い返すとなんだか不気味だ。ここでは実体と非実体が容易に入れ替わり、その曖昧な境が現実世界を浸食するように思えて来る。小さいながら、とても印象深い展覧会だった。
同日。六本木・サントリー美術館で『国宝 三井寺展』。個性豊かな仏像群に目を奪われた。中でも不動明王立像(通称:黄不動尊/鎌倉時代・13世紀)は凄かった。息づかいが聞こえてきそうな生々しさと、近寄り難い高潔さを同時に感じさせる佇まい。如意輪観音菩薩坐像(平安時代・10世紀)のしなやかなポーズ、毘沙門天立像(小振りでリアルな方/平安時代・10世紀)の凛々しさ、阿弥陀如来立像(鎌倉時代・13世紀)の超絶ディテール、十一面観音菩薩立像(平安時代・9世紀)の愉快な四頭身、新羅明神坐像(平安時代・11世紀)の繊細な造形とミステリアスな表情も忘れ難い。狩野光信の障壁画は個人的には今ひとつ。
2/24。銀座・ギャラリー現で『倉重光則 - 不確定性正方形 - 』。ガラス部分を鉄板で閉ざされたドアを開け、ギャラリーに入ると床一面がこれまた鉄板で綺麗に覆われていた。まるで重力が増したような錯覚を覚えながら壁面へ目を向けると、ビデオプロジェクターから白い正方形が投射されている。明滅する正方形とギャラリーの床壁の際を、それぞれ一部分ずつ赤いネオン管が縁取って不完全な領域を強調する。軽やかさと重厚さ。静けさと凶暴さ。極めつけに単純で、体験的なインスタレーションだった。
眺めていると、なんと倉重氏ご本人からお声がかかった。ギャラリーのスタッフの方からコーヒーをいただきつつ、初期の作品とアメリカのミニマル・アートとの偶然の同時性について、昨年開催された赤坂アートフラワー08で自分の作品を見るために行列に並んでみたこと、などなど、貴重なお話や愉快なお話を伺う。私たちにとって奇跡のような数十分だった。ギャラリーを出てから感激がじわじわと。作品の厳しい抽象性からは全く想像のつかない気さくなお人柄にかえって面食らってしまったことが悔やまれる。願わくば日本のミニマリストたちが体験した1970年前後の空気感について、もっとお話が伺ってみたい。
倉重光則(JDN)
1/16。日本橋三越本店新館7階ギャラリーで『画業40年 東京芸術大学退任記念 田淵俊夫展』。画家・田淵俊夫氏の手掛けた1966年から2007年までの主要な作品が一堂に。すべてが日本画のテクニックで描かれてはいるものの、用いられた多様なモティーフと手法に触れるうちに、それらを敢えて「日本画」と呼ぶことの無意味さを痛感する。水墨画ですら現代的な絵画として自然に受け入れられるくらいにストレートでニュートラルな田淵氏の表現が、厳しい写実によって支えられていることは興味深い。女竹の細密で瑞々しい輪郭をふわりと覆う緑色の霞。金色の海面にぽつんと浮かぶ一艘の船。深い藍色に塗り込まれた何気ない都会の風景。目の前に在る圧倒的なリアリティに、私たちはほとんど愕然とした心持ちになった。自身が感じた事物をこれほど真摯に作品化することが、果たして私たちに可能だろうか。
同日。日本橋高島屋8階ホールで『智積院講堂襖絵完成記念 田淵俊夫展』。計60面の墨絵の襖がゆったりと展示された贅沢な空間。三越の後で見ると、一連の襖絵がこれまでの田淵作品の集大成としての意味合いを持つものであることがよく分かる。5室のうち、最も強い印象を受けたのは、秋の情景を描いた『智慧の間』。無数のレイヤーを重ねたような奥行きを感じさせるすすき野が、一発勝負の墨で描かれたものであるとは信じ難い。枝一杯に実をつけた柿の木は、田淵氏の言う「寂しさ」よりも、むしろ爆発的な生命の喜びを強く感じさせた。
さらに同日。六本木・21_21 DESIGN SIGHTで『第4回企画展 吉岡徳仁ディレクション「セカンドネイチャー」展』。全体に作品の成り立ちや背景に関する解説が乏しく、一般向きの内容とは言い難い。メインの展示室は全て吉岡氏の作品に割かれており、ほぼ個展の様相。場末に追いやられた他の7組がなんだか気の毒ではあったが、あからさまにアンバランスなスペース配分はある意味見物だったかも。
特に印象的だったのは東信氏(あずままこと/フラワーアーティスト)とロス・ラブグローブ氏の作品。骨の組成を下敷きにした光造形によるスタディモデル『CELLULAR AUTOMATION Origin of Species 2』(ラブグローブ作/2008)は、そのレゴブロックさながらの不完全さがかえって自然の造形のエレガントさを思い知らせる。わさわさの葉っぱをトルソに組み合わせた『LEAF MAN』と五葉松を氷漬けにした『式2』(どちらも東作/2008)は、乾いたユーモアの刃で命の本質へ斬り込む。瞬殺的。他方、中川幸夫氏の作品『迫る光』(1980)は断ち落とされたような片腕を象った透明なガラスのオブジェ。植物どころかまったくの無機物であるにも関わらず、生々しいことこの上ない。逆説の生け花。期せずして見応えある新旧フラワーアーティスト対決を楽しませていただいた。
1/23。京橋・INAXギャラリー1で『デザイン満開 九州列車の旅』。水戸岡鋭治氏(ドーンデザイン研究所)がデザインを手掛けたJR九州の車両の数々を紹介する内容。スケッチや図面、実際に使用されている部材や資材などがギャラリー狭しと詰め込まれていた。ここでの水戸岡氏のデザインの対象は車両本体だけでなく、ロゴやポスターなどのグラフィック、椅子とその張地、乗務員のユニフォーム、弁当のパッケージにまで及ぶ。結果として、水戸岡氏はほとんど都市環境規模と言えるくらいのクリエイティブディレクションをやり遂げてきた。『つばめ』や『ソニック』などの言わずと知れた代表作の影には、地味ながら魅力的なローカル車両が数多く存在する。その丁寧なデザインがあたりまえのように生活に馴染んでいる様子は感動的だ。列車に乗ることを目的に、また九州を旅してみたくなった。
CSデザインセンターで開催された『2つのトークセッション - CSデザインの過去・現在・未来』に関する簡単な覚え書き。
トークセッション〔1〕(11/25)永井一正×内田繁
ナビゲーター:萩原修氏
CSデザイン賞概説(中川ケミカル・中川幸也社長)
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看板製作『中川堂』 - ペンキを顔料から調合する時代
・1940年代に蛍光灯の普及
行灯看板の増加/ペンキを延ばしてフィルム化して対応
・戦後の経済復興/技術者不足
・デパートのディスプレイ製作の増加/工事時間短縮の必要
→1961年にディスプレイ用新製品開発に着手
・カッティングシート(CS)の誕生
・ほとんど売れずに数年が経過
・新幹線や成田空港のサインなどから普及
・CIブームへの対応
→『中川ケミカル』の分離独立
・色公害への懸念
・ボカシができないことによる新しい表現の必要性
→デザイン賞を発案
・勝見勝氏へ審査員を依頼/トロフィーは五十嵐威暢氏がデザイン
歴代CSデザイン賞受賞作品解説(永井氏,内田氏)
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・第1回:つくば万博の告知/ビルファサードへのグラフィック表現
・第2回:タイポグラフィとパターンの複雑化
・第3回:西武美術館(田中一光)/グラフィックとCSが格調高く結びつく
・第4回:松屋ウィンドウ(ハルオ宮内)/イラストの拡大による表現
・第5回:七十七銀行/地方での表現の可能性がひろがる
・第6回:なんば高島屋/立体的表現
・第7回:地下鉄南北線/切り絵イラストとのマッチング
・第8回:金馬車(妹島和世)/建築素材化するCS
・第9回:イッセイ・ミヤケのウィンドウ/多彩な色による表現
・第10回:資生堂(工藤青石)/はがすことで変化するグラフィック
・第11回:資生堂(工藤青石)
・第12回:原宿のビル工事仮囲い/都市空間に対する節度ある表現
・第13回:名古屋デザインデパート/フロア全体にグラフィック
・第14回:ヒロオ・コンプレックス(廣村正彰)/建築表現の深まり
・第15回:イナリアンジェラート・ロノ(三宅博之)/「影」の素材化
まとめ
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永井氏
・時代の証言としてのCSデザイン賞
・グラフィック・建築・素材の三位一体的表現の発達
・空間デザインとグラフィックデザインのボーダーレス化
内田氏
・軽さ・薄さ・はかなさへの志向
・サイズに制約の無い平面表現
トークセッション〔2〕(12/5)廣村正彰×小泉誠
ナビゲーター:萩原修氏
廣村正彰氏・小泉誠氏とカッティングシート(CS)
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廣村氏
・第14回の大賞などを受賞
小泉氏
・第9回の装飾部門銀賞受賞
・住空間にCSはほとんど使わない
・展示イベントでは自分でシート貼りをやることがある
CIとカッティングシート(中川社長)
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・全く同じ色を繰り返し使用できる
・コンピューターカッティングの発達
・リタックシート、カバーシートの開発
→第3回CSデザイン賞でふたつの準大賞 - 三菱銀行CI,日石CI
CSデザイン賞について(廣村氏,小泉氏)
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・金馬車(妹島和世建築設計事務所)
小泉氏:現代の看板建築/ソットサスが高く評価していた(JCD)
・ヒロオ・コンプレックス(廣村デザイン事務所)
廣村氏:単なる「表面」ではなくなってゆくCS
「素材だけでは伝わりにくいもの」を意識化するCS
・イタリアンジェラート・ロノ(三宅博之デザインオフィス)
廣村氏:物質性に寄らないデザインの可能性
→案内サインに物質性は必要ない
小泉氏:フェイクぽさが個人的に好きではない
・東証アローズ(廣村デザイン事務所)
小泉氏:空間に挑むCS
・丸ビル(廣村デザイン事務所)
廣村氏:空間に入り込むCS
・横須賀美術館(廣村デザイン事務所)
廣村氏:ピクトサインがあれば文字サインはいらない
写真をサインに使おうとしたが却下される
→女子社員に判断を委ねるクライアント担当者について
「カッコいい」が「カワイイ」に負ける
「カワイイ」を取り入れながらデザインする
・心斎橋そごう工事仮囲い(イチハラヒロコ)
廣村氏:言葉(コピー)の力を再認識させられた
元来工事仮囲いは新しいメディアとして「表現」された
→現在は「広告」化して別物となりつつある
まとめ
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小泉氏
・手切り“リアル”な表現もあり得るのでは
(コンピューターカッティングだけではなく)
廣村氏
・住宅にCSが入っていない原因は何か?
→CSは生活に入ってゆけるのか?
・グラフィック表現の空間化・建築化
→より体験的な部分にまで評価基準を拡げることは可能か?
(単なる見た目による評価ではなく)
先日、都市徘徊blogを見て気がついた。銀座の『樽』はどうやら数年以内に無くなりそうだ。『樽』は1953年開業のバー。渡辺力、剣持勇の両氏がインテリアデザインを手掛けている。
初代オーナーの故・赤羽猛は銀座でバー『機関車』も経営していた。こちらは交詢ビル隣の瀧山町ビル(第22ポールスタービル/1928年築/設計:三輪幸左右衛門)内に1934年開業。翌年同ビルに『ミラテス』(ブルーノ・タウトがデザイン、経営に携わった雑貨店/現存せず)も開業している。『機関車』の最初のオーナーは俳優・斉藤達雄で、赤羽が店を譲り受けたのは1938年頃。1966年にコリドー通りへ移転し、1988年に赤羽の逝去とともに閉店した。瀧山町ビルの『機関車』は舞台美術家・吉田謙吉(今和次郎とともに考現学の成立に寄与した人物)が、コリドー通りの『機関車』は先の渡辺・剣持両氏がインテリアデザインを手掛けている。ふたつの『機関車』を橋渡すように、伝説となるべくして『樽』は開業した。
さて、『樽』があるのは銀緑館(第一銀緑ビル/設計はビルオーナーの松岡清次郎が手掛けたようだ)の地下1階。1924年築の建物だから、おそらく『樽』の開業時にはすでに結構な古ビルだったに違いない。その後オーナーやバーテンダーの代替わりを経て、銀緑館ともども『樽』はしぶとく生き延びてきた。
そして、今世紀に入って松坂屋と森ビルが進める松坂屋銀座店および銀座六丁目2街区の一体開発計画が徐々に具体化し、その命運は遂に絶たれようとしている。2007年の報道によると、地上15階建(松坂屋は低層階のみ)程度となる新ビルのデザインは谷口吉生氏が手掛ける予定とのこと。インテリアデザインの名店が消えることは残念だが、谷口氏が開発の完了(今のところ2013年を予定)まで関わるなら、あの場所にさぞかし端正な景観が生まれるに違いない、と期待も膨らむ。
バーとしての『樽』は別段突出した美点の無い店だ。人に薦めはしない。それでも、ふたりの巨匠がその最も脂の乗った時期に共作した空間は、いまそこにしかない。長いカウンターと変形の大テーブルが広いフロアにざっくりと配置された居心地の良いその空間には、インテリアデザイン全盛を目前に控えた時代の自由でカジュアルな雰囲気が息づいている。
樽/東京都中央区銀座6-11-10銀緑館B1F/03-3573-1890
18:00-1:00/日休
銀緑館,銀緑館 その2(都市徘徊blog)
松坂屋、銀座店の高層化断念(看板よもやま話)
松坂屋銀座店(J.フロントリテイリング)
銀座の街に、昭和モダンの名残りを求めて(枝川公一)
解体されます。瀧山町ビルヂング(ゆる〜り、ゆるゆると〜)
11/1。江戸東京博物館で『ボストン美術館 浮世絵名品展』。江戸中期から幕末までの浮世絵を網羅する内容。懐月堂派にはじまり、鈴木春信、鳥居清長、喜多川歌麿、東洲斎写楽、葛飾北斎、歌川広重、歌川国芳らの作品がぎっしりと居並ぶ様は壮観。見終えてぐったり。画面を覆う繊細なエンボスは数百年の時を越えて未だ生々しい。
春信の作品をまとまった数で見たのは初めてのこと。簡潔で、女性的で、なんとも可愛らしい。写楽の後期作品(全身像の役者絵)には印刷物を見る限りではさほど魅力を感じなかったが、実物はやはり力強い。ポスターにも使用されていた歌川国政の作品は、少数ながら期待を上回る素晴らしさ。生命感漲る輪郭線によってキャラクター化された役者のクローズアップ。極めつけに現代的でグラフィカル。
11/7。田町・ AATロビーギャラリーで『武藤奈緒美作品展 空想文学旅 VOL.1』。文学作品に寄せた三重・和歌山の風景写真。展示手法としてはやや散漫な印象だったものの、写真から伝わる空気感はガツンと濃密。妙な言い方かもしれないけど、まるで人物写真のような風景写真だ。『かわら版』などで撮り続けておられる落語家の写真展をぜひとも見たい。
12/16。ギャラリー間で『安藤忠雄建築展 挑戦 - 原点から - 』。原寸大『住吉の長屋』に度肝を抜かれた。ギャラリーと屋上テラスを隔てるガラススクリーンを取り去り、2つのフロアに跨がっての完全再現。単純明快で破壊力満点なこのやり方はいかにも安藤氏らしい。極小の敷地に最大限の自然を取り込みつつも周辺環境から隔絶された室内には、さながら孤島のようなユートピア性が感じられる。他にもいろいろ展示されていたような気がするが、『住吉の長屋』のおかげですっかり記憶から吹っ飛んでしまった。
歌舞伎座、再開発で29階建て複合ビル併設(2009.01.31/銀座経済新聞)
なんだろうか、この完成予想図から漂うやる気の無い感じは。
歌舞伎座、装飾を抑え現代風に(2009.1.28/asahi.com)
いろいろと横やりが入ったみたいだけど、本当にこんなハエ男みたいな建物になってしまうとしたらなんとも残念な話だ。挑戦さえ恐れなければ、伝統に則った、この地にふさわしい高層建築はきっとあり得るはずなんだが。
歌舞伎座(東京・銀座)建替(2008.10.29/日刊建設工業新聞)
発表された立て替え案のニュースに、デザインを担当するはずだった隈研吾氏の名が全く出て来ないのが少々気になるところ。
10/7。パナソニック電工汐留ミュージアムで『村野藤吾 - 建築とインテリア ひとをつくる空間の美学』。村野と共働者たちの「手」の痕跡が心に残る展覧会だった。『十合百貨店(心斎橋そごう)』(1936)の階段手摺の原寸図、『世界平和記念堂』(1954)のために描かれた無数のファサードスケッチ、『新高輪プリンスホテル(グランドプリンスホテル新高輪)』(1982)客室入口枝折戸の原寸指示図など。『日生劇場(日本生命日比谷ビル)』(1963)天井の試作とスタディ模型の側には、粘土を削るための道具や模型の曲線を計るために手作りされた道具(枠にはまった百本くらいの木片を模型に押し付けてそのラインをトレースする)が生々しく置かれていた。最晩年の作品である『谷村美術館』(1983)の外観スタディ模型からは今でもはっきりと湿った粘土の臭気が感じられる。そこにはまるで村野の気配が立ちこめているようで、思わずぎくりとした。年譜を改めて見ると、主要な作品のほとんどが60歳代から80歳代までの20年間ほどの間に設計されていることが分かる。建築家とはかくも体力勝負だ。図録末尾にある隈研吾氏の寄稿「商品の対極にあるもの」は必読。
10/13。東京オペラシティアートギャラリーの『トレース・エレメンツ - 日豪の写真メディアにおける精神と記憶』に駆け込んだ。最終日の閉館20分前。古橋悌二の『LOVERS - 永遠の恋人たち』(1994)だけを鑑賞。1998年に青山スパイラルガーデンで行われた展示以来ちょうど10年振りの体験。
真っ黒な壁で正方形に区切られたスペース。その中心の回転台上にはビデオプロジェクターとスライドプロジェクターが各数台。壁面には全裸の人体がぼんやりと写し出され、振り向き、ゆっくりと走り、止まって誰かを抱きしめるような動作を見せては幻のように消えてゆく。
私たちにとって古橋はかつて最も大きな影響を受け、今も敬愛するクリエーターの一人。墓前に参詣するような気分の十数分だった。久しぶりにお会いできて良かった。
10/17と11/12。東京国立博物館で『大琳派展 - 継承と変奏』。前期の印象は中小の名品を上手く編集した展覧会、と言ったところ。会期中に主要な展示作品の入れ替えがあり、後期に再訪した際のインパクトはより大きかった。
第一会場の中ほどに風神雷神図の主要4作品が勢揃いした様はまさしく圧巻(俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一の二曲一双屏風と鈴木其一の襖/宗達と抱一は後期のみ展示)。オリジナルである宗達の作の素晴らしさは言うまでも無い。その向かいにあった其一の作(初見)は細部の表現をグラフィカルにそぎ落とし、超ワイドな画面へと二神を解き放つ。抜群の空間センスを痛感させる野心的改作。間に挟まった光琳と抱一はやや居心地が悪そうに見えた。
終盤にあった其一作『夏秋渓流図屏風』(初見/後期のみ展示)も期待を遥かに上回るもの。林立する杉の幹の太いラインで分断されたぶつ切りの画面に、極彩色の琳派モティーフが大胆に配置される。ぞっとするような鮮烈さ。
10/28。ギンザグラフィックギャラリーで『原研哉「白」』。1Fはパッケージデザインや装丁の作品で構成され、B1Fには近年に催された展示会や展覧会での超撥水加工技術を用いたインスタレーション3点が一同に。NHK『視点・論点』で放送された「白」にまつわるトークと、『蹲』を転がり落ちる水滴の描く優雅な軌道が印象的だった。本、買おう。
同日。クリエイションギャラリーG8とガーディアン・ガーデンで『福田繁雄 「ハードルは潜(kugu)れ」』。G8には手作りの習作からパブリックアートまでを含む立体作品の数々がぎっしり。ガーディアン・ガーデンには代表的なポスター作品とそのアイデアスケッチの現物、さらには中学、高校時代の漫画作品が展示されていた。限られたスペース内に濃縮された福田ワールドが展開し、二つの会場を見終えた頃にはもうお腹いっぱい。どこまでも一貫したユーモアと美意識、そして飽くなき探究心に感動を覚えた。個人的にはやはり立体作品の思考と最終形態との馬鹿馬鹿しいまでの直結ぶりに心惹かれる。
10/28。銀座でデザイン展をはしごの途中、こんな建物の前を通り掛った。
『竹川画廊』。ざっと見たところ地上2階、地下1階建ての鉄骨造かと思われる。上左右の三方が薄いオフホワイトの壁で囲われ、少し奥まったところに華奢な暗色のスチールサッシ。ガラス越しのすぐ向こう側に階段があり、上りきったところにちいさな箱状のバルコニーが突き出す。屋根の中央には大きなトップライトがあることが伺え、その下に調光板が吊られている。日中は自然光、夜間は蛍光灯による間接光が2階を満たす仕組みのようだ。1、2階とも天井は木材で仕上げられ、無機質な空間のアクセントとなっている。
築年数も設計者も不明。佇まいからしておそらく1950年代から60年代の作ではないかと思われる。それにしても実に濃厚なモダニズム。
竹川画廊/東京都中央区銀座7-7-7
銀座の気になるビル(May 11, 2006)
10/19。ウヱハラ先生のルーテシア号で日光東照宮へ。東京に暮らして十年以上になるにも関わらず、なんと権現様にご挨拶するのはこの日が初めて。
参道を逆に見たところ。国の特別天然記念物であり特別史跡もである日光杉並木(1625頃から20年ほどをかけて植栽されたもの)にいきなり度肝を抜かれた。あまりに壮大過ぎる。入口にある石鳥居は、石造の鳥居としては最大級のもの(高さ5m)。この杉並木の狭間にあってはごく常識的なサイズにしか見えない。鳥居をくぐるとすぐ左手にある五重塔もまたしかり。それでも五重塔を間近で見上げ、極彩色の斗栱(ときょう)にシビれた辺りで、脳のどこかのスイッチが何やらパチンと入ったような感覚になってバシバシ写真を撮りはじめた。そして、この恐るべき超絶造作は、奥へと向かうに連れてぐんぐんとテンションを上げてゆくのだ。
表門を向かって右側の裏側脇から見上げたところ。
三神庫(さんじんこ)のうち下神庫,中神庫(全景),中神庫(部分)
中神庫の前から御水舎の方を見る,上神庫(全景),上神庫(部分)
神厩舎(しんきゅうしゃ/全景),神厩舎(部分)
御水舎(おみずや/全景),御水舎(部分),輪蔵,伊達政宗公奉納南蛮鉄灯籠
御水舎前から陽明門見上げ1,御水舎前から陽明門見上げ2
鐘楼前欄干を支える狛犬(右),鼓楼前回転灯籠,本地堂前から東側を見る
鐘楼を手前から見上げたところ。
廻廊。半立体の花鳥彫刻(部分1,部分2)が陽明門の両脇に延々と居並ぶ。
陽明門の向かって左側を裏側から見上げたところ。
狂気の沙汰と言いたくなる過剰さ。
陽明門裏面(全景),陽明門裏面(部分),神輿舎(しんよしゃ)
御本社唐門(全景),御本社唐門(部分),唐門左脇透塀(すきべい)の千鳥
有名な眠り猫は祈祷殿の脇、坂下門手前回廊の蟇股にちょこんと寝ている。大きさは仔猫程度。坂下門(全景,部分1,部分2)を抜けて、長い石段を奥宮へと上がると、拝殿の裏に宝塔(家康廟)がある。眠り猫の凄さは、その出来不出来以上に、こうした重要な場所にこんな可愛らしい彫り物を配置してしまうセンスにある。左甚五郎の作と伝わるのは、そのセンスゆえなんだろうな、と了解した(事実なのかもしれないけど)。
御本社まわりは現在修復工事中。神前だけに撮影は不可だった。陽明門に勝るとも劣らぬ造作振りだっただけに心残りではあるが、またぜひ伺うとしよう。
石段から坂下門を見下ろしたところ。
その過剰な人為と信仰の力の漲りに思わずフィレンツェのドゥオモを思い出した日光東照宮だったが、それは広場に鎮座するのではなく、巨大な木々の狭間に埋もれるようにして在った。そして、その森もまた人間の手でかたち作られている。これが日本の宗教観であり都市観なんだな、と感じ入った。
日光杉並木と保護活動(日光東照宮)
日光東照宮(Wikipedia)
9/12。『夕刊フジ第12回平成特選寄席』を見に港区赤坂区民ホールへ。ホールとその付帯施設のデザインは近藤康夫デザイン事務所。1995年にオープン。
パンチングメタルのドーム。太いボーダーでオレンジとグレーに色分けされた壁。近藤デザインならではのインダストリアルで明朗な空間が心地良い。スロープを大きくとった400の客席はステージが見やすい上にとても近く感じられ、落語には打ってつけのこぢんまりしたホールとなっている。
港区のホームページによると、ホールは改装のため11月25日から来年の1月17日までクローズされるとのこと。内装デザインには手をつけないでもらえるといいんだが。
赤坂コミュニティぷらざ(YASUO KONDO DESIGN)
港区赤坂区民ホール(港区Kissポート)
8/3。サントリー美術館で『小袖 江戸のオートクチュール』。展示作品のほとんどは松坂屋京都染織参考館のコレクション。先ずはその質的内容の高さに驚く。国立博物館でもお目にかかったことの無い優れたデザインの小袖が延々並ぶ壮観に思わず目眩いがした。染色と刺繍とを巧みに組み合わせた超絶技巧は友禅を除いてほとんど桃山時代には完成されており、江戸時代を通してそのグラフィックセンスは最高潮に達することが見て取れる。中ほどに展示された雛形本(ファッション誌みたいなもの)にはお洒落を楽しむ女性たちが「気に入ッたもやうヲ見や」とか「めづらしいひながたじや」などとおしゃべりする様子も。これまた楽しい。
8/20。ギンザグラフィックギャラリーで『THA/中村勇吾のインタラクティブデザイン』。場内に入ると黒い壁をバックにモニターが縦位置でずらりと並ぶgggではお馴染みの展示風景。階段を降りて地下のスペースへ。こちらは白い壁にPCや配線が剥き出しのワイルドな展示手法。『FFFFOUND!』のネオンサインが絶妙にハマる。そして、数十秒後に鳥肌が立った。インタラクティブな作品も含む全てのモニター展示が突如連動し、1分ごとの時報とともにthaのロゴにポーンと切り替わるではないか。カ、カッコいい。多くは既にどこかで見たことのある作品ながら、こうして見事に整理して展示されることで、その表現はより明快になり強度を増す。パソコンの画面の中でこんなに凄いことが起こっていたのか、と、あらためて感動を覚えた。それはそうと、ここの係員はなんでいつもあからさまに不機嫌なんだろうね。
8/21。スパイラルマーケットで『モノエ(森昭子 尾上耕太)古展』。陶を主素材とするオブジェや容器の展示。手のひらに収まりそうな大きさの中に、古びた佇まいと乾いたユーモアを含んだ作品の数々。フォルムと質感に対する作家の繊細な感覚が伝わる。底に家のかたちがくっついたカップと、階段がくっついたカップをひとつづつ購入。
8/22。東京国立近代美術館工芸館で『所蔵作品展 こども工芸館 [装飾/デコ]』。1室から4室までの内容が素晴らしい。高度な伝統的技術と現代的なセンスがシンプルに、かつ分ち難く結びついた20世紀工芸の名品たち。中でも田口善国(たぐちよしくに)、佐々木英(ささきえい)、音丸耕堂(おとまるこうどう)、松田権六(まつだごんろく)、磯井如真(いそいじょしん)らの漆器が印象深かった。稲垣稔次郎(いながきとしじろう)の虎の型絵染のタペストリーはグラフィックセンス抜群。加藤土師萌(かとうはじめ)の磁器飾壺は実に繊細で可愛らしい。最後の5室はほとんど秘宝館もかくや、と言った有様。過剰なアイコンにまみれたドロドロな作品ばかり。蛇足の感は否めない。
8/22。オカムラガーデンコートショールームで『伊東豊雄×タクラム・デザイン・エンジニアリング「風鈴」』。うすはりガラスシェードのLED照明が、うねるような高低差とともに斜めのグリッドに沿って細かなピッチで配置されていた。その天井取付部にはハンマー式のチャイムが内蔵されており、下を通るとその周辺でLEDが点灯し、涼しい音が鳴る。互いに連絡し合う人感センサーの微妙なチューニング、ローテクなサウンド、半工芸的なガラスの造形の組み合わせ。なんとも不思議な感覚を覚えるインスタレーションだった。
8/27。松屋銀座8階大催場で『デザイン物産展ニッポン』。デザイン性に優れた地域物産を各都道府県別に紹介する内容。各地域におよそ1m四方のステージが割り当てられ、その脇に下がった札を帰りに提示すれば展示品を購入することもできた。ただし品物を手に取ってみることはできない。必ずしも各地域において最高の品が選ばれているわけでもない。この程度がニッポンのデザインの実力だと思われたりするとちょっと困るな、と一瞬思ったが、おそらく一般消費者の見識はそんなに甘くはないから大丈夫だろう。とは言え、見たことがないものも多かったので簡易なショーケースとしてはそこそこ楽しむことができた。iPod touch / iPhone用の解説サイトは、会場では回線の混雑のためあまり活用できず、アトリエに帰ってからゆっくり拝見した。
8/30。全生庵で『円朝コレクション幽霊画展』。江戸後期から明治期にわたるコレクションは、事前の予想以上に質の高いものだった。各々個性的な幽霊の表現は見飽きることがない。渡辺省亭(わたなべせいてい)、月岡芳年(つきおかよしとし)、歌川国歳(うたがわくにとし)、河鍋暁斎(かわなべきょうさい)、高橋由一(たかはしゆいち)、尾形月耕(おがたげっこう)、伊藤晴雨(いとうせいう)、林隣(りんりん)、萩原芳州(はぎわらほうしゅう)など印象的な作品は数多い。しかしやはり池田綾岡(いけだあやおか)の『皿屋敷』の美しさは群を抜く。来年、またお菊さんに会えるだろうか。
8/21。西小松川町(江戸川区)で型小紋の三橋工房を見学の後、総武線を御茶ノ水まで引き返して『ミロ』で軽く食事。途中、駅の聖橋口を出て右手にある『黒岩スリッパ店』という店の前で足が止まった。
4本の光柱を中央に据え、まわりを無機質な内装造作が取り囲むガラス張りの店構え。エントランスの両脇にあるクローム色の階段型のディスプレイ棚といい、その上にカールコードで吊るされた蛍光灯のペンダントライトといい、実にクールなデザインでまとめられている。スリッパだけがひたすら整然と並ぶ様子がまた渋い。
所々で造作の軸線のズレが多少気にはなるものの、設計者の方の腕前はなかなかのものと見た。濃厚な70年代の香り漂う秀作だ。機会があればぜひスリッパをオーダーしてみたい。
黒岩スリッパ店/東京都千代田区神田駿河台2-6-4/03-3291-9618
8/20。ギンザグラフィックギャラリーで『THA/中村勇吾のインタラクティブデザイン』を見た後、以前に東さんのブログで話題となっていた『マーケットワン』の跡地前を通りかかった。倉俣史朗が1970年にデザインしたブティック。現在はその内装をほぼ残したままの状態で別のブティックが入居し、営業している。
ところどころあるべきものが取り去られ、無かったはずのものが付け加えられた姿は痛々しい(なんて書いてしまうのは現在の店舗オーナーに申し訳ないが)。研ぎ澄まされた空間が生命線の倉俣作品であればなおのこと。彼が存命であればいっそのこと跡形も無くなってほしいと願うことだろう。
とは言え、FRPで造形された洞穴のような空間はほぼ健在。ここは敢えて、今のうちに足を運んで往時を偲んでみられることを(特にプロの設計者の方々に)お勧めしておく。ちなみにこの『マーケットワン』跡地のある尾張町ビルは1933年竣工(設計者は不明)の近代建築とのこと。『ビヤホールライオン』しかり、そこかしこで意外なデザイン史の堆積が、その断面をのぞかせているのが銀座という街の面白いところだ。
見つけました「MARKET ONE」(JA Laboratory / News 2007/09/21)
7/1。印刷博物館で『デザイナー誕生:1950年代日本のグラフィック』。日本のグラフィックデザインの最初の大きな発展期の作品が一同に会した展覧会。ポスターや包装紙、雑誌や書籍、商品パッケージなどなど、あらゆる印刷物を網羅した展示点数は500あまり。物量も凄ければ中身もまた凄い。『グラフィック'55』展の参加メンバー(伊藤憲治,大橋正,亀倉雄策,河野鷹思,早川良雄,原弘,山城隆一の7氏)をはじめとする先駆者たちの作品は、クオリティにおいてすでに欧米のグラフィックデザインと同列にあり、その斬新さ、力強さはいまだ色褪せることが無い。細谷巖氏による『1958年三菱化成工業のカレンダー』(1957)は鳥肌もののクールさ。三越の包装紙(白地に赤い切り絵風のもの/1950)をデザインしたのが猪熊弦一郎であることは恥ずかしながらこの日初めて知った。Mitsukoshiの文字レイアウトは当時三越宣伝部員であった柳瀬たかし(やなせたかし)氏とのこと。
7/4。成山画廊で『松井冬子について』。思いのほか小さなギャラリーで、一度に入室できるのは6人まで。前の人が出るまでしばらく廊下で待つ。その甲斐あって松井作品の精緻な画面を息のかかりそうなくらい間近に見ることができた。ところが、そこかしこにぐしゃっと無造作に置かれた多量の生花の香りがあまりにきつくて十数分で退散。それもまた展示演出のうちだったのかどうかは良くわからない。
偶然、何日か後にNHKで松井氏の特番の再放送を見た。フェミニズム方面からの薄っぺらな解釈を自信満々に押し付ける社会学者がやけに滑稽だった。ジェンダーが先か。芸術が先か。
7/8。ギャラリー夢のカタチで『「倉俣史朗+小川隆之」展』。
ギャラリー自体のオープニングでもあったため、大勢の来場者が歩道にまで溢れ出していた。ギャラリー入口のドアハンドルは『イッセイ・ミヤケ・メン』(1987)と同じものだろうか。フロアには倉俣の家具作品がいくつか(ピラミッドの家具(1968),硝子の椅子(1976/写真),ミス・ブランチ(1988/写真1,2,3,4)など)。壁には小川氏の撮影した写真の小さなモノクロプリント数十枚が、3つ4つのグループに分かれてランダムに配置されていた。『エドワーズ本社ビルディング』(1969)の1人用エレベーターに『引出しの家具』(1970)が収まった写真にびっくり。松屋デザインギャラリーで催された『倉俣史朗の造形』(1973)の展覧会風景の中には渡辺力氏による序文を読み取ることができた。しかし、この日個人的に最もインパクトが大きかったのは三保谷友彦氏(三保谷硝子店代表)の粋な夏着物姿。カッコ良過ぎ。
7/10。東京国立博物館で『対決 巨匠たちの日本美術』。日本美術の蒼々たる巨匠の作を二人一組で計12のコーナーに区切って展示する内容。それぞれの個性が対比され、実に分かりやすい。楽しく、大いに勉強になった。特に印象に残ったのは長谷川等伯の『萩芒図屏風』(はぎすすきずびょうぶ/16-17世紀)。琳派に先行してここまでグラフィカルで洗練された表現が完成されていたとは。また、曾我蕭白による一連の大作(群仙図屏風(1764頃),寒山拾得図屏風(1759-62頃),唐獅子図(1764頃))のエキセントリックさには度肝を抜かれた。俵屋宗達による『蔦の細道図屏風』(烏丸光広賛/17世紀)のミニマルな表現も忘れ難い。
7/20。21_21 DESIGN SIGHTで『「祈りの痕跡。」展』。文字と文字以前のプリミティブな表現行為によって遺された人間の思考の痕に着目した展覧会。ディレクションはアートディレクターで地球文字探検家の浅葉克己氏。展示作品は神前弘氏の封筒の連作、大嶺實清氏の作陶の連作、浅葉氏による世界の文字の紹介やご自身の10年にわたる制作日誌など。それぞれコーナーごとに十分な余白を設けてボリュームたっぷりに展示されており、この場所でこれまでに見た企画展の中では抜群のまとまりと見応えを感じさせる内容だった。会場デザインは内田繁氏、照明デザインは藤本晴美氏が手掛けている。会期中にもう一度見に行きたい。
7/24。西村画廊で『町田久美 Snow Day』。全て売り切れの作品価格表を見て「バブルの一種だな」と思った。マンガやアニメのひとコマを思わせる構図に伝統的な童子のキャラクターをミックスし、現代的日本画のテクニックで描く手法はネオポップ以降のトレンドに正しく収まっているが、それでも(あるいは、それゆえに、か)2004年の『日本画二人展』で町田氏の作品を初めて目にしたときほどの妖しい輝きは感じられなかった。手跡に技量の不足を残した画面は、縮小コピーされることでようやく力を得る。500円の展覧会カタログは買い得だ。
7/25。スパイラルマーケットで『Taichi Glass Art』。伊藤太一氏によるヴェネチアングラスの手法で制作された吹きガラスの器の展示。造形は微妙にいびつでサイズもまちまちだが、色ガラスの描く極細のラインや編目(その間に小さな気泡がひとつずつ配置されていたりする)は手作りであることがほとんど信じ難いほどに緻密。「これってCGですか?」と訊きたくなるような超絶技巧に思わず見附正康氏の作陶を連想した。
7/25。OVEでレクチャーの打ち合わせ後、少し時間が空いたので周辺の裏通りを久方ぶりに散策。フロラシオンの正面から青山通りへの抜け道の中ほどにある『浅葉克己デザイン室』の前を通り掛った。言わずと知れたグラフィックデザイナー・浅葉克己氏のオフィス。建築設計はアルド・ロッシ+モリス・アジミ。1991年完成。
ブルーのスペイン瓦屋根に煉瓦タイルの袖壁。開口部にスライド式の板戸がずらりと並び、正面を覆う。窓枠のライトブルー、金物部分のグリーンが曇り空の下にも鮮やかに映える。3階建てのちいさなビルにはアルド・ロッシ好みのディテールが散りばめられ、オフィスにしてはなんとも楽しげで賑やかだ。全体の可愛らしい佇まいに対して、金色の鉄板で囲われた重厚なエントランスはまるで取って付けたような具合でやけに印象に残る。敷地左右の塀の表には竹垣を模したグリーンのパイプが並ぶ。
築後17年を経て、木部や塗装の傷みは少々目立つものの、そのくたびれ具合がかえって建物の魅力を増している。一方、近隣にはここ1年ほどのうちにますます空き地が目立つようになっており、本格的な再開発の気配が漂う。このままひっそりと生きながらえてくれれば良いが。
7/20。博品館で電撃ネットワークと桃太郎師匠を見てから15:00過ぎに『ビヤホールライオン銀座七丁目店 』でビールと食事。1934年に大日本麦酒(サッポロビール、アサヒビールの前身)本社ビルの1、2Fで開業。建築設計を手掛けたのは菅原栄蔵。1978年に全面改装が施されたものの、1Fビアホールと6Fクラシックホールの内装はほぼ建設当時のまま残されている。場所は新橋寄りの中央通り沿い。2軒隣にニコラス・G・ハイエック センターがある。昼間にもかかわらず歩道に大きくはみ出した行列に少しひるんだものの、十数分ほど並んだところで無事8名様ご入店。席回転の速さが嬉しい。
上の写真はエントランスから見た店内全景。石とタイルに覆われた大空間。補助椅子(赤いビニールレザー張りの剣持スタッキングスツール)も含めると300人くらいは入るだろうか。斜めのアーチを多用したシャープな造形感覚と重厚な素材との組み合わせが、独特の洗練された雰囲気を醸し出す。あぶくを思わせる照明器具のデザインも秀逸。
上の写真は店内中央左側からエントランス右側への見返し。
上の写真は同じ位置から右奥側を見たところ。黒髪の女性群像を鮮やかに描いたガラスモザイク壁画のデザインも菅原による。
ビールのお供は名物のお好み焼き、ではなく紙カツ。大皿にどかんと盛り付けられた様が男前だ。薄い。デカい。さっくりと旨い。おそらくフロアマネージャーかと思われるスタッフ氏の応対も楽しく、大いに盛り上がった。
銀座ライオン/100年の歩み(銀座ライオン)
美術建築師・菅原栄蔵(松岡正剛の千夜千冊)
銀座の街に、昭和モダンの名残りを求めて(edagawakoichi.com)
6/21。この日も須賀さんご夫妻とご一緒。『道明』から『うさぎや』、さらに『ラパン』で昼食を採ってから東京国立博物館へ。法隆寺宝物館を一巡りした。建築設計は谷口建築設計研究所(谷口吉生氏)。
人工池とともに現れる軽快な箱。上野の森の鬱蒼とした木々の狭間にぽっかりと、大きな穴のように空が広がる。
シンプルなボリュームの組み合わせからなる内部空間も、ガラスケースの林立による美しい展示構成も、それはもうため息の出るほど見事なもの。でも私たちがこの場所で最も好きなのは、池と建物、森と空の関係だ。
6/20。須賀さんご夫妻と新橋ー丸の内間を散策。『かおりひめ』で昼食後、中央通りを北へ。博品館の斜め向かいにある『スワロフスキー銀座』を初めて訪れた。2008年3月オープン。内外装デザインは吉岡徳仁氏による。
ファサードを構成するのは数にして幾千本と言う六角のステンレス製異形パイプの束。圧倒的量感。無数の鏡面が通りの風景をモザイク状に変換する。
上の写真左はクリスタルビーズを混ぜ込んだテラゾタイルの床(左)。研ぎ出されたクリスタルビーズがこれほど美しい光沢を放つとは驚いた。写真右はファサードのステンレスパイプのディテール。パイプ下面にある小さな穴は水抜き用だろうか。
店内の什器は壁埋込のガラスケース(カードキーで開閉される)をメインにゆったりと構成されている。独立の什器やカウンター類の存在は至って控えめ。フロア中央では踏面にクリスタルビーズを敷いた階段が地上階と2階を貫通する。階段室はガラスの間仕切りと光天井で囲われ、その明快なボリュームによって店内は道路から見て手前側と奥側に大きくゾーン分けされる。
主要な壁はファサードの意匠を踏襲した白いアクリル製のレリーフで覆われている。地上階左側奥の壁面のみ人工大理石で仕上げられており、スワンのマーク形にくり抜かれた内部にクリスタルビーズが詰められている。床は屋外と同様に全面テラゾタイル。『Cascade(滝)』、『Ice Branch(氷の枝)』と題された巨大で造形的なシャンデリア(それぞれヴィンセント・ヴァン・デュイセンとトード・ボーンチェのデザイン)も、贅沢な余白を背景にしてその存在をもてあますことがない。また、現在2階の展示スペースでは吉岡氏によるインスタレーション『シューティングスター』を見ることができる。
細部を見ればまさしく贅の極みでありながら、空間そのものは極めてシンプルで開放的。スノビズムとは無縁のラグジュアリー感が新鮮で心地良い。デザインテーマを「クリスタル・フォレスト」と聞いて正直あまりピンと来なかったが、おそらくここで言う「森」とはビジュアル的なものではなく「環境」としての意味合いなのだろう。
素材の持つ本質的な美しさに触れること無く、とにかくたくさん使えば高級だ、とばかり闇雲にクリスタルビーズを用いた単細胞なインテリアが巷に溢れる昨今、スワロフスキーが決断した流行とは無縁のキャスティングは実に冷静で賢明なものだ。渋谷『スタイラス』の閉店以来久しぶりに、国内で吉岡氏の研ぎ澄まされた空間デザインを堪能できる場所が生まれたことを心から喜ばしく思う。
6/6。東京国立博物館で『国宝薬師寺展』。噂通りのものすごい観客数ではあったものの、平成館での企画展には珍しくスペースをゆったりと確保した贅沢な展示構成のおかげで、割合しっかりと鑑賞することができた。スロープを設えた順路から『日光菩薩立像』と『月光菩薩立像』(7-8世紀)の様々な表情を拝む。視線を計算しての絶妙なアンバランスさ。最も心惹かれたのは『聖観音菩薩立像』(7-8世紀)。サイズ的には『日光・月光菩薩立像』より随分と小振りながら(それでも身長190cmくらいある)、真っ直ぐに正面を見据える左右対称の洗練された造形、緻密な衣装の表現がその姿を屹然として見せる。
6/8。アクシスギャラリーで『チャールズ・イームズ写真展 100 images x 100 words』。チャールズ・イームズ撮影の写真の裏側に、デザインにまつわる彼の発言がひとつずつ記され、そのパネルがワイヤー支持で宙空にある。パネルは50枚ずつ2列に構成され、観客は各列の周りを歩きながらその写真と言葉を「鑑賞」する。直球かつ極めてメッセージ性の強い会場デザインとグラフィックデザインは廣村正彰氏によるもの。唯一メモしたのはこの言葉「テーブルに食器を並べるたびに、私は何かをデザインしている」。
6/12。上野の森美術館で『井上雄彦 最後のマンガ展』。井上氏の作品は一切読んだことがない。それでもこの展覧会のインパクトはあまりに強烈だった。
冒頭、ケント紙にペン描きのマンガ原稿からして恐るべき画力に驚愕。通常の美術館順路を逆行するかたちでストーリーが展開し、途中から全てのコマが墨描きとなり、その大きさや筆致は展示空間と呼応しながら変化する。緩急自在にして独創的。伸びやかな水墨画の技量たるや実に凄まじい。美術館は完膚なきまでに一連のマンガへと変換されていた。この膨大な作品量が、ほとんど会期前の3、4週間に制作されたものであるとはにわかに信じ難い。おそらくこのままのかたちでは巡回不可能な一期一会のマンガの「内部」でゆっくりと歩を進めながら、北斎が存命なら嫉妬に狂うだろうな、と思った。
6月某日。サントリー美術館で『KAZARI 日本美の情熱』。最初に展示された深鉢形土器(縄文中期)のグラフィカルなデザインにいきなり釘付けに。並びでおなじみの火焔型土器を見ると、その印象は今までとは丸きり別物。呪術的と言うよりも、むしろ整然として装飾的。鎌倉期の超絶金工に続いて『浄瑠璃物語絵巻』(伝岩佐又兵衛筆/1600年代)と念願の対面。室内装飾の描写の緻密さは想像を上回るもの。鍋島大皿の洗練を堪能後、平成ライダーも逃げ出しそうな江戸初期の兜、平田一式飾り辺りからいよいよヤンキー的センスが全開。最後の『ちょうちょう踊り図屏風』(小沢華嶽筆/1800年代)では被り物集団の奇態に思わず腰が砕けた。
5月某日。メゾンエルメス8階フォーラムで『サラ・ジー展』。ガラスブロックの外壁に囲われた明るいウッドフローリングのフロアに、近所の量販店やコンビニで買ってきたような雑貨、食品パッケージなどが大量にぶちまけられていた。その様子は一見雑然としているが、観る者はほどなく個々のオブジェクトの配置に一連の「物語」を思わせる緻密な流れが秘められていることを了解する。フロア中央のエレベーターから晴海通り側の丸柱を取り巻くタワー状の集積へ。エレベーター裏側のスペースから階段を上へ。歩調はゆっくりと、その流れに沿って自然に進んでゆく。所々、設備メンテナンス用の床パネルが剥がされた部分があり、消火栓や分電盤室のドアは半開きになっている。オブジェクトはスキ間に侵入し、建物と半ば一体化しつつあるように感じられる。大規模でありながら儚く繊細で、ゴミ同然でありながら圧倒的に美しい。
5月某日。サントリー美術館で『ガレとジャポニズム』。アール・ヌーヴォーの代表的ガラス工芸家、エミール・ガレの作歴を通して、当時のヨーロッパの美術シーンへの日本美術の影響がいかに大きかったかを体感することのできる内容。単純なコピーからスタートし、次第に精神性を増しつつ独自の世界観を確立してゆく過程が興味深い。最後の最後に展示されていた脚付杯『蜻蛉』(1903-4/最晩年のガレが製作し、限られた近親者だけが譲り受けていたという希少な作品。世界初公開)の深遠な表情に心打たれた。なるほど、これがガレの魅力か。この歳になってようやく理解できたかも。
5/10。水戸芸術館で『宮島達男 Art in You』。空間を贅沢に用いたシンプルな展示手法のおかげで、建物のもつ特徴的なプランニングが思いのほか際立っていた。動線を単純にも複雑にも設定し得るホワイトキューブの連なりは、まさに磯崎氏ならでは。展示作品の見所は新作の立体作品『HOTO』(2007-8)に尽きる。鏡面仕上げの金属による巨大なタワー状の塊。表面に取り付けられた無数のLEDがバラバラに明滅とカウントダウンを繰り返す。それは猥雑なエネルギーを、強力に、それでいて至って静謐に、あたかも堂内の御神体のように発散し続ける。
5/23。ギャラリー間で『杉本貴志展 水の茶室・鉄の茶室』。入場するとまず現れたのが『鉄の茶室』(1993)。パターン状に部材をくり抜いた余り鉄板を継ぎ接ぎした間仕切りは、重厚さと軽さを兼ね備える(写真/外観,内部1,内部2)。
展示室と中庭との間には『古梁の待受ベンチ』が横たわる。中庭には一抱えを超える大振りの『鉄の花器』。こちらも廃鉄を転用したもの。
中庭から上階へ。遮光された展示室内へ入ると『水の茶室』が。天地に張り渡された無数のワイヤーに沿って水滴がゆっくりと連続的に降下してゆく。ライトアップされた夥しい水滴の群れが間仕切りとなり、動線を示す(写真/1,2,3)。
どちらの茶室もいわゆる「茶室」としての完結性を目指すものではない。特に天井を持たないことは、シースルーの間仕切り以上に決定的な要素であるように思う。破格に開放的な空間性に対し、簡易な路地からはじまる動線の設定は、茶事を行う上で至って真っ当なもの。そこに在るのは「素材」そのものの豪放にして艶やかな佇まいであり、亭主と客との間に成り立つ「作法」そのものであって、おそらく「空間」ではない。当日『水の茶室』で実際に催された茶会を内外で眺めながら、杉本氏のインテリアデザインに共通する劇場性について思いを巡らせた。
5/10。ウヱハラ先生のルーテシア号で水戸芸術館へ。宮島達雄展を見た後、ひたちなか市の『サザコーヒー』本店で珈琲と食事。帰りがけに千葉県『流山おおたかの森 S・C』に立ち寄り『JIN'S GLOBAL STANDARD 流山店』を見た。2007年3月オープンのアイウェア店。内装デザインは中村竜治建築設計事務所。
ショッピングセンターはつくばエクスプレスと東武野田線のターミナル駅に併設されているが、道路からアクセスすると周辺は未開の荒野のような状態。唐突に出現する巨大な積み木状の建造物の姿は蜃気楼のようで現実味に乏しい。駐車場棟から売場へ入り、フロア中ほどの吹き抜けに横付けされたエスカレーターで2Fへ。目当ての店は通路を挟んだ正面右手に現れた。
床も、壁も、天井も、全てフラットなオフホワイトに塗り込められている。角地にあるほぼ正方形の店舗区画を斜めにスライスするようにして壁造作が連続し、客はその間にある狭い動線を通り抜けつつ、壁に設えられた奥行きのちいさな棚什器に並んだ眼鏡フレームを手に取って吟味する(棚什器コーナー部分)。
壁の途中には奥へとショートカットのできる開口があり、客は割合不自由無く売場を動き回ることができる(通路と壁の開口)。角から見て最奥の隣地側には検眼や眼鏡加工のためのスペースとレジカウンターが売場をL字に挟むようにして並んでいる。均質化された空間のそこかしこにあしらわれたサイズの異なるミラーの効果と相まって、店内はまるで迷宮のようだ。要所に用いられたモールディングがその印象をより強調し、深みを増す。
什器構成そのものはアイウェア店として至極真っ当なもの。しかし店舗のプランニングとしてこれは全くの異常事態だ。なにしろ店内にその全体像を伺える場所がどこにも無いのだから。たしかにレンズも入っていない未調整の眼鏡フレームが万引きされることはほとんど無いだろうことは頭では理解できるとは言え、これを提案したデザイナーと了承したクライアントのチャレンジには心底敬服する。まさに目から鱗。
際限なく歩き回っているうちに、自分の居場所がはっきりしない感覚に陥って、なんだか少し気持ち悪くなってきた。吹き抜けのそばのベンチでひと休み。それにしても不思議で楽しい店だ。店舗のデザインにこんな可能性があったか、と思うと希望が湧いて来る。
JIN'S GARDEN SQUARE 青山店(May 6, 2008)
5/4。サントリー美術館でガレを見た帰りに『hLam』(ラム)の前を通り掛った。レナウンが取り扱うイタリアのアパレルブランドのブティック。2007年4月に東京ミッドタウンとともにオープン。その時点ではさほど気に止めなかった店だが、何度かミッドタウンへ足を運ぶうちに、その印象がだんだんと強くなってきた。内装デザインはWonderwall(片山正通氏)。
可動什器を除く全ての造作はエントランスを中心軸とする左右対称に厳しく構成されている。羽目板張りの天井とウッドフローリングの床は同じピッチで仕上がっており、この空間の持つ緊張感を一層高める。設備類の配置は完璧以上。特に空調などはデザインの重要な一部と言って良い。ファサード両側のショーウィンドウと店内中央のショーケースを形作る大きな曲面ガラスは、冷たくぬめるような質感を主張する。
一方、表面を白く塗り潰した細かな横格子のストック、斜めに立てかけられたミラー、エントランスのドアなどの佇まいはいかにも欧州ブランドのブティック然としている。徹底して人工的な入れ物としての空間と、古風なディテールの対比を、色温度の高い間接照明が白々と浮かび上がらせる。
美しきアンビバレンスとでも言おうか、この感じは片山氏の多くの作品に共通するが、『hLam』のそれは特別計算高く、洗練されたものであるように思われてならない。
4/10。原宿で打ち合わせの後、外苑前の駅への通り道にある『JIN'S GARDEN SQUARE 青山店』に立ち寄った。眼鏡などのアイウェアを中心に、バッグやアクセサリーと言った雑貨までを幅広く扱うショップ。同じ場所にあった『JIN'S GLOBAL STANDARD 青山店』(2006年3月オープン)を拡大リニューアルして2007年10月にオープン。内外装デザインを手がけたのは中村竜治建築設計事務所。
その空間は物販店舗として極めてユニークで、しかも実に楽しい。ベースとなるのは床壁天井を白く塗り潰した直方形。前面道路側はサッシュレスのガラススクリーンによって半ば開放された姿となっている。内部には躯体柱、疑似柱を含め数十本の白い四角柱がバラバラと林立し、それらの周囲を木製の棚が円形に取り巻く。円の中心は微妙にズレており、その高さはまちまちに設定されている。ダウンライトのレイアウトもバラバラで、特にどこを照らすでもなくフラットな光が店内全体を包み込む。
外から覗く限りでは少々雑然とした印象があり、一見して全体像を想像することのできないなんだかミステリアスな店だ。ところが、一旦内部へと足を踏み入れ、柱の間に狭くランダムに広がる動線を縫うようにして歩きながら、そこかしこに気になる雑貨を発見する感覚には、まるで森の中を散策するような喜びがある。こんなのはまともな店ではまず体験し得ないが、店として破綻しているかと言うと、驚いたことに、全くそんなことはない。棚メインの什器構成自体はこの種の店舗としてごく真っ当なもの。適所にミラーやフックもさりげなく設置されており、売場として違和感無く成立してしまっている。商品ディスプレイから察するに、店のスタッフもこの空間の使い勝手を楽しんでいるようだ。
ついに「売場を料理できる建築家」が登場したか。改装前の店もぜひ拝見したかった。こうした優れた作品性と話題性のある店が登場することで、かつて建築家にとってほんのアルバイトのようなものだった商業建築や店舗が、むしろ「カッコいい」仕事と本格的に見なされるようになれば喜ばしい。
4/4。阿佐ヶ谷で打合せを二件。夕刻早めに『ひねもすのたり』で食事とひと休み。作家ものの器の販売も行うカフェ。2006年7月オープン。場所はJR阿佐ヶ谷駅北口を出て、線路沿いの小さな商店街にある小さな木造商店の2F。ポットのマークが入ったグリーンの小さなテントと、横長の行灯サインが目印(外観の写真)。地上階には韓国総菜店が入っている。初めて訪れたのは前月のことで、この日は2度目。
テントの下にほとんど軒は無く、すぐ目の前に急な階段が現れる。すれ違いの不可能な幅を白漆喰の壁に挟まるようにして上り、左手にある白い木枠の引戸から店内へ。
コンパクトな空間は、白漆喰の壁、シルバーにペイントされた合板張りの天井、暗色のウッドフローリングによって簡潔にまとめられている。客席としてはおそらくオリジナルのテーブルが4つあるのみ。その他のチェアや展示棚などには、中古品と思しい家具類がバラバラに用いられている。
一見したところ緩めで、ともすると家庭的と形容したくなる体裁ながら、細部に施された仕事は厳しいものだ。各造作の見切の納まりがシンプルで実に美しい。天井は底目地でグリッド状に区切られ、照明や換気、スピーカーなどの設備類は全てその中に整然とレイアウトされている。真四角に切り抜かれた箇所の上部にはどうやら天窓があるようで、ふと見る度に光の色が変化することに不思議な感覚を覚える。
北側に面した開口部まわりは大方新しく作り直されたもの。引き違い窓の気密性は高く、不要となった雨戸の戸袋は木造作で丁寧に封印されている。ほとんど白色で覆われた展開面の中で窓枠だけは黒くペイントされており、外を見ると逆光と植栽の中に溶け込んで、まるで影のように存在感が無い。
建築的基本性能が高く、緩さの中に節度を要求する空間デザインを手がけられたのは堀部安嗣氏。
上の写真は前回にいただいたおぜんざい(温)。玄米の餅(ワッフルメーカーで焼いたのだろうか)と甘さ控えめの汁粉。穀物の食感がいい。こちらはゆずと小豆のパウンドケーキ。これまた香ばしく美味い。お茶はそれぞれ浅煎り初摘み白折茶と煎茶。特に煎茶が素晴らしく、帰りに茶葉を購入。京都・和束町にある中井製茶場の有機栽培茶とのこと。
この日は上のおそうざいセット(上)とオムカレー(下)を注文。どちらも素材の持ち味が引き立つ品。オムレツ+カレー+雑穀のマッチングは意外で新鮮だった。それぞれに個性的な器も楽しい。隅から隅まで女性オーナーのセンスが行き届いている。
営業の終わる時刻が早く、週休2日というマイペースさだが、この店の持つ計算された素朴さは他に代え難い。わざわざ訪れる価値は十二分にある。また近々にお伺いしたいものだ。
ひねもすのたり/東京都杉並区阿佐谷北1-3-6-2F/03-3330-8807
11:30-19:00/木日休
4/1。午後から原宿方面で打合せをふたつ。銀座へ移動して松屋でソットサス展。十一房珈琲に立ち寄ってから、そのままあれこれ話し合いつつ中央通りを北上。日本橋まで歩いたところで地下鉄へ。
ラッシュアワーを過ぎて人通りのまばらなコンコースを見渡すと、いつも気になっていた不思議な天井造作が一際目立つように思えたので、少ししゃがんだ位置から撮影。
金属ハニカムを透明樹脂のシートで挟んだ六角形のパネルが頭上を埋め尽くす様子はなんだかレトロフューチャー的だ。蛍光灯のシーリングライトはパネルの形状に合わせたオリジナルだろう。なんでまたこんな凝ったデザインが施されたのか。働き蜂へのオマージュだとすれば悪趣味だが、おそらく気にするほどの深い理由は無いのだろう。
2/28。午後一番に東新宿でプレゼンテーションの後、日本橋へ移動。諸々の視察と買い物の前に『東洋』の1Fカフェテラスで遅い昼食を摂ることにした。開業は1964年。インテリアデザインは故・境沢孝が手がけており、1981年に同氏のデザインで一度全面改装された。その後、1983年に2Fにレストラン(こちらのインテリアも同氏のデザイン)がオープン。2001年には両フロアに境沢健次(ケンジデザインスタジオ)氏による部分改装が施され、現在に至っている。2Fレストランなどについての記事はこちら。
上の写真は中央通り側から店舗区画の奥側を見た全景。この眺めはおそらくほぼ1981年当時のままだ。入り組んだ斜め動線によるユニークな座席レイアウト、天井や壁面にちりばめられた摩訶不思議な照明オブジェはまさに「境沢節」と呼ぶにふさわしい。「造形のパターンはすべてが、たった今考えついたような執念のない、グラフィティのように実感のともなわない軽いものを考えて行った。」(境沢孝/商店建築1981年7月号)
上の写真は中央通りに面した2001年の改装部分。以前はシックなパブカウンターの設えられていた場所が、オープンなテーブル席に変わっている。赤、白、黒のグラフィカルな造作とナチュラルな節有りの羽目板との組み合わせが特徴的。あっけらかんとカラフルな印象ではあるものの、家具については81年当時のデザインが踏襲されていることもあって、新旧の空間にはさほど違和感は無い。
フードメニューは2Fのレストラン同様、これぞ軽食、と言った味わい(海鮮グラタンはなかなかの美味だった)。食後にいただいた苺ショートケーキとコーヒーも含め、昭和のカフェテラスとしての完成度は高い。
境沢デザインを詣でる意味も含め、これからも何度となく訪れたい日本橋の憩いの場。機会があれば各部のディテールをきちんと撮影させていただきたいものだ。
2/3。リトルモア地下で『DECOTORA 田附勝写真展』。小さなスペースにデコトラとそのドライバーたちの写真がぎっしりと並べられていた。それらは単純な生々しさをフレームの外に捨て置き、造形と色彩の完璧なる構成として新たなダイナミズムを獲得し、視覚を鷲掴みにする。田附(たつき)氏と被写体との距離感が絶妙だ。写真集、買わなきゃ。作品点数をもっと絞り込んでサイズの大きなプリントを主体にした方が、展示としてはより成功したかもしれない。
2/7。みつばちトート8studioで『naho ogawa / my life as a (petit) jetsetter #3』。バッグ屋さんの店先に、ナホさんの手描きイラストを切り抜いたボードが天井から無数にぶら下がった様は実に楽しく、キュートで、壮観。イラストの題材はバンコク、台北、ニューヨークの旅のワンシーン。首が疲れるまで眺める頃には、なんだかどこか遠くへ行きたい気分になっていた。
六本木に移動してギャラリー・ル・ベインで『深沢直人「木の椅子とテーブル展」』。新作椅子は一見シンプル極まりないフォルムが事も無げに身体にフィットし、違和感が無い。違和感が無いどころか、あまりの手触りの良さにうっとりするくらい。新作テーブルとの相性も完璧。これはぜひセットで欲しい、と思ったものの、そんなお金は無いし、だいいち置き場所が無い。マルニ木工の定番家具「地中海シリーズ」と「ベルサイユシリーズ」をリファインした椅子のシリーズは、深沢氏の志向する造形を間接的ながらかえって明快に示すものとして興味深い。本来のキャラクターをかろうじて留めるところまでディテールを取り除かれた猫足の椅子は、まるでその装飾性のみで存在するかのような軽やかさを感じさせる。
2/10。戸栗美術館で『鍋島 - 至宝の磁器・創出された美 - 』。17世紀半ばから18世紀半ばにかけて隆盛した鍋島の名品を一気に、かつ大量に見ることができた。何よりグラフィックデザインとしての格調の高さと洗練性に思わずため息が漏れる。精緻な絵付の技術は全て手描きであることがにわかには信じ難いほどだ。見応えがあり過ぎてぐったり。でもくたびれた分以上の収穫があった。
その後、神楽坂へ移動してラ・ロンダジルで『ハウスの革モノと金モノ』。ハウスと言うブランドで先ず頭に浮かぶのは当然靴。その次に多分バッグ。しかしここで私たちの目に留まったのは革と真鍮のパーツを組み合わせたちいさなオブジェの数々だった。折り紙を思わせる素朴さと、素材の持つ確かな存在感。手のひらに乗るくらいのサイズに増満さんの造形センスがしっかりと込められている。犬のオブジェを一匹飼うことに。
2/14。ギャラリー現で『倉重光則展』。倉重氏は1960年代末頃から活動するライト・アートの第一人者。蛍光灯やネオンを用いたミニマルなインスタレーションで知られる。ここで見ることができたのは、ちいさなギャラリーの長方形の壁3面を縁取るようにして設置された赤、青、黄のネオン作品と、2点のドローイング。ネオンの縁取りはそれぞれ一部が欠落しており、その不在が見る者の意識を作品をとりまく空間そのものへと誘導する。カッコいい。
2/22。ギャラリー・エフで『トーマス・ボーレ「ちび陶」』。詳細はこちらの記事で。
2/28。SCAI THE BATHHOUSEで『横尾忠則の壺』。アーティストに転身してからの横尾氏の作品は全くのノーチェックで、申し訳ないことに見もしないうちに勝手に醒めていた、と言うのが正直なところ。初めて実作の前に佇んで、その巨大な画面から放たれる形容不可能な禍々しい魅力に圧倒された。絵画とコラージュをシームレスに混在させる手法は極めて巧みで、洗練されたものだ。物語を予感させる象徴的でミステリアスなモチーフの狭間に、群衆が細かく描かれてるな、と思って近づくと、その顔は全て白黒写真の切り抜き。背筋に悪寒が走った。
1/29。東西落語研鑽会の会場はいつもよみうりホール。場所は有楽町駅すぐ側の読売会館(元の有楽町そごう)7F。現在階下にはビックカメラが入居している。1957年築。建物とホールの設計は村野・森建築事務所。
座席が小さめだったりトイレがビックカメラと共用だったりと、今時のホール施設としては設備的に少々厳しい面はあるものの、その空間の持つ魅力的は他に替え難い。
1Fから2Fレベルへと優美なカーブを描く桟敷席。複雑な造形の天井面。1100席のキャパシティを持つにしてはステージが近い(柳家喬太郎師匠は「こっちに来てご覧なさいよ。被告みたいですよ。」と仰っていた。11/26)。落語を見るには打ってつけだ。
客席両袖の壁は大きなリブが連続するように造形されており、その表面をガラス質のモザイクタイルが覆う。淡いブルーからイエローに至るグラデーションが間接照明に映えて美しい。全体にさほど豪華な意匠は施されてはいないとは言え、隅から隅まで紛れも無い村野藤吾作品。心斎橋そごうのようにあっけなく姿を消してしまわないことを祈りたい。
この日の終演後、印象的だったのは、私たち以外にもホール内を撮影している人が何人も居たこと。建築やデザイン関係者に潜在する落語ファンの割合が徐々に増えて来ているのだとしたら、私たちとしてはちょっと嬉しい。
よみうりホール
読売会館(旧有楽町そごう)(Citta'Materia)
1/14。サントリー美術館で『和モード 日本女性、華やぎの装い』、江戸東京博物館で『北斎 - ヨーロッパを魅了した江戸の絵師 - 』を見た。
期待をはるかに上回る見応えがあったのが『和モード 日本女性、華やぎの装い』。会場は6つの章に分かれて構成されていた。
1章と2章は平安から江戸時代にかけての和装の変遷を絵画や実際の衣装などで紹介するもの。和装の成立した平安時代と言えば十二単(じゅうにひとえ)だが、要するにこの頃は女性も男性も袴(はかま)履きの上に重ね着だった。平安末期に小袖(こそで)が登場し、室町時代に入るとそれが表着(うわぎ)となることでいわゆるキモノの原型が出来上がる。江戸時代には連続パターン一辺倒だったキモノの柄がぐんとグラフィカルな表現となり、いよいよファッション性が高まった。
興味深いことに、絵画を見る限り江戸前期までは誰一人として正座をせず、女性も男性もあぐらをかいたり片膝を立てたりと実に自由でリラックスした姿勢をとっている。キモノのかたちもまたゆったりしたもので、お端折の習慣は無く、帯はかなり細い。一体どのような経緯でキモノが現在のように窮屈なスタイルとなり、和室では正座が決まり事のようになってしまったのか。残念ながら展覧会ではそこまでのことは分からなかった。
3章は化粧や喫煙具、4章は髪型と髪飾りの変遷の紹介。特に髪飾りの展示は膨大で、その細工の精緻さといい実に圧巻だった。名も無き職人と江戸の大通たちのこうした小物のデザインに対する熱意には鬼気迫るものがあり、心底恐れ入る。5章は明治以降の女性のファッションの広告ポスターによる紹介され、6章はクリスマスと正月に因んだコレクション展示となっていた。
江戸東京博物館の特別展のボリュームは毎度大変なものだ。『北斎 - ヨーロッパを魅了した江戸の絵師 - 』もまたしかり。とりあえずオランダ商館からの発注により北斎とその工房が描いた肉筆画(そのほとんどがオランダ国立民族学博物館とフランス国立図書館からの一時的な里帰り)を重点的に見よう、と気構えたものの、やはり途中で目眩を覚えるような展覧会だった。
肉筆画の持つ迫力は実物ならではの醍醐味。緻密に描かれた各モチーフの輪郭と、ほとんどエアブラシを使ったようにしか見えない彩色の見事なグラデーション。生命感に溢れ、奥行きのある作品群に思わず息を呑んだ。
中盤の浮世絵のエリアは後ろ髪を引かれつつもどうにか流して見終え、国内所蔵の肉筆画のエリアに差し掛かってまた足が止まった。終盤の絵本・絵手本のエリアまでをじっくりと見て、なんとか閉館間際に終了。時には生々しく細密に、時には戯画化して軽快に、と自在にその表現を変えながら、対象物の持つダイナミズムとその本質を一枚の画にしてしまう北斎の洞察力と描写力はあまりに凄まじい。
展覧会の最後に、北斎が誰かに宛てた手紙が一枚展示されていた。そこには83才の北斎の自画像が添えられている。ユーモラスながら迷いの無い筆遣いは、全ての作品を見終えてなお一際印象に残るものだった。これまたオランダ国立民族学博物館の所蔵品なのがやけに情けない。お爺ちゃん、大事にしてもらってね。
12/26。午後早くにフジグラン石井を視察してから六條大橋手前の『田中家住宅』と『武知家住宅』に立ち寄ってみた。この付近は地名を藍畑と言い、藍商家などの古民家の点在する美しい集落となってる。
上の写真は『田中家住宅』(国指定重要文化財)の東側外観。田中家は江戸初期から続く藍商。この住宅は1859年から1887年の間に建設されたもので、1977年から1981年にかけて解体修理が施されている。左手の2棟が藍寝床(あいねこ/藍の葉を発酵させて「すくも」と呼ばれる染料に加工する場所)。中央に突き出して見える茅葺屋根が主屋。石垣には地元産の青石が用いられている。
南側にある表門から中へ入ると前庭(屋外作業場)がひろがる。上の写真は敷地の南西隅から撮ったもの。
上の写真は前庭の西側に面した藍納屋。巨大なシーソーのようなものはヒムロの古木で出来た跳釣瓶(はねつるべ)。その支柱や井戸まわりはやはり青石の見事な造作となっている(井戸まわりと表門内側の写真)。
一方、『武知家住宅』もまた主屋(1862年築)を中心に据え、各棟が周囲をとりまく構成。青石がふんだんに用いられているのも『田中家住宅』と同様だが、主屋の屋根は入母屋の瓦葺。武知家が士分であったことを示している。上の写真は敷地西側の長屋門から撮ったもの。『田中家住宅』以上に広々とした前庭の南側(写真左)にあるのが県指定有形民俗文化財の藍寝床。
長屋門の下に掛けられているのは竜吐水(りゅうどすい/消火用の水鉄砲)。
どちらの住宅も実際に住居として使用されており、残念ながら通常は公開されていない。この日は遠巻きに拝見するだけにした。『田中家住宅』は土日のみ見学可能(要予約)とのこと。次回の帰省時にはぜひ。
阿波の文化財建造物 - 民家 - (歴文クラブ)
石井町の民家(徳島県立図書館/阿波学会研究紀要)
12/16。六義園の『紅葉と大名庭園のライトアップ』最終日。
すでに紅葉は大方が落葉となり、園内は初冬の風情。それでも、思いのほか趣向を凝らしたライトアップのおかげで、十分に見応えのある散策となった。
落葉樹に対しては暖色の、常緑樹に対しては寒色のライトアップ。上の写真は園内南側から見た中の島。見事に手入れされた植栽の織りなす見事な人工美は、まるで「日本庭園のフィギュア」のようだ。
西側の吹上茶屋で松の雪吊り(樹木の雪よけのため円錐状に張り巡らされたロープの造作)越しに池を見ながらひと休み。
今度は昼間にぜひ来てみよう。
六義園(庭園へ行こう。/東京都公園協会)
12/14。『KOJIRO』を出て春日通りを西へ。厩橋に少し近づいたところで見つけた物件。本所警察署『厩橋地域安全センター』。もとは『厩橋交番』として建てられたもの。警察庁による交番の統合整理によって2007年4月に衣替えとなったようだ。平日の8:30から17:15のみ地域安全サポーターが駐在する。1928年築。
大通りの交差点の隅切りに合わせた三角の平面形と、石造りを模したコンクリートの装飾が特徴。薄暗く人通りのほとんど無い中に、ブルーのランプがぽつんと目立つ。無人の内部から蛍光灯の光がこうこうと漏れ出す光景はちょっとシュールで印象的だ。
角から見ると上の写真のような具合。
「交番」から「地域安全センター」に移行(東京村.COM)
本所警察署厩橋交番(楓車輌)
12/8。フランス車をたくさん見た後、ウヱハラ先生のルーテシア号で横浜方面へ移動。『IKEA港北』を訪れた。言わずと知れたスウェーデンの巨大ハウスウェアストア。『IKEA港北』は『IKEA船橋』(2006年4月オープン)に続き、2006年9月、ヤナセ横浜デポー跡地にオープンしている。商売柄、行っとかないとマズいかなあ、とは思いつつも、なぜか今まで縁のなかったIKEAの全貌を、この日ようやくじっくりと見ることができた。
到着したのは14時手前。お腹が空いていたため、先に2Fのレストランへ行くことに。ここだけでも一般的なファミリーレストランの3倍くらいの広さがありそうだ。しかも、ランチには遅めの時刻にもかかわらず、テーブルはほぼ埋まっていた。なんとか居場所を確保して、学食を思わせるデリカウンターへ。メニューはそれぞれ注文する場所が決まっており、迷ったり後戻りをしようものならたちまち混雑の原因となる。若干殺伐とした雰囲気の漂う中、どうにか食事を確保。
見た目はアレだが、味はそんなに悪くない(デザートは選びようによっては危険)。野菜料理のプレートは大方ポテトによって占められている。その他のプレートにもかなりの確率でポテトがごろんと添えられており、スウェーデンの人はそんなにポテト好きなのか、と不思議な気がした。写真のボリュームで1500円分くらい。欲張り過ぎ。ランチとしてはちょっとヘビーだった(特にポテトが)。
そして、いよいよ売場へ。入口は2F、レジは1Fにそれぞれ1カ所しかなく、客動線は大まかには一方通行に限定されている。各アイテムの売場脇に、その使用シーンを構成した四畳半から六畳間くらいのブースがずらりと並んでいるのが特徴的だ。ソファやチェア、テーブルや収納家具、テーブルウェアやファブリック、照明器具やキッチン造作に至るまで、住まいに関係するものについては置いていないものは無く、バリエーションも極めて豊富。その多くがアジア地域産のIKEAオリジナル商品であり、価格設定はかなり低く抑えられている。
上の写真は順路の終盤に登場する組み立て式の家具パーツ売場。目眩のするような圧倒的スケール。
上の写真はレジのエリア。かなりの台数が稼働してはいたが、それでも押し寄せる客をなかなかさばききれない様子だった。レストランと同様、ここでは客が多少我慢してでも店側のやり方に素直に従うことが求められる。
話にはなんとなく聞いていたものの、IKEAの広大さは想像をはるかに上回るものだった。見終わった後の疲労と充実感はほとんど東京モーターショーにも匹敵するほど。ただし、その安さについては商品の質からすると妥当であり、買い得だと思われるようなものはあまり無い。あれだけ夥しいボリュームの、衝動買いを誘発するには十分な価格帯の商品に囲まれていたのに、結局何一つ欲しいと思うものが無かったことには自分たち自身驚きを覚えた。
ヨーロッパの人々の生活において、IKEAの商品がどのように位置づけられているのか、私たちには分からない。はっきりイメージできるのは、おそらく日本人がこれらを後生大事にすることはまずない、と言うことだ。耐久性に乏しく、補修の難しい家具や雑貨は、値段相応の扱いを受けて短期間で使い捨てられるのだろう。
港北インターチェンジへと向かう車で、後ろを振り返って少しぞっとした。
夕闇に浮かぶIKEAの偉容が、まるでゴミ集積場のように思えたのだ。
12/8。ウヱハラ先生のルーテシア号で『French-French-East』へ。2004年から尼崎(兵庫)、南町田(東京)などで開催されているフランス車のミーティング。関東での開催はこれが6回目とのこと。会場はカルフール南町田店の屋上駐車場。
クルマについては運転が全く出来ない上に知識も乏しい私たちだが、乗せてもらったり眺めたりするのは大好きだ。とりわけフランス車特有の(どことなく歪んだ)モダニズムと先進性には心惹かれるものがある。とは言え、フランス車オーナーでもないのにこうしたミーティングを覗かせてもらうのは少々恐縮なわけで、どちらかと言うとこの日はルーテシア号でのドライブを楽しみに、とりあえず遠巻きに見ているつもりだった。しかし、続々と集結する珍車の群れをいざ目の前にすると、当初の奥ゆかしい思惑はものの見事に忘却の彼方へ。カメラを手に、小躍り気味に会場をぐるぐる歩き回ること3時間弱。いやはや、すっかり楽しんだ。
上の写真はルノー・ヴェルサティス。日本には正規輸入の無い大型高級車。ヘッドライトまわりの複雑な面処理と大味なグリルの意匠が一種独特な面構えをつくり出している。特に素晴らしいのが質感高く趣味の良いインテリア。鯨が口を半開きにしたようなダッシュボードの造形は極めて印象的だ。
その他の写真:1 / 2
以下、めぼしい物件をつらつらと。
エグいスタイルにマセラティ製エンジン、シトロエンSM。
その他の写真:1 / 2
質素なハイドロニューマチック、シトロエンGSA Pallas。いい色。
その他の写真
ぬーぼーとした得体の知れないボリューム感、シトロエンCX。改めて見ると現行モデルのC6とのディテールや雰囲気の共通性が興味深い。CX Prestigeも見ることができた。
その他の写真
11/24。自由が丘『alternative』でランチの後、六本木へ移動。オオタファインアーツで『見附正康展』を見た。見附氏は1975年生まれの九谷焼の作家。現在「赤絵細描」の第一人者である福島武山氏(その作品と動画は必見)に師事し、石川県で活動している。「赤絵細描」は中国明代の赤絵金襴手を手本に金沢で発達した色絵のテクニック。
展示されていたのは大皿4点、蓋物2点、花瓶1点。シンプルなフォルムの器に描かれたパターンの細密さはあまりに凄まじく、じっと目を凝らさないとフォーカスが合わないほど。描かれているのは瓔珞(ようらく/古代インドの装身具をパターン化したもの)や七宝(しっぽう/円を重ねて繋いでいく仏教由来の吉祥文)と言った一般的な古文様だが、それらが同心円上に綺麗に配置された様は和風と言うよりむしろエキゾチック。異様なまでの細密さが、ある種呪術的な雰囲気を醸し出す。これまでに体験したことの無い感覚に、思わず息を呑んだ。
同日、銀座へ移動してMEGUMI OGITA GALLERYで『中村ケンゴ ”スピーチバルーン・イン・ザ・ビーナスと21世紀のダンス”』を見た。作品についての詳しい解説はこちら。マットな質感の中にやわらかな奥行きと光沢を秘めた画面(「近代の日本画」の技法で描かれている)が、ほぼモノトーンに近い配色によって力強く引き立つ。特に『21世紀のダンス』のシリーズは、マティスの絵画をサンプリング・再構成した結果、自然物モチーフのパターン(例えばトード・ボーンチェなど)を思わせるファッショナブルさと、暗くシニカルな批評性を同時に獲得しているのが興味深い。
シリーズ中にはダンサーが黒で描かれたものと、白で描かれたものの二通りがある。個人的に、そのミステリアスさに心惹かれるのはやはり「黒」の方だが、明るさを装った「白」の方がコンセプト的にはより捩れている。どちらも魅力的だ。
11/30。打合せからの帰りに青山のCLEAR GALLERYで『倉俣史朗 Liberated Zone』を見た。倉俣のデザインした家具・プロダクト作品のうち、アクリルとガラスを主素材とする代表作が8点余り展示されている。私たちにはどの作品とも10年以上ぶりの再会だ。以前ならその存在感に圧倒されるばかりで、まったく目に入らなかったアクリルの継目や金物の溶接箇所を、今では冷静に見ることができる。当時持てる知恵と技術の粋を凝らした倉俣と制作者の共同を物語るそうしたディテールの囁き声に、私たちはそっと耳を傾けた。
展示作品中、その洗練性において際立っていたのが『Glass Chair』(硝子の椅子/1976/三保谷硝子製作)と『Luminous Chair』(光の椅子/1969/イシマル製作)だった。とりわけ『Glass Chair』のもつ非現実性は、現物を目の当たりにしない限り、まず実感することはできないものだ。倉俣の作品について語られる場合、そこに込められた夢とポエジーに主眼が置かれることが多い。しかし椅子や家具という概念に対するパロディとしてあまりに完璧な『Glass Chair』のデザインは、甘いロマンチシズムの彼岸にあると言っていい。『Glass Chair』のとなりに佇む『Miss Blanche』(ミス・ブランチ/1988/イシマル製作)は、なんだか少々申しわけなさそうで微笑ましかった。
『Miss Blanche』を除き、全ての作品はギャラリーで購入することができる。家具類にはおおよそ数十万円から数百万円の値が付いていた。今はとてもじゃないが、『Glass Chair』と『Luminous Chair』はいつか何とかして手に入れたいものだ。まずはどこにどうやって置くかが問題だな。
工芸とデザインと現代美術。もはやぼんやりと霞んでしまったその境界を、行き歩いたような3つの展覧会だった。
11/3。『Noi Shigemasa Exhibition ~The glass~』を見にリスン青山へ。心の師匠・野井成正さんデザインの新作インセンスホルダー(香立)の展示。通常はこの店の主要な商品展示台として使われているガラスのカウンターの上の半分近くが、この日はガラスのインセンスホルダーで埋まっていた。スタッフの方いわく、それでもイベントが始まった頃よりは少なくなったとのこと。すでにけっこう売れてしまったのだ。
買ったのは新作インセンスホルダーの大中小三種類のうち中(直径95mmくらい)と小(直径65mmくらい)。ガラスの台に真鍮製のリングが嵌り、スティック香が立てられるようになっている。ぽってりとした手作りガラスのフォルムは今にもはじけそうな水滴を思わせる。あるいは桜あんパンみたいでもある。やわらかで無駄の無い造形、涼しげな質感、ずっしりとした重み。一見すると意外だが、じっくりと味わえばたしかに、これもまた紛れも無い野井デザインだ。
11/16。『鳥獣戯画がやってきた! - 国宝「鳥獣人物戯画絵巻」の全貌』を見にサントリー美術館へ。甲乙丙丁の4巻(鳥獣戯画として一般に馴染み深いのは甲巻)全てに加え、作画・由来的に関連性のある種々の作品を集めて展示する内容。昔の教科書だと鳥獣戯画は鳥羽僧正の作とあったが、実物を見ると甲乙巻、丙巻、丁巻で作者が異なることは素人目にも明らかで、クオリティ的にも雲泥の開きがある。特に甲巻は後年になってかなりの部分が継ぎ接ぎされており、もとはその一部だったものが切り取られて別の掛軸になっていたりもする。断簡と呼ばれるそうした部分や写し、模本などを手がかりに甲巻の原型について考察する展示は、難解ではあるがその分じっくりと楽しめるものとなっている。
それにしても、玉石含めて模造品には事欠かない甲巻だが、オリジナルの迫力は本当に凄い。迷い無く、生命感溢れる筆致で描かれた線画のキャラクターたちにすっかり心を奪われてしまった。とにかく凶悪なまでに可愛らしく、繊細で、完成度が高いのだ。現在は展示替えで各巻の後半部分を見ることができるようになっている模様。もう一度見に行かなくちゃ。
それから『佐藤卓ディレクション「water」』を見に21_21 DESIGN SIGHTへ。水にまつわる様々なインスタレーション、立体、平面作品が全部で38種。食材の製造に要する水の量を示す『見えない水の発券機』(竹村真一,佐藤卓)、超撥水コーティングのステージに水滴が踊る『鹿威し』(原研哉)などが印象に残った。それぞれにスケールを置き換えた『猫の傘』と『ねずみの水滴』(佐藤卓)もチャーミングなインスタレーション。シンプルだが、リアリティのある作り込みにはっとさせられる。
ミッドタウンでもうひとつ。『とらや』に立ち寄ったところ、店内のギャラリーで『寿ぎのかたち展』が開催中。伝統的な折形、水引とその製作過程にまつわる展示に加え、オリジナル商品も見ることができた。田中七郎商店による水引の造形は実に優美なもの。伝統的折形の雛形に見られる工夫と、そのバリエーションの豊富さには驚いた。折形デザイン研究所、田中七郎商店、とらやの協同によるぽち袋を後で購入しようと思ったが、上のふたつの展覧会を見ている間にすっかり忘れていた。こちらも要再訪。
さらに同日、自由が丘に移動してバスで深沢不動前へ。天童木工PLYで『柳宗理 家具展 2007』を見た。現在新品として購入可能な柳デザインの家具を一覧することのできる内容。特にあまり出会う機会の無いダイニングテーブルを、スタッフの方からご説明をいただきながらじっくり見ることができたのは有り難かった。強度と機能の両立のために考え抜かれた天板裏の構造と、面取りの手法に思わず唸る。また、今年初めに東京都近代美術館の展覧会『柳宗理 生活のなかのデザイン』で見た『デスク』(1997)が新作の『Yanagi Desk』(白崎木工製)として販売されていた。鋭角的でソリッドなフォルムと重厚な無垢材の質感は柳デザインの家具には珍しい。こちらも興味深く拝見した。
Tendo Classicsのカタログと『亀車』(1965/全長12cmほど/別アングルの写真)を購入。宮城県鳴子の木地こけしの老舗『高亀』のために柳氏がデザインしたもの。箱が無かったのは残念だが、入手できたのは幸運。ろくろ引きの手法を生かした見事な造形。キモ可愛い。
11/3。ルイ・ヴィトン表参道店前にて。ともすれば素人くさいインスタレーションになってしまいがちなシンプルなアイデアがそうならなかったのは、そのディテールゆえ。照明器具はおそらくオリジナルだろう。蛍光管の配線や支持部の処理のスマートさが印象に残っている。
ルイ・ヴィトン表参道ビル07年9月(JDN/東京ショーウィンドー)
10/16。午後過ぎから出光美術館の『没後170年記念 仙厓・センガイ・SENGAI 禅画にあそぶ』へ。仙厓(1750-1837)は日本最初の禅寺・博多の聖福寺の住職として1800年前後の再興に務めた禅僧。宗教者としての業績だけでなく書画においても優れた人物だったが、ある時期(1810年前後と言われる)を境に細密画を描かなくなり、以後「うまへた」な水墨作品を描き続けた。その過激なまでの脱力具合、禅を極めた境地から発せられる破壊的な賛文は、簡単に「ユーモラス」などと言えるような代物ではない。『一円相画賛』などはその最たるものだろう(「これくふて茶のめ」って。。。)。展覧会では出光美術館の有する日本最大のコレクションを通して仙厓の作品と生涯が網羅的に紹介されており、そのボリュームたるや大変なものだった。図録は『指月布袋画賛』や『○△□』が見開きでまっぷたつに掲載されていたのが残念。
神保町へ移動して南洋堂書店の『菊地宏展 - 光の到達するところ』へ。菊地宏氏の手がけたリノベーション(2007年8月完成)によって、建物(1980年築/土岐新設計)は通りに対してずいぶんと開放的になり、客動線は整理されていた。4Fのギャラリースペース『N+』での展示は合板やコンクリートを用いた模型を中心とする内容。アーシーな質感が印象的。小さなモニターでループしていた各作品の紹介映像には工事中の風景が多く含まれていた。カオティックな現場に少ない手数で端正な表情が与えられてゆく様は興味深い。中でも『LUZ STORE』は現存しているうちにぜひ見ておきたかった作品。『毎週住宅を作る会』を見ていた頃はこんなに力強い作風の建築家になる人だとは予想していなかった。月日は人を変えるのだ。翻って見ると、ウチは当時からあまり変化も成長もしていないような。いかんなあ。
竹橋方面へ移動してKANDADAの『伊藤敦個展「"777"」』へ。パチンコにまつわる様々な社会的、あるいは個人的な事情を、批判するでも肯定するでもなく、端的に示す作品の数々。インスタレーションや立体、映像によるその乾き切った表現は時に痛々しく、時に生々しい。廃棄されたパチンコ台のパーツをそのまま簡潔に再構成したシリーズ『"777" - Flower - 』では、その過剰な造形とイルミネーションに息を呑んだ。脇のプラズマモニターから流れる地方のパチンコホールの映像へと目をやると、空間を覆いつくす凄まじいまでのアイコンの羅列に思わず目眩を覚える。パチンコホールは現代日本におけるウルトラバロックなのだ。彫刻作品『"777" - Home - 』はパチンコホールのちいさな模型。エントランスの脇にぽつんと置かれた姿は妙に懐かしく、郷愁に似た感覚を誘うものだった。
10/24。松屋のデザインコレクションで『alternative』のための資材調達をした際に、デザインギャラリーで開催中だった『PHランプと北欧のあかり』を見た。PHランプの開発過程とそのバリエーション展開を概観する内容は、個人的にはこれまでほとんどまとめて見たことのなかったもので、大変勉強になった。配布されていた資料に掲載されていたポール・ヘニングセンの言葉はなかなか辛辣で興味深い。以下引用。
「夜を昼に変えることなど不可能だ。わたしたちは24時間周期のリズムで生きており、人間は爽やかな昼の光から暖かみのある夕暮れへの移ろいに、ゆっくりと順応するようにできているのだ。家庭での人工照明は、言うなれば、黄昏どきの光の状態と調和すべきであり、それは、黄昏特有の暖かみのある色の光を使うことによって実現可能だ。夕刻、ほかの部屋にはまだ薄明かりが残っているような時間に、冷たい蛍光灯がリビングルームで煌々と光っていては不自然だ。そして、強烈な光は目をくらませ、物の色は正しく再現されず、自然な陰影は生まれない。」
さらに同フロアの画廊で開催されていた『寺本守 銀彩展』へ。まったくのノーチェックでふらりと訪れたが、これが素晴らしかった。線描の上絵付に銀箔・銀泥を施してから掻き落とし、低火度で焼きつける手法で作られた陶芸作品のシリーズ。深みのある表情とクールな佇まい。思わず衝動買いしそうになったが、なんとか思いとどまった。今度出会った時のために貯金しとこう。
11/7。『第40回東京モーターショー 2007』を見に幕張メッセへ。いつもは閉場の2時間ほど前に到着し、荒天に翻弄され、駆け足に疲れ果て、困憊の体でぎゅう詰めの京葉線に揺られながら帰るのだが、今回は珍しく早起きして、天気の良い日を選んで訪れたので気分は上々。展示ブースのデザイン視察に重点を置きつつ、じっくりと会場を巡った。
今回最も印象に残ったのはメルセデス・ベンツの展示ブース。照明入りのルーバー造作が流れるような曲線を描きながら展示スペースの上空をぐるりと囲う。通路部分の床は全面がグレートーンのシャギーカーペット敷き。こうした展示イベントではほとんど経験したことの無いふわふわした歩行感覚が新鮮だ。
間仕切やカウンターなど、他の造作は床から生えて来たような黒いボリュームとしてデザインされており、グラフィック類はごく控えめ。全体に要素が少なく、落ち着きと一体感のある空間が構成されている。
リサーチカー『F700』の展示エリアでは、プレゼンテーターが曲げアクリルの映像モニターを前に解説を行っていた。モニターには床下からビデオプロジェクターの映像が投影され、その内容は右側壁面の大型モニターと連動する。アクリル板を支えるフレームにはタッチセンサーが仕込まれているようで、素手で画面を操作しながらプレゼンテーションを行っていた(F700プレゼンテーションの様子)。微妙に未来的な演出が『F700』の堅実なコンセプトに良くマッチしているように思う。
その他の写真:全景/部分1/部分2/スマート展示1/スマート展示2
続いて挙げたいのはヤマハ(二輪車)の展示ブース。デザインを特徴づけるのはこれまたルーバーだが、独特の力強い造形感覚によってメルセデス・ベンツのブースとはひと味違う空間が構成されている。床面と展示用ステージの仕上げは共に薄塗モルタルを思わせる質感。軽快さと重厚感、鋭利さと量感の対比が際立つ。
三菱ふそう(商用車)の展示ブースはゲート状の造作の配置による極めてシンプルで大胆な構成。手前の大型観光バスが小さく見えるほどのスケールを持つ無柱の広場は、開放的でありながらまとまりを感じさせる気持ちのよい空間だった。
アウディの展示ブースは巨大なボリュームを上部に浮かせたデザイン。造作を円筒形にくり抜いた内面に施されたグラフィックと、ダウンライトやスポットライトなどの点光源を主体としたライティングの手法は単純にオーソドックスであると言わざるを得ないが、空間全体の印象としては至って潔く、好感が持てる。
例年見事なデザインを見ることのできるBMW(写真)とMINI(写真)の展示ブースだが、今回は2005年のデザインをほぼ踏襲したものとなっていた。文字情報を大きくあしらったグラフィックの羅列はどうにも古びて見える。次回に期待。
その他、国内の乗用車メーカーの展示ブースとして、事前情報ではトヨタ(写真)と日産(写真)も注目を集めていたようだったが、個人的には印象に残らなかった。特に日産の展示ブースに見られる薄っぺらな和風趣味は、2001年、2003年の明快な建築的手法に比べてずいぶん後退してしまったように思えてならない。
国外メーカーが軒並み中国市場へとプロモーションの比重を移してしまった後に行われる初の東京モーターショーは、見終わってみるとやはりいつもに比べて少々華やかさに欠けるものではあった。国内市場の活性化を狙う国内メーカーを除いて、展示ブースは概ねヨーロッパ各地のショーで用いられたデザインを踏襲し、部材を流用したものであるとの話も聞く。
とは言え、極端な大画面映像や、無数のムービングライトなどの「これでもか」的な演出が下火となったことはむしろ喜ばしい。部材の持ち回りについてもヨーロッパのディスプレイデザインを(廉価版とは言え)概ねそのまま見ることができると言う面においては(また環境的見地からも)歓迎すべきかもしれない。展示ブースのデザイントレンドは企業の打ち出すテーマを冷静かつ確実に伝える手法へと移行している。
祝祭は終わり、クルマはその本質的な必要性を問われているようだ。
クルマについてはこの続きで。
10/9。夕刻に大江戸線で六本木へ。ミッドタウンから真っ直ぐギャラリー間へ移動し『小嶋一浩+赤松佳珠子/CAt展』を見た。それから千代田線で表参道へ。ギャラリー5610で『岩崎堅司展 IROIRO・DEKOBOKO』を見た。
CAt展については特に書くことは無い。しかし岩崎堅司展は小規模ながら素晴らしい内容で、これを見るためだけにでも、仕事の合間にアトリエを抜け出した甲斐があった。グラフィックデザイナー・岩崎氏の経歴については残念ながら詳しいことが全く分からないが、ウェブ上の情報を継ぎ合わせて判断すると、おそらく御歳は古稀を過ぎておられる。杉浦康平氏、福田繁雄氏、仲條正義氏らとほぼ同じかほんの少し下の世代だ。
会場には岩崎氏がこの展覧会ために制作した平面作品と、スチールによる立体作品が並べられている。どれもが極めつけにミニマルなグラフィックアートで、その構成要素はほぼ無個性なフォントと色面のみという潔さ。連続する箱の凸凹がLIFEを描き、JOHNの細部にIMAGINEが潜み、ECOLOGYとECONOMYが微笑みながら出会い、PEACEとWARが表裏に重なり合う。作品からストレートに伝わるメッセージやユーモアが心を打つ。
この展覧会を見て私たちが感じたことを敢えて一言で表すと、それは“駄洒落力の凄味”であったように思う。こう書くとほとんどの人が引くんだろうな、と思いながら書くわけだが、あたまに“駄”とは付くものの、実のところ駄洒落は大変立派なものではないかと私たちは睨んでいる。
駄洒落とは、無縁の彼岸同士にあるふたつの概念を結びつけるパラレルな思考に他ならない。それは芸術の本質と言っても差し支えの無いものだ。あるいは駄洒落とは、“芸術を裸にしたもの”なのかもしれない。
私たち若輩デザイナーは自らのデザインをなんとなくおシャレな空気感で包んで、ぼんやり見ている人に「ちょっと良さげかも」と錯覚させることにかけては上の世代のデザイナーよりも長けているかもしれないが、表現の根本は脆弱だ。なにせ私たちはコンセプトを直接的に伝えることを“こっぱずかしい”と感じてしまう。裸では最初から勝負にならないのだ。
ギャラリーを出て骨董通りを渡り『蔦珈琲店』で庭の秋草を眺めながらぐるぐると考えを巡らせた。デザイナーたるもの、おシャレよりも駄洒落を磨かねば。
骨太で、力強く、かつなんともキュートな岩崎氏の作品は、正に裸のグラフィックアートだった。
9/17。『ポーラ美術館』を離れ東海道を東へ。再び渋滞に遭いつつ1時間余りをかけて箱根町湯本に到着。最終目的地の『まんじゅう屋 菜の花』を訪れた。街道沿いの小さなビルは3Fまでが店舗として使用され、1Fが『まんじゅう屋 菜の花』(2001)、2Fが『茶房 菜の花』(2001)、3Fが『そば切り 十六夜』(2006)。インテリアデザインは1Fが中村好文氏(レミングハウス)、2Fが小泉誠氏(コイズミスタジオ)の師弟共演。3Fのインテリアは小泉氏と彫刻家の神林學氏による共作(ロゴは望月通陽氏、焼物の器は内田鋼一氏の作)となっている。
箱根の宵は極めて短く、この店も1Fと2Fの営業時間は17:30まで。3Fも18:00にはラストオーダーとなる。残念ながら1Fをじっくり見ることはあきらめ、2Fでお茶とデザートをいただいてから3Fで蕎麦、という妙な順序での見学となった。
2F『茶房』のインテリアは、塗装と左官による白い空間に大型の木造作を配置することで大胆に構成されている。エントランスから区画の長手へのパースペクティブを強調するように、各造作はゆったりとした奥行きを持つ。開口部の大きさも手伝って、全体の印象は至って開放的だ。この「開放感」は小泉デザインとしてはユニークな要素かもしれない。
フロア中央の大テーブルに落ち着いてキッチン側を見ると、鋭角的に造形されたフードまわりの垂壁がシンプルな空間に絶妙な破調を加えていることが分かる。セットメニューは桐のプレートで、草木の飾りを沿えて提供される。
階段を上がって3Fの『十六夜』へ。スチールドアの向こう側に帯状の木材と和紙で出来たゲートが現れる。うねるような造形が『茶房』の直線的なデザインとの鮮やかな対比を印象づける。
客席は三角形の小上がりと2つの大テーブルにゆったりと配置されている。武蔵美COZ15と店のスタッフも制作に加わったというインテリアは手作り感たっぷりの仕上がり。フロア中央には白漆喰のパーティションが象徴的に置かれ、沸き上がる雲を思わせる造形が目を引く。別アングルからの写真はこちら。
店主氏は京橋『三日月』にゆかりのある方とのこと。道理で二八のそばは見目麗しく食感・風味ともに素晴らしい。つゆは出汁の香りの際立つ上品で優しい仕上がり。インパクトには欠けるが、観光地の場所柄にはちょうど良いのかもしれない。今後趣味性と立地のどちらに比重を置いてゆかれるのか、少々気になる。
驚いたのはウヱハラ先生に分けてもらった納豆そば(撮影:ウヱハラ先生)。なんともふくよかでクリーミーな食感。そばとつゆとの相性も抜群。これはぜひともまたいただきたい。
9/17。『とらや御殿場店』から箱根方面へ。途中地滑りによる渋滞に遭いつつ山道を登ると、両脇にギザギザとした造形的なガラスの屋根を持つバス停と『ポーラ美術館』のサインが現れた。
ブリッジを渡ってエントランスへ。免震構造の建物は谷あいに設けられた円形の壕に浮かぶようにして、控えめにその姿を覗かせている。
上の写真左がエントランス。巨大な扉はステンレスメッシュに覆われている。上の写真右はエントランスから下方を見た様子。壕と建物とが互いに切り離された構造であることが分かる。
ロビーへと向かうアプローチもまたガラス張り。自然光に満ちた吹き抜け空間がひろがる。左手に見えるコンクリートの鋭角的な造形と、右側の壁一面に用いられた分厚い波板ガラスの優しい質感の対比が印象的だ。
エスカレーターを下り、ロビーからさらに下方まで吹き抜けは続いている。奥へと進むに連れて、ガラス壁の存在は徐々に圧倒的なものへと転じてゆく。上の写真右はそのディテール。内側に照明器具とライトチューブが仕込まれており、壁全体がぼんやりと発光する。
巨大なボリュームを持つ空間ながら、細部はどこまでも端正そのもの。建築デザインは安田幸一氏(日建設計・現東京工業大学大学院)。施工は竹中工務店。
壮麗なる力技に思わずため息。ここまで凄いの見ちゃうとかえって凹むなあ。。。時間が無かったので展覧会は見ずに移動。
9/17。久しぶりに丸一日のオフ。ウヱハラ先生のトゥインゴ号で御殿場・箱根の日帰りツアーに連れ出していただいた。最初の目的地は『とらや御殿場店』。2006年にオープン。建築デザインは内藤廣建築設計事務所。
外観は細い短冊の木材に覆われた箱に薄い屋根を乗せたシンプルなデザイン。深い軒と、それを支える細い柱が印象的だ。店舗部分の南北は全面ガラス張りで、エントランスから店内越しに向こう側の庭までが見通せる。正面外観はこちら。
軒下では屋根の軽快さがより強く感じされる。各部のディテール(上の写真)は繊細で美しい。昇降機構を持つ暖簾まわりの天井面を見ると、各パーツがグリッド状の底目地に合わせて厳しく配置されていることが分かる。
店内に入ると、4m前後はあるかと思われる天井の高さに対して、インテリア造作の高さは極力低く押さえられており、極めて開放的な空間が確保されている。上の写真は左手奥から右手前方向を斜めに見たところ。飲食エリア(虎屋菓寮)は物販エリアと完全にひと繋がりで、客席の間隔は広い。
上の写真はエントランス辺りから左手奥を見たところ。東西の壁面は外部と同様の木材に覆われ、床はほぼ同色のウッドフローリング。その上に置かれたインテリア造作は主に明るい色の竹の集成材と和紙で構成され、建物との対比を見せている。大テーブル席のアップはこちら。竹集成材のキャビネットにはIH調理器とシンクが埋込まれている。引出の取手は皮の帯。
あんみつと葛切のセットを注文。さっぱりと上品。美味い。
到着したのが午前中で、店内にあまり客が居なかったからかもしれないが、ウヱハラ先生が店の内外を写真に撮っても良いかスタッフの方に訪ねたところ、あっさりと了解していただけた。外観の撮影中、強風で巻き上がっていた暖簾をわざわざ降ろして直して下さったことには驚くと同時に恐縮。大変ありがとうございました。
御殿場の『とらや』は人も空間も実におおらかで、都内からでもわざわざ和菓子を買いに行きたくなるくらいに居心地が良い。建築・インテリアデザイン好きの方には、マナーを守りつつ(フラッシュの使用や他の客に悪い印象を与えるような動きはなさらぬよう)大いに見学させていただくことをお薦めする。
現在、御殿場では『とらや工房』の建設が進行中とのこと。デザインはこちらと同じく内藤廣建築設計事務所。今年10月末のオープンが楽しみだ。
東京ミッドタウン・とらやとMUJI(April 29, 2007)
8/18。国立能楽堂『納涼茂山狂言祭2007』の夜公演へ。ここで茂山狂言を見るのは昨年に続いて2度目。相変わらず国立能楽堂は気楽でいい。勝野は竺仙の絹紅梅、ヤギはTシャツにジーンズ、という他の能楽堂だと着物マダムの皆さんに白い目で見られそうな出で立ちだったが、ここでは余計な気遣いをしなくて済む。
建物は大江宏建築事務所1983年の作。外苑西通りと明治通りを繋ぐJRの線路脇の道を、その中ほどで少し住宅街の側に入ると柿葺(こけらぶき)を模した金属屋根が折り重なって表れる。
ファサードや外構のデザインはまとまりに欠けるが、インテリアは見事なものだ。上の写真は終演後の舞台。光源をほとんど意識させない超フラットなライティングが異空間を浮かび上がらせる。
上の写真はエントランスロビー。上部に木製ルーバーを設けた開口部のデザインが巨大な半蔀(はじとみ)を彷彿させる。
上の写真はエントランスロビーからホワイエへと続くメイン通路。中庭(写真右)を半周するようにして横ルーバーの意匠が続く。
ホワイエで天井は一段と高くなる。上部はぐるりと光壁。縦向きとなった木製ルーバーがそのスケール感を強調する。見所の外側にある通路(写真左)を含め、舞台以外のライティングには蛍光灯が上手く使われている。
最初の演目は京極夏彦作の『豆腐小僧』。千之丞氏演じる豆腐小僧の可愛らしさと、千五郎氏演じる大名の雷親父ぶりの対比が実に鮮やか。休憩をはさんでの『三人かたは』はナンセンスの極み。笑いのパワーが凄い。最後の『神鳴』(かみなり)は田楽の流れを汲む楽しくおめでたい演目。八百万の神の国に住む民衆の厚かましさとたくましさに思いを巡らせつつ、大いに笑わせていただいた。
8/9。『小泉誠展 匣&函』を見にGALLERY le bainへ。
ギャラリーの正面は動線に対して斜めに設えた白い間仕切りで遮られていた。これは発泡スチロールの塊を積み上げたもの。小さく切り欠いたような入口から中に入ると、白いボリュームはガラス面を挟んで中庭からギャラリーへと貫入し、展示スペースはいつもと丸きり異なる印象に。コストをかけず、最少の手数で空間を変化させる手法にいきなりはっとさせられた。
白い箱の内外にはJパネル(杉)の箱と、それを組み合わせたいくつかの作品が、ごろんところがされるような姿で置かれていた。座ったり寝そべったりは自由。それぞれが家具でありつつパーソナルな空間でもある。どの作品もかたちそのものは至って単純で、一見無造作にも思えるが、中に入ってみると妥協無く細かな寸法調整が施されていることが分かる。居心地が良いのだ。しかも楽しい。
上の写真右はデスクとベンチの組み合わせ。上の写真左などはかなりアクロバティックな幾何学的構成。おそらく部分的に金物で補強されているのだとは思うが、外見上はふたつの木の箱でしかない。その佇まいはほとんどミニマルアートだ。
どの展示作品にもプロダクトとしての完成度と実験性とが高い次元で両立されていた。「箱」という素朴なテーマにこれほどの深みを与えた小泉氏の手腕とクリエイティビティに驚き、頭が下がる。大変勉強になりました。
7/8。渋谷・桑沢デザイン研究所に内田繁氏の展覧会「DANCING WATER - ミラノ’07作品展」を見に行った。展示内容は実に盛り沢山で、インテリアデザイナーの展覧会としては破格に見応えのあるものだった。
駐車場のスペースを利用したと思しい会場に入ると、いきなり3つの茶室が登場。手前から『受庵』、『行庵』、『想庵』(1993)。奥側2室の外観写真はこちら。
茶室の中にも入ることができた。上は『受庵』の内部。外形は単純な直方体だが、メッシュの透かせ具合が部分ごとに異なることから微妙な奥行き感のある空間が生まれている。『行庵』の内部は和紙に覆われている。閉ざされ、フラットで柔らかな光に満たされた空間はある意味最も茶室らしいもの。ヴェネチアンガラスやデコラティブな金属器を交えた茶道具が違和感が無くコーディネートされているのが面白い。『想庵』の内部にはランダムなメッシュが木漏れ日のような影を落とす。座して眺めるのもいいが、立ち上がってあちこち見回すのも楽しい。
透明のビニールシートに一輪挿しをあしらった『フラワー・スクリーン』(2004)を向こう側にまわると、ゆらゆらと波打つような光を背景に、ガラスの幹と枝をもつ樹を白い毛むくじゃらの生き物が取り巻いていた。これらは2007年のミラノサローネに出品されたインスタレーションで、それぞれに『ダンシング・ウォーター』、『グラス・ツリー』、『ムー』という作品名が付けられている。ひとつひとつサイズやかたちの異なる『ムー』は、腰掛けることもできるオブジェとも家具ともつかない作品。意外と安定感があり、このままセットでどこかに常設してあっても良さそう。
左側の赤いベンチと右側の黄色いソファは2003年にコトブキのためにデザインされたロビー用ファニチャー(『アルフィー』、『ソー・イン・ラブ』)。
上の写真左は『想庵』の裏にあった『ツリー』(2001)。木漏れ日のもとは樹を模した照明器具だった、という仕掛け。
写真右の小さなテーブルのシリーズは、それぞれ高さや形状、サイズの異なる天板に、部材の共通する三本脚のパーツを組み合わせたもの。年代・作品名は不明だが、この展覧会で内田氏が示したマスプロダクトと少量生産品、家具とオブジェのあいだに向けてのデザインアプローチが象徴された作品であるように思えた。このテーブルは『ムー』の兄弟なのだ。
90年代以降の内田デザインが、どこから来てどこへ向かいつつあるのかを俯瞰することの出来た貴重な展覧会。見ることができて本当に幸運だった。
帰り際、近著『普通のデザイン』を購入したところ、内田氏の似顔絵の金太郎飴をおみやげにいただいた。この春に内田氏が受賞された紫綬褒章のお祝いなんだそうだ。これまた大変有り難い。でも恐れ多くてとても食べられそうにないなあ。
内田繁「DANCING WATER - ミラノ'07作品展」
6/25。大阪視察の最後に立ち寄ったのは『ボンバール江戸堀』。立ち飲みスタイルのワインバー、というイマドキな業態ながら、オープンはなんと1992年。内外装デザインを手がけたのは『VAGRIE』と同じく我らが心の師匠・野井成正さん。
地下鉄肥後橋駅から地上に出て四ツ橋筋を少し南下。郵便局のある交差点から西へ5分ほど歩くと例によって控えめな立て看板。手前の店の生簀を横目に見ながらビルの裏側のような半屋外の通路を奥へと進み、ようやく亜鉛メッキのファサードへとたどり着く。ロゴの入った面はもともと営業時には左手に長く突き出して客を招き入れる動線をつくっていた。現在は通路の突き当たり(暖簾のかかったところ)に店ができたため短く切り落とされている。おかげでなんとも閉鎖的な店構えとなってしまったが、隠れ家的でいい塩梅とも言えなくはない。
時間が17:00過ぎと早かったため、客はまだ私たちだけだった。バーテンダー氏にコップワインを注文。つまみに串揚げをいただく。大阪らしい、最高の組み合わせだ。
内装で先ず眼に飛び込んでくるのは、頭上に折り重なった材木群とバーカウンターとの狭間の空間。最小限にして完璧なライティングがその間合いを絶対的なものにしている(特に材木群に向けてのアッパーライトの収め方は見事)。さらに亜鉛メッキの板状の造作が千切れた屏風のように不完全な間仕切りとなり、10人も立てば満杯の店内を絶妙な居心地の良さで満たす。バック棚は節有の板材に切り込みを入れ、スチール板を差し込んだもの。隙間から漏れる光の描く陰影が美しい。安価な素材の組み合わせが豊かな空間を生み出す。野井マジックのひとつの頂点がここにある。
帰りの飛行機に間に合うように、この日は早めに引き揚げた。おそらくあと小一時間もすれば、ここの名物とさえ言えるいつもの大賑わいが訪れただろう。商売向きとは決して言い難い場所で15年。このちっぽけな店は、街と人間にとって何が本当に大切なのかを、そっと教えてくれているような気がする。
ボンバール江戸堀/大阪府大阪市西区江戸堀1-27-8
06-6448-0280/16:00-24:00/年中無休
ボンバール江戸堀(noi-shigemasa.com)
6/25。『VAGRIE』から四ツ橋筋の西側を南下。目的地を行き過ぎて立花通りに迷い込んだところで偶然に『LAWRYS FARM & JEANASIS』(ローリーズファーム&ジーナシス)南堀江を発見した。内外装デザインはアウトデザイン(黒川勉)が手がけている。2005年3月にオープンした最晩年の作品。現在アウトデザインのホームページには掲載されていない。
店内は1Fに『LAWRYS FARM』、2Fに『JEANASIS』というフロア構成。手裏剣型の異形タイルに覆われたファサード(別の写真)の大きな面にそのふたつのロゴが配置されている。アンバランスなようでいて決まっているようにも見える不可思議なレイアウトが、アウトデザインの作であることを静かに物語る。
月曜の日中にもかかわらず立花通りの賑わいは大したもので、この店にもたくさんの女性客が。さすがにインテリアの写真を撮ることは断念した。
書籍などで写真を見た限りではあまりピンと来るものの無かった作品だが、実物の持つ迫力は想像をはるかに上回るものだった。安価でカジュアルな服を販売する店に黒川はあえて凝り固まった構成を与えることなく、素材の使い分けによる面の切り分けで動線と視線を大雑把にコントロールする手法をとっている。一方、空間の「ゆるさ」対して什器をはじめとする各部のディテールは極めて雄弁だ。何故そこに?と思うような箇所に施された装飾。ガラスケースの危うげな構造。大きな壁付ミラーフレームの裏に隠れたフィッティングルーム。それらの積み重なりが頭の中にひとつの風景を形作る。
何気ない佇まいに潜む気高いフェティシズム。下手なデザイナーがこれを真似すると、眼も当てられないことになる。かく言う私たちにも、こうしたバランスを成立させる自信はまだ無い。もっともっと、精進しなくては。
LAWRYS FARM & JEANASIS 南堀江/大阪府大阪市西区南堀江1-19-30
06-6533-5150/11:00-20:00/無休
6/25。梅田から再び南へ移動。北堀江のバッグショップ『VAGRIE』(ヴァグリエ)を訪れた。インテリアデザインを手がけたのは我らが心の師匠・野井成正さん。
四ツ橋駅からすぐの長堀通りに面したビル入口に控えめな立て看板を見つけ、小さなエレベーターで2Fへ上がると目の前に『VAGRIE』のドア。インテリアは柱型、梁型を残しつつ至って簡素に仕上げられている。壁は白い塗装で、床もやはり白く染色されたウッドフローリング。天井面の塗装は淡いグレーで、シルバー色の配線ダクトによって8列のボーダー状に分割されており、そこにシルバー色のコンパクトなスポットライトがずらりと並んでいる。エアコン類は天井ではなく壁に設置されているため、グレーのフラットな面は至ってミニマルで象徴的に見える。また、単純な白一辺倒ではないことが、かえって空間のひろがりを感じさせる。
店内は白い半透明の衝立て状の家具で緩やかに分節されている。この衝立てはドットパターンを漉き込んだ和紙をアクリルでサンドしたもの。しばらく店内を移動しているとなんだか雲間に浮かぶような心地がする。
商品もまた魅力的。子安一子氏のデザインする数々のバッグは、その製造工程の多くを国内でのハンドメイドに負う。端正かつ造形的な外見を持つばかりでなくどれも実に機能的で、内部の細かな箇所まで一切の妥協無く作り込まれている。使用されるシーンを周到に想定し、意外なディテールに遊び心をしのばせるセンスもまた見事。子安氏のバッグには「小粋」という言葉が真に似つかわしい。長財布をひとつ購入。今度は貯金して行こう。
『VAGRIE』のバッグは東京では日本橋三越で見ることができるとのこと。
VAGRIE/大阪市西区北堀江1-7-4-2F/06-6533-2349
11:00-19:00/日祝休
VAGRIE(noi-shigemasa.com)
6/25。前日の神戸出張のついでにこの日は大阪市内を半日視察。主に地下鉄網でぐるぐると移動。地下鉄御堂筋線の主要駅は空間の使い方が贅沢で実にいい。写真は心斎橋駅のホーム。ゆるやかなヴォールトに40W蛍光灯の巨大なペンダントライトがずらり。
ここ数ヶ月の間にICカードの相互利用にすっかり慣れてしまったため、いちいち切符を買わなければならないのが煩わしいことこの上ない。ちなみにICOCA - Suica(JR西日本 - JR東日本)はすでに相互利用可能。PiTaPa - Suica(西日本の他社鉄道 - JR東日本)もそのうち相互利用が開始される予定とのこと。関西と関東とで見るとPASMOだけが蚊帳の外(相互利用できるのは当面Suicaだけ)なんだそうだ。地域をまたがって移動する機会のある人にとってはちょっと気になる話。
大阪市交通局
Suica, ICOCA, PiTaPa の相互利用を進めます(スルッとKANSAI協議会)
6/21。gggで『廣村正彰 2D⇔3D』を見た後、中央通りへ出ると斜め向かいに見慣れない高層ビルがあった。スウォッチグループの本社機能を備える『NICOLAS G. HAYEK CENTER』(ニコラス・G・ハイエック センター)。5/24にオープンしたばかり。建築デザインは坂茂建築設計。
14階建のビルの全景を対面から写真に収めることはなかなか難しい。最上階の不整形な屋根の下にあるのがイベントホール。その下数フロアにわたってオフィス、さらにカスタマーサービスが3フロア、4FからB1Fまでがスウォッチグループ傘下ブランド(スウォッチ、 オメガ、ブレゲ、レオン・アト、 ブランパン、グラスヒュッテ、ジャケ・ドロー)のブティックとなっている。
写真上方にあるガラスの楕円柱はブレゲのショーウィンドウ。それ自体が油圧昇降式のエレベーターとなっており、乗り込むと3Fのブレゲ・ブティック銀座へ直接アプローチできる。地上階には同様に各ブティックのショーウィンドウ兼直通エレベーターがブランドの数だけ配置されている。プラン的にかなり厄介なことになりそうだが、利用する分には至って分かりやすく、なかなか面白い仕掛け。
写真は裏通りから中央通りの方を見たところ。地上階から4Fまでは壁面緑化の施されたアトリウムで、裏通りへの通り抜けができる。ビルのファサードは前面背面ともに巨大なガラスのシャッターで4分割されており、開放すると各フロアの大半が風の通り道となる。実際に活用されることがあるのかどうかは不明だが、実に大胆極まりない設計だ。言わば、ビルごとオープンテラス。
現状ではさすがに装備が重過ぎる印象は否めないが、こうしたことを実現できる仕組みが将来的にもっと洗練されて風通しの良いビルが増えれば、都市の景観はずいぶんと軽やかなものになるだろう。そんな想像の膨らむ楽しい建物だった。
6/21。ggg(ギンザ・グラフィック・ギャラリー)で『廣村正彰 2D⇔3D』を見た。廣村正彰氏は1954年生まれ、田中一光デザイン室出身のクリエイティブディレクター。建築・インテリアデザインの世界では、埼玉県立大学 サイン計画(1999)、CODAN Shinonome サイン計画(2003)、丸善・丸の内本店 サイン計画(2004)、横須賀美術館 VI計画およびサイン計画(2007)などのプロジェクトで知られる。
1Fでは大型のグラフィックパネルと液晶モニターを用いて、3つのデザインリサーチの紹介が行われている。中でも興味深かったのはエスカレーターそのものにグラフィック処理を施すサイン計画。実現はかなわなかったものの、グラフィック操作によって環境そのものを制御し、機能させようとする廣村氏の野心的な志向を最も端的に象徴するプロジェクトだ。
B1Fでは氏が実際に手がけたいくつかのサイン・VI計画と、さまざまなロゴマークデザインを見ることができる。壁面全体をグラフィック処理し、要所のみをパネル化して浮かせた展示手法は実に明快だ。動線の中ほどに天井吊りされたスクリーンには、表裏から各プロジェクトの実際の状況を記録したビデオ映像が投影されている。ほとんど1、2mmのチリしかない完璧なフレーミングには思わず舌を巻いた。こうした見事な収まりと施工精度の高さには、多くの現場で2Dと3Dでの作法の違いに厳しく折り合いを付けて来た氏の取り組みがそのまま表れているように思う。
展示の内容もそれぞれに興味深いものだった。フロアごとに割り当てられた色面が時に力強い縞模様を構成する『CODAN Shinonome サイン計画』は、グラフィックによる環境デザインとして最もアヴァンギャルドな試みのひとつだろう。ガラスを多用した建築に呼応し、宙空に浮かぶグラフィックが風景に溶け込む『横須賀美術館 VI計画およびサイン計画』は息を呑む美しさ。どちらも近いうちにぜひ実際の空間を拝見してみたい。
グラフィックの持つ力が本来2Dのみにとどまるものではないことを体感することのできる貴重な展覧会だった。ものや空間をねじ伏せられるだけの腕力を、廣村氏以降の世代のグラフィック・ウェブデザイナーは果たして獲得することができるだろうか。また、グラフィックの力を最大限に引き出すことのできるだけの設計力を、私たちインテリアデザイナーや建築家は今もなお持ち得ているだろうか。
5/22。『いば昇』で昼食の後『ラシック』を視察。三越名古屋栄店の別館として2005年にオープンした複合商業施設。
館内には建物中央の無柱空間がフロアごとに異なる手法で活用されることによって特徴的な構成が与えられている。普通なら吹き抜けにしてしまうであろうところに動線や売場が縦横に折り重なり合い、ある種迷宮的で複雑な表情を作り出しながらも、商業施設として破綻の無い分かりやすさを同時に持ち合わせているのが面白い。上の写真は1Fと5Fの共用部分。
各フロアで写真を撮るとその表情はみごとにバラバラで、後で見ると同じ施設内には思えない。上の写真は8Fと3F。
上の写真は4Fエスカレーター正面の様子。柱の無い大きなフロアが区分され、テナントの売場となっている。割り切った造りと共用の天井造作。ちょっと他に無い雰囲気。
上の写真はB1Fの食料品売場。どのフロアも天井はあまり高くはないが、その眺めには独特の「抜け」感がある。
一見地味ながら、商業施設として極めてユニークで挑戦的な建物と見た。デザインを手がけたのは日建設計。
テナントでは『arco STORE』が特に面白かった。巨大な家具カウンターに店舗としての主な機能をシンプルに詰め込んだデザイン。『ete+』はいつどこで見てもやはりカッコいい。デザインは文田デザインオフィス(文田昭仁氏)。
4/26。東京オペラシティアートギャラリーで開催中の『藤森建築と路上観察』のオープン記念講演へ。司会を松田哲夫氏が担当し、藤森照信氏、赤瀬川源平氏、南伸坊氏、林丈二氏が対談するかたちでの進行。以下はその簡単な覚え書き。
新丸ビルのつづき。7Fは『丸の内ハウス』と呼ばれる飲食店フロア。プロデュースはheads・山本宇一さん。8店舗のインテリアはそれぞれ別のデザイナーが、共用部分のデザインはKata(形見一郎さん)が手がけている模様。
上の写真は24日のオープニングパーティーの時のもの。エスカレーターを上がると、共用部分の天井に埋込まれた大きなミラーボールがきらめき、常設されたDJブースからの音楽がフロアを煽っていた。いきなりの先制パンチに一瞬呆然とし、それから思わずにんまりとなる。この日、東京のど真ん中がクラブ、カフェカルチャーに飲み込まれたのだ。
通路からはドリンクを片手にテラスへと出ることが可能。ベンチやテーブルは固定され、建物の一部として設えられている。
テラスの東側からライトアップされた東京駅を見下ろすのはなかなか気分がいい。この5/30からは大規模な保存・復元工事がはじまるので、この簡素な屋根形状の東京駅が見られるのはあと残り2週間足らずかもしれない。2011年末には2つのドームを擁する新駅舎がお目見えする予定。
西側へと移動すると、前川國男設計の東京海上ビルディング。その向こうは皇居の森。
中華料理を提供するカフェ・ダイニング『SO TIRED』のインテリアはKata(形見一郎さん)のデザイン。カラフルなステンドグラス風のパーティションと大きな立体の店名ロゴが強烈な印象。チェアには教会用のものが用いられている。テラスから店内を見るとこんな具合。インテリアデザインと言うより、そこで飲食する客も含めてのインスタレーションと言った方がしっくり来るようなアーティスティックな空間だ。ジェニー・ホルツァー氏やバーバラ・クルーガー氏などの作品との関連を感じる。
升を思わせる照明器具が美しい『ソバキチ』のインテリアデザインを手がけたのは橋本夕紀夫氏。蕎麦を提供する居酒屋。バラバラに配置されたテーブル席を、フロア中央の立ち飲みカウンターとその周りの簡素で大胆な意匠が、見事にひとつの空間へと束ねている。
ビル内の他のフロアと同様に細い通路が多いため、ひとつのまとまったフロアとしての雰囲気はあまり感じられない『丸の内ハウス』だが、結果として生じた迷宮性を逆手にとって、路地裏のような雰囲気を作り出しているのが面白い。その最も裏手にある男子禁制のバー『来夢来人』にもそのうちぜひ行ってみたい(ヤギは行けないけど)。
山本さんにも少しだけご挨拶することができた。「やり切ったと思う」という力強い言葉が心に残る。
新丸の内ビルディング・decora、石月など(May 14, 2007)
4/24のプレオープンから数日にわたって視察した新丸の内ビルディングについてのあれこれ。
全体のプランニングはビル中央にエレベーターなど共用の機能要素を配置し、その周辺を通路とテナントがぐるりと取り囲む形式。六本木ヒルズの森タワー低層フロアと同様の極めてオーソドックスなものだ。各フロアのエスカレーター周りにソファがいくつも振る舞われていること、モールディングやミラーなどを多用した偽ヨーロッパ調の装飾がそこかしこに見られることなどを除けば、特筆することは無い。
個々のテナントのデザインにはユニークなものがいくつかあった。以下、あまりに人が多くてろくな写真が撮れなかったので、そのうち差し替えるのを前提にとりあえず。
中でも最もアヴァンギャルドで、かつ品格あるインテリアデザインを見ることができたのはアイウェアショップ『decora TOKYO』(2F)。商品の眼鏡は主に店内奥のガラス棚と手前のステージに置かれている。共用通路に対して垂直方向に並んだガラス棚の正面側には左官壁が立ちふさがり、店の外からは商品が斜めにちらほらとしか見えない。また、人の胸の位置ほどの高さのあるステージは天面が大きく凹んだつくりとなっており、そこに置かれた商品を見るには近づいて上から覗くより他は無い。ガラス張りの正面から店の全景を見れば、縦格子状の白い左官壁と黒い塊のような造作が柔らかな間接照明に包まれてあるのみ、と言った景色。カウンセリングを重視したプランを明快な手法でさらりとまとめたのはinfix(間宮吉彦氏)。
フロア中央に巨大なオーブンを象徴的に置いたプランで度肝を抜くのが『POINT ET LIGNE(ポアンエリーニュ)』(B1F)。『d'une rarete』、『Dan Dix ans』に続く淺野正己氏プロデュースのベーカリー。オーブンの三方をカウンター造作が取り囲み、パンのディスプレイや受け渡しなどすべての運営機能をそこで賄う至ってシンプルな空間構成がとられている。右側の壁は土煉瓦のような素材に覆われ、最奥は鮮やかなピンク色の左官、そしてエントランスは一面ダークグレーの巨大な引戸。オーブンの設置場所は防火区画となるため天井内にシャッターが収められ、その帆立がイエローの面としてふたつ並んでいる。『Dan Dix ans』のような精緻さは無いが、このルイス・バラガン的な大胆さもまた素敵だ。インテリアデザインはTYPE-ONEの斉藤真司さん。
山手線の東側に住む人間にとって、新丸ビルの飲食店(一部は朝4:00まで営業)の充実ぶりは実に頼もしい。中でも一際清逸な店構えを持つ蕎麦屋が『石月』(5F)。一部に個室を配置したフロアは、間接照明のラインを境に羽目板張りのボリュームと左官の面に分節されている。その構成は極めてシンプルだが、キッチンを区切る壁の描く緩いカーブや、通路側の開口上部を大きく斜めに裁ち落とすなどの操作も手伝って、ギリギリのところで緊張感のある空間が成立している。こうした寸止めは相当な腕前が無くてはとても出来るものではない。いただいたパンフレットを見ると、インテリアデザインを手がけられたのはレミングハウス・中村好文氏とのこと。大いに納得した。軽快な椅子のデザインも見事。
何分オープン直後なので運営面にはまだこなれていない印象があった。それでも京橋『三日月』ゆずりの蕎麦とつまみは抜群。ほぼ出汁の風味のみで完結するつゆは『並木』とは対極のスタイルだが、美味い。今後このエリアで蕎麦をいただく店はここで決まり。
どなたがデザインされたのかは不明だが、グラフィカルな手法で東欧のテイストを簡潔に表現したジュエリーショップ『COCOSHNIK(ココシュニック)』(3F)のインテリアは、『石月』とは真逆の方向から来てギリギリのところで踏みとどまったデザインに唸らされた。什器などの細部も素晴らしい。
その他、吊り戸棚形式のワインセラーを見せ場にした迫力あるデザインの『WW』(6F/写真)、ゴッサムシティで見かけそうな凝ったつくり込みの『ARTS & SCIENCE 新丸ビル』(1F/写真)、赤い暖簾の向こうに白い木立のような什器が並ぶ『記憶 H.P.FRANCE 丸の内店』(1F/写真)なども印象的だった。
新丸の内ビルディング・丸の内ハウス(May 16, 2007)
4/23。『風来坊』を出て久屋大通を北へと歩く途中に偶然『ルイ・ヴィトン名古屋栄店』を発見。1999年オープン。建築デザインは青木淳建築計画事務所。今や東京にも多くのブティック建築が見られるようになったが、この店はその端緒と言って差し支えないだろう。
思いがけず目の前に現れた姿は息を呑む美しさだった。表面のガラスと、その内側の壁に施された市松パターンの重なり合いが引き起こすモアレの効果が、建物としての実体やボリュームを包み込み、消し去る。
ガラス面に斜めから寄ると上の写真のような具合。
照明はガラスと壁の間の下面のみに入っている。よく見ると光が壁面に向かって照射されるよう、ルーバーが斜めを向いていることが分かった。
おそらく今後私たちの生活する都市環境の中で、建築的表現はこうした薄い皮膜のデザインとして再構築されてゆくのだろう。一見儚げなその存在には、街にも商業にも組みしないイノセントな力強さがある。
LOUIS VUITTON NAGOYA(青木淳建築計画事務所)
名古屋『ミッドランドスクエア』のつづき。テナントにもインテリアデザイン的にユニークなものがいくつかあった。
筆頭はイデアインターナショナルの扱うデザイングッズとボディケア用品の大半を見ることができるショップ『Idea Flames』(3F)。店舗区画を二分する防炎垂壁を天井造作に、防火扉をショーウィンドウに取り込むことで、大胆な空間構成が実現されている。ややこしいロケーションを味方につけてしまう見事な手腕。
ゴムテープのルーバー内に配線を収納できる中央什器、ライン状のステンレスカバーに収納された床コンセントと配線スペースなど、この手の物販店ならではの工夫もまた面白い。表参道ヒルズにも『Idea Flames』はあるが、空間の質的にこの名古屋店とは比較にならない。プロフェッショナルで遊びのある仕事はKata(形見一郎さん)によるもの。
オーガニック食材を扱うデリ・カフェ『beOrganic』(B1F)のインテリアは木の質感を生かしたシンプルな構成。壁面にある野菜のディスプレイや調理台と一体になったデリカウンター、半オープンのキッチンなどで、独特の活気ある雰囲気が演出されている。共用通路側の大きな木枠引戸には目線の高さにリサイクルガラスがあしらわれ、イートインのエリアにはHIDAの杉材チェア。空間にも店のコンセプトがあくまでさりげなく表現されている。インテリアデザインはイガラシデザインスタジオ(五十嵐久枝氏)。
有機野菜のサラダをメインとするメニューは極めてシンプルだが、実に納得の美味しさ。シーザーサラダのセットとローストポテトは絶品。早く東京にも出来ないものか。
どなたがデザインしたのかは不明だが、『バカラ』(1F)のショップのシンプルで力強い空間構成も印象に残るものだった。高い天井に大きなシャンデリアが嫌味無く映える。
4/23。愛知出張の合間に名古屋駅前の『ミッドランドスクエア』を視察。2007年3月にオープンした複合商業施設。内外装のデザインを手がけたのは日建スペースデザインとジオ・アカマツ。
名駅通りに面してブティックがパッチワークのように並んだファサードは上品とは言い難いが、商業エリアの環境デザインはモノトーンを基調にスッキリとデザインされている。
通路幅は広く、天井は高い。特に低層部の共用通路の広大さは東京の商業施設では体験できないものだ。地上階に並ぶショーメやセリーヌ、バカラなどのテナントも、そのスケールを生かしてのびのびとブランドを演出している。施設全体のプランニングは東京ミッドタウンなどと同様、吹き抜けの周辺を通路とテナントが取り囲むごく一般的なものだが、余計な装飾にまみれていないことがかえって豊かさと余裕を感じさせる。
上の写真は吹き抜けに面したエレベーター。ミニマムながら存在感のあるデザイン。アップルストア銀座を拡大したよう。
と、オープンラッシュの東京の商業施設に比較してデザイン的には圧勝の感のある『ミッドランドスクエア』だが、1日に数回の頻度でちょっと驚くようなことが起こる。
吹き抜けの天井に並んだ照明オブジェが音楽とともに昇降、変形し、様々にその色を変える演出は、まあふた昔ほど前に流行ったからくり時計の親玉のようなものか。あきれる程のダイナミックさに、思わず笑ってしまった。
つづきはこちら。
東京ミッドタウンのつづきでもうひとつ。オフィス・商業棟北側のミッドタウンガーデンへ出ると、その最奥に見える低層の別棟が『21_21 DESIGN SIGHT』(何と読むのだろう?)。建築デザインは安藤忠雄建築研究所。この日はギャラリー1でウィリアム・フォーサイス氏のインスタレーション『Additive Inverse』とアレッシオ・シルヴェストリン氏によるパフォーマンスを、ギャラリー2でオープニング展『安藤忠雄 2006年の現場 悪戦苦闘』を見ることができた。
建物としてのボリュームの大半を地下に埋めたデザインミュージアムは、それ自体が最良の常設作品だ。立体的な回遊動線がコンパクトに収められ、その造形的な内部を鈍い自然光が照らす。実に簡潔で力強い空間。おそらく国内でも指折りの安藤建築だろう。展覧会では図面や模型、素材サンプルなどの展示物の大半が長テーブル(建設用足場で組まれたもの)上にずらりと並べられ、観覧者はその周囲をベルトコンベアよろしく一方通行の動線に従って流れてゆくよう構成されていた。これまた笑えるくらいにシンプル。
ウィリアム・フォーサイス氏のインスタレーションはギャラリー中央に置かれたプール状の造作内をスモークで充たし、その上部から映像を投影するもの。プールの上に蓋は無く、ほんのちょっとした空気の流れが映像にゆらぎをもたらす。急いで動くとスモークが溢れて消えてしまいそうだ。陽炎のように幻想的で儚げな存在感が印象的。
アレッシオ・シルヴェストリン氏のダンスパフォーマンスが行われたのはスモークのプールから少し離れた場所。観客との距離のあまりの近さに驚いた。ほとんど見えるか見えないかの細い糸で自ら動きを拘束しながらの表現は、インスタレーションと同様極めて繊細で美しいものだった。
さて、そんな充実した内容の『21_21 DESIGN SIGHT』だったが、残念ながらその周辺環境はまともにデザインされているとは言い難い。建物の写真を少し引いて撮ろうとすると、途端に絵にならなくなってしまう。
この植栽とか、もう少しなんとかならなかったのだろうか(建物の背後に見える針葉樹の並木は実のところ隣地の中学校のもの)。水飲場とかベンチに至っては思わず泣けてくるような代物なんだなこれが。。。
東京ミッドタウン・とらやとMUJI(April 29, 2007)
東京ミッドタウン・SAYA、Ideaなど(April 30, 2007)
東京ミッドタウンのつづき。『とらや』と『MUJI』以外にもインテリアデザイン面で気になる店舗がいくつか。
柳宗理氏、小泉誠氏ら、日本人デザイナーがデザインしたテーブルウェアを扱うショップが『SAYA』(3F)。運営は佐藤商事、店舗のデザインは小泉誠氏が手がけている。気取ったデザインのブティックが居並ぶ中に、剥き出しのコンクリートブロックと薄手の暖簾の店構えが現れる様は実に潔く痛快だ。店内の造作も極めて簡素だが、過不足の無い小泉デザインが伺える。ローコストかつハイクオリティ。こうした仕事にはデザイナーとして勇気づけられるものがある。
イデアインターナショナルが運営する家電ショップ『Idea Digital Code』(3F)のデザインもまたシンプルそのもの。真っ直ぐな形状の什器のみで構成された真っ白な空間だが、主要部分の素材は人造大理石。ストックの扉や引き出しはトメ(45度にカットされた部材の突き合わせ)で収まっている。一見当たり前のようでいてその実フェティッシュなデザインを手がけたのはKata(形見一郎さん)。
有機的なカーブを描く木造作の連なりによる洞窟のような空間が特徴的なニットショップ『lucien pellat-finet』(2F)。店舗のデザインは隈研吾建築都市設計事務所によるもの。ヒューマンスケールで質感の高いインテリア。隈氏はミッドタウン内のサントリー美術館のデザインも手がけている。
京都から東京へ初進出のインテリアショップ『Sfera』(3F)。白い空間の中に木質の東屋をふたつ置いたようなデザインを手がけたのはクラーソン・コイヴィスト・ルネ。造作としては悪くないが、ライティングがどうしようもない。おかげで空間としての仕上がりがパっとせず、惜しいことになっている。
どなたがデザインされたのかは不明だが、ジャムやマーマレードのショップ『Belberry』(B1F/写真)はモール材とファブリックの使い方がユニークな可愛らしい空間。『MARNI』(2F/写真)(店舗のデザインはサイバーライト)は基本的にいつも通りの造りながら、スクエアな店舗区画を生かしたシンメトリカルな什器構成が新鮮。大味でカッコいい。
東京ミッドタウン・とらやとMUJI(April 30, 2007)
21_21 DESIGN SIGHT(April 29, 2007)
4/16。東京ミッドタウンへ初めて行ってみた。オープン後2週間あまりを経た平日だったが、かなりの盛況ぶり。私たちを含め、物見遊山の類いと思しい格好・挙動の人が多い。
商業施設のエリアは、細長い吹き抜けの周りを共用通路と店舗が取り囲むガレリアを中心とするオーソドックスで比較的分かりやすい構成となっている。多少厚化粧ではあるが、その作法は多くの郊外型ショッピングモールに共通するものだ。ふたつの「ヒルズ」を経た結果として、こうした空間が東京の都心に臆面無く作られるようになったことは興味深い。横浜クイーンズスクエアや福岡キャナルシティ、名古屋ミッドランドスクエアなどのような個性的でスケールの大きな商環境は、おそらく東京には馴染まないのだろう。
そんなわけで、商環境としては至ってフツーな東京ミッドタウンだが、個々の店舗のデザインについては質の高いものが目立った。中でも最も素晴らしかったのが『とらや』と『MUJI』。どちらもミッドタウン随一の大型店。
垂直面のほとんどが白い陶製の穴開きブロックで埋め尽くされた『とらや』(B1F)の空間は、その素材から醸し出される遺跡のような「重さ」と、至ってシンプルなプランニングがもたらす「軽さ」の対比が特徴的。まさに『とらや』らしい巨大な暖簾が、一際見事に映える。フランク・ロイド・ライトが現代に再生したかのような、力強く印象的なデザインを手がけたのは内藤廣建築設計事務所。
空間だけを見ると『TORAYA CAFE』で評判を落とした虎屋がここに来て眼を覚ましたか、と思われたが、運営面のまずさは相変わらずのようだ。年配スタッフの要領を得ない応対と、接客テーブルの正面から伺えるバックヤードの騒々しさが気にかかる。入れ物に見合った内容を期待したい。
とらやグループ
とらや東京ミッドタウン店(内藤廣建築設計事務所)
家具のサイズオーダーなどのサービスを付加したミッドタウンの『MUJI』(B1F)は、その店のつくりもまた規格外。面積こそ標準的ながら商品ディスプレイの間隔は大きく、他の『MUJI』とは一線を画する余裕が感じられる。化粧品や生活雑貨、文具も一通り揃うが、固定の大型ガラス製什器に積まれ、完璧なライティングが施されたその様子はとても量販店には見えない。
内装には自然な質感の木材やスチールなど、久しぶりに初期の無印良品の伝統に立ち返った素材が用いられている。それらの構成はかつてなくダイナミックで、しかも繊細だ。大胆な面とボリュームから成る空間は、近年のスーパーポテトのデザインから失われつつあった静けさと緊張感を思い起こさせる。そこには杉本貴志氏の確かな存在がある。
東京ミッドタウン・SAYA、Ideaなど(April 30, 2007)
21_21 DESIGN SIGHT(April 29, 2007)
4/13。午後過ぎからランチミーティング。目黒雅叙園へ初めて足を踏み入れた。
スペースコロニーもかくやと思わせる広大で徹底的にクリーンな空間。内装の細部はバカバカしいくらいに作り込まれているにもかかわらず、あまりにスケールが大きいため、総体としてはシンプルであるとさえ感じられる。
胸の空くようなハイパー和風。恐れ入りました。
4/8。花まつり茶会の前に『Dans Dix ans』(ダンディゾン)に立ち寄った。ずいぶん前から行かねばと思いつつ機会の無かった店。青山『d'une rarete』(デュヌ・ラルテ)に続く淺野正己氏プロデュースのパン屋として2003年オープン。
内外装のデザインは斉藤真司さん。斉藤さんは当時設計施工も手がけていたSHIZENのデザイナーで、現在はTYPE-ONEを主宰されている。『Dans Dix ans』は斉藤さんの代表作であると同時に、SHIZEN代表・島田武さんのテイストが色濃く反映された空間だと聞いていた。
大正通りを西へしばらく進み右手の裏路地に入ると、小さな広場に面したガラス張りの小さなビルがある。その片隅に置かれた小さな看板が『Dans Dix ans』の目印。ゆるやかな階段をB1Fへと降りて、大きな一枚板の自動ドアを開けると、パン屋と言うには実に異質な空間がひろがっていた。
店舗区画はガラスの間仕切りでキッチンとショップに大きく2分割され、双方に視線を遮るものはほとんど無い。ショップ中央に置かれたショーケースはガラス越しにキッチンの作業台へと繋がり、一体のボリュームとして存在する。ショップ側のドライエリアに面して天井吊りの商品棚(キッチンとの間をレールで移動することが出来る)があり、ガラスと垂壁を通した向こう側には緑鮮やかな笹の植込と手水鉢がのぞく。
ショーケースは小さなダウンライトと造作内のLEDで、商品棚は斜めの折り上げ天井からのスポットライトで照らされ、その他の照明はごく控えめ。暗い店内に商品と植込、そして揃いの白いユニフォームを着けたスタッフの姿だけが浮かび上がる。
研ぎ澄まされ、清々しい緊張感に満ちた空間は、とても気軽に写真が撮れるような雰囲気ではなかった(上の写真は帰ってカットしてから撮ったもの。店内の写真は『JAPANESE DESIGN』などに掲載されている)。調理中の足下まで丸見えの、全く逃げ場のない店内が、オープン後数年を経てこれだけ美しく保たれている背景には、スタッフの弛まぬ努力と優れたプランニングがあるに違いない。これほどまでに強烈なオリジナリティを持った店を見たのは本当に久方ぶりだ。文句無しに店舗デザインの名作。
BE20(フレッシュバター20%+水)とS77(豆乳77%、油脂なし)、セーグル・オ・ルヴァン、ニームとキンカンのジャムを購入。どれも大変美味でした。S77のもちもちした食感は特に印象的。
Dans Dix ans/東京都武蔵野市吉祥寺本町2-28-2
0422-23-2595/11:00-19:00/水・第1、3火休
最近見た展覧会のうち3つについての覚え書き。
3/28。studio graphia現場から銀座へ徒歩移動。十一房珈琲で一休みしてから松屋のデザインギャラリーで開催中の『断面A-A 山本秀夫のプロダクトデザイン』を見た。山本秀夫氏がデザインを手がけたプロダクトを、その簡略化・拡大された断面図とともに展示する内容。
要求される機能はそれぞれに高度であったり複雑であったりするが、それらを満たした上で山本氏の提示するフォルムは素っ気無いほどにシンプル。こうした仕事は並大抵の力量で出来るものではない。特に素晴らしいと感じたのは良品計画のための一連のデザインと、丸ビルのトイレまわりの器具デザイン。良質のプロダクトの集積が良質の環境の創出へと繋がることを示す好例。大変勉強になりました。
3/29。ギャラリー間へ『アトリエ・ワン展 いきいきとした空間の実践』を見に行った。建築プロジェクトそのものにさほど力が無く、2004年にキリンプラザ大阪で見た『街の使い方展』に比較すると、質、内容ともに退行してしまっているように感じられたのは残念。第一会場の大半を占める人形劇場は本来プロセニアムアーチのみで成立するものであって、客席を間仕切る曲げベニヤの造作が「いきいきとした空間の実践」に寄与しているとは言い難い。とは言え『ホワイトリムジン』はやっぱり最高に素敵だ。次に期待。
3/31。『山本達雄「nido」』を見にギャラリー ル・ベインへ。
通りから中庭、ギャラリー内部に到る広いスペースが仮設のパンチカーペットで競技場のトラックに仕立てられていた。あとは無造作にぐるぐると巻かれて積み重なったロープや発砲樹脂製のチューブが点在するだけ。来場者はそのロープやチューブにずどんと腰掛ける。
これは遠い昔の運動会や競技会を思い出して甘酸っぱい気分になれるインスタレーションであると同時に、おそらく山本氏の師である内田繁氏と三橋いく代氏がそのキャリアの最初期にデザインした家具『フリーフォームチェア』(1969)へのオマージュだ。山本氏はきっとロマンティストで、かつ義理堅い人物に違いない。いつかお会いしてみたいものだと思う。
3/16。午前中に青山で打合せ。早めのランチを摂ってからスパイラル・マーケットの脇で開かれている帯留のちいさな展示会へ。移動中に気になる喫茶店を見つけたので、引き返して立ち寄ってみることにした。
エントランスは青山通りに面したビル1Fの、階段室のようなスペースの奥にある。看板はごくごく控えめで、注視しないと何の店がどこにあるのか分からないほどだが、赤いラインで描かれた魚のマークだけは記憶の片隅に残っていた。そう言えばずいぶん前からあったような。
壁に連なった魚のマークをたどると、サッシュレスガラスの向こうに柔らかい自然光の差し込む白い空間が現れた。表からは全く想像のつかない端正な店構え。
店名の『POISSON D'AVRIL』(ポアソン・ダブリル)は四月の魚(フランス語でエイプリル・フール)という意味だそうだ。オープンは2004年3月。
通路はキッチンカウンターを回り込むかたちでL字型にとられており、その中ほどに一枚ガラスの大きな窓がある。向こう側は隣のビルとの狭間。白くペイントしたコンクリートブロックで囲われた中にウッドデッキが敷かれ、ちいさな庭となっている。ウッドデッキの高さは客席カウンターの天面に揃えられ、ガラス越しに感じられる空間のひろがりが心地良い。黒いカウンタートップに庭が写り込む様子がまた実にいい景色。この日たまたま展示されていた藤波洋平氏の平面作品も、その柔らかな風合いが店内の印象にマッチし、上手く引き立て合う存在となっていた。
最奥は白い壁をくり抜いたような羽目板張りの凹みとなっており、集成材のベンチが設えられている。その手前にはテーブルと黒いプラスティックチェア(KartellのMaui)。モノトーンと素材の使い分けがなんとも絶妙。造作のディテールの美しさ、施工精度の高さにも思わず唸らされる。デザインを手がけたのは藤岡新(プラッツデザイン)氏とのこと。
メニューはほぼ珈琲、紅茶類とケーキのみ。丁寧にいれられた珈琲は十分に満足できる味わい(堀口珈琲で指導を受けられた模様)。軽く上品でなおかつしっかりとインパクトのある自家製ケーキは文句無しに素晴らしい。食器類のセレクトについてはそのセンスこそコンサバティブではあるが、良いものを妥協無く選ばれていることは明確に伝わる。
物静かな女性オーナーによる真っ当で清楚な喫茶店。ぜひ末永く繁盛してほしいが、できればあまり人に教えたくないような気もする。青山にあって今時貴重な、宝物のような店だ。
POISSON D'AVRIL/東京都港区南青山5-1-25-1F/03-3499-0867
10:00-19:00(土12:00-19:00)/日祝休
3/16。『森谷延雄展』から京成線で上野へ。丸井の無印良品に寄ってから御徒町方面へ歩く途中『graniph』の前を通り掛った。
近年全国で展開されているTシャツショップ『graniph』の店舗には、簡素ながら風合いのある好感の持てるデザインが施されたものが多い。肝心のTシャツのデザインについては、グっと来るものはさほど多くはないのだが、ついつい訪れては買い物をしてしまう。
この上野店は中層ビルのちいさな一角に白く潔い空間を切り取っている。アメ横の混沌の中で浮き立つ様は、さながら街の句読点と言ったところ。こうして建具が開放され、店内が屋台のように通りと一体化すると、春はもうすぐそこだ。
3/10。佐倉市立美術館へ『没後80年 森谷延雄展』を見に行った。
森谷延雄(1893-1927)は昭和の最初期に家具デザイナーグループ『木のめ舎』を主宰した人物。ドイツ表現主義に啓発された独特の造形センスによって、黎明期にあった日本のデザインシーンに大きなインパクトを与えている。『木のめ舎』の活動は森谷の夭逝に伴い最初の展覧会のみで閉ざされてしまったが、そのメンバーは家具研究グループ『型而工房』へ移り、そこに在籍した豊口克平から『工芸指導所』を経て、やがて剣持勇らを代表格とするインテリアデザイナー第一世代へと繋がる潮流が生まれた。
そんなわけで、私たちもいちおうインテリアデザイナーの端くれであるからには、やや遠方ではあるがこの展覧会はぜひ見ておかなくてはならない。ご先祖様の墓前に詣でるような気分で京成電車に揺られる身となった。
正直なところ展示のボリュームにはさほど期待はしていなかったのだが、会場に着いてみるとその内容は思いのほか充実したものだった。東京高等工業学校(現在の東京工業大学)での作品に始まり、清水組(現在の清水建設)在籍時に手がけた様々なインテリアの写真と家具の実物、ヨーロッパ留学期に残した膨大な家具実測図、帰国後に手がけた博覧会施設のデザイン、とここまででやっと第一会場。
森谷特有の清廉かつ詩的でどことなく乙女チックなデザインは、第二会場の冒頭で一気にそのピークを示す。帝都復興創案展のための家具スケッチ(1924)は、あえて実用性よりも着想の豊かさに重きを置いた連作。現代の目で見ると、不思議なことにインテリアデザイナー第二世代の境沢孝、あるいはポストモダンとの時空を超えた感性の繋がりを感じずにはいられない。
上の写真は第11回国民美術協会展に出品された3つのモデルルーム『家具を主とせる食堂書斎及寝室』(1925)に関する展示の一部。左が「鳥の書斎」の肘掛椅子で右が「ねむり姫の寝室」の腰掛。写真撮影は許可されていなかったが、このコーナーにはもうひとつ、展覧会のメインビジュアルに用いられた「朱の食堂」の肘掛椅子が展示されている。これらはBC工房によるリプロダクト。森谷のデザインをリアルに伝える展覧会のハイライトだ。家具のアップはこちら。脚や肘掛部分の控えめな装飾が印象的。
続く展示室には京都帝国大学(現在の京都大学)のインテリアと家具(1925)、聖シオン会堂の家具(1926)などが並び、森谷の最後の仕事となった『木のめ舎』の家具(1927)へと連なる。バウハウスもモダニズムも日本ではほとんど知られることの無かった時代に「安くて而も芸術上誤りの少ない家具を作り出して見たい」との思いから生まれた数々の木工家具は、どれも至って簡素なもの。その細部には森谷の研ぎ澄まされた感性と遊び心が漲り、胸を打つ。森谷は『木のめ舎』の展覧会準備中に倒れ、その初日を見ずに33年の濃密な生涯を終えている。
2/20。代官山でマンションリフォームの現場をチェックした後、Kata(形見一郎さん)が内外装デザインを手がけたカフェ『holy』を初めて訪れた。オープンしたのは2005年。
場所は駅から恵比寿方面へ少し歩いた裏手にある低層ビルの半地下フロア。ガラスと黒板が嵌め込まれた外装から薄塗モルタルのボリュームがインテリアへとそのまま繋がって行く。
天井高さはさほど無い。キッチン、WC、スタッフルームは区画左側にコンパクトに配置され、40席弱のフロアは割合ゆったりとしている。
店内奥にスリット状のガラス窓が設けてあり、隣地との間に植えられたちょっとした植栽がライトアップされている様子が見える。区画右側にある細い屋外階段のスペースも一部がガラス張りで、下りきったところに小さな木が一本。こうしたスキ間の使い方が、店内の硬質な空気感を実にいい塩梅に和らげる。
テーブルは木目調のメラミン化粧板貼。グレーのファブリック張りの木製チェアはオリジナルだろうか。
キッチンはフロアに対して完全にオープンで、キッチンスタッフの手元も洗剤も調味料も、何もかもがよく見える。潔いことこの上無し。キッチンカウンターは黒い人工大理石で、配膳スペースやカトラリー類などの収納が一体化されている。フロアから見た腰高の部分にはメニューが手書きされ、黒板的な機能も果たす。スマートで洒落ている。
角砂糖の包みにはTable Modern Serviceのロゴがあった。おそらくこの店も山本宇一さんとの関わりがあるのだろう。フードは鮪とアボカドのタルタル、イベリコ豚の自家製ソーセージ、オムライスなどを注文。十分に美味しく、値段はリーズナブル。深夜までの営業時間も嬉しい。今後は『dcb』と合わせて利用させていただこう。
過去に見た形見さんデザインの飲食店の中では最もシンプルで、骨太な印象のある空間。しかもディテールまで見事に洗練されている。もっと早く見に来ればよかった。大変勉強になりました。
holy/東京都渋谷区恵比寿西2-19-8/03-5456-3363
11:00-深夜/水休
Kata(形見一郎)
中目黒・くろひつじ(November 15, 2004)
2/16。MOKAさんご両人に連れられて渋谷・のんべい横丁へ。東京に暮らして十数年目にしてこのエリアに足を踏み入れたのは初めて。横丁の写真を撮るには事前許可が必要なのだそうだが、とりあえずクレームの類いが来るまでは載せておく。
横丁はJR山手線の高架と二列の木造長屋に挟まれた二本の通りからなる。通りは真っ直ぐに平行しており、その両端には共同のトイレ。面積、店舗数はさほど大きくはない。実にコンパクトで、シンプルな構造の横丁にはカオティックな印象は無く、むしろ合理的に整理されている。地上階にある店舗はどこもせいぜい2、3坪かそれ以下の規模。建具一枚を隔てた中では小さなカウンター周りに十人くらいの客がぎゅうぎゅう詰めで肩を寄せ合っている。ここで飲むには客の側に一定の節度が必要だ。
この日私たちが連れて行っていただいたのは焼鳥の名店として名高い『鳥重』。大串のビジュアルとその味のインパクト、三交代予約制の営業形態、思わず驚愕する勘定の安さ、などなど、この店については多くの人に語り尽くされている。
調理と接客を一手に引き受けるおばちゃんの絶妙な場の仕切りと美しい言葉使いは、小さな空間と限られた物資を最大限に有効活用するための知恵そのものだ。おそらくのんべい横丁はそうした知恵の集積で成り立っている。
鳥重/東京都渋谷区渋谷1-25-10のんべい横丁
18:00-,19:30-,21:30-(三交代予約制)/日祝休
*電話番号は原則として非公開
2/12。『エットレ・ソットサス 定理に基づいたデザイン』を見た。会場であるShiodomeitariaクリエイティブセンター周辺の張りぼてイタリア街な環境デザインは目眩がしそうな酷さ。しかし幸い展覧会は予想以上に素晴らしい内容だった。
会場には十数点の家具作品と、数点ずつのリトグラフ、セリグラフが展示されている。様々なプロダクトのイメージドローイングを思わせる平面作品だけでも見応え十分だが、圧巻なのはやはりエットレ・ソットサス氏が60年代から80年代にかけてデザインした貴重な家具たちだ。
特に興味深かったのは『スーパーボックス』と名付けられたシリーズ(1966)。これらはすべて単純な直方体のフォルムを持つ高さ2mほどの収納家具で、そのグラフィカルでフラットな表面ゆえに強烈な存在感を持つ。ディテールは限りなくシンプル化され、メラミン化粧板をトメ(部材を45度で突き合わせること)で収めるテクニックが平然と用いられている。これには正直驚いた。
一方、79年以降にデザインされた家具シリーズはがらりと様相を変える。様々な形態が不思議なバランスで連なるその造形はなんともミステリアスで、いつまでも見飽きることが無い。
展覧会に添えられた前文もまた簡潔ながら心打たれるものだった。
リンクの下はその一部抜粋。
エットレ・ソットサス 定理に基づいたデザイン
SOTTOSASS ASSOCIATI
2/7。打合せの帰り道で『HABUTAE』と言う店を発見した。日暮里バスターミナル前のゴチャゴチャした環境の中で、黒いパネルに覆われたフラットな外観が静かに異彩を放つ。1819年創業の老舗『羽二重団子』の駅前支店として2003年2月にオープンしたとのこと。
店内は大理石張りの大きなサービスカウンターと通りに面した客席カウンター、フロア中央に置かれた変形五角の大テーブルで構成されている。天井面はサービスカウンター上から扇状にひろがるリブ造作に覆われ、床のタイル張りパターンもそのラインに呼応したもの。チェアの背には団子のマークがくり抜かれていて、なかなか可愛らしい。
テーブルにもカウンターにも高さのあるものは置かれておらず、席に着くと店内に視線を遮るものは何も無い。インテリアはその質の高さを保ちながら通りとひと繋がりになる。
いただいたのは羽二重団子(下の写真左)とHABURTAEアラカルト(下の写真右)。香ばしく腰のある団子が美味い。
羽二重団子のパンフレットを見ると、かつて(大正辺りまで)日暮里は文人の好んで集まる風光明媚な別荘地だったとのこと。今では想像することさえ難しい。今度この辺りの地図を良く眺めてみることにしよう。
お土産を購入して外に出ると、何となく日暮里の街並がさっきまでとは違う輝きを纏って見えた。いい店だ。果たしてどなたが設計なさったのだろうか。
HABUTAE(羽二重団子日暮里駅前店)
東京都荒川区東日暮里6-60-6-103/03-5850-3451
10:00-20:00(日祝-19:00)/年中無休
2/3。『千葉学展 そこにしかない形式』を見に行った。展示されているのはそれぞれ建物の周辺環境までが表現された大型の模型7点。以上、それだけ。
上の写真は『Iプロジェクト』(2008・予定)の模型。来場者は森の中を移動ながらゆっくりと建物へと近づく。
下の写真左は木立の中に置かれた『八ヶ岳の別荘』(2004)の模型。右は中庭の隅に置かれた『御殿山プロジェクト』(2006)の模型。
スケールもプログラムも異なるプロジェクトは、みな周辺環境のなかでその敷地のもつ特性を千葉氏の視点で解釈することから導き出されたユニークな手法でデザインされている。立ち上がった模型をじっくり眺めても、共通のスタイルなど見当たらないし、建築家の個性も希薄にしか感じられない。むしろその点にこそ千葉氏のオリジナリティが存在する。
建築というジャンルにおいて「そこにしかない形式」という題目は素朴なもので、特に目新しさは無い。しかし「そこに建物をデザインすること」がこれほどシンプルかつ豊かに表現された展示はかつて他に見たことが無い。デザインの本質がものの見た目やスタイリングとは別の次元にあることを実感することのできる優れた展覧会だった。
ところで、ギャラリー間から徒歩圏内の六本木ヒルズ・森美術館でのイベント『日本美術が笑う』では、展示デザインを千葉学氏が手がけている。これがまた面白い空間なのだが、その話題はまた機会があれば。
千葉学展 そこにしかない形式(ギャラリー間)
千葉学建築計画事務所
恵比寿のギャラリー(August 19, 2006)
12/28。勝野の実家から明石方面へドライブ。途中で安藤忠雄氏設計の住宅連作『4×4mの家』を見た。
面対称に近い形状で隣接する2棟の住宅は、明石海峡と山陽道に挟まった奥行きの小さな敷地に建つ。片側は交通の激しい幹線道路、反対側からは海風がダイレクトに吹き付ける過酷な環境にあって、肩を寄せ合うような姿が印象的だ。
山陽道から見て右側がRC造4階建の『4×4mの家I』(2003)。左側が木造3階建の『4×4mの家II』(2004)。他の写真はこちらとこちら。
“住む”という行為を徹底的にポジティブに楽しもうとする施主の意思無くしては、こんな住宅はとうてい成り立たないだろう。それに応える安藤氏のデザインもまた力強く、潔い。
12/26。大阪高島屋東別館で『finerefine』を視察。2005年5月オープン。インテリアデザインは銀座店と同じく設計事務所イマの小林恭氏、小林マナ氏。両氏は同年代の同業者として、私たちにとって今最もお会いしてみたいクリエーターだ。
この建物はもともと松坂屋大阪店として1934年に完成。難波の中心からは少し離れた場所に静かに佇むアールデコ様式の建物。堺筋に面したアーケードは国内では珍しいダイナミックな空間。設計は鈴木建築事務所(鈴木禎次)。エントランスまわりのディテールとエレベーターホールの写真はこちら。
『finerefine』はこの建物の内部をほぼスケルトン状態で活用しながら、最少限の造作を付け加えることで見事に共存し、引き立て合っている。天井の高さを生かした大胆な売場構成はスケール感において銀座店を上回るもの。今時の物販店としては、破格に気持ちのよい空間だ。
店舗としてのディテールの練り上げられ方は銀座店同様、実に巧みで思わず唸らされる。各エリアを繋ぐ上部の丸い出入口が建築と呼応するようで楽しい。各所にシンプルかつ象徴的に展示された東恩納裕一氏の円形蛍光灯を用いた作品が空間の味わいを一層深めている。その他のインテリアディテールはこちらとこちら。
アーケードの向こうは雑然とした日本橋電気街。この夢のような対比はまさに大阪そのものだ。
finerefine
都市の華 アールデコの百貨店(Galerie de Comte)
12/26。堂島ホテルを少し視察してから四ツ橋筋を南下。途中『朝日ビル』を見たところ。1931年完成のオフィスビル。地上10階地下2階建・鉄骨鉄筋コンクリート造。設計は竹中工務店・石川純一郎。
今となってはさほど大きな建物ではないが、その意匠には他を圧倒するようなダイナミックさがある。悪役っぽいカッコ良さ。
肥後橋駅へ連絡する地下フロアには大阪生まれファーストフードの代表格である『インディアンカレー』と『ぼてぢゅう総本家』が支店を置く。
朝日ビル竣成(大阪朝日新聞 1931.10.26)
朝日ビルディング
12/26。『山守屋』から堂島方面へ向かう途中で見たタクシー乗場。
周囲から取り残されたように佇む極小のモダニズム建築。
カラーリングもいい。
12/25。扇町『にし』で食事の後、西天満へと移動。梅田新道東側に面した『ポルトガリア』で2次会。ワインとポルトガル料理の店。予約時間を1時間以上過ぎての到着にも関わらず、オーナーのミラさんはしっかりテーブルを空けて待って下さっていた。ありがたや。
はじめていただいた2種類のポルトガル産ワインは、どっしりした深い味わいとキレの良さ、そして後口に残る華やかな香りが印象的だった。グラスを傾ける回数が自然と多くなる。
これまた初挑戦のポルトガル料理は、ワインを楽しむのにぴったりなものを選んでいただいた。チーズ、干し鱈のコロッケ、ピクルスと豚肉の炒め物、豚の耳と空豆のサラダなど。どれもが素材の味わいを見事に引き出したシンプルな料理。見た目に飾り気は無いが、つまみにはまさしく最高。もう、ワインが進むことこの上ない。
東さんによる内外装のデザインもまたシンプルかつ味わい深い。質感の高い木工造作と、簡潔ながら効果的な光の使い方に技あり。こうした何気なさの中にも品格のある空間を設計できるデザイナーの存在は、今時とても貴重なものだ。大変勉強になりました。
そして帰り際には勘定の安さにびっくり。2:00までという営業時間もまた嬉しい。ああ、こんな店が近所にあれば。マドレデウスに引き続き、ポルトガルに魅入られた年末となった。オブリガード。またきっとお伺いします。
ポルトガリア/大阪府大阪市北区西天満4-12-11/06-6362-6668
11:00-2:00/日休
12/25。前日から徹夜で仕事。飛行機の時間ギリギリになんとか羽田へたどり着き、正午前に伊丹へ。さらにバスと地下鉄を乗り継いで須賀さん宅に到着。あまりにくたびれていたので、いきなりではあったが少し仮眠させていただく。
で、夕刻に復活。凌子さんと勝野は着物に着替えて、ヤギと3人で地下鉄で扇町へ。改札で三好姉さんと落ち合い、慣れない道に迷いながらなんとか『にし』を発見。須賀さん、上田さん、寳納さん夫妻と合流して忘年会がスタート。
和牛焼肉店『にし』のオープンは1997年。焼肉店とは言うがメニュー構成はコース中心で、実際にはレストランであると考えた方がしっくり来る。焼き物はテーブルに埋込まれた炭火の無煙ロースターで店のスタッフが調理してくれる。
インテリアデザインは我らが心の師匠・野井成正さん。建築躯体とともに白く塗りつぶされた木造作による間仕切りと、オリジナルの黒いペンダントライトが特徴的。野井作品の中でも最も簡素なデザインではあるが、深い陰影をたたえたその空間は凛として気品があり、しかもどことなくミステリアスだ。完成から10年を経て、当初白一色だった壁面には所々、黒田征太郎氏のペインティングが控えめに散りばめられ、彩りを加えている。
料理も素晴らしい。サイコロタン、造りやにぎり、タンの唐揚げなどはどれも主にシンプルな白い器(黒田泰蔵氏の作品を含む)に置かれ、繊細な仕事によって最大限に引き出された霜降り和牛の旨味が咥内にひろがる。ずっしりと心地良くしびれるようなその感覚は、回転の抑えられた直球を受け止めた瞬間を彷彿させる。
こちらは締めの稲庭うどんとデザートのアイス最中。これまた美味い。
カジュアルながら行き届いたサービスもまた申し分無い。もしもこの店が東京にあったら、散財はまず避けられないだろう。恐るべき名店。
にし/大阪府大阪市北区同心2-13-6/06-6357-7600
17:30-23:00/日休
nishi (noi-shigemasa.com)
12/6。打合せの合間に原宿『COCONGO』で軽く食事。ユナイテッド・アローズ各店が固まってあるエリアの裏路地に面したカフェ。
子牛(?)の剥製がお出迎え。木造二階建家屋の1Fがカフェ、2Fがギャラリースペースに改装されている。黒いスチールサッシのシンプルなファサードの向こうには混沌とした世界が。
造形作家であるオーナー氏の手に寄るインテリアはどこを取っても国籍不明で時代も不明。それでいて違和感無くひとつの世界としてのまとまりを見せる。細部については実際に見てのお楽しみ、と言うことで、ここで紹介するのは止しておこう。
この店の前身であり姉妹店であった『EATS』(2005年6月に閉店)に比べると、それぞれの造作が少々小奇麗に過ぎる印象は否めないが、実はその点を抜かり無く帳消しにする要素をオーナー氏は用意している。それがこの店の裏手にある小さな庭だ。
ファサードと同様の細いスチールサッシに仕切られた向こうに見える雑然とした植栽は、癒しとか潤いとか以上に泥臭い野性味を強く感じさせる。その様子を背景に、ともすればちょっとしたオシャレアイテムの寄せ集めと受け取られかねないインテリアが、怪しい輝きを放ち始めるのだ。この店の空気感を支配しているのが、事実上この庭であることは間違いない。
この日いただいたのは海南チキンライスにさつまいもとココナッツミルクのデザート。どちらもチープな素材をそのまま生かした直球なメニュー。お冷やはモアイ型のプラスチック製コップで運ばれてくる。雰囲気込みで「美味い」以上に「楽しい」と感じさせるこのセンスとバランス感覚は一流。
この日は注文しなかったが、かつて『EATS』の名物であった旅人のカレーも嬉しい復活を遂げている。次回はぜひ久しぶりの味を堪能させていただこう。
COCONGO/東京都渋谷区神宮前2-31-9/03-3475-8980
12:00-22:00/不定休
品良く控えめ。割合いい線に落ち着いたんではなかろうか。
「そり」と「むくり」の造形が果たして日本的なのかどうかについてはまあ置いとこう。今後はむしろ付帯・周辺施設の動向に注目してゆく必要がある。新東京タワーが都市景観としていかなる価値を持ち得るか。それは結局のところ、人の手に届くスケールにあるデザインの質によって決定されるだろう。
Rising East Project
第二東京タワー(March 30, 2006)
11/3。新プロジェクトに向けてインテリア、雑貨、ステーショナリーなどを扱うショップをいくつか視察。中でもデザイン的に最も感心したのが銀座松坂屋B2Fにある『finerefine』(ファインリファイン)。大手アパレルメーカーのワールドが展開するインテリアライフスタイルストア。2005年3月にオープン。インテリアデザインを手がけたのは小林恭氏、小林マナ氏が主宰する設計事務所イマ。
まずはその規模の大きさに驚いた。エスカレーターを下ると、松坂屋本館のB2Fほぼ全てが『finerefine』だ。
広大なフロアはスケールの大きな什器やパーティションによっていくつかのエリアにざっくりと、かつ明快に区切られている。造作にはルーバーや窓が多用され、視線は隣接するエリアからエリアへと自然に誘導される。床にはクルミの無垢材が敷き詰められ、白いペイントによる塗り分けが売場と動線との境界を示す。天井はほぼ全面スケルトンで、造作らしいものはほとんど無い。
什器類の多くはラワン下地にペイントを施したもの。木地を生かした優しい質感が、他の大型インテリアショップとは一線を画するこの店の大きな特徴となっている。さりげない装飾性と、什器としてのフレキシビリティを、極めてシンプルなディテールで同時に実現するデザイン手法が実に見事。
また、写真ではよく見えないが、enamel.によるグラフィックワークが要所でアクセント的な役割を果たすと同時に、空間全体に統一感を与える存在となっている点は興味深い。
全体を通して、まさにローコスト・ハイクオリティの見本のようなショップデザインだと言える。このスケールの物販店をこれほどぶれ無くまとめあげるために要する努力とセンスは並大抵のものではないだろう。大変勉強になりました。
さて、商品へと目を向けると、その価格帯は最近のインテリアショップとしてはかなり高額だ。家具に関しては10万円以下の商品はほとんど無い。100万円前後のチェストやソファが当たり前のように置いてある様子は今や新鮮ですらある。デザイン的にはクラシカルな形状に現代的なカラーリングや仕上げを施したものが多い。都心のマンション高層階にシャンデリアを吊るしてしまうような人種が好みそうなテイスト、と言ったら語弊があるか。
『finerefine』の優れたショップデザインは、その内実がコストを切り詰めたものでありながらも、バブリーな商品群を取り込んで違和感が無い。しかし、おそらくこの店を訪れる人の多くはこのショップデザインの素晴らしさに気付くことはないのだろう。
立派なインテリアアイテムを揃えはしても、空間そのものの貧しさには気付かない。この店のマーケティングがそんな人たちに向けられているのだとすれば、あまりに出来過ぎだ。
10/22。富士吉田からウヱハラ先生のトゥインゴ号で御殿場へ。『プレミアム・アウトレット』を初めて訪れた。アメリカのチェルシー・プレミアム・アウトレットが展開するアウトレットセンターのひとつ。近隣に点在する専用駐車場のひとつから、シャトルバスに10分ほど揺られて到着。
商売柄問題があるかとは思うが、個人的には全く興味の無かった場所。こういう機会でもないと一生行かなかったかも。しかし百聞は一見にしかず。意外にも大いに楽しむことができた。ここのところ金欠状態が慢性化しているため、結局何も買えなかったんだけど(BALLYの30万円のレザージャケットに6万円の札が下がっているのを見た時は、さすがに間違えて買ってしまいそうになった)。
御殿場市深沢の東名高速脇にある敷地は鮎沢川の支流を挟むようなかたちで2つのエリアにまたがっている。その間にかかるブリッジからの景色はこんな具合。
テーマパーク級の恐ろしく巨大な商業施設は、そのスケールにも関わらず全体にそつなくデザインされている。良くも悪くも特筆するようなことは何も無い。ただグレーの空の下、富士山系の森と高湿度な空気のなかに、いかにもアメリカ的なうすっぺらい表層が居心地悪そうに存在するだけだ。
そんな中でもCamperのショップは実に上手くデザインされていた。お決まりの大胆なレッドの壁面やグラフィックと、グリーンの鉄骨で囲われたストックスペースの対比が鮮やか。黒い傘の照明が、木製什器と一体化した亜鉛メッキパイプのフレームからぶら下がっているのも、ベタな手法ではあるが嫌みが無い。
左の写真は動線のあちこちに点在する屋台のようなショップのひとつ。こうしたものまで環境に合わせて割合ちゃんとデザインされている。右はフードコート。販売スペースがこぢんまりとしているのに対して、客席スペースは驚くほど広大なのが面白い。壁に取付けられた巨大な鹿の首の剥製にびっくり。
今度は貯金して行こう。
10/13。神保町で打合せの後、青山へ移動。Originで髪を切ってからギャラリー5610で開催中の『2人展「河野鷹思+Max Huber」』を見た。
河野鷹思(1906-1999)についてはこちらのエントリーを参照のこと。『商店建築デザイン選書』の装丁を手がけており、自身も和食店のアートディレクションを行っているため、グラフィックデザイナーのみならず、インテリアデザイナーにとっても馴染みのある先人だ。
マックス・フーバー(1919-1992)はスイスのグラフィックデザイナー。リナシャンテ、オリベッティ、ボルサリーノなどイタリア企業とのコラボレーションにおいて多くの業績を残している。バウハウスからの影響の見られるフォントや画面構成、そしてクリアでカラフルな色使いによるエレガントなデザインは、現代においても全く古さを感じさせない。今年スイスに美術館『m.a.x.Museo』がオープン。また没後初の作品集も刊行された。
展示されているのはポスターと装丁の作品が各20点ほど。おそらくなんらかの都合があってのことだとは思うが、マックス・フーバーの作品は比較的渋めなものばかりで(それでもジャコメッティの展覧会ポスターの構成は素晴らしかった)、結果的に河野鷹思の凄みが際立っていたように思う。上記の作品集の内容が素晴らしかっただけに少々残念だが、同じ印刷物と言えども書籍と実物とでは丸きり体験の質が違うこともまた事実。20世紀半ばのグラフィックデザインが持つ力強さを文字通り目と鼻の先で体感できる貴重な機会であることは間違いない。会期は水曜日までなのでお早めに。
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さらに日暮里へ移動して、SCAI THE BATHHOUSEで開催されていたジェニー・ホルツァー(1950-)氏の展覧会へ。『Xenon』プロジェクトを記録した写真の超大判プリントが数点と、84個の小型LEDディスプレイによるインスタレーション。
『Xenon』はキセノンランプによるプロジェクターを用いて世界各地のパブリックスペースにテキストメッセージを投影するインスタレーション。英語力がからきし無いため、どんなメッセージが投影されているのかは私たちには分からない。しかし歴史的建造物に対して、その形状とはまるで無関係にべったりと貼り付いたサンセリフの巨大なテキストは、それ自体が十二分にショッキングなビジュアル。畳一帖分くらいの大きさはありそうなマットな印画紙にプリントされたモノクロの緻密な画面が、そのインパクトをさらに強烈なものにしていた。
展示室奥の壁一面を使ったインスタレーションは、葉書よりひとまわり大きいくらいのLEDユニットの配置で構成されていた。各ユニットごとにタイミングをずらしながら横流れに表示される同一のテキストメッセージは、その輝度の高さと単純さにおいてある種暴力的であると同時に極めてスタイリッシュでもある。何が述べられているのかが分からないだけに、私たちにとってこのカッコ良さはかえって危険だ。ユニットごとにバラ売りしていたので、思わず衝動買いしそうになったが、ひとまずぐっとこらえておく。
近頃いわゆるファインアートに飽きが来てしまっている私たちだが、この展覧会の完璧なプレゼンテーションと、作品のプロダクトとしてのクオリティの高さにはすっかりやられてしまった。グラフィックとか建築とか、あるいはアートとかデザインとか、そう言った既存のフォーマットを無効にしながら自らを環境化してゆくような表現に強く惹かれる。
JENNY HOLZER : FOR THE CITY (CREATIVETIME)
Neue Nationalgalerie: Installation von Jenny Holzer (YouTube)
ベルリン新国立ギャラリー(設計:ミース・ファン・デル・ローエ)での展示
10/8。東京オペラシティアートギャラリーで開催中の展覧会「伊東豊雄:建築|新しいリアル」のオープニングレクチャーへ。会場はオペラシティB1Fのリサイタルホール。以下はその内容の簡単な覚え書き。
10/4。打合せの帰りに『成城コルティ』を一巡りしてみた。2006年9月にオープンしたばかりの小田急成城学園前駅ビル商業施設。建築設計は坂倉建築研究所。
北口からの外観。一見すると特に新鮮みのないプレーンなガラスボックスだが、細部には繊細な気遣いが見られる。3Fレベルの植栽は駐車場動線を目隠しすると同時に、無機質なファサードの印象を和らげる。
中央口改札の前で頭上を見上げたところ。グレーの内壁はPC板。トップライトは網入波板ガラス。ヘビーデューティーな使用素材は完全に「駅」そのもの。しかし吹き抜けの開放感がそのことをすっかり忘れさせる。ライティングは控えめながらデザインの要所をちゃんとわきまえたもので、こうした施設には珍しくセンスがいい。最上階(4F)の東端と西端にはそれぞれちいさな屋上庭園が設けられている。ここがうまく機能するかどうかはちょっと心配なところ。
テナントではエマニュエル・ムホー氏デザインの『ABCクッキングスタジオ』と『ボディーズ』(フィットネス)、インテリア金物メーカー・KAWAJUN運営の雑貨店『KEYUCA』辺りが目を引いた。『三省堂書店』はこの立地にしては驚くほど広大。スーパーマーケット『Odakyu OX』はつくりはそこそこ立派なのに通路がやたらと狭くてちぐはぐな状態(ある意味成城らしいかも)。1Fの『DEAN&DELUCA』はワンダーウォール・片山正通氏のデザインとのこと。
また、保育園、クリニックモール(3つの医院が入居)、アロマテラピーサロン、ドラッグストア、英会話教室といったサービス業態の占める面積もかなりもの。一方、4Fレストランフロアはどこもこぢんまりとした区画内に席を詰め込んだ印象。ディベロッパー側・テナント側双方の手堅い算段を感じる。
上の写真と同じ方向を4Fから見下ろしたところ。
浮かれたところが無く、かと言っていかにも切り詰めた風にも見えない今時の地元商業拠点。ハード・ソフト両面の手入れがきちんと続いてゆけば、けっこう魅力的な空間に育つかもしれない。
成城コルティ(SEIJO CORTY)/東京都世田谷区成城6-5-34/03-3483-5621
ショップ10:00-21:00,レストラン11:00-23:00(一部異なる店舗有)/不定休
9/26。銀座『さか田』での食事後、もと来た道を引き返して『Paul Bassett』へ。『Salvatore』などを運営するワイズテーブル系のエスプレッソカフェ。2005年オープン。場所は『ライカ銀座店』のすぐ近く。内外装のデザインはスピンオフ・塩見一郎氏が手がけている。
数寄屋橋通りに面した店構えは開放的で落ち着いた雰囲気を醸し出している。すでに街の一部といった佇まい。
店内の天井はスケルトンの状態をオフホワイトにペイントしたもの。建物の梁だけがコンクリートのまま残され、文字通り古材としての雰囲気を醸し出しているのが面白い。高さを最大限に生かしたシンプルなインテリアは、その周到な設えによって実にシャープな印象を与える。流麗なフォルムの細いフレームにメッシュの背もたれを持つオリジナルのチェア類は、その存在感こそ控えめだが、空間全体を引き締める重要な役割を果たす(座り心地は今ひとつ)。
整った空間に思い切り破調を加えるのが、フロアに鎮座する巨大な焙煎器。機関車を思わせるメカニカルな形状はインパクト抜群だ。
上の写真はマキアートとチョコレートのセット。エスプレッソ類は世界バリスタチャンピオンを獲得した経験のあるオーストラリア出身のポール・バセット氏がプロデュース。チョコレートは辻口博啓の『ル・ショコラ・ドゥ・アッシュ』。
お湯の味がするマキアートはちょっと残念。エスプレッソはまさに全部入り、という感じで、おそらく好みの分かれる味ではあるが私たち的には十分満足のゆくものだった。他にもいろいろなエスプレッソメニューがあるので、またスウィーツと一緒に楽しませていただくことにしよう。
Paul Bassett銀座/東京都中央区銀座6-4-6-1F/03-5537-0257
10:00-23:00(木金-27:00)/無休
9/26。秋雨の中、ライカ銀座店へ行ってみた。2006年4月にオープンした世界初のライカカメラ社直営店舗。内外装デザインを手がけたのは岸和郎+ケイ・アソシエイツ。
華奢なフレームを持つガラスのハコがビルの正面にはめ込まれたような外観。
素っ気ないファサードデザインに赤丸の突き出しロゴサインが良く映える。写真ではほとんど見えないが、ガラスのすぐ内側にある建築本体の柱を覆う造作には、ライカのロゴが無数にプリントされている。
ガラス越しに見た店内(写真左)。外部に面したショーケースは無く、歩道との間にはゆったりとした直方体の空間がとられ、ベンチが設えてある。設置部を切り欠いたエントランスゲートのディテールにはどんな意味があるのか気になるところ。
圧巻なのはインテリア。遠目には黒、白、赤の三色による単純な構成にしか見えない空間には、実のところ驚くほど多様な質感がちりばめられている。黒い部分だけでもガラス、木、アルミ、シルクの布団張り、と言った具合。それらは圧倒的に繊細なディテールと豊かな質感を伴い、私たちの目の前へ次々と静かに登場し、店内を整然とゾーニングする。
残念ながら透明アクリルの什器には接着施工の不十分な箇所が目立ったものの、他は完璧以上の仕上がり。照明器具や空調設備の納まりにも一切抜かりが無い。その品質の高さはライカカメラに劣らないどころか、凌駕している面さえあるのではないかと思わせる。そこを望んだ上で、初の旗艦店を日本につくり、岸氏をキャスティングしたのだとすれば、ライカの慧眼は確かなものだ。施工を手がけたのは美留土。
1Fのフロアは60平米ほど。2Fはサロンと呼ばれるスペースで、写真作品の展示が行われている。現在はセバスチャン・サルガドの展覧会『INDIA』が開催中。
コンパクトながら、随所に余裕とクオリティを感じさせる空間は、カメラ愛好家だけでなくインテリア・建築関係者にも必見だ。控えめな中にこれほどの凄みを感じさせる物販店には、滅多にお目にかかれるものではない。
ライカ銀座店/東京都中央区銀座6-4-1東海堂銀座ビル1,2F
11:00-19:00/月休
デザイン好きの心をくすぐるモノと空間 - ライカ銀座店(JAPAN SHOP)
love the lifeがファン代表として制作させていただいている野井成正さんのホームページ『noi-shigemasa.com』に2006年完成の3作品を追加。見るべし!
Photo : Seiryo Yamada
イチオシは8月に大阪・堂島ホテル内にオープンしたアイウェアショップ『ブリレン・バッハ』。メイン什器の概形を『リスン京都』から引き継ぎながら、ぐんとシャープな空間へと再構築したデザイン。細いスチールロッドを繊細に組み上げた支柱の構造は、精密機械を思わせると同時に、木漏れ日のきらめきのように非実体的でもある。
もちろん『志村や』と『アルクファニチャーポイント』も必見。みんなカッコ良過ぎて打ちのめされます。ああ精進せねば。。。
9/12。展覧会はしごの手始めに青山へ。紀ノ国屋跡地を通りかかると、こんな不思議な状態になっていた。
高さ3m前後はありそうな白い布に一面の白砂利。フロムファーストやQFRONT、hhstyle.comなどのプロデュースで有名な浜野総合研究所が企画した『白の一週間』というイベント。若干カルトな風味のあることは否めないものの、素直に見れば美しく、インパクトのある光景だった。この日は生憎の小雨模様だったが、晴天ならもっと良かっただろう。
昨日(16日)から明日(18日)の最終日まで、このスペースは一般に開放されているのだそうだ。
青山・紀ノ国屋跡地が「白一色」に−商業ビル着工へ(シブヤ経済新聞)
何色に染める? 一等地に白い空間 東京・青山(asahi.com)
9/5。夕刻に国立能楽堂へ。『納涼茂山狂言祭2006』の最終公演を見た。演目は『粟田口』、『狐塚』、『六地蔵』。
茂山狂言は他の伝統芸能に比べ敷居の低い感じであるのがいい。様式美を堪能すると同時に、大いに笑わせていただく。『粟田口』で大名役の千五郎氏が身に付けていたのは船を大胆にあしらったグラフィカルな衣装。これが実にカッコ良かった。
さて、なかなか足を運ぶ機会の無い国立能楽堂は狂言に劣らず魅力的な建物だった。外構のプランニングはバックヤード的な要素も平気で見せてしまうような状態で、なんだか高速のインターチェンジみたいだな、と思わせるゆるさだが、中に入ると印象は一変する。中庭を囲む重厚な鉄筋コンクリートのホワイエと、それに内包された繊細な木造のディテールとの対比はため息ものの美しさ。対して劇場のインテリアはオーソドックスなもの。ステージだけをやさしく効果的に浮かび上がらせるライティングが見事。観客席は見易いレイアウトで、座り心地も良い。
完成は1983年。設計は大江宏。
秋の深まる頃には中庭の眺めもなかなかのものだろう。良い公演があれば、11月頃にでもまた見に来たいものだ。
9/4。東京都庭園美術館へ『旧朝香宮邸のアール・デコ』展を見に行った。“見に行った”と言うよりも写真を撮りに行ったと言う方が正しいか。このイベントの主要な展示物は旧朝香宮邸であるところの美術館の建物それ自体。そして目玉はなんと言っても館内での写真撮影が可能なこと。そりゃもう撮りまくりましたとも。
と言うわけで、説明は抜きにしてこの日の成果物を一気にアップ。
・正面外観
・正面玄関ガラスレリーフ
・正面玄関ガラスレリーフ(拡大)/コインロッカー室
・大広間
・大広間/大広間から2Fへの階段見上
・次室
・大客室
・大客室から次室を見る/大客室扉
・大食堂
・大食堂照明/レリーフ/扉
・大広間から2Fへの階段/照明柱
・大食堂前から2F、3Fへの階段
・ラジエーターグリル(大広間/小客室/大食堂/2Fホール)
・各室照明(正面玄関/大広間/大食堂/廊下)
・各部ディテール(外部/外部/大食堂前から2F、3Fへの階段/2Fベランダ)
・茶室「光華」外観
・茶室「光華」立礼の席/広間
・茶室「光華」小間
9/1。世田谷美術館へ『クリエイターズ 長大作/細谷巖/矢吹申彦』を見に行った。前に世田谷美術館を訪れたのはジェームズ・タレルの展覧会の時だから、かれこれ8年ぶり。駅から遠いのも、内井昭蔵の設計による80年代らしい建築意匠も相変わらずだ。
展覧会は建築家・家具デザイナーの長大作氏、アートディレクター・グラフィックデザイナーの細谷巖氏、イラストレーターの矢吹申彦氏の個展を3ついっぺんに開催したような体裁となっている。それぞれのクリエーターにはこれと言った関連性は無く、3人の作品が同時に展示されることも無い。世代的には名前の順にほぼ10年ごとの開きがある。
一体どういう企画意図でこうなったのかは展覧会カタログを読んでも良くわからない。しかし各々の作品のボリュームはデザイナーの展覧会としてはかなりのもので、その質の高さも尋常ではない。不勉強な私たちは細谷氏と矢吹氏の作品をまとめて拝見したのは初めてだったのだが、会場を去る頃にはすっかり打ちのめされてしまった。こうした不意の出会いの演出を可能にすることにおいては、この会場構成はアリだろう。
長氏の展示は『かきシリーズ』と呼ばれる一連の椅子をメインとするもの。半世紀にわたって時々に新しい技術を盛り込みながら改良を加え続けるデザインへの執念と、結果として生まれた魅力的なバリエーションの数々。平伏するより他は無い。個人的には松本幸四郎邸などで使用された中座椅子(1958)、国際文化会館ティーラウンジのパーシモンチェア(2006)、ラムダシリーズの肘付椅子(1967)などが最も印象深かった。ちょうスツール(1992)の座り心地の良さと、イグナチオチェア(1998)の圧倒的な質感の高さも忘れ難い。
細谷氏の展示エリアでは最初期の作品であるオスカー・ピーターソン・クインテット(1955)と勅使河原蒼風個展のポスター(1956)にいきなり足を止められた。壁と言う壁を高密に埋め尽くす作品群は、背景写真を倒立させてしまったヤマハYDS2のポスター(1959)、毛筆タイポと三船敏郎との間合いが絶妙過ぎる「男は黙ってサッポロビール」の広告(1966)、周到なセッティングで決定的瞬間をつくりあげたキャノンAE-1のポスター(1977)などを経て、キューピーマヨネーズの広告(1976-)へと至る。最近の広告物からはとんと感じられなくなってしまった心を鷲掴みで揺さぶられるような感覚が、そこら中に漲っていた。制作に際して描かれた手書きのスケッチが、ガラスケース無しで間近に見られるとはなんという幸運。
矢吹氏のイラストレーションに描かれた世界観は、最初期のジェファーソン・エアプレインのポスター(1972)の頃から現在に至るまで一貫している。見事なまでのぶれの無さときたらもう驚愕ものだ。しかしそこには息の詰まるような印象は無い。むしろ感じるのは開放された都会の野生のようなものだ。
もしかするとこの御三方の共通点はその辺にあるのかもしれないな、と、宙空に浮かぶ樋口一葉のイラストレーション(2000)を見ながら考えた。
先月末に小田原『井筒屋』の家具として秋田木工から発売されている剣持勇デザインのスタッキングスツールを使用する機会があった。オリジナルデザインは1955年のロングセラー家具。
迂闊にもそれまで全く知らなかったのだが、秋田木工は会社更生計画の廃止に伴い、破産手続後に大塚家具の子会社として再出発することが決まっていた。8月一杯は生産ラインが完全にストップするとのことだったので慌てて発注。ついでに個人的にも購入させていただくことに。
本当は座面をビニールレザーにしたかったんだけど、とりあえずその時点で工場にあるファブリックしか選べなかったので、開き直って一番ジジイっぽいカラーリングにしてみたところこんな感じに。なかなか可愛いな。
それにしても世界でも有数の技術を持つ曲木家具メーカーの経営が自力では立ち行かなくなってしまうとは残念だ。工場の職人さんの多くは高齢で、このままだとあと何年生産が続けられるか分からない状況とのこと。なんとか国内生産の灯を消さないよう、大塚家具が秋田木工をしっかりサポートしてくれるといいんだが。いろいろ心配でならない。
スツールの使い勝手、座り心地は申し分無い。これほど安価で、しかも一切の無駄無く完成された家具プロダクトは貴重だと思う。このスツールを超えるような、あるいは新たな価値を付加することができるような家具をつくることは、私たちのデザイナーとしてのひとつの夢だ。
秋田木工自主再建断念(週刊アキタ)
更生計画の廃止決定/秋田木工、業績回復せず(秋田魁新報社)
秋田木工が「大塚家具」傘下に(ABS秋田放送)WMP映像
8/14。白金台から恵比寿への移動中に『恵比寿のギャラリー』の前を通りかかった。設計は千葉学氏。2006年4月に完成。
交差点にそそり立つフラットなブラックボックス。4階建てのこぢんまりとした建物だけど、まるで模型のような不思議な存在感はインパクトは大。
別の角度から見ても遠目にはどこがエントランスなのかすぐには分からない。気持ちいいくらいにフラットなファサード。
窓からはその形状に合わせて奇麗に穿たれた白いインテリアが見える。
上の写真左上下はオフィス階へのエントランス。右下はギャラリーのエントランス脇にある営業時間などの情報サイン。
黒い面は鋼板に樹脂コーティングを施したものとのこと。どうりでコーキングの部分まで同色に揃っているわけだ。上の写真右上は溶接部分のアップ。
今度はギャラリーが開いている時間にぜひ中を拝見させていただきたいと思った。ところでギャラリーの名前はなんだっけか?
恵比寿のギャラリー(新建築)
変化する街を切り取る箱─恵比寿のギャラリー(KEN-Platz)
8/11。ギャラリー間で開催された黒川勉氏(2005年7月に急逝)の展覧会『TSUTOMU KUROKAWA』の最終日に滑り込み。
残念だったのは展覧会の会場がギャラリー間の下半分、3Fだけだったこと。4FはTOTOブックショップの洋書フェア。そのせいなのか、あるいは事情が逆なのか、展示の内容は黒川氏がデザインを手がけた家具・プロダクトだけに絞られていた。
会場構成を手がけたのはかつて黒川氏とともにエイチデザインアソシエイツを共同主宰した片山正通氏(現ワンダーウォール)。フロア中央に据えられたミラー張りのステージに作品をずらりと配置し、その背景一面を変形タイル(黒川氏のインテリア作品で用いられたもの)の壁とした手法は実にストレートで潔い。下方からのライティングで壁の表面に浮かび上がった微妙な陰影が、まるで黒川氏の気配のように感じられた。
黒川氏の主要な活動ジャンルだったインテリアデザインについては、矢継ぎ早にクロスフェードするビデオ画像で見るより他は無かった。展示を一通り見終わると誰もが吸い寄せられるように大型ディスプレイの前に佇んだ。
これでお終いじゃああんまりだ。ぜひもう一度、どこかでまとまったイベントが催されるといいんだが。
トータルで5分あるかないかのビデオの最後に、黒川氏の仕事場であるアウトデザインのアトリエ風景が映し出された。大型ドラフターとシネマディスプレイが並んだ黒川氏のデスク周りや、天井から宇宙船の模型が吊るされたミーティングルームの画像は、私たちにとってなにより強く印象に残るものだった。
展覧会と同時に黒川氏の作品集『TSUTOMU KUROKAWA 黒川勉のデザイン』が刊行されている。秋田寛氏によるブックデザインが果たして黒川勉と言う人物を伝える上で適切なのかどうかは正直まだ良くわからない。とにかく、今これだけのボリュームで黒川作品を見ることができる媒体は他に無いのだから、それだけでも購入の価値はあるだろう。
黒川氏の発言として掲載されたテキストが、“デザインとアートは別物”といったフレーズをことさら強調するように構成されていることにはため息を禁じ得ない。確かに黒川氏はそのように述べたのだろう。しかし黒川氏が店舗デザインというコマーシャルで旧態然とした世界にどっぷりと浸かりながらも決してアートの本質から逃走すること無く、むしろ正面切って向かい合っていたことは第三者の目から見れば疑い様の無いことだ。
60年代生まれの著名デザイナーにありがちな、いささか感覚的に過ぎる言葉の断片を分析もせず真に受けたのか、世の中には金儲けのためのハコづくりサービス業に邁進する勤勉な人たちがひしめくように現れて、今やインテリアデザインはその息の根を完全に止められそうになっている。もし健在であれば、黒川氏は名匠と呼ばれる最後のインテリアデザイナーになる役回りだったかもしれない。
TSUTOMU KUROKAWA 黒川勉のデザイン(amazon.co.jp)
アウトデザイン(黒川勉)
訃報・黒川勉氏逝去(Jul. 26, 2005)
作品集の終わり近くに黒川氏のスーパーポテト時代の師である杉本貴志氏の談話が掲載されている。インテリアデザインの現状と、黒川氏の活動のベースとなる思考について、簡潔に言い当てたものとして記憶しておきたい。
8/1。打合せへ向かう途中、白金台の駅から外苑西通りを北上中に『ユーネックス・ナニナニ』の前を通り掛った。フィリップ・スタルク氏がデザインした4F建てのちいさなオフィス・商業ビル。実施設計は野沢誠+GETT。1989年竣工。
改めて間近で実物を眺めると本当に美しい造形だ。
築後17年を経て銅板葺きの外装は多少変色し、薄汚れた印象となったことは否めないが、それも今後は徐々にこの建物ならではの味わいとなってゆくだろう。そもそも看板建築などに多用されていた銅板の風合いは、都会の薄曇りの風景にぴったりだと思う。
もしかすると、ピカピカの状態でこの建物を見ていたら、あまり好きにはなれなかったかもしれないな。
Philippe Starck(株式会社ツツイ)
ユーネックスナニナニ(菊川工業株式会社)
7/30。初台で『インゴ・マウラー展』を見てから幡ヶ谷へ。代々木上原方面に6、7分歩いたところにある『Bar Nakagawa』を初めて訪れた。2004年4月にオープンした全13席のちいさなバー。内外装のデザインはナツメトモミチ氏。
雪のかたまりを削り出したような造形、質感のファサード。エントランスの白い格子のドアは一見してレストランのようだが、その脇にある曲面のゲート造作を切り抜いた店名ロゴがさりげなくバーであることを示す。バーテンダー氏に案内され、アプローチ左手の低い垂壁の下をくぐるようにして抜けるとカウンター席にたどりつく。シグード・レッセル氏デザインの大降りで手触りの良い椅子に腰掛けてカクテルを注文。
小さな空間であるにもかかわらず設計的な見所は多い。曲面の天井と、そこに穿たれた空調用のスリットやスピーカーの穴、カウンター上部に仕込まれた照明の納まりはとりわけユニークで、仕上がりも素晴らしい。外の方を見返すと、天井の端部から先ほどのアプローチの垂壁、テーブル席の向こうの窓まで、角アールの造形が幾重にもリズミカルに重なる様子が目に楽しい。テーブル席の上にはルイス・ポールセンのペンダントライト。シンプルなようでいてその実様々な要素が混じった空間だが違和感も嫌らしさも感じられないのは、おそらくナツメ氏のバランス感覚に負うところが大きい。氏自身、きっとこの仕事を楽しんだであろうことが伝わって来るようなデザインだ。
ボストンクーラーは千鳥の切子グラスで、桃のラムベースカクテルは海月のようなかたちのうすはりグラスで登場。バーテンダー氏のセンスもまたユニークだ。どちらも時間をかけて味わうタイプのレシピで、なるほどそういうコンセプトの店なんだな、と納得した。覚醒よりも酩酊を好む気分の酒飲みにはぴったりだろう。またきっとお邪魔させていただきます。
Bar Nakagawa/東京都渋谷区西原3-25-5-1F-B
03-5453-0650/19:00-4:00/休日は要電話確認
7/30。東京オペラシティアートギャラリーへ『光の魔術師:インゴ・マウラー展』を見に行った。ドイツのライティングクリエーター、インゴ・マウラー氏とインゴ・マウラー社の1960年代から現在までの業績を網羅する内容の世界巡回展。
最初期の作品である『バルブ』(1966)にはじまりOLEDを挟み込んだガラステーブルのインスタレーションへと至る展示のボリュームは、一人のデザイナーとそのカンパニーの活動を紹介するものとして最近では破格のものであると言っていいだろう。大空間を全く持て余すことなく生かし切った構成も素晴らしい。
それでも個人的にはなんとなく物足りない感覚を覚えたのは、1997年に東京デザインセンターで開催された『Ingo Maurer in Japan』の印象が強過ぎるためかもしれない。街路に直接面した屋外アトリウムに吊るされた巨大なハート型の照明オブジェを目にした時に感じたインパクトは、私たちの記憶の中にいまだ深く刻み込まれている。会場規模は今回に比較するとかなり小さく、動線は変形していたが、ひとつひとつの作品が本当に丁寧に展示されていたように思う。さらにはっきりしているのは『Ingo Maurer in Japan』の会場は今回の会場よりもずっと暗かったこと。この違いはライティングデザインを紹介する上であまりに大きい。今回の展覧会が結果的に「光」を体験することよりもむしろ「もの」を見ることにウェイトを置いた内容となってしまったことはちょっと残念だ。
とは言え、インゴ・マウラー氏の詩的でテクノロジカルなコンセプトと実際の作品を見る上で、ここまで密度が高く内容的にもクオリティの高いイベントは、日本では極めて貴重であることは間違いない。プロダクトデザイナーや建築家はもちろん、他の多くのクリエーターにとっても大いに見るべき価値のある展覧会だ。
光の魔術師:インゴ・マウラー展
JDNリポート/光の魔術師 インゴ・マウラー展
7/12。日本橋で取材。場所は『東洋』にしてもらった。インテリアデザインは故・境沢孝。
境沢は1920年生まれの建築・インテリアデザイナー。剣持勇世代と倉俣史朗世代のちょうど間に登場した。1950年代以降、商業空間をメインステージとして世界をリードする作品を数多く生み出し、日本のインテリアデザインの黎明期にその方向性を決定付ける役割を果たした人物の一人だ。
私たちは『東洋』以外の境沢の作品を書籍(『商店建築デザイン選書』や『日本のインテリア』など)でしか見たことが無いが、往事の作品数の多さとそのクオリティ、独創性の高さはまさに圧倒的。名実共にインテリアデザイン界の最初のスターとして位置づけるにふさわしい。
『東洋』のオープンは1983年で、境沢の作品としてはかなり後期のもの。1Fがカフェ、2Fがレストランと言う構成。2001、2年頃にカフェを中心に一部改装が施されている(改装部分のデザインはケンジデザインスタジオ・境沢健次氏。もしやご子息だろうか?)。この日はお腹がすいていたので待ち合わせの1時間ほど前にレストランの方へ。どちらかと言うとレストランより洋風居酒屋と呼びたくなるような大衆的な店だ。上の写真はその一番奥からの眺め。日本橋のスーツ族に囲まれて、夜の中央通りを見下ろしながらエビフライとヒレカツとオムライスとサラダを、食後に下のカフェで取り置きを頼んでおいたチーズケーキをいただく。
中央通りに面した大きな窓面に沿って4人掛けテーブルを並べたプランニングは境沢にしては珍しく標準的なもの。しかし円筒形のシーリングライトや斜めボーダーのパーティションなどの大胆かつシャープなディテールと、そのどことなくユーモラスな表情はまぎれも無く境沢デザインだ。写真ではちらっとしか見えないが、オリジナルの小振りなチェアがまた可愛らしい。
上の写真は左から階段室のペンダントライト、2Fレストラン奥のペンダントライト、階段脇の照明オブジェ。手ぶれと逆光のせいでうまく撮れてなくて残念。
COREDOの方から見た『東洋』の全景。1Fカフェのテントのついたあたりが主に近年改装された部分。ここにはもともとカウンター席があり、通りとはガラスで隔てられていた。
1F奥のテーブル席のエリアはほぼオリジナルのまま残されている。この日はカフェの方へは行かなかったんだけど、このテーブル席のプランニングが実は凄いのだ。境沢デザインの真骨頂を今に残す空間。また近々訪れることにしよう。
さらに、このビルの地下にも境沢作品が現存している。日本料理店『畔居』。オープンは1992年。おそらくメディアに紹介された境沢作品としては最後のものだと思うが、迂闊にも私たちはまだ行ってみたことがない。この日はファサードとエントランスの階段室だけ撮影。いきなりノックアウトだ。素敵過ぎる。
東洋/03-3271-0003
11:00-23:00(祝-20:00,土-17:00)/日・第三土休
畔居/03-3272-7402
11:00-15:00,17:00-22:00(土・祝-20:00)/日・第三土休
東京都中央区日本橋1-2-10
7/11。小田原からの帰りに東京駅で電車を降りて『丸善』丸の内本店へ。2004年のオープンからずいぶん経ってしまったけど、なぜか今まで立ち寄ったことがなかった。内外装デザインを手がけたのは中村隆秋氏を中心とするデザインチーム。ライティングデザインはコイズミ照明の鈴木和彦さん(現在はmuse-D代表)と長谷川裕之さん、サイン・グラフィックデザインは廣村正彰氏による。
上の写真は『丸善』の入った商業施設『oazo』の地上階。先ずは施設全体を視察しながら5Fへ。それから4Fに下がって『丸善』に入る。メガネ、万年筆の売場を通り過ぎ、フロア中央を貫く大きな通路が現れた時には驚いた。明るさが本当にすごく控えめだ。黒御影石の床と白い什器によるモノトーンの空間には蛍光灯など一切無く、ダウンライトさえほとんど見当たらない。照度は全て天井を彫り込んだ間接照明だけで確保されている。以前から話に聞いてはいたものの、実際に目にするとこの「薄明るさ」にはかなりのインパクトがある。
対して売場の照明はずいぶん明るいが、普通の書店に比べるとやはり控えめで優しい印象。4F洋書売場は通路中央に並んだユニバーサルダウンライトだけで照度が確保されている。実にうまく光がまわっていて、どこに立って本を見ても嫌な影がほとんど出ない。
上の写真は3Fの中央通路。各階ごとにカラーリングに変化は見られるが、基本的なデザインの考え方は共通している。
3F和書売場のライティングにはまたもや驚き。なにしろ天井に照明が一切無いのだ。ほとんどの明るさは什器の上面から照射されて天井面ではね返った反射光で確保されている。あとは上部から本の背をなめるように照らす行灯状の照明が補助的にあるだけ。それでも4F洋書売場よりもさらに明るく感じる。
1F、2Fまで来てようやく天井吊りの蛍光灯器具が登場するが、その数は通常の書店に比べるとかなり少なめ。上下に光を放つタイプの蛍光灯器具を使用することで、ここでも反射光が効率的に明るさ感を高める役割を果たしている。
と、思わずライティングデザインのことばかり書いてしまったけど、光をデザインの要に据えた中村氏の手腕も、廣村氏の活字組を思わせる立体的で質感の高いサイン計画も見事。大変勉強になりました。
いやしかし、もっと早く見とくべきだったなこりゃ。
面積1750坪、在庫120万冊と言われる品揃えはまさに圧倒的。欲を言えばもうちょい夜の営業時間が長いと最高なんだが。
7/8。我らが心の師匠・野井成正さんの近作『志村や』へ行って来た。水天宮そばのスタンドバー。
店先に置かれたベンチ(これは南雲勝志氏のデザイン)と通りに対して少し斜めに振られた木枠の引戸にはじまって、十人も入れば一杯の店内はほとんど全面杉材に覆われている。天井からカウンターに向かってランダムに折り重なるようにで現場で組みあげられたサイズ違いの角材がなんともド迫力。無塗装の杉材の持つ優しい質感と、エキセントリックな造形との取り合わせが新鮮だ。
こうしてロッド状の木材や金属をたくさん用いて空間をつくりあげてゆく手法は野井デザインの記号とも言えるくらい多くの作品で見られるものなんだけど、実際にそれらの空間を訪れてみると、どれひとつとして同じ印象を持つものが無いのが不思議なところ。特にこの『志村や』では杉の性質を生かしてか、比較的太めに製材したものが用いられているため、野井さんの他の作品には無い武骨さが感じられる。そのディテールをじっくり眺めつつ、頭の中で『ボンバール江戸堀』や『ティナント』や『コシノアヤコ』を解体/再構築しながら黒麹萬年をロックでいただいていると、なんだか心地良く酔いがまわってきた。
どちらを見てもほぼ単一の素材であることが、野井さんのプランニングの巧みさを際立たせていることも見逃せない。ちいさいながらも実に見応えのある作品だ。
東京で野井さんの作品を見ることができるのは、今のところ『魚真』と『リスン青山』とこの『志村や』だけ。空間デザインに関わる人は必ず見ておいた方がいい。
志村や/東京都中央区日本橋蛎殻町1-39-2
03-6657-3611/17:00-0:00(木金-2:00)/日祝休
野井成正
六月杉話/スギダラ畑でつかまって(月刊杉WEB版11号)
7/6。京都にあるレストラン『エクボ』から7/30の閉店を知らせるメールが届いた。『シナモ』の姉妹店として2002年にオープンした店。内外装のデザインを手がけたのはGLOMOROUS・森田恭通氏。以下の写真は2003年の末に撮影したもの。
『エクボ』があるのは地下鉄東山駅そばの古川町商店街。長さにして300メートル弱、間口は4メートルくらいあったりなかったりのこの商店街には、小さくて庶民的な商店がずらりと向き合って並ぶ。そんないい感じに気が置けない通りを真ん中あたりまで歩くと、ベージュのタイルに覆われたハコが静かに現れる。これが『エクボ』の店構え。
暖簾をくぐり店内へ。外装と同じパターン貼りのタイルとオフホワイトの塗装によるインテリアはいたってシンプルな印象。
デザインの肝は足下にある。モルタルの床は手前が高く、奥全体が階段状に低い。高い方にはキッチンやトイレといった水廻り機能とカウンター席が設えられていて、店内中央の通路を挟んで低い方はテーブル席。テーブルに添えられたスツールは、床の段差を半ばベンチシートのように利用して、思い切り背を切り詰めたものをちょこんと置くようなかたちになっている。しかも形状といい質感といい、まるで場末のスナックを思わせるようなスタイルなのが面白い。
もう一度壁の方に目をやると、タイルの下地がクリアミラーであることに気付く。この組み合わせが店内に独特な奥行き感を与えている。さほど高価ではない素材を組み合わせて、ユニークな視覚効果を生み出す手法は森田デザインの真骨頂だ。
モルタル床の高低差もまたしかり。設備配置と動線設定と空間デザインを左官工事ひとつで一度に成立させてしまうスマートな手法はコスト面でも有利にはたらく。ネオポップにも通ずるディスプレイ的手法と、現場で培われたマネージメント感覚によって、インテリアデザインの世界に「装飾」を鮮やかに復活させた当時の森田氏の功績は極めて大きかった。様々な意味で、『エクボ』は小さいながらも森田デザインの美点がぎゅっと詰まったプロ好みのする重要な作品だっただけに、閉店してしまうのは本当に残念でならない。料理やドリンク、サービスの質も悪くなかったからなおさらだ。
関西在住のクリエーターの方、または関西方面へ足を運ぶ機会のある方には、今のうちにぜひこの空間を体験されることをお薦めしたい。
エクボ/京都市東山区三条通白川橋西入ル古川町546-1
075-525-7039/11:45-14:00(LO),18:00-22:30(LO)/水休
GLOMOROUS(森田恭通)
6/25。オープン直後(2006年2月)以来、久方ぶりに表参道ヒルズへ。まだ混んでるかな?と覚悟して行ってみたところ、19:00過ぎの表参道ヒルズは思いのほか空いていた。飲食店も、大方はほとんど待ち時間なしで入れそうな状態。前に来た時には行列に埋もれてまともに店構えを見ることさえ出来なかったのがなんだか嘘みたい。
そんなわけで、3Fの『Gelateria Bar Natural Beat』を視察。ジェラートのデザートプレートとカフェを提供する店。表参道ヒルズに数ある店舗の中でも、ここは私たちの周りのクリエーターの間での評判が一番高い。デザインは塩見一郎氏。
実際に店の前に立ってみると、デザインの印象はさほど際立ったものではない。それよりもガラス張りのキッチン内で調理中のデザートの方に目は釘付け。そのすぐ脇にあるレジでお薦めを聞いて注文。カフェカウンター周りにL字に配置されたベンチシートの一番奥へ。
少し高めの客席からはチンバリーの大きなエスプレッソマシン越しに通路と吹き抜けがよく見える。表参道ヒルズにある他の店舗の多くが割合閉鎖的なファサードを持つのに対して、この店のつくりはずいぶんと開放的だ。背後は一面ダークブラウンのウッドブラインドに覆われ、右手は全面フラットな黒い塗装の壁。さっきまでへばりついて中を覗いていた厨房まわりのガラスも、改めて眺めると他の面と同様何の意匠もなしに天井まですっきりと立ち上げられていた。
大胆な面の構成のみによって整えられた空間のおかげか、頭上のシャンデリアやモールディングの施されたカフェカウンター、楕円形をした大理石の客席テーブルなどの存在にも押し付けがましさは無く、上質さを感じさせるアクセントとなっている。この辺の力加減は『Soup Stock Tokyo』の店舗を数多く手がける塩見氏一流のもの。パブリックスペースとひとつながりに機能する店のデザインにおいて、国内では現在のところ塩見氏の右に出るものは居ないのではないかと思う。
注文したのは“パッションフルーツ&マンゴー/ジュニパーベリーのジュレをのせて”と“スウィートトマトミルク/白ワインのジュレ エストラゴン風味”。ジェラートには甘ったるさが一切無く、素材の風味がさわやかに口の中へひろがる。デコレーションとの相性も素晴らしい。パッションフルーツ&マンゴーには好みでジンをかけていただく。これがまた絶妙。今度は他のメニューもぜひ試してみなくては。
バリスタの男性にお話をうかがうと、昼間の表参道ヒルズは今でも大変な混雑具合で、それが夜になると一転、だいたいこんな調子の空き具合なのだそうだ。飲食店は23:00から24:00まで開いている。実は意外と使える施設じゃないのか、表参道ヒルズ。
美味しいエスプレッソをいただきながら、私たちはなんとなく在りし日の『カフェ・デ・プレ』表参道店を思い出していた。
6/25。小田原での打合せからの帰りに新幹線を品川で降りて、以前から視察したかった『ecute』へ。2005年10月にオープンした駅ナカショッピングモール。環境デザインは大阪を拠点に全国で様々な商業施設を手がけるリックデザインによる。
新幹線の改札と在来線のコンコースのあいだに位置する2フロア。ファサードに当たる部分のデザインは白色基調で優しい印象。3カ所にあるエントランスからなかへ入ると、ゆったりと幅をとった通路に面して美味しそうな総菜やデザートの店がずらりと並ぶ。フロア中央へと進むと、エスカレーターまわりに天井面から自然光が大胆に取り入れられ、さほど広くはないものの開放感を感じさせる空間構成となっている。欲を言えば店内で買ったものを食べられるフードコートのようなものがあれば良かったとは思うけど、そこは駅ナカ。帰ってから(あるいは新幹線の中で)食べればいいってことか。
共用の通路や天井、壁面などの環境デザインはファサードと同様実にシンプル。しかしそのディテールにはゾーンごとに明快な括りがある。特に間接照明とペンダントライトの使い分けの効果は大きい。さらに、通路と各ショップの境目に当たる天井面に設けられた黒いスリットには大量のスポットライトがすっきりと仕込まれていて、商品ディスプレイをより一層華やかに見せる。これもまた環境とテナントとの関係性を整理するのに一役買っている。
ともすれば凡庸に見えかねないくらいデザインのトーンは抑制されているが、とにかくどんよりしたところの一切無い、メリハリの効いた環境だ。確かなセンスとスマートな設計技術によって、空間全体が風通し良く感じられるものに仕上がっている。大型商業施設の世界で、こうした質の高い仕事をコンスタントに続けているリックデザインのような会社は国内では珍しい。
エスカレーターを上ったところにある『Wanofu』というレストランのインテリアもリックデザインの手がけたもの。これまたシンプルな空間だが、通路に面したアクリルのパーティションだけが唐突に濃ゆい存在感を醸し出している。こういうところで「デザイン欲」のバランスをとっていらっしゃるのかな、と思うとなんだか微笑ましいが、それはまあ邪推と言うものだろう。
JRに限らず、駅の環境の大半はまだまだ全然美しくも機能的でもない。エントランス近くの『サザ・コーヒー』でゴールデンモカをいただきながら、ひょっとすると一足飛びに良くなる可能性も無くはないな、と思ったりした。
6/19。買い物の帰りに『安与ビル』の前を通りかかった。ずいぶん以前から気になっていた新宿東口のロータリー脇にある建物。銀行の入った1Fの脇には上階の懐石料理店『柿傳』の案内カウンターがあって、すぐ側の路上に黒塗りの高級車が停まっているのをよく見かける。
八角形のフロアが積み重なったかたち。かなり個性的なデザインであるにもかかわらず、ダークトーンの金属ルーバーに覆われたファサードは実に控えめな佇まい。いかにもこれ見よがしなビルがひしめきあう駅前の風景の中にあって静かに異彩を放つ建物だ。
これは相当上手な方のお仕事だろうな、と思ってネットで調べてみたところ、意外にも参考となる情報はほとんど無い。唯一、『柿傳』のホームページ(なんかMacだとぜんぜん見れないな)に谷口吉郎のデザインであるとの記述があった。納得。完成は1969年。
同店のインテリアも谷口の手によるものらしい。となるとぜひとも拝見してみたいが、私たちのような貧民の行ける場所では無さそうな気も。こちらによるとドレスコードは無いらしいぞ(笑)。さて、どうしたものか。
6/10。東京都庭園美術館を初めて訪れた。1933年に朝香宮邸として完成した鉄筋コンクリート造2階建て。後に公邸や迎賓館として使用されていた建物を1983年に美術館として公開。主に公的なエリアのインテリアデザインはアンリ・ラパンが、プライベートなエリアのインテリアデザインと全体の建築設計は宮内省内匠寮工務課(権藤要吉)が手がけている。
素っ気ないほど直線的でシンプルな正面外観。写真では小さ過ぎて見えないが、通気口の鋳造レリーフが控えめながら可愛らしいアクセントとなっている。そしてエントランスをくぐると、いきなりルネ・ラリックによる大判の型抜きガラスレリーフがお出迎え。
そこから先にひろがるのは怒濤のアールデコ空間。直線と正円によって切り分けられた展開面に贅を尽くした装飾物が整然とはめ込まれている。中でもラパン自身のデザインによる次室の巨大な白磁オブジェと、ラリックによる大客室と大食堂の照明器具は見事。力の抜けた造形がアール・デコの典型と言うべきセンスを感じさせる。また、内匠寮のデザインした階段から2階ホールへと続くインテリアも素晴らしい。階段手摺やラジエーターグリルなどに用いられた金工やブロンズの造形にはアール・デコと和風文様とが絶妙に入り混じり、一種独特な、かつ完成された世界観が醸されている。
そんなこんなで、この建物の魅力はインテリアデザインに尽きると言ってもいいくらいなんだけど、残念ながら撮影は不可。外観の写真でお茶を濁しておく。
さすがに庭園美術館と言うだけあって、整備の行き届いた広大な芝生はなかなか気持ちのいいものだ。庭だけの利用であれば200円で入場することが出来る。
上の写真に見える2階ベランダには内田繁氏デザインのチェア(『Feb.』の布張バージョンかな?)が並べられていた。時代を超えた取り合わせに何の違和感も無いことが、私たちにとってはかえって印象的だった。
この日見た展覧会は『北欧のスタイリッシュデザイン フィンランドのアラビア窯』。製造工程の様子を紹介するビデオはそこそこ面白かったが、展示物の内容は「やはり九州の窯は格段に凄いな」ということを再確認するにとどまるものだった。アラビアのブランドロゴに一喜一憂するタイプの人向け。
しかしまあ、この美術館には何を持ってきたところで展示がハコに負けてしまうのが落ちだろう。
6/3。きもの売場をのぞきに上野松坂屋へ。建物は1929年に完成したもの。現在50年ぶりの大改装工事中とのことだったが、この日見た限りでは工事中のところはどこにも見当たらず。工事総額は38億円程度とのこと。銀座松坂屋の大改装も近いと噂されるだけに、こちらではそれほど大した改装はやらないのかもしれない。
本館中二階フロア。手が届きそうな低さの天井に高密度なモールディングが残る。
地下一階の食品フロアから一階への階段。大理石張りの階段手摺まわり造作がエグい。
ところで、はじめて足を踏み入れた上野松坂屋のきものフロアは、品揃えといい通路の広さといい、他のフロアとはまるで力の入り方が違っていた。私たちのようにビンボーなきもの初心者など明らかにお呼びではない。江戸進出以来200年を超える呉服店の本気を目の当たりにして、あえなく退散。
大阪を拠点に活動するインテリアデザイナー・東潤一郎さんのアトリエ『JA laboratory』のホームページがようやく公開できる状態に。東さんとはかれこれ15年くらいのお付き合いで、たまに細かな仕事のお手伝いをさせていただいたりもしている。今回はアトリエの本格始動に伴いDMや名刺などをデザインした流れでホームページも作らせていただいた。
バブル以後に本格的な活動を開始した私たちと同世代(1970年前後生まれ)のインテリアデザイナーには、良くも悪くもディスプレイ的な手法に偏ったり、あるいは目新らしい素材や技術をいち早く取り入れることばかりに腐心したりする傾向があるように思う。今やそうした即物的なやり方がインテリアデザインの主流となってしまった感はあるが、そんな中にあって東さんはインテリアを「空間」(関係性、あるいは間合いと言い換えてもいいか)としてデザインし続けている貴重な存在だ。プロジェクトにおけるバジェットの多少に左右されることなく常にクオリティの高いインテリアを実現していることが、その手腕の確かさを証明している。
最近の作品ではパティスリー『MIYAMOTO』が特に印象深い。トラディショナルなモールディングで端正に縁取られた造作をLEDの発光による細いラインが分割するデザインは、単純明快でありながら強力なインパクトをもつ。いかにもな「内装」をさらりと「空間」へと変貌させる手法が実に鮮やかだ。
『Works』にアップされているコンテンツは主要なプロジェクトのうちまだ半数以下。今後さらに様々な作品が掲載されてゆくだろう。また、『News』のページは東さん自身が更新するブログ形式となっている。同業者のホームページとしては実に久方ぶりの目の離せないものになりそうで嬉しい限り。皆さんもぜひご覧になってみて下さい。
6/3。上野公園から松坂屋方面へ歩く途中で明正堂書店の中通り本店前を通過。
深緑色のタイルが波紋のようなパターンを描く渋カッコいい外壁と、コーナーをえぐるポストモダンぽい窓との意外な取り合わせ。なんとも年代不詳なファサードデザイン。
1Fにテナント入居したブティックのファサードが建物とまったくマッチしていないのが残念だ。
6/3。国立博物館西門から国際こども図書館を過ぎて東京都美術館方面へ向かう途中に国会議事堂の頂部をぶった切って地面に置いたような建物があった。
もとは入口があったと思われる場所の脇には『博物館動物園駅跡』のプレートが。かつて京成上野と日暮里の間にあった駅舎の跡だった。かつて、と言っても1997年までは実際に使われていたらしい。駅舎の完成は1933年。設計は中川俊二。完全に廃止されたのが2004年のこと。
写真にはよく写っていないけど、小さな建物とは不釣り合いなくらいに凝りに凝った屋根の造作が印象的。そこかしこが風化して草が生えてきているあたり、おそらく随分前からあまり大事にされてはいなかったのだろう。自然に浸食されるがままの姿はまるで東南アジアの古代遺跡みたいだ。
博物館動物園駅(Wikipedia)
京成博物館動物園駅跡(924+181)
6/3。アート・スタディーズからの帰りに通りかかった『国際こども図書館』。
1906年に文部省技師・久留正道らの設計で建てられた帝都図書館が、後に国立国会図書館支部上野図書館(通称上野図書館)として使用され、さらに2002年に改修工事を終えて現在の姿で開館。改修工事の設計は安藤忠雄建築研究所が中心となって行われた。
エントランスのガラスボックスが歴史的建造物を引き立てる正面外観。しかし、入ってすぐの場所にある受付カウンター裏側のごちゃごちゃした様子が外から丸見え。大勢に影響のある部分ではないけど、もともとインテリアを得意とする安藤氏の作品でこうしたことが起こるのはちょっと意外で残念だ。
それにしても、ガラスや構造、設備の納まりなどのディテールは安藤テイスト満載で実に見応えがある。今度はぜひ中に入ってみよう。
ガラスボックスのぶっ刺さり方が素敵。
6/3。美術家の彦坂尚嘉氏と建築史家の五十嵐太郎氏を中心に開催されている講座『アート・スタディーズ』の第6回に行ってきた。この回のテーマは「和洋統合の精華」。吉田五十八と須田国太郎を中心に、1930年代の建築と美術について検証する内容。以下はその内容の簡単な覚え書き。
5/21。昼食時はパレスサイドビルディングの飲食店が結構混雑するので、学士会館のカフェ&ビアパブ『The Seven's House』で軽めのランチを採ることにする。学士会館の建築デザインは日本橋高島屋(旧日本生命館)なども手がけた高橋貞太郎。1928年完成。
この店はいつ来ても比較的空いているのがいい。客は年配の方ばかりで、私たちのような若作り中年はおそらく最年少の部類だ。5mはあろうかという高い天井、控えめなライティングと手の込んだ木造作が相まって、美術展の混雑を抜け出しほっとするにはちょうど良い場所となっている。
学士会館には全部で4つの飲食店がある。中でも『The Seven's House』の価格設定は一番気軽で、サービスや食事の質はまあそれなり、と言ったところ。それでもこの周辺では穴場的な“使える店”であることは間違いない。
建築家別建物インデックス4
岡田信一郎,渡辺仁,大江新太郎,高橋貞太郎(東京の近代建築)
5/21。『藤田嗣治展』の帰りに見た『パレスサイドビルディング』。
青空と堀端の緑に繊細かつ大胆なファサードが見事に映える。
ビルの完成は1966年。設計は日建設計(当時は日建設計工務)で担当されたのは林昌二氏。
竹橋・パレスサイドビルディング(Sep. 13, 2004)
5/19。ギャラリー間で開催されていた『手塚貴晴+手塚由比展』に滑り込み。
エレベーターを3Fで降りてギャラリーに入ると巨大な白模型がフロアにどかんと。2007年竣工予定の『ふじようちえん』1/10モデル。取り囲む四方の壁面はプロジェクトに関するスケッチや工事前の現場写真、スタディ模型などで構成されていた。模型もここまでデカいと実に楽しく眺め飽きることがない。潔い一発勝負。
中庭には実際の建物と同じ鋼板で製作された『越後松之山「森の学校」キョロロ』(2003)の1/20モデル。巨大な写真パネルはこの建物の窓から見える越後の積雪を原寸大で再現したもの。作為的にも無作為的にも見える展示物の配置が既存の庭石などと相まって、なんだか不思議な空間となっていた。ちなみにギャラリー間の空間デザインは1985年に高取邦和さんが手がけている。
屋外階段を上がり4F展示室に向かうと、またもや圧倒的な光景が。手塚両氏が手がけた様々なプロジェクトのおびただしい数のスタディモデルがこれでもかとフロアに敷き詰めてあった。四方の壁には各プロジェクトの完成写真。
スタディとは言ってもそれぞれのモデルは結構丁寧に作り込まれていた。こうしてひとつひとつの差異を比べながらプロジェクトの推移をたどることは興味深いが、実際に自分たちがこれだけの作業量を積み重ねることを考えると思わず背筋に悪寒が走る。『屋根の家』のプロポーションを検証するためのモデルだけでも何十個とあるのだ。
恐るべき執念と情熱に敬服。いいものを見せていただきました。
ウチらも今日からもっと頑張ろう。
前のエントリーの続き。せっかくなのでロマンスカーにも乗ってみた。本当は岡部憲明氏デザインの50000形(2005年デビュー)が良かったんだけど、すぐに乗ることが出来たのは10000形(1987年デビュー)だった。
製作年代的には中途半端な時期の車両ながら、デザインは悪くない。そこかしこに見られるちょっと古めかしいディテールにぐっと来る。床のシート材とカーペットとの見切金物が真鍮色だったりするのがいい。なんだか修学旅行みたいな気分になってきた。
これは座席2列を向かい合わせにレイアウトした時に用いる折り畳みテーブル。壁側ヒンジのすぐ下にあるのは栓抜き。
終点の新宿駅で。改めて見ると、ストレートに城下町っぽいカラーリングであることに気付く。これは梅だよね、きっと。
5/17。小田原で打合せ。いつもは新幹線で往復してるんだけど、この日は帰りを小田急にしてみた。
防雪板を全面に用いたダイナミックな屋根架構。一発勝負っぽいけどなかなかいい感じ。
小泉誠氏の作品駆け足視察の2つめ(1つめはこちら)。下馬3丁目(三軒茶屋駅から徒歩10分あまり)にある『tocoro cafe』。オープンは2005年12月。
店舗区画は明薬通りに面した2階建て住宅の1F。アーム型の屋外用照明が照らす店構えは至って簡素。しかし自動ドアの向こうには柔らかな光に満たされた質感の高い空間が広がっている。
インテリアのベースは白いAEP塗装のハコ。その中にJパネルと南洋樹木のデッキ材による造作(床も)がはめこまれ、そのエッジに仕込まれた間接照明が店内の照度をほぼまかなう。素材などに若干の違いはあるが、こうしたデザイン手法の基本は『銀座十石』と共通している。
フロアはエントランスで一段、手前のテーブル席とカウンター席との境界でもう一段上がる。テーブルにはハイチェアがセッティングされているので客の目線はカウンター側と同じ。さらに、カウンター内キッチン側のフロアは最も低く設定されている。つまり各々が定位置に座っている限り、一体の造作となったテーブル+カウンターのフラットな天板を挟んで、店内に居る人の目線はほぼ一定だ。この巧妙な操作は店内の雰囲気をより親密にすることに大いに役立っている。
印象としては一見優しげではあるものの、その実、直線のみで成り立った空間は造形的に極めてシャープ。その厳しさとミニマルなディテールは、かつて小泉氏が師事したという原兆英・成光両氏による70、80年代のインテリアデザインを彷彿させる。
メニューの中心はエスプレッソ。ここのところ喫茶と言えば自家焙煎珈琲店ばかりだったので正直あまり期待してはいなかったんだけど、いただいた“オチョコ”と“アワラテ”はどちらもとても美味しかった。黒米トーストと柏よもぎチーズケーキも風味豊かで満足。珈琲の器は陶芸作家・岡田直人氏によるオリジナル。グラスも小泉誠氏がこのカフェのためにデザインしたもの。その他のテーブルウェアのセレクトもぬかりない。
これだけ総合力の高い店を訪れたのは久しぶりかもしれない。クリエーターにとって、いま東京で必ず訪れるべき店のひとつであることは間違いないだろう。店主ご夫妻の美意識の高さに敬服。また必ず寄らせていただきます。
tocoro cafe/東京都世田谷区下馬3-38-2
03-3795-1056/12:00-20:30/火水休
小田原で仕事するならその前に小泉誠氏の作品を拝見しておかねば。
と言うわけで、多少慌て気味に2つのお店を視察。
ひとつめは銀座3丁目にある『銀座十石』。テイクアウトが主体のおにぎり専門店。古本屋と蕎麦屋に挟まった細長い建物の1Fが店舗スペース(上階は倉庫として使用されている模様)。わずか2mほどの間口は屋外のメーター類やサイン類も含めて見事に整理され、落ち着いた店構えとなっている。
店内は販売カウンターと3つの客席だけで目一杯。床からカウンターの腰にかけては白いタイル貼。壁面は杉板とJパネルの造作で覆われ、暖色の間接照明がグラフィカルな処理を効果的に強調する。杉板は下地に仮釘で打ち付けただけ。Jパネルはおそらくその素材感だけでなく、下地要らずの施工性の高さからも選択されたものだろう。屋台のように仮設的でローコストなつくりを了解した上で、最大限のテクニックが駆使されていることが見て取れる。
一見してほっとするような優しげな空間だが、そのデザインを成立させているのは研ぎ澄まされた割り切りのバランス感覚だ。
おにぎりもとても美味しかった。銀座でサクっと小腹を満たしたい時にはありがたい。また寄らせていただきます。
で、2つめの小泉作品へつづく。
銀座十石/東京都中央区銀座3-9-2
03-5565-6844/8:00-19:00(土日10:00-16:00)/祝休
JR浅草橋駅のホームから。
総武・中央線にこうした古い駅舎は多いけど、この駅の鉄骨が描くカーブは特別エレガントだと思う。
JR浅草橋(えきねっと)
三原橋センターの近くにジョージ・ナカシマなどの家具製作で有名な四国・高松の家具メーカー『桜製作所』のアンテナショップ『銀座桜ショップ』がある。無垢の一枚板が持つ力をド直球に表す店構え。圧倒的。
この日は工芸家・木工デザイナーの三谷龍二氏による展覧会が開催されていた。木の器をはじめ、素晴らしいものはたくさんあったが、中でも様々な樹種の天板、座板をシンプルなスチールフレームに乗せた子供用テーブル/チェアシリーズは一際愛らしく、かつ凛とした存在感を放っていた。これは欲しい。しかし1DKの住まい兼アトリエには置くところが無い。むむー。
ショップに置いてあった三谷氏の別の展覧会のDMを手に取ると、写真のなかに見覚えのあるものが。随分以前に京都の『リスン』で買った筒状のインセンスケース(お香の入れ物)は氏の作品であったことに初めて気がついた。
展覧会はこの日曜(14日)まで開催中。
三谷龍二
三谷龍二「暮らしから生まれた家具展」 -5/14
三谷龍二の器 エポカ・ザ・ショップ -5/14
土浦建築以外にもモダンエイジを感じさせるビルは銀座に数多い。
左は銀座3丁目の『三貴ビル』。1Fはおそらくかなり古くから営業していそうなコピーショップ。均整のとれたファサードデザインに「青写真」の文字が映える。
右は銀座1丁目の『佐々木商店』。この場所で100年以上営業している(もちろんビルは何度か建て替わっているだろう)というたばこの専門店。強力に造形的かつグラフィカルな店構えが中央通りにあって異彩を放っている。隣の広大な空き地が気になるところだけど、生き残ってほしいものだ。
どちらも設計者、完成年ともに不明。ご存知の方がいらっしゃったらぜひ教えていただけると嬉しいです。
銀座の気になるビル・2(November 15, 2008)
先日江戸東京博物館で見た展覧会「昭和モダニズムとバウハウス -建築家土浦亀城を中心に-」の内容は(タイトルからなんとなく予想されたものの)少々焦点のぼやけたものだったが、参考になる部分もいくつかあった。特に土浦亀城(1897-1996)が日本でモダニズム建築を推し進めるにあたって、ローコストであることと工業化された建材を用いることを重視ししながら、都心に大小さまざまな商業建築を残したことは興味深い。そのうちいくつかの作品は現存している。
銀座4丁目交差点と歌舞伎座との間にある『三原橋センター』(1952)もそのひとつ。上は晴海通り沿い北西側の外観。看板だらけで大変なことになってはいるが、階段室の屋根やサッシのディテールなど、よく見ればただの雑居ビルではないことが分かる。
裏側にまわるとシネパトスのエントランス。この映画館はなんと晴海通りの真下に3つのスクリーンを持つ。しかも道路の反対側にもほぼ同じかたちの塔屋があり(現在そちらは新しい外装に覆われてしまっている)通り抜けが可能。竣工当時は双子のビルが向かい合うような状態となっていたのだそうだ(地図を参照)。なんの因果でそんなことになったのかは不明だが、あまりにユニークなプラン。
そのうち2Fの居酒屋『傳八』で銀座の街を眺めつつ呑んでみたいものだ。
三原橋センター(収蔵庫・壱號館)March 18,2009 リンク追加
三原橋(aki's STOCKTAKING/秋山東一)
傳八ビルのルーツ(Kai-Wai 散策)
銀座シネパトス(港町キネマ通り)
銀座でもうひとつ、中央通りを新橋方面へと少し歩いたところに和菓子店『立田野』がある。このかわいらしいビルも土浦亀城の設計。完成年は不明。
2002年に1、2F店舗の内外装がリニューアルされている。設計は竹中工務店。外からのぞいただけでも丁寧にデザインされている様子がうかがえる。中央通りを見渡す2Fの窓際の席は実に気持ち良さそうだ。上層階に残ったオリジナルデザインとのパッチワーク具合にも嫌みが無い。土浦作品を消去せず、スマートに活用した貴重な例だろう。
5/6。会期終了間際の展覧会「昭和モダニズムとバウハウス -建築家土浦亀城を中心に-」に滑り込み。会場は江戸東京博物館。陽の高いうちにここへ行ったのは初めてかもしれない。建築デザインは菊竹清訓氏。
実に素晴らしく写真映えのする建物であることにあらためて驚く。
動く歩道から屋外広場へと投げ出され、激しいビル風にあおられながら常設展示室の真下に当たる広大な無柱空間へと足早に向かう。まばらに配置されたチケットカウンターや休憩室などの設備ブース、チューブ状のエスカレーター。ところどころに施された原色のペイント。この空虚さと晴れがましさ、人間に優しくない感じはまさに東京ビッグサイトにも共通する菊竹建築ならではのお楽しみだ。待ってました一人博覧会!
チケットを買ってふと駅の方を振り返ると、広場越しに両国国技館が見えた。直線的な屋根のラインと白いクラゲのようなテントとの対比が妙に心に残る。
5/4。夜の築地本願寺。1934年築。設計は伊東忠太。
上部だけがやたらと光り輝いている。遠くからの目印にはちょうどいい。
築地本願寺
Photo Archives 36 伊東忠太(10+1/五十嵐太郎)
以前アップした写真が夜のものばかりだったので追加。
日中と言っても夕刻5時過ぎ。
5月の抜けるような青空、マロニエ通りと並木通りの新緑に薄いパールピンクの外装が良く映える。
MIKIMOTO Ginza 2(Mar. 12, 2006)
今年に入ってから仕事で月に1、2度小田原へ足を運んでいる。ついこの間気がついたんだけど、小田原と箱根町湯本には小泉誠氏の店舗デザイン作品がいくつかあるらしい。行かねば。と言うわけで、忘れないようメモ。
おむろ/神奈川県小田原市蓮正寺124-2
0465-38-0663/11:00-17:00/火休
うつわ菜の花/神奈川県小田原市南町1-3-12
0465-24-7020/11:00-18:00/水休
茶房・菜の花,ギャラリー・はこね菜の花
神奈川県足柄下郡箱根町湯本705
0460-5-7737/9:30-17:30(土日祝-18:00)/無休
夢屋・菜の花/神奈川県小田原市栄町1ラスカ1F
0465-24-3441/10:00-20:30/無休
小泉氏がお店のデザインを手がけているかどうかは不明なんだけど、先月オープンしたばかりのこちらも気になるところ。
菜の花・暮らしの道具店/神奈川県小田原市栄町1-4-5
0465-22-2923/11:00-18:00/水休
その他、小田原ならここへ行っとけ!な場所がありましたらぜひ教えていただけると嬉しいです。
4/29。古井ちゃんと諏訪さんの結婚式。
会場は国際文化会館。1955年に前川国男、坂倉準三、吉村順三の共同設計で完成(当時、ロビーなどのインテリアデザインは長大作氏が手がけたものだったらしい)。本館の再生保存工事を経て2006年4月に再オープン。
打ち込みタイルの向こうに霞んで見える森タワーは21世紀の東京ならではの風景。
とてもいい式でした。おふたりともどうぞお幸せに。
4/23。よみうりホールから地下鉄日比谷駅へ向かう途中で旧第一生命館(渡辺仁+松本興作設計・1938)の脇に立つポール時計を撮影。あの渡辺力氏が「私の会心作」(『素描・渡辺力』より/建築家会館・1995)と言ってはばからない名デザイン。1972年の作品。
直立するコールテン鋼の支柱に正円形の文字盤がふたつ角度を違えて取付けられている。12時の部分で赤いランプが控えめに点滅を繰り返す。
実に素っ気ないデザイン。それでいて、その存在には隣接する石張りのビルの重厚な意匠に勝るとも劣らない強さがある。
ピンと背筋を伸ばして、いかにもそこに居るのが当たり前、といった風情で街角に静かに佇む様が印象的だ。
渡辺力展/前川国男展(Jan. 30, 2006)
渡辺力の言葉(Sep. 20, 2005)
渡辺力展・METROCS(Apr. 12, 2005)
インテリアデザイナー・滝内高志さんのホームページがようやく公開できる状態に。野井成正さんのホームページに続いて、今回もファン代表として制作を任せていただいた。
滝内さんの人柄やデザイン哲学が伝わるようなコンテンツがまだ無いのは残念だが、作品写真のページ『works』のボリュームはかなりのものだ。'90年辺りを境に金属質の空間から木質の空間へとダイナミックな変貌を遂げる飲食店のインテリア、そしてHK邸に代表されるチャーミングな住宅建築は一番の見所。また'80年代を中心にデザインされたブティックのインテリアからは滝内さんの実験精神とプランニングの妙、そしてデビュー直後からすでに完成されていた確かな設計技術が伺える。
これだけ数多くの重要な仕事をなさっているにも拘らず、どういうわけかまとまった出版物をほとんど持たない滝内さんの作品をwebでサクサク見ることができるようになるとは、ああなんと幸せなことか(感涙)。皆さん、しっかり勉強させていただきましょう。
滝内高志さんに会った(May 05, 2004)
3/18。渋谷Q-AXシネマで公開中の『マイ・アーキテクト』を見た。建築家ルイス・カーンの一人息子である映像作家ナサニエル・カーン氏が父の死後20年以上を経てその作品を巡る旅と、関係者や家族へのインタビューをまとめたドキュメンタリーフィルム。
と、そう書くとなんだか小難しそうだけど、建築云々は置いといて、これが素晴らしく良く出来た映画だったのだ。劇場で何年ぶりかの号泣。
以下、少々ネタバレ気味なので読みたい方だけどうぞ。
3/15のニュースより。ちなみに記事中に登場するガエ・アウレンティ氏はフランス・オルセー美術館のデザインを手がけた人物。
千鳥ヶ淵に赤いビル、これがイタリア感覚?
東京・千鳥ヶ淵のほとりに立つ赤い壁のビル「イタリア文化会館」をめぐり、地元住民が「皇居周辺の景観と調和しない」などとして、別の色への塗り替えを求めている。
住民代表が14日、小池環境相を訪れ、約2700人の署名を添えた陳情書を提出。同会館を所有するイタリア政府へ働きかけるよう訴えた。
昨年10月にオープンしたイタリア文化会館は、地上12階、地下2階建て約1万4700平方メートルで、日伊両国の文化交流の拠点として様々なイベントが行われている。設計はイタリアの著名な建築家、ガエ・アウレンティさんが指導し、壁面が「漆器の赤」を表現した色になっている。
これに対し、地元の住民は「千鳥ヶ淵の緑や桜にそぐわない」として、色の変更を求める署名集めを昨夏から開始、東京都や千代田区などに陳情を重ねてきた。千鳥ヶ淵は環境省が管理していることなどから、住民代表3人は14日、小池環境相に「ローマ遺跡のような重みのある色に変更するよう働きかけていただきたい」と訴えた。
小池環境相は「私も実際にあの建物を見たが、とても目立つ色」と同意。「イタリアは建物の規制が厳しい国だと聞いており、あのような建物は本国では建てられないのではないか。ローマではそれぞれの建物が(景観に)マッチングしているが、その精神は日本も同じ」などと話し、住民側に理解を示した。
建設に先立ち、千代田区と同会館の施工業者は1999〜2002年、計9回にわたって事前協議を実施。当初、イタリア側はより鮮やかな赤を示したが、「景観の中で突出する」として区が変更を求め、現在の色に決まった。
皇居周辺は33年(昭和8年)、国の美観地区に指定された。千代田区は98年に景観条例を制定し、02年には景観保全の指針となる「美観地区ガイドプラン」を作成。特定の色を禁じるような規制は行っていないが、「首都の風格にふさわしい景観」「水や緑と調和したシルエット」などを求めている。
イタリア大使館は「塗り替えについては、まだ何の結論も出していない。話し合いを拒絶しているわけではなく、住民の気持ちはイタリア本国にも伝えている」としている。
(2006年3月15日0時26分 読売新聞)
私たち自身はまだ実際に状況を見たわけではないので、問題の建物に対するコメントはパス。それにしてもいろいろと考えさせられる記事ではある。
デザインの本質はさておき、色だけを取り出して過剰反応しがちな傾向は一般的なものだ。おそらくその辺の調剤薬局みたいなカラーリングのビルを適当に建てておけば何の問題も起きなかったのだろう。やれやれ。
千鳥ヶ淵の赤い彗星(Design Passage)
3/4。銀座で『life/art '05』と『トード・ボーンチェ「KARAKUSAの森」』を見た後、『MIKIMOTO Ginza 2』を視察。2005年12月にオープンした宝飾品店、パティスリー、レストランなどの複合ビル。建築デザインは伊東豊雄氏。
薄いパールピンクの直方体に無数の不定形な開口を穿ったファサードは巨大化した海洋生物を思わせる。どこまでも継ぎ目の無い外観は、周囲の建物に比較して圧倒的にフラットでシンプル。その上品な佇まいは事前の予想を覆すものだった。
構造は鉄板コンクリート(構造設計は佐々木睦朗構造計画研究所)。2枚のスチールプレートの間にコンクリートを充填し、薄く頑丈な外壁を自立させている。200平米ほどのフロアに構造柱は一本も無い。この特殊な構造技術がビルの存在をグラフィカルでありつつ彫塑的でもある不可思議なオブジェと化している。
インテリアデザインは凡庸で極めて内部装飾的。伊東氏のアトリエで手がけられたものではないだろう。建築がこれほど革新的で魅力的なだけに実に残念だ。
3/4。『ニューヨーク・バーク・コレクション展』を見に東京都美術館へ。
美術館の設計は前川国男。1975年の作品。打ち込みタイル貼りの四角いボリュームが雁行する外観。強さと優しさの同居する建築表現は、モダニズムをいち早く実践し、またそれを乗り越えようとした前川ならではのもの。
エントランスは地上階の大部分を占めるオープンテラスを過ぎて、さらにワンフロア下った場所にある。なんともゆったりとした贅沢なアプローチ。
上の写真はエントランスロビーの内観。二連のアーチを描く天井面にオリジナルのペンダントライトが並ぶ。
アーチの片側はオープンテラスに、もう片側は裏庭に面している。赤、青、緑の張地の四角いベンチも可愛らしい(これもオリジナルなのだろうか?)。
『ニューヨーク・バーク・コレクション展』は酒井抱一の『桜花図屏風』(1805頃)が凄かった。これを見ることが出来ただけでも1400円の入場料以上の価値がある。他にも鈴木基一の『菖蒲に蛾図』(1850年代頃)や快慶の仏像(1200年代初期)、長沢蘆雪の『月夜瀑布図』(1700年代)などが印象に残った。曾我蕭白『石橋図』の見事なまでのマンガっぷりと『大麦図屏風』(作者不詳/1600年代)のフィールド・オブ・ドリームスっぷりも忘れ難い。
東京都美術館
前川建築設計事務所
渡辺力展/前川国男展(life / January 30, 2006)
昨年元浅草界隈に引っ越してから大江戸線の使用頻度がぐんと上がった。写真は最近乗り換えでよく使う飯田橋駅の風景。デザインは渡辺誠/アーキテクツオフィス。
2000年の完成当時に専門誌でこの駅の写真を見かけたときには正直「ええ〜っ」と思ったんだけど(特にウェブフレームの辺り/上の写真左)、実際に利用してみるとその印象は一気に好転した。地下鉄の駅施設としては天井が高く、細部まで抜かり無くデザインされている。スチール波板やステンレス、蛍光灯や水銀灯のシンプルな用い方など実に見事。勉強になります。使用されている建材はヘビーデューティで割合ローコストなものばかりだが、空間の質は高い。
場所によってデザインがかなり異なることも、不統一と言うよりむしろ楽しさに繋がっているように思う。飯田橋での電車の乗り換えはかなり歩かされる場合が多くてうんざりすることもあるんだけど、なんとなくSF映画の登場人物になったような気分を味わえるこの空間を通り抜ける間だけは少し特別だ。
渡辺誠/アーキテクツオフィス
地下鉄飯田橋駅(大江戸線)/一般の方への主旨説明
地下鉄飯田橋駅(大江戸線)/少し専門的な主旨説明
2/25。市川平さんの計らいで『三鷹天命反転住宅』を見学。デザインは荒川修作+マドリン・ギンズ。
球形、円筒形、立方体を積み木のように重ねて14色に塗り分けた外観。一見してユニーク極まりないデザインなんだけど、それがプレキャストコンクリートやアルミサッシ(シルバー、ブラック、アンバーのフレームをわざと混ぜて使っている)の見慣れた質感、そして雨樋やエアコン室外機などのごく当たり前なパーツによって構成されているところが面白い(写真)。積み木と積み木を鉄骨のブリッジや階段で繋いだ結果生じた狭間の空間にも見応えがある(写真)。まるで巨大なジャンクアート。
9戸の住宅の各玄関にはインターホンがわざと斜めに取付けられている(写真)。軽い迷宮感覚に陥りつつ、室内へ。
カウンターキッチンが中央に据えられたリビングルームの周囲を各室が取り囲む基本プランはどの部屋にも共通している。インテリアにも建物の外観と同様のカラーリングが施されているが、ここまで色数が多いとかえって違和感が無くなってしまう。そして何より驚くのは土間を思わせる質感のコンクリート床のレベルが丸きり一定ではなく、しかも細かくボコボコと波打っていること(しかもこのラインが足裏にしっくり)。普通に暮らしているだけで足腰が鍛えられそうだ。シャワーユニットとリビングとの間はシースルー。トイレはシャワーユニットの裏側に間仕切り無しで置いてある(写真)。リビングの天井にはヒートン状の金具が無数に(かつランダムに)取付けられている。これは何かを吊るして収納代わりに使って下さい、という配慮なのだとか。
1Fの一室には荒川+ギンズの日本オフィスが入居している。幸いこの日はそちらにもお邪魔して、この住宅の実際の使用状況を拝見させていただけることに。部屋に入った瞬間、そのあまりに楽しげなシーンに思わず歓声。
天井金具の見事な活用例。写真では雑然としているようにしか見えないが、必要なものが手に届くところにぶら下がっている状況はなんだかすごく便利かも。こうなると無理矢理置かれたコピー機も洗濯機と壁のスキ間も「こんなもんか」という気になって来る(写真)。カウンターで資料を拝見しつつ、ホットワインまでいただいて、すっかり和んでしまった。
球形の部屋でクッションやブランコと戯れつつ、お子様もご満悦の様子。
機能的でカッコいいディテールを集積するのとは真逆のやり方でデザインされた集合住宅は、くたびれた心身を実にいい塩梅に刺激してくれた。しかも意外に快適だ。当日ご案内下さった皆様、貴重な体験をさせていただきありがとうございました。
三鷹天命反転住宅
荒川修作+マドリン・ギンズ(ARCHITECTURAL BODY)
2/3。仕事帰りに偶然見つけた『HEYWOOD WAKEFIELD』に立ち寄った。1826年創業のアメリカの家具メーカー。場所は西麻布交差点と広尾の駅の中間くらいの外苑西通り沿い。2006年1月にオープンしたばかり。モルタルとステンレスとクリアガラスによるシンプルで質感の高い店構え。
アメリカの家具については全く知識のない私たちにとっても『HEYWOOD WAKEFIELD』の名前は特別なものだ。出会ったのは目黒通りにあるアンティーク家具の老舗『ACME』の最上階。自由が丘に住んでいた頃だからもう7年ほど前になる。ただでさえ質の良いリペア家具の揃った『ACME』だが、中でも『HEYWOOD WAKEFIELD』の家具の持つぽってりしたフォルムと生き物のような存在感は大いに異彩を放っていた。また、余計な要素を大胆にそぎ落としたミニマルなディテールは大いにデザイナーのハートを刺激する。当時は引出しを開けたり扉を開いたりするたびに「おおっ!」と小さな叫びをあげていたものだ。無垢の木材だけで表現された「懐かしい未来」。チェストかサイドテーブルあたりをぜひ一台購入したいところだったんだけど、その価格に踏みとどまらざるを得なかった。
不勉強な私たちは『HEYWOOD WAKEFIELD』のことをミッドセンチュリーの量産家具に淘汰されてとっくに無くなってしまった会社だと思っていた。まさか今になって、こんなところに立派なショールームができるとは。
久しぶりに触れる事のできた『HEYWOOD WAKEFIELD』の家具(新品!)は、相も変わらずペットのような愛らしさとクールなディテール、高い質感を持ち、そして思わず冷や汗のでるような値札を下げていた。いつかこれを手に入れる事の出来る日は果たして来るだろうか。
HEYWOOD WAKEFIELD (Japan)
HEYWOOD WAKEFIELD (USA)
1/18。打合せの帰りに東京国立近代美術館・ギャラリー4で『渡辺力 - リビング・デザインの革新』を、東京ステーションギャラリーで『前川国男建築展』を見た。
『渡辺力 - リビング・デザインの革新』の内容は以前METROCSで見た『渡辺力展』の大幅拡充版という印象。さすがに見応えは十二分なんだけど、渡辺氏の60年に及ぶデザイナーとしての活動を概観するには少々物足りない内容ではある。ほとんどの家具には触る事すら出来なかったのは残念。
渡辺氏は家具デザイナー、インテリアデザイナーとして、清家清をはじめとする様々な建築家や建設会社とコラボレートしてきた。そこで実際に用いられた家具の現物を、スライドショーや大判インクジェットなどの豊富なビジュアルとともに見る事が出来たのは収穫だった。軽井沢や志賀高原のプリンスホテルには今もまだ渡辺氏の手がけたインテリアが現存しているのだろうか。だとしたら改装されてしまう前にぜひ見ておきたいものだ。また、コパルやセイコーの製品としてデザインされた時計の図面(実に詳細で、しかも美しい)も興味深い資料だった。
対して『前川国男建築展』のボリュームたるや凄まじいものだった。スペース自体はそれほど広くないんだけど、そこに詰め込まれた図面や模型などの資料のなんと膨大な事か。見終わった頃にはもうぐったり。半ば朦朧としつつギャラリーのエントランス脇にあるカフェへと入ろうとすると、すでに営業時間が終わっていてがっくり。
展覧会の内容は前川の活動と、その背景となる時代の移り変わりとの密接な関わりを痛感させるものだった。コルビュジェのアトリエでモダニズムに触れ、それを日本の風土に取り入れようと奮闘を始めたところで戦争が始まり、戦後は仮設建築のプランニングを手がけ、東京海上ビルディングでの美観論争を経て、珠玉の美術館・公共建築の連作へと向かう前川の足跡は実にドラマティックだ。未完に終わった最晩年の東京海上ビル増築案や東京都芸術文化センター案のスケッチ集(プランやエレベーションのスケッチに「おむすび」とか「たこ」とか「モヒカン」とか書き込んであるのがなんとも)をめくる頃には正直感動すら覚えていた。
展覧会で見た中で、私たちにとって最も印象深かったプロジェクトはデビュー作とされる『森永キャンデーストア銀座売店』(1935)と木造の『紀伊国屋書店』(1947)だった。方や既存ビルのリノベーション、方や戦後のバラック街に建てられた仮設店舗だが、その資料からは時代と都市に常に真正面から対峙してきた前川の姿が鮮やかに浮かび上がってくる。
渡辺力 - リビング・デザインの革新(東京国立近代美術館・ギャラリー4)
前川国男建築展(東京ステーションギャラリー)
プロ向けのインテリア専門誌がまたひとつ姿を消す。ここ2、3年ほとんど読んでなかったので私たちとしては特に感想は無い。が、これからインテリアデザインを勉強する人は一体どんな雑誌を読むんだろうか、とふと思った。
インテリア雑誌「室内」休刊へ 創刊から半世紀
2006年01月28日23時04分
コラムニストの故山本夏彦さんが55年に「木工界」として創刊し、半世紀以上続いたインテリア雑誌「室内」が、通算615号目の3月号で休刊することになった。発行元の「工作社」が明らかにした。
住宅の実例や新作家具、リフォームのノウハウなどを紹介してきた。編集兼発行人の山本伊吾さんは「50年やってきて、雑誌の天寿をまっとうしたと思ったが、まだやりようがある。いったん休刊して考えてみたい」と話している。(asahi.com)
地味に優れた活動をしているプロフェッショナルの仕事ぶりを取り上げる「室内」のようなメディアが立ち行かなくなる状況は、とりもなおさず、インテリアデザイン業界そのものの脆弱さを表している。カーサ・ブルータスに登場するものが空間デザインの全てではないんだけど、世間にはそう思われても仕方がなさそうだ。
1/13。『United Bamboo Daikanyama Store』の前を初めて通りかかった。ヴィト・アコンチ氏率いるAcconci Studioがデザインを手がけたブティック。
ステンレスメッシュの皮膜の下にALCパネルが透けて見えるビル外観。エントランスの自動ドアから2Fの窓に到る波打つようなラインがユニーク。
エントランス正面から見たブティックのインテリア。PVCの皮膜による有機的な造形が天井と壁を覆う。ライティングは全て皮膜の向こう側。空調ユニットまで凸レンズ状に成形されたメッシュで覆ってしまう徹底ぶり。こりゃスゴい。衣服と皮膜というコンセプト自体は目新しいものではないが、ここまでやり切ってしまった例となるとそうは無いだろう。新築ではなく既存の低層ビルのリノベーションであることがますます面白い。
結局中には入らなかったんだけど、洋服もけっこう可愛いのが多そう。今度お金と時間のあるときにぜひ。。。
United Bamboo
United Bamboo Daikanyama Store
1/10。打合せの帰りに虎ノ門金刀比羅宮へ立ち寄った。
この日はちょうど初こんぴらの大祭。夕刻の金刀比羅宮では縁日がたたまれ、奉納の終わった神楽殿を寒風が吹き抜けていた。
この神楽殿はなんとオフィスビルの駐車場入口スロープの上に設けられている。配置といい、周囲の無機質なオフィスビルとの対比といい、文字通り浮遊感満点。なんとも幻想的な光景だった。
帰省中の話題も最後。12/31。美馬市脇町にある“うだつの町並み”のある通りに立ち寄った。
うだつ(卯建)というのは、延焼を防ぐために商家の1Fの屋根と2Fの屋根の間に作られた防火壁。わりとお金のある家にしか無かったことが「うだつが上がる」という表現のもとになっている。瓦や左官で装飾を施されることも多い。うだつを残した町並みは今でも全国にいくつかあるようで、脇町もそのひとつ。お隣の美馬郡つるぎ町には“二層うだつの町並み”というのもあるそうだ。
上の写真は明治期まで使われていた船着場(吉野川に平行して水路が設けられていた模様)の跡を整備した道の駅から、うだつの町並みのほぼ中央に位置する吉田邸を見たところ。動線を重視した要素の少ないプランニングに好感が持てる。
船着場跡を横切って吉田邸の敷地へと渡ると、質素な佇まいながら実に美しく整備された中庭が現れる。手前の新しい建物はショップとカフェを含む脇町周辺の案内施設で、写真に見えるのが古くからある吉田邸の建物群。吉田家は商号を『佐直』と言い、幕末から明治期にかけて大いに栄えた藍(天然染料の一種・インディゴ)商。
この建物のインテリアが実に素晴らしいんだけど、時間が遅かった上に大晦日とあってあいにくこの日は閉まっていた。この写真左は中庭の別カットで、右は吉田邸を通り抜けたところにある町並みの一部。
夕刻の脇町。街灯を主に足下から数十センチの低い位置に置いてあるのが印象的。赤みの強い暖色の光がまたいい感じ。
ここ数年、この町は訪れるたびに少しずつその魅力を増しているように思う。普通の生活の場としての機能をちゃんと維持しながら、必要最小限の整備を時間をかけて、しかもセンス良く行いながら町並みを保全してゆくことは実はとても難しいはず。次回帰省した際にもぜひまた訪れてみたい。
そう言えば「うだつ」がほとんど写真に写ってなかったな。ま、いいか。
脇町/藍の出荷で栄えた商人町(JAPAN-GEOGRAPHIC.TV)
脇町・うだつの町の風景(日本の写真集/デジタル楽しみ村)
懐かしさ漂う脇町を歩く(徳島県ホームページ)
美馬市ホームページ
帰省中の話題をもう少し。12/28。香川県立東山魁夷せとうち美術館へ行って来た。香川県坂出市・瀬戸大橋のたもとにあるちいさな美術館。リトグラフを中心に東山魁夷の作品が多数所蔵されている。建築デザインは谷口吉生氏。
冬晴れの瀬戸大橋記念公園。美術館は広大な敷地にぽつんと置かれたシンプルな箱と言った風。駐車場を横断し、まっすぐ長いアプローチを進むと、ガラス張りのエントランスに斜めからぶつかる。
近づいてもなおこぢんまりとした印象はそのまま。周りの樹木が育つと、おそらく海の側からしか建物の姿は確認できなくなるだろう。そうなるとこのアプローチの魅力はさらに増すに違いない。
奥行きが少なく、横方向に細長いエントランスホール。物販コーナーとコインロッカーは明るい木目の間仕切りの向こう側(上の写真左)。その左に受付カウンターと展示室への入口。右にはステンレス角パイプの縦格子で適度に遮光されたビデオコーナーがある(上の写真右)。
展示室に入ると思いがけず大きな空間が出現。隅に一本だけ立ち上がる細いコンクリート打ち放しの柱が強く印象に残る。写真撮りたかったなあ。
さらに2Fへと階段を上り、大型デジタルハイビジョンによる展示までを見終えると、順路はもうひとつの階段へと続く。降りた先にはカフェ。テーブルにつくと瀬戸内の眺望が広がり、その遥か先には東山魁夷の祖父が生まれ育った櫃石島があるのだそうだ。谷口氏ならではの明快で心憎い演出。この写真はカフェのインテリアと海側のテラスの様子。
カフェからテラスへと出ると、その先に小さなボードウォークがある。海の色をそのまま立ち上げたような緑色の石に覆われた外壁を背後にして細い手摺に寄りかかると、気分はまるで小舟の上。
谷口氏は建物の存在を瀬戸内の風景の中に消し去ってしまいたかったのだ。それはもう徹底的に。
もちろん東山魁夷の作品も素晴らしい。『月篁』、『聖夜』、『たにま』などのポストカードを購入。
香川県立東山魁夷せとうち美術館
谷口吉生のミュージアム(東京オペラシティアートギャラリー/2005)
love the lifeがファン代表として制作させていただいている野井成正さんのホームページ『noi-shigemasa.com』に新旧4作品の写真を追加。見るべし!
2005年の新作『コシノアヤコ』はコシノ姉妹の母上(御歳92とのこと)のブティック兼サロン。2階建ての木造住宅のリノベーションプロジェクトで、場所は岸和田の商店街アーケード沿い。立て板張りのファサードは2F部分が跳ね上げ式の窓になっていて、だんじり祭りの時には出車の通り過ぎる勇壮な様を特等席で眺めることが出来るのだそうだ。トップライトからの自然光を見事に生かしたインテリアがまた素晴らしい。
ふたたび12/10。『リスン京都』に続いて足を運んだのは『Maison Henri Charpantier』(メゾン・アンリ・シャルパンティエ)。芦屋と銀座に本店を構えるフランス菓子店、アンリ・シャルパンティエの新しいフラッグショップ。2005年4月オープン。
JRの芦屋駅で電車を降りて7、8分歩くと三角屋根を二つ連ねた建物が現れた。中央の通路を挟んで向かって右側がショップ(ブティック)、左側がカフェ(サロン・ド・テ)。周囲の雑然とした環境とは一線を画すシンプル極まりない佇まい。郊外高級住宅地の幹線道路沿いと言う立地に対応し、配置計画はクルマでのアクセスを重視したものとなっている。
インテリアに用いられた本棚などのモチーフは銀座本店と共通するが、こちらの造作は色といいかたちといい徹底的にミニマル化されている。壁と天井を覆い尽くす大胆なパターンはキャンバス地にインクジェットプリントされたもの。なんだか自分自身のスケールが縮小されてドールハウスの中に唐突に置かれたような気分になった。なかなかシュールで新鮮な体験だ。
サロン・ド・テの天井からはクリスタルビーズが贅沢にあしらわれたビッグサイズでこれまたシンプルなフォルムのシャンデリアがひとつぶら下がり、外側から紫色のスポットライトに照らされている(シャンデリアが若干ピンク色に染まっているのが写真から分かるだろうか)。夜ともなればさぞかし幻想的な光景となるに違いない。
とは言え、天井高の7m以上はあろうかと思われる開放的な空間で、ロールスクリーン越しに日差しを感じながらゆったりと午後を過ごすのも悪くない。店のつくりほど洗練されてはいないものの、サービスも十分に行き届いている。いただいたのはマロンとオレンジのデザートプレート。どちらも実に楽しく、美味だった。
建築とインテリアのデザインはジャンフィリップ・ニュエル氏。実施設計は乃村工藝社の上妻玲さんと丹田勝巳さん。
Maison Henri Charpantier(メゾン・アンリ・シャルパンティエ)
兵庫県芦屋市楠町10-17/0797-23-8181
9:00-22:00(ブティック),10:00-22:00(サロン・ド・テ)
無休(元日を除く)
12/10。神戸で私用のため羽田から伊丹空港へ。一年ぶりの関西だけど時間が全然無い。ピンポイントで2カ所だけ視察に向かうことにした。先ずは京都。
念願の『リスン京都』とのご対面。2004年にオープンしたインセンス(お香)ショップ。インテリアデザイナーは心の師匠in大阪・野井成正さん。場所は四条烏丸にある『COCON』の1F奥。スクエアなガラス面を通して、ダークグレーの空間に波打つようなフォルムが白く鈍い光を放つ様子が見える。
写真で見て想像していたよりもすべてのスケールがひとまわり大きかった。ショップとバックヤードとを仕切る漆喰の壁面も、ガラスの什器を支える細いスチールロッドの束も、スケルトンの天井に向かって悠々と伸び上がり、しかもそれらが実にゆったりとした間合いをもって配置されている。なんと贅沢な空間か。まるで水墨画の中に紛れ込んだような気分。
床面の瓦タイルの質感もこの空間に独特な浮遊感を与えることに一役買っている。『COCON』では本来ウッドタイルが床面の共通デザインなんだけど、これに染み込んだオイル臭がお香のショップには甚だ適さない、と言うわけで、この店だけ特別に変更が許されたとのこと。
近年如実にその切れ味を研ぎ澄ませつつある野井作品。中でも『リスン京都』は群を抜いた傑作だ。必見。
インテリアデザイナーも60過ぎてからがますます面白い。
リスン京都/京都市下京区烏丸通四条下ルCOCON/ 075-353-6466
11:00-21:00/不定休
隈研吾氏の手がけた『COCON』の環境デザインについては、、、ノーコメントってことでひとつ。
10/20。神谷町で打ち合わせ。桜田通りを虎ノ門へ向かう途中に不思議な高層オフィスビルを発見した。鳥居?!
ビル自体の外観は一見おとなしい。が、その実極めて端正なデザインが施されている。各部材の目地という目地が見事にぴったり合わせられているのを見て、一瞬「もしや谷口作品では」と思ったほど。
で、地上階に設けられた裏通りへと抜ける大きなオープンスペースへと目をやると、鳥居だけではなく立派な洗心や灯籠までしつらえられている。ビルの裏側へ行ってみると、そこにあったのはなんと讃岐・金刀比羅宮の分社だった。銘盤によると1660年に勧請されたと言う由緒ある江戸の名所。
下の写真右がビルの足下にある洗心。写真左が裏通り側の鳥居。ちらっとしか写っていないが、現在の拝殿(1951年建立)は伊東忠太(築地本願寺、旧阪急梅田駅コンコースなどをデザインした建築家・建築史家)が設計監修を担当したそうだ。また、百度石(1864年に奉納されたもの)が残されているのは今時の神社としてはかなり珍しい。
下の写真はビルの1Fエントランスフロアに入ってみたところ。インテリアも抜かり無しの美しさ。ビル名は『虎ノ門琴平タワー』。竣工は2004年11月。設計は日建設計とのこと。国内で高層ビルのデザインに感心したのはこれが初めてかもしれない。
現代建築+スピリチュアルスポット。いろんな意味で面白い空間だ。一見の価値大有り。
10/16。たまたま浅草寺の脇を通りかかった。まだライトアップされているようだったので散歩がてら通り抜けてみる。22:00過ぎ。
本堂側から五重塔と宝蔵門を見たところ。
仲見世通りから宝蔵門を見たところ。
夜の仲見世通り。
通りから雷門を見たところ。
鉄筋コンクリートのお寺もこうして見ると悪くない。
10/4。打ち合わせ帰りに展覧会を4つ見た。
・佐藤晃一,黒田泰蔵,内田繁,他「現代茶の湯の道具展」 ギャラリー ル・ベイン
・エットーレ・ソットサス「nuovi materiali antichi」 ギャラリー MITATE
・小泉誠「KuRaSiGoTo」 ギャラリー間
・BRAUN展 AXIS GALLERY
・現代茶の湯の道具展
この日はちょうど初日。西麻布ル・ベインの中庭に据えられた内田繁氏デザインの茶室とその周りでは茶会の準備が行われていた。
参加作家が多いため、ギャラリーでの展示はそれぞれ小規模なもの。しかし作品はどれも独創的で素晴らしい。特に金工家・金子透氏とガラス作家・辻和美氏による花器や食器は印象深かった。
私たちは茶の湯には全く馴染みが無いんだけど、茶の湯の持つトータルコーディネートとしてのコンセプトと手法に注目すれば、おそらくそこにはすぐさまデザインへの応用の効くさまざまな示唆が見いだせるのだろうと思う。若いうちにやっとけば良かったな。
・エットーレ・ソットサス nuovi materiali antichi
上の展覧会場の向かいにあるショップ『MITATE』でなんともこぢんまりと行われている展示。しかしウィンドウに沿ってずらりと並べられたちいさな木製の箱家具やガラスと金属の花器の放つオブジェとしての存在感は凄まじい。これらは全てソットサス氏のデザインと工芸的手法によって制作されている。まさにポストモダンの極み。時代は変わろうと、デザインはこうした豊かな造形と装飾によって表現される迫力を決して失ってはならない。と自己反省。
・小泉誠 KuRaSiGoTo
これだけ隅々までしっかりと手間のかけられた展覧会をギャラリー間で見たのは何年ぶりか。先ずはライティングの絞り込まれた会場中央を貫くJパネル製のトンネルに圧倒される。これは国立市にある小泉誠氏のショップ兼ギャラリー『こいずみ道具店』を再現したもの。会場はトンネルによって間仕切られ、またトンネル内も展示スペースとすることによって実に巧みに構成されている。家具を中心とするプロダクト作品の数々はまるで以前からそこにしつらえられていたかのような佇まい。
トンネルはガラス面を挟んで屋外へと伸び、アウトドアテーブル&スツールと相まって、中庭を小泉デザインの空間へと変貌させている。
上階の展示室はガラス面が塞がれ、外光がシャットアウトされた状態。ドアを開け、細いアプローチを抜けて大テーブルの置かれた展示スペースへ。間仕切りは発砲スチロールで出来ていて、ところどころMDF製の什器がきれいにはめ込まれている。
大テーブルの中央には20数冊からなる『今までの仕事ブック』が収納されている。これはおそらくひとつひとつ手作業で丁寧に製本されたもの。内容はと言うともう読み応え満点。全部にちゃんと目を通したら一体何時間かかることやら。しかし読みたい。と言う訳で、できれば何度も足を運びたくなる実に質の高い展覧会だ。今度は陽のあるうちに訪れて、中庭周辺の光の移ろいを楽しみたいと思う。
カタログを購入するため受付に戻ると、いつもは白い化粧板のカウンターがちゃんと木で覆われていた。小泉氏の作品はいつも人の動作と思考の狭間にあるインターフェイスを思い起こさせる。そのデザインはかくも優しく、そして執念深い。リスペクト。
・BRAUN展
何年かぶりにAXIS GALLERYへ。クローズが近かったので駆け足で見たが、BRAUN社のデザイン思想のみならず、織咲誠氏による会場構成の素晴らしさに感激。ディスプレイデザインに関わる人は必見だ。おかげで今のBRAUN製品のデザインがいかにダメになったかということが良くわかる。
8/17。松下電工・汐留ミュージアム(汐留)と建築博物館ギャラリー(三田)に『建築家 清家清展』を見に行った。
私たちがデザインや建築を学び始めたのは80年代の末辺りからなんだけど、清家清(せいけきよし/1918-2005)の作品についてはほとんどピンと来なかった。今にして思えば無理もない。その頃、清家は比較的大型の建築物を手がけることが多かった。それらの抑制された意匠を読み解くことなど、アホでミーハーな学生だった当時の私たちなんぞに出来ようものか。50年代に清家の手がけた小住宅の数々が、かのバウハウス初代学長・グロピウスが見学に来るくらいに超モダンなものであったことを知ったのはずいぶん後になってからのことだ。
汐留会場での『<私の家>から50年』は小規模ながら見応えのあるものだった。『私の家』(1954)の原寸大での再現(本物は今も大田区に現存する)にはじまり、同じ敷地に隣接して建てられた『続・私の家』、『倅の家』のパネル展示を見て、プロジェクターの大画面でそれらの作品にまつわる四季の生活風景を眺める。映像スクリーンと『私の家』の間に置かれた『移動畳』は木漏れ日を象ったライティングに照らされ、来場者はそこへ自由に腰掛けることができる。さらに先へ進むとその他の作品に関するパネルや模型や施主の方々へのインタビュー映像などがあるが、この前半だけでも入場料をはるかに上回る価値があると思われた。おそらく建築にさほど興味のない人でも十分に楽しめる内容の展覧会だ。
一方、三田会場での『図面に見る清家清の世界』はまさしくほとんど図面だけの実にハードコアな内容。しかしトレーシングペーパーに鉛筆描きの原図が持つ迫力は、実際に建築に携わる者にとってはなんともこたえられない。汐留での展示を見たばかりだから感慨もひとしお。ありがたや。
清家の初期住宅作品と後期の大型建築作品は一見遠く隔たったものであるように思えるが、図面とそれに添えられた簡潔なキャプションのおかげで、工業部材と職人技とを極めてシンプルに併用する清家ならではの合理主義的視点がどの作品にも共通していることを理解することができた。
清家の作品には衒いと言うものが無い。それはもう見事なまでに。設計者として、施主の生活の隣に居ながらもの作りを考えるようになった今、私たちはようやく清家の美学に共感できる気がする。
願わくば清家のように、一切カッコつけることなくカッコいいものを作りたい。
清家清「図面に見る清家清の世界」 日本建築学会建築博物館ギャラリー
清家清「<私の家>から50年」 松下電工 汐留ミュージアム
ここに書くかどうか迷ったが、やはり書くことにする。黒川勉氏が亡くなったそうだ。人づてに伺った話で細かいことは分からないが、急に体調を崩されたとのこと。1962年のお生まれだからまだ四十代も前半。なんてことだ。最初にお聞きした時は思わず言葉を失った。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
黒川氏とはHデザインアソシエイツでご活動中の頃に一度名刺交換をしたきりで、面識らしいものは全く無い。氏の作品は主に専門誌やデザイン書で拝見したが、そのたび魅入られたように冷汗をかいたものだ。多少でも腕に覚えのあるデザイナーなら、氏のデザインした空間のクールな表層越しに、狂気にも似た感覚を嗅ぎ分けるだろう。特にアウトデザイン設立後の作品の凄さは際立っている。ここ1、2年、その強烈な印象は増すばかりだった。
黒川氏の作品にはスーパーポテト出身という血筋の良さを了解させる設計者としての上手さと同時に、消費者の気分を高揚させるファッショナブルさがあった。その上で、ともすればそれらの美点を帳消しにしかねないような一見バランスを欠いた造作や構成、汚れたり掠れたりしたようなペイントや素材使いを大胆不敵に用いるのが氏特有のやり方だった。同じデザイナーの立場から見れば、それは茶席で爆発物を調合するような危うい行為だ。氏はそうした瀬戸際の実験を極めて計算高く、そして執拗に試行し続けるサイエンティストのようだった。
黒川氏が現代のインテリアデザインの世界においてスターの一人であったことにもちろん間違いは無い。しかし氏がトレンドを意識したデザインや、自己複製的なデザインを手がけることを、私たちはついにほとんど目にすることが無かった。コマーシャルな世界にありながら、氏のデザインは毅然とマーケットに消費されることを拒否していた。氏は孤高で、異次元の存在だった。
私たちは黒川氏の活動から目が離せなかった。恐るべき同業の先輩。私たちにとって黒川氏はいつもそんな存在だったし、この先もずっとそうであり続けて下さることを当然のように疑わずにいた。後の祭りだが、亡くなる前にぜひ一度ちゃんとお話をしてみたかった。
ブティックのインテリアデザインを主に手がけられていた黒川氏の作品は、おそらく今後数年もすればそのほとんどがこの世から消去されてしまう運命にある。しかし私たちは黒川勉というデザイナーが存在したことを決して忘れることは無いだろう。
7/16。武蔵野美術大学で展覧会を見た後、阿佐ヶ谷で途中下車して『カフェ・ドゥ・ワゾー』で珈琲豆購入。さらにその後、以前から気になっていたギャラリー・カフェ『西瓜糖』(すいかとう)に寄ってみた。
写真がピンボケで残念。
ガラス張りのファサード。看板周りはステンレス張り。入口ドアの真正面に立ちふさがるようにして大きな“ロ”の字型のアクリル行灯。床はドットパターンの黒いラバーシートで、店内のカラーリングは全てグレートーンで統一されている。細部の味出し加減から判断するに、完成後かなりの年数を経ているように思われるが、その前を通ると一瞬ギクっとするくらいにクールなデザイン。
で、ステンレス張りのテーブル(このステンレスの納まりが実は結構凄いことになっている)に着いてコーヒーとホットワインとバターケーキを注文。店内に入ると、入口の大行灯のおかげで外からの視線はほぼ真正面からのみとなることがわかる。天井には普通球のダウンライトとともにレフ球の巨大なウォールウォッシャーダウンライト(壁面に光を当てるタイプのもの)が埋め込まれ、客席左右の壁面に展示された作品を控えめに(しかし確実に)照らし出していた。外部に対して放つ緊張感とは裏腹に、この空間にはまさしく展示作品と通り沿いの木々をリラックスして眺めるためのお膳立てが揃っている。行灯の下部は書棚になっていて、美術雑誌がぎっしり詰まっていた。スパイシーなバターケーキを美味しくいただきつつ、しばし休憩。
この日展示されていたのは大平奨氏のペインティング。デジタルパターンを思わせるクールな筆致と美しいグラデーションが見事に空間との相乗効果を醸し出していた。ちょうどご本人が展示替えの準備中であったため、私たちは早めにおいとますることにした。
帰り際に店主ご夫妻に「このお店はどなたがデザインされたのですか?」と訪ねてみたところ、とても丁寧に説明していただくことができた。『西瓜糖』のオープンは1979年。内外装デザインは建築家の清水まこと氏。ふくだ氏が15年間営業された後を大町夫妻が引き継がれたのだそうだ。「椅子以外はほとんど出来た時のままですよ」とのこと。
25年以上もの間、オーナー2代にわたって愛される超モダンなギャラリー・カフェ。こんな素敵な話は滅多にあるもんじゃない。
西瓜糖/東京都杉並区阿佐ヶ谷北1-28-8
03-3336-4389/11:00-23:00/火休
7/16。武蔵野美術大学美術資料図書館展示室で開催されていた『デザイン国際化時代のパイオニア─川上元美・喜多俊之・梅田正徳の椅子デザイン』の最終日閉館一時間前に滑り込み。
それぞれ実に個性的な作風を持つ川上氏、喜多氏、梅田氏だが、1960年代末にイタリアに渡り、当地でデザイナーとしての本格的なキャリアを築いた点は共通している。川上氏はアンジェロ・マンジャロッティ氏の建築事務所に勤務し、梅田氏はA&PGカスティリオーニの事務所を経てエットーレ・ソットサス氏のもとolivettiのコンサルタントデザイナーを務めたとのこと。いやはやため息の出るような華々しい経歴だ。一方、27歳で訪伊した喜多氏は「いちばんいいものを見て、いちばん美味いものを食べて、3ヶ月くらいで帰るつもりだった」(インタビュー映像より)そうなのだが、徐々にイタリア語が分かるようになりつつあった帰国間際の時期にたまたまデザイン事務所のアルキテット(主任デザイナー)の職を得て、以来大阪とヨーロッパを往復しながらデザイン活動を行っているなんともラテンな方。
(写真左:会場入口/写真右:川上氏の作品展示)
その後40年近くものあいだ、いまだ一向に地力の上がらない日本のプロダクトデザイン事情を尻目に、三氏は世界の第一線で活躍しつづけているわけなのだが、私たちにはこれまで三氏の作品を間近に見たり触れたりすることのできる機会はほとんど無かった。プラスティックエイジの代表的作品・『FIORENZA』(1968・川上)も、セビリア万博日本館で使用された『MULTI LINGUAL CHAIR』(1991・喜多)も、夢のようにシュールレアリスティックな『GETSUEN』(1988・梅田)も、雑誌で見たことがあるだけの憧れの椅子だった。唯一、川上氏の名作折りたたみ椅子『TUNE』(当時の製品名は『BLITZ』だった)だけは会社員時代に会議室などでよく使わせてもらった。その機能性とエレガントな佇まいに「これが一流のプロダクトか」と思ったものだ。
新御徒町駅から電車とバスにゆられること2時間弱。ようやくたどり着いた会場には三氏のデザインした椅子・数十脚がゆったりと展示され、見応えのある展覧会となっていた。
残念ながらほとんどの作品は「お手を触れないでください」。でも喜多氏の作品『BEO』、『THEATER SOFA』、『DODO』、そして『WINK』には自由に腰掛けたり動かしたりすることができた。
『WINK』の耳のようなかたちをしたヘッドレストは視界をゆるやかに区切り、まるで即席の個室のような感覚をもたらす。仕事モードでデスクに向かうこともできれば足を伸ばして寝転ぶことも出来る可動性と汎用性にも驚いた。なるほど、これは側に置いておきたくなる椅子だ。ファンシーな外観はまさに確信犯的。今でこそ可動部の多い汎用チェアは少なからずあるが、この椅子が製品化されたのは1980年。カッシーナのベストセラーのひとつであることにも大いに納得。『WINK』の進化形のひとつ、『DODO』(1998)のハイテクチェアぶりにも目を見張った。
他にも1970年にデザインされたという『GRU』、MAGISの代表的製品である折りたたみ椅子『RONDINE』(これが氏の作品だったとは恥ずかしながら初めて知った)など、喜多氏の作品群には見所が多かった。
(写真左:喜多氏の作品展示/写真右:梅田氏の作品展示)
座ることは出来なかったが、花をモチーフにした梅田氏の作品の実物にようやく出会えたことは、バブル末期にデザインを志した中年世代2名にとって実に感慨深い。中でもedraで現在も生産されている『GETSUEN』と『SOSHUN』の凛とした造形とディテールの美しさには思わず背筋がぞくっとするほどの迫力があった。予想外の収穫だったのが、メンフィス(ソットサス氏を中心にミケーレ・デ・ルッキ氏、アンドレア・ブランジ氏、倉俣史朗氏らが参加したクリエーターグループ)第一回展(1981)の象徴とも言える大作『TAWARAYA』の実物を見ることが出来たこと。これはもう号泣ものだった(デザインおたく丸出し)。
また、企業クライアントとの地道なコラボレートの多い川上氏の作品をまとまったかたちで見ることが出来たのも大きな収穫だった。近作の介護チェア『かたらい』やオフィスチェア『CAST』にはどこかでぜひ座ってみたいと思う。
デザイン国際化時代のパイオニア─川上元美・喜多俊之・梅田正徳の椅子デザイン
リカルド・ボフィル氏設計のユナイテッド・アローズ斜め向かいに千駄ヶ谷方面へと抜ける細い通りがある。その中程にあるデリカフェが『EATS』という名のお店。下の写真がその外観(左)と、入口から見た店内の全景(右)。
主なフードはカレーとトルティーヤ。デリケースの中には野菜たっぷりの総菜が並ぶ。ドリンクメニューはインカコーラなどのジャンクなラインナップ。ヘルシーなのか不健康なのか、あるいはインドなのかメキシコなのか、そんなこんなで何とも言えない事態になっているわけだが、この店の魅力はまさにそこにあると言っていい。
「フランス料理もカップ麺も食文化でしょ」とおっしゃるオーナー氏の本業は造形作家。氏自ら施したインテリアもまた何とも言えない無国籍ぶり。1998年のオープン当初からこの雰囲気は全く変わっていない。まるでどこかの遠い国の街角から拾い集めてきたかのようなディスプレイ物も、実のところほとんどがオーナー氏の作品。上の写真は店内から入口方向を見た全景。
上の写真はその他のディテールカット。キッチンから漏れ出す黄色い光がクールかつあやしい感じ。一見いい加減なようでいて全てにオーナー氏の美学が行き届いたこの店は、まさに原宿の異空間だ。寄せ集めインテリアの安易なリビング系カフェに対する最強のアンチテーゼであるとも言えるだろう。
しかし、なんとも残念なことに『EATS』はこの6月で閉店してしまう(涙)。行くなら今のうちだ。
EATS/東京都渋谷区神宮前2-31-9/03-3497-5676
11:00-21:00(LO)/不定休/6月末で閉店
姉妹店のカフェ&ギャラリー・『Cocongo』は隣の路地裏で営業中。こちらにはまだ行ったことが無いんだけど、『EATS』とはまた違った独特のあやしさを漂わせている。『Trang cafe(チャンカフェ)』の原宿店も無くなってしまったことだし、これからはこちらが“原宿でサクっと食事”の定番となることだろう。
Cocongo/東京都渋谷区神宮前2-31-9/03-3475-8980
12:00-23:00/無休
4/19。『hhstyle.com/casa』に加えて、『TOD'S表参道』にも行ってきた。2004年12月オープン。建築設計は伊東豊雄氏。
けやき並木をモチーフにしたというRC(鉄筋コンクリート)造の外壁デザインが実に美しい(上の写真)。この型枠を作った大工さんに心からお疲れさまでした、と申し上げたい。表参道側から見たその他の外観写真はこちら。
上の写真は裏通りからみた外観。RCの面とガラス面とのフラットな納まり具合が素敵。
上の写真はエントランスまわりの開口部から店内を見たところ。残念ながらこのショップ部分のインテリアデザインについては極めてガッカリさせられた。構造デザインのユニークさがまったく生かされていない。壁付什器と可動のショーケースによる売場構成は凡庸と言っても差し支えないだろう。それだけに、メープル材やレザー、アンティコスタッコといかにも高級な表面仕上げを見るとなんだか虚しさを覚えてしまうのだ。うーむ、これはいかん。伊東建築のファンとしては、正直、インテリアデザインはウチにやらせて欲しかったと思う(笑)。もしかするとショップ部分よりも、4Fから7Fまでのオフィスやホールなどに用いられているフロアの方が空間的には面白いのかもしれない。
それでもやはりこの詩的でしかも実験的な構造・外観デザインの素晴らしさは比類の無いものだ。玉石混淆なこの界隈の建築ラッシュだが、またひとつ表参道の景観の質を高めるような力強い作品が登場したことは間違いないだろう。
TOD'S表参道ビル(見る建築)
4/19。原宿に新しく出来た(4/1オープン)『hhstyle.com/casa』へ行ってきた。ARMANI CASA(アルマーニ・カーザ/アルマーニによるホームプロダクトのブランド)とBoffi(ボッフィー/イタリアのバス・キッチンメーカー)の商品を扱うインテリアショップ。建築設計は安藤忠雄氏。敷地には利用期限があって、建物は半仮設的なものとしてデザインされているそうだ。
表参道からキャットストリートを渋谷方面へ。『hhstyle.com原宿本店』(こちらは妹島和世氏の設計)の前を通り過ぎると、数件となりに不思議なかたちをしたダークグレーの巨大な固まりが現れる(上の写真左)。もう少し進むと固まりの凹部にオリーブの植わった小さなオープンスペースが設えられていて、三角形の開口部には控えめなエントランス(上の写真右)が。これが『hhstyle.com/casa』。
上の写真が建物の全景。フラットに仕上げられた外壁はどうやら鉄板で出来ているらしい。モノとしての迫力をここまで強力に醸し出す安藤建築は初めて見た。街路に沿ってスリット状に空けられた窓が実にいい具合な高さにあって、ほんの少し内部を覗けるようにしてあるところがニクい。一見威圧的だが、その実これだけ積極的にキャットストリートとの親和性を意識してデザインされた建物は他に無いように思う。街との距離の置き方が絶妙だ。
半仮設の建物とあって、内部は比較的簡素に仕上げられているが、エントランスから吹き抜けを通して見渡せるその光景には思わずはっとさせられた。折れ曲がった天井や壁の面による構成が実に壮観。上の写真は3Fから吹き抜けを見下ろした様子。B1Fから3Fまでのスキップフロアによる動線が効果的で、歩き回るのが楽しい空間となっている。
構造的には基礎部分と同時にRC(鉄筋コンクリート)による基本的なフレームを先に作って、その上に鉄骨造の外皮を被せたような状態のようだ。ローコストかつスペクタクル。見事。
商品であるARMANI CASAとBoffiのプロダクトも見応えのあるものだった。特に注目すべきなのはARMANI CASAの収納家具。至ってシンプルな外観に、意外にも便利でユニークなギミックが盛り込まれていることに感心した。この辺をウェブとかカタログから推し量るのは難しい。実物を前にして、お店のスタッフの方から解説していただくことをお勧めする。幸い私たちは来客の少ないときに訪れたおかげで、とても親切に対応していただいた。
hhstyle.com/casa
「hhstyle.com」の新業態店−アルマーニ店内店舗も(シブヤ経済新聞)
4/9。御成門にあるインテリアショップ、METROCSへ『渡辺力展』を見に行った。会場はショップの地下フロア。小さなスペースながら、渡辺氏の主要な家具プロダクト作品が図面とともに展示された内容はなかなか見応えのあるものだった。
特に嬉しかったのは、現在販売されているチェアやスツールには実際に座ったり購入したりできたこと。ひとりの家具デザイナーの作品にこうしてまとめて触れることの出来る機会と言うのはありそうで無い貴重なものだ。
『ソリッド・スツール』は1954年に清家清氏設計の『数学者の家』のためにデザインされた玄関先用のスツールが、METROCSの母体であるメトロポリタン・ギャラリーによって今年3月に新たに製品化されたもの。あくまでちょい掛け用にデザインされたものではあるが、ミニマルな構造美が見れば見るほど素晴らしい。実用性のあるオブジェ。
この日は渡辺氏のデビュー作と言われる『ヒモイス』(1952)にも座らせていただくことが出来た。デザインされた当時、欧米への輸出用に大量に製材されていたナラのインチ材をフレームに利用し、背と座にロープを張ってクッションを置いただけのローコストなチェア。現在は販売されていない(一時BC工房が復刻・販売していた)が、どうやら本格的に復刻が検討されているらしい。そして実際に腰掛けてみて驚いた。簡素な構造からは想像できないくらいに座り心地がいいのだ。
その他、ずらりと並んだ時計のシリーズの美しさとオリジナリティに改めて見入ったり(日比谷・第一生命ビル前のポール時計はぜひ実際に見に行かなくちゃ)、『リキ・ベンチ』と剣持勇デザインの屋外用ベンチの座面形状の共通性に興味をそそられたりしつつ、帰り際に渡辺氏の著書『素描・渡辺力』(建築家会館・現在は絶版)を購入して帰宅。
この展覧会は4/16からMETROCS札幌店でも開催されるとのこと。展示作品についてさらに知るには『美しい椅子2』(えい出版)を読むと良い手引きになるだろう。
帰宅してウェブでニュースを見ると、なんと清家清氏(上記の『数学者の家』をはじめ、渡辺力氏とのコラボレーションが多数ある住宅建築の名手)が逝去されたとの報。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
シュツットガルトの緑地計画。そして清家清さん死去。(痩せたり太ったり)
3/4。ビッグサイトでJAPAN SHOPを見た後で西麻布に移動して『le bain』(ル・ベイン)へ。リラインスの扱うバス・トイレタリー用品ショールームを中心に、ショップ、ギャラリー、共同住宅などが集まった施設。建築設計は内田繁+スタジオ80が手がけ、そのオフィスもこの建物の中にある。
通りに面した白くてフラットな外観にさわやかなイエローのサインボード。その脇にあるエントランスをくぐると池のある中庭。ショップとギャラリーがそこに面している。梁のデザインと立体的な空間構成が印象的。外観といい実に簡素な仕様ながら不思議に暖かみを感じさせる建物だ。
目当てのショールームはショップの中央にある階段を降りたB1フロア。上の中庭にある池の底面はトップライトになっていて、水のゆらぎが壁一面に投影される。高い天井に広い通路、オフホワイトとガラスの空間に世にも美しい水栓やシンク、バスタブなどがずらりと展示される様子はまるで美術館(写真左上/右上)。圧倒的なスケールと完璧なライティング。光壁のあしらわれた水栓の展示スペース(写真左下)や水回りアクセサリーなどの展示スペース(写真右下)に見られる薄いイエローやブルーの色使いは紛れも無い内田デザインの記号。
下の写真は水栓展示スペースの全景。ほとんどベンチと言っていいくらい大振りなサイズの赤いスツールが5台、花びらのようなかたちに配置されていた。
le bain/03-3479-3841
東京都港区西麻布3-16-28
11:00-19:00/月休
2/21。よみうりホールへ文珍師匠を見に行ったついでに『stone』(ストーン)有楽町店へ。ずっと前から行かねばと思いつつなぜか行く機会の無かった喫茶店。場所は駅を出てすぐの場所にある有楽町ビルの1F。オープンしたのは1966年とのこと。
ビルの通路まわり(写真左)は壁面に残るタイル貼りが歴史を感じさせることを除くと明るくてピカピカの状態。こんなところに老舗モダン喫茶があるのかね?と一瞬訝しく思ったが、『stone』はエントランス近くにあっけなく見つかった。黒御影石に彫られたロゴ(写真右)が超クール。全く古さを感じさせないデザイン。
店内はレジとキッチンを真ん中に挟んで二つのエリアに分かれている。片方はビル通路沿いの細長いエリア。上の写真はもう片方の少し広めのエリア全景。
壁は一面白御影石貼り。古びていい具合の飴色になっている。しかも表面はかなり立体的でザラザラと言うよりむしろボコボコだ。端部を見たところ石の厚みは10cmくらいはありそう。果たして壁だけで一体何トンあるのだろうか。圧倒的重厚感。また、壁沿いのところどころに真鍮製と思われる鋳物の飾りがライン状にゆらりと吊り下がっている。石の表面に刻まれた縦ラインがそれに呼応し、客席全体を雨降りのように包み込む。素材は重く硬質だが不思議に圧迫感は無く、むしろ柔らかな印象すらある空間だ。
フロア中央には円弧を互い違いに並べたようなかたちの黒いビニールレザー貼りの低いパーティションがあって、座席に着くと視線がそれとなく分節される。椅子は全て黒いビニールレザー張り。剣持勇デザイン。包み込むような座り心地が素晴らしい。テーブルはラッパ状のスチール脚に黒い半透明のガラス天板を乗せたもの。なんと床から生えるようにして固定されている。
このプランニングは上手い。そして文字通り動かしようが無い。
床にはランダムな形状の白黒の小さな石がパターン状に敷き詰められている(もう少し大きな写真)。磨き込まれた表面から現テラ(現場打人造大理石)に似た手法で施工されているのではないかと思われるが、おそらくとてつもなく手間のかかった仕上げだぞこりゃ。
照明は壁際の間接照明とボール球がいくつかと少ないが、店内はそれほど暗くはない。ダークな天井面をよく見ると、円形のカーペットを貼付けるようなかたちで模様が描かれているのが面白い。
この日はブレンドコーヒーとミックスジュースとハムサンドをいただいた。コーヒーは軽めだが、ある意味期待通りの味。ミックスジュースはさっぱり系。ハムサンドが生ハム使用なのはちょっと嬉しい。
東京における“モダン喫茶”の代表格として紹介されることの多い『stone』だが、注意深く見ればモダンと言うには饒舌に過ぎるくらいのデザインが施されていることが分かる。しかも内装には目立った痛みがほとんど見られない。完成後40年近いインテリアにしてこのコンディションは驚異的だ。お店の方が丁寧に使われていることも無論あると思うが、おそらく余程丁寧かつ念入りに施工されているのだと思う。ここまで手のかかった店をビルテナントとして作ることは現代ではほとんど不可能に近い。一体誰がデザインしてどこが施工したんだろうか?ご存知の方、ぜひ教えて下さい。
この場所にずっと残っていて欲しい店。もっと早く見とくべきだった。
stone/東京都千代田区有楽町1-10-1有楽町ビルヂング1F
03-3213-2651/7:30-22:00(土日祝12:00-19:00)/無休
その後、ricoさんからコメントをいただきました。大変ありがとうございます。
2/10に松戸市立博物館で『ジャパニーズ・モダン 剣持勇とその世界』を見て来た。剣持勇は主に1950-60年代にかけてインテリアデザインや家具デザイン、プロダクトデザインなどの分野で活動し、日本人の生活を一気にモダナイズした立役者。大阪万博の翌年に自殺。
なんとこれが剣持勇の初の個展なのだそうだ。大いに期待しつつ1Fからスロープを降りてアプローチと言うか前室のようなガラス張りの明るいスペースへ。そこには現在も生産中の剣持勇デザイン研究所が手がけた家具がいくつか置いてあって、多くは実際に座ってみることができる。上の写真は屋外用のベンチと灰皿。ベンチの座面はFRPで足はコンクリート。灰皿の本体は陶器。今でもあちこちで見かけるような気がするけど、剣持デザインだったとは知らなかった。
剣持デザインには「これもそうだったのか」と驚くようなものがたくさんある。秋田木工のスタッキングスツール、佐藤商事の積み重ね灰皿、ヤクルトやジョアの容器、京都国際会館や香川県庁舎のインテリアデザインなどなど。こうして見ると、あっさりしているようでいてその実造形的にかなり独特なものが多いわけだが、そんな剣持デザインは私たちの生活の中に深くさりげなく浸透し、今でも愛され続けているわけだ。
豊口克平や猪熊弦一郎など同時代に活躍したクリエーターの家具もいくつか並べられているのを眺めつつ展覧会場に入る。剣持勇の年譜と少年時代のペン画からはじまって、学生時代の作品、工芸指導所時代の作品、と順に見た辺りで会場のスケールがなんとなく分かって来た。だいたいバスケコート一面分くらいか。なんだか小さいな。
規模小さいことが災いしてか、残念ながら展示内容も正直期待はずれだった。制作時期ごとにコーナーを分けて貴重な作品をいろいろと並べてはいるが、「剣持勇ってこんなヒト」と言うのを説明するのがやっとで、剣持の思考の跡や手の跡が全く浮かんでこない。デザインや建築の展覧会と言うのはうやうやしく作品を羅列するだけじゃあダメで、もっと図面や模型をしっかり見せるとか、家具ならプロトタイプやシリーズを裏側まで見える高さにずらりと並べるとか、工夫のやりようはいくらでもあったはずだ。インテリア作品をせめてひとつでも部分的に原寸できちんと再現するくらいのことはやって欲しかった。
やっと剣持さんに会える!と喜び勇んで松戸まで行ったらなんとまあすっぽかされました、みたいな感じ。ここのところわりと質の高いデザイン・建築関連のイベントを続けて見ていたせいもあって、正直かなりガックリ来た。とは言え剣持作品を曲がりなりにも一通り見ることのできるイベントとしては極めて貴重なわけで、デザイン好きなら見に行くしかなかろう。展覧会のブックレットはそれなりにまとまっているのでお薦め。
ジャパニーズ・モダン 剣持勇とその世界(クリ8)
1/14。東京国立近代美術館・ギャラリー4で『河野鷹思のグラフィック・デザイン─都会とユーモア』を見てきた。
河野鷹思は日本のグラフィックデザインの草分け的存在。伝説のプロパガンダ誌『NIPPON』(デザインに明るい人ならあの“暁の超特急”の表紙をどこかできっと見たことがあるはず)ではデザイン面での中心メンバーとして活躍した。また、舞台美術や展示計画の分野でも活動し、映画『生まれてはみたけれど』(監督:小津安二郎)には日本で初めて“美術監督”としてクレジットされている。
展覧会は2003年にギンザグラフィックギャラリー(ggg)で開催された『河野鷹思展 昭和を駆け抜けたモダニスト1906-1999』(当時の映像はこちら)での展示にギャラリー5610で開催された『河野鷹思さかな展2003』の作品の一部、舞台美術と展示計画の分野での活動を紹介する映像などを加えた内容。河野氏の広範なクリエイティブワークがほぼ全体的にカバーされるものとなっている。
とにかくいろんな面で先駆的な活動を行った人物なんだけど、見物はやはり何を置いても1950年代以降のポスター作品。この日改めて彼の実作品に接して痛感したのはポスターのもつ“物体”としての迫力だった。
彼のデザインするポスターの画面はその構成要素こそ単純極まりないが、描かれた形態が何を指すものなのかは常に明解だ。その限界にまでそぎ落とされた具象は人肌の暖かみとふくよかさを決して失わない(ほぼ同時代に活動した亀倉雄策が純粋な幾何学的抽象を目指したのとは対照的)。そこに込められたメッセージはインクの質感と重なりを伴い“物体”として目の前に力強く存在する。こうした感覚がグラフィックデザインの世界から失われて随分と久しい気がするなあ。
グラフィックデザインの持つ本来の力を再確認できる実に貴重なイベント。デザイン史を学ぶ上でも必見。
河野鷹思のグラフィック・デザイン(東京国立近代美術館)
河野鷹思資料室・Deska
河野鷹思(DNP Gallery)
10/29。バワリーキッチンやロータスでおなじみの形見一郎さんが空間デザインを手がけた『くろひつじ』。なんと、東京にありながらジンギスカンを生肉で供する(本場札幌でもジンギスカンの肉はたいてい冷凍)と言う。
(Sep. 9, 2006/夕刻の外観写真を追加)
切妻屋根の木造建築をリノベーションしてまるごとレストランに仕立ててあるのがユニーク。黒くフラットに仕上げられたファサードのところどころからはまるでパズルのピースがはめ込まれたようにカラフルなインテリアが顔を出し、前面道路との間にあるゆったりとしたオープンスペースでは席を待つ人々が思い思いに時間をつぶす。道路を挟んでその様子を見ていると、まるでレストランじゃなくて野外劇場にやって来たかのような気分だ。そのシュールな印象は商業地から少し離れた閑静な環境にどういうわけかすんなり溶け込んでいるように思える。
予約の旨を伝えて行列を尻目に店内へ。エントランスにある銭湯のような小さなロッカーは見た目にかわいらしく、かつ機能的。油と煙のにおいが付かないように上着はあらかじめここへ入れておいた方がいい。
フードメニューはジンギスカンだけ、と実にシンプル。注文すると白いコーリアンのテーブル天板の上に七輪がどかんと鎮座する。あとはひたすら焼いて食うのみ。盛り上がった鍋の周囲に野菜を、てっぺんに肉を乗せる。本来のジンギスカンの流儀に習えば最初に脂身のかたまりをてっぺんに乗せ、したたり落ちる脂を鍋に馴染ませてから「焼き」に挑みたいところだが、この行程はここでは省略されているらしい(この時点で味には期待するまいと悟った)。ほとんど素焼きに近い状態で食べざるを得ない野菜には「ヘルシーさを強調するにもほどってもんが(中略)」と、残念な思いだったが、生肉をうたうだけのことはあって肉質はそこそこ許せるものだった。料金は安いし(一人前1000円)、スタッフの方々の応対も良かったので、総合的には満足。
さて、空間デザインに目を移そう。天井が高く、仕切りの全くないフロアは開放感満点。店内にはカウンター席もあって、これがキッチンカウンターやレジカウンターと一体的につくってあるのが面白い。一見飲食空間のセオリ−から逸脱したプランニングをシンプルな手法でさらりと成立させてしまう形見さんらしい大胆な手口だ。下の写真左は階段上から2F部分を見渡したところ。このフロアには事務スペースとトイレがあるだけで客席は一切無し。1Fテーブル席の上は全て吹き抜けとなっている。ところどころに素地のまま残された木組みと、リノベーション後に白く塗られた部分とが迫力ある対比を見せる。右はトイレの前の待ち合いスペース。
どこを採っても装飾らしい装飾は一切無し。「食」の迫力に満ちた内部空間と、周辺環境に対して静かな存在感を放ちながらも絶妙な間合いを保つ外部空間とが、明解なコンポジションのみで演出されているのが見事。これまでに形見さんが手がけた空間の中でも名実共に最もスケールの大きな作品であり、おそらく新たな代表作と言っていいだろう。
街はずれに足を伸ばし、だだっ広いフロアで肉を焼き、勢い良く食らう。『くろひつじ』はそんなダイナミックな活動を誘発する都市装置だ。そのデザインの本質は「形見さんと言えばカフェ」みたいな巷の短絡的な認識とは全く別の次元にある。
くろひつじ/東京都目黒区上目黒1-11-6
03-5457-2255/18:00-24:00(土日祝12:00-24:00)/無休
おそらく日本一早いかもしれない『Apple Store mini』詳報。現在サンフランシスコに滞在中の佐藤振一さんがスナップ写真を送って下さった。お忙しい中大変ありがとうございます。
と言うわけで、上の写真が営業中の『Apple Store mini Palo Alto, Stanford Shopping Center』全景。ご覧の通り中央什器は置かれていなかった。こうして人が入った状況で見ると、カートやベビーカーを押したりしながら店内をうろうろ移動するにはこのくらいの空間が必要なんだな、と了解できる。それにしたってこの潔さには敬服。小さな店がまるで広場のようだ。
佐藤さんによると、この天井はまるでLCDのように全面がむらなくフラットな状態で光っているとのこと。天井面に防災設備(スプリンクラー、煙または熱感知器、非常照明など)が全く無いとはなんとも羨ましい。。。日本にこのデザインを完全に踏襲した店舗をつくる事は法規的にみて非常に難しいだろう。通りから見た外観はこんな感じ。フツーの店舗区画にシレっと収まっている。
上の写真左は壁二面と天井のコーナー部分のアップ。一体どうなってるんだ?と思うくらいシンプルなディテール。パンチング穴の開いた部分には空調・換気設備などが収納されているのだろう。そう言えば、さっきの全景写真をよく見ると左右の壁上部に微かに突起物が見える。おそらくこれがスプリンクラーで、煙(または熱)感知器や非常照明はパンチング穴の向こうに隠してあるのかもしれない。
そして上の写真右は店内左右の壁面に備えられた噂のSelf Check out systemまわりのディテール。普段はこんなふうにフラットな状態。必要に応じてこんな感じに操作部、収納部を引き出す。
上の写真がSelf Check out systemの全景。左の黒い四角が商品バーコード読み取り用スキャナー。その右が買い物内容などが表示されるメインディスプレイ。その右の長円形のくぼみにはタッチペン(ひも付き)がマグネットでくっついている。その右にある小さなディスプレイはタッチセンサー付きで、買い物客はチェック時にこのディスプレイ上にタッチペンでサインする。一番右はカードスワイプ用のスリット。メインディスプレイの下にある横長のスリットからはレシートが出てくる。と言う事は、普段は引き出しは使われずに壁面はフラットなまま、ということなのだろう。
上の写真左は店内左右にある商品ディスプレイ棚。右はオペレーションカウンター。その前に並んだ4脚のハイスツール(アルヴァ・アアルト)も含めてこれらにはナチュラルな木質系の素材が使用されている模様。
鉛直面はステンレスに、水平面は白い光に覆われた超フラットでミニマルな空間は、実際に体験すると店舗と言うよりもインスタレーションアートに近い感覚を覚えるんじゃないだろうか。最近のAppleによるプロダクトデザインとのコンセプトの共通性が明解に現れている。当分この路線を突っ走るぜ、というAppleの強い意思を感じるストアデザインだ。
All Photos : Courtesy of Shinichi Sato
●Apple Store mini(love the life/life October 15, 2004 09:58 PM)
●Apple
なんだかカッコいいかも『Apple Store mini』。
しかしフロアにダウンライトが全然無さそうなのが気になる。全体が光天井みたいだけど、写真のようにもやんとしたフラットな光の下に中央什器を置いて商品を並べちゃうと、ディスプレイ的には最悪だ。しかし、もしかしてこのまま中央什器無しでオペレーションするんだろうか?だとしたら素晴らしく思い切ったデザインだと言える。
AppleジョブズCEO、「Apple Store mini」内覧で復帰後初の顔見せ
<中略>壁は日本製のステンレススチールでできており、壁の上部にはPower Mac G5に似た空調用の穴が設けられている。フロアは光沢のあるホワイトで、ジョブズ氏によれば、「飛行機の格納庫と同じ素材」だという。
<中略>この店舗でユニークなのは、店舗の後方にタッチスクリーン型キヨスクが2機備えてあり、そこでは利用者自身がバーコードをスキャンし、クレジットカードで支払い、商品を持ったまま店を出て行くことができる「セルフチェックアウト」方式を採用しているところ。その間、店員とやり取りをする必要は一切ないという。ジョンソン氏によれば、Apple Store小売り店では現在、80%がクレジットカードで支払いをしているという。(ITmedia)
この会計システムは面白そう。買い物してみたい。
プレス用写真は現在ここからダウンロード可能。
Product Info for Media : Apple Store
先月全面リニューアルされた渋谷パルコPART3。買い物のついでにいちおう一通り視察。
もともと壁際にあった(しかも上りしかなかった気がする)エスカレーターの位置がフロア中央に変わって、普通のテナントビルっぽいレイアウトに。客の側としては使いやすくて助かる。しかし肝心の各ショップのデザインがどれもこれも酷いのなんの。カネもなければ工夫も無い、まったくやる気の無い感じで不景気感全開。ぜんぜん買い物する気がしなくて、結局5・6FにあるMUJIまで完全に素通りしてしまった。で、B1Fをまだ見てなかったのでエレベーターで直接下る。ひとまわりして出入口方面へ。
そこにあったんですよ。スゴいお店が。
『poker face』と言う名前のアイウェアショップ。通路に張り付くように配置された細長い区画なんだけど、きれいなペールイエローに塗装されたパンチングメタルの間仕切りを効果的に使って、不思議な奥行き感のある空間に仕上がっている。床のカーペットタイルの鮮やかなブルーがビシっと映える。
写真は全景だけしか撮れなかったんだけど、圧巻なのはディテール。棚板はスチールの支持棒をパンチングメタルの間仕切りから持ち出して(溶接跡は研磨されて完璧にフラットな状態に仕上がっている)、その上に薄いスチールプレートを溶接。スチールプレートの端部は絶妙な角度で折り曲げてあって、強度を出すとともに支持棒の存在を消し去っている。
眼鏡と一緒に棚の上に置かれた小さなミラーはステンレスの鏡面仕上(つまり落としても割れない)。間仕切りの上下の納まりも極めてスッキリ。スチールプレートとガラスを組み合わせた中央什器も美しい。ダウンライト中心のライティングはオーソドックスながら完璧。
とてもシンプルでカジュアルな雰囲気の小さなお店なんだけど、その実、恐るべきクオリティの高さ。久しぶりに本物の“いい仕事”を見たなあ。果たして誰がデザインしたんだろう?
と思って、帰宅してから調べてみたところ、、、なんと!内田繁氏でした。
パルコPART3にあるそれこそ何十店舗もの中で、見るべきものは唯一、大御所中の大御所・内田氏が手がけたこれだけ、と言うのはなんとも愉快でもあり、また寂しくもある。いったい下の世代のデザイナーたち(自分たちも含めて)は何をやってるんだか。そしてパルコよ、これでいいのかね、まったく。
9/10。『RIMPA展』を見た後『パレスサイドビルディング』で夕食。
この建物は林昌二氏が日建設計時代に設計したもの。1966年に完成。外観の機械的な美しさ、洗練されたインテリアデザインなど見所たくさん。私たちの好きなモダン建築のひとつだ。当時ビルボードのデザインを倉俣史朗氏が担当したらしい(グラフィックデザインは小島良平氏)んだけど、現在もその姿が残されているのかどうかは定かではない。その他、一般的・歴史的な情報はビルのホームページに詳しいのでここでは省略。
上の写真はB1Fトイレの入口。円形にくり抜かれた石張りの壁の一部に男女の表示が納まっている。
上の写真は同じフロアの飲食店街の様子。蛍光灯のライティングがクール。店舗のファサードは全て統一のガラス面に覆われ、白いボックス型の行灯サインも共通のデザイン。中央に見える階段はかなりの鬼ディテール。
60年代の商業ビルとしては驚くほど当時の環境がそのまま残されている。この点はとても素晴らしい。でも各店舗のインテリアには全く見るべきものが無い。せっかくカッコいいビルに入ってるんだからもっとまともにデザインすればいいのになあ。残念。
以下、パレスサイドビルディングのホームページ内コンテンツへの直リンク。
・パレスサイドビルの歩み
・近代建築の文化遺産として
・写真館
・こぼれ話
私たちの心の師匠である大阪のインテリアデザイナー・野井成正さんのホームページが完全版に。ファン代表として制作を任せていただいて、3月辺りから少しずつコンテンツを増やしてたんだけど、これにてようやく一段落。トップページのFlashはrin君作成。
一番の見所はやはり『works』。野井さんの仕事をこれだけまとめて見ることができるのはここだけ。しかもこれまでにどこにも掲載されたことのない手描きスケッチも満載。詳しい解説文なんか無くても、この豊かな筆致から野井さんのデザインエッセンスがビシバシ感じられるはずだ。あと、『profile』の野井成正年表を見れば野井さんのクリエイティビティが関西のコンテンポラリーアート、デザインシーンの再深部に根ざしていることがはっきり分かる。
今後も野井さんに関する最新情報や新旧の作品情報をコツコツ掲載してゆく予定なのでどうぞお楽しみに。
5/12。14時に代々木『きっしょう』へ。この日もCONFORT誌『伝説のインテリアデザイン』の取材。取材。『きっしょう』のオーナー氏はこの店のオープン時から厨房に立ち、10年ほど前にこのお店を譲り受けた。デザイナーの滝内高志氏とは意外なことにオープン前後に少し会った以外にはぜんぜん顔を合わせていないそうだ。それでもこれだけ綺麗な状態でインテリアが維持されているのは、使っている素材や工事のクオリティが高いことも一因ではあるけど、なによりこのオーナー氏がこの店を大事にして来たことが大きい。オーナー氏は「長く居たことで、この店のデザインの凄さが少しずつ分かって来た」と話す。厨房のドアが壊れたりエアコンが壊れたりして、変更を加えざるを得なかった部分については「これは本当に痛かった」と心底残念そうだった。
インテリアデザイナーにとって、これほど有り難い話しは滅多にあるもんじゃない。正直、感動した。
上の写真は『きっしょう』の店内。ちょっとピンボケで残念。
16時30分頃、『竈』へタクシー移動。ここでもオーナー氏にお話を伺う。和風ダイニングやカフェブームの震源地である青山で10年間商売を続けて来たことはきっとものすごく大変だったんじゃないかと思うんだけど、オーナー氏は「いっぱいいっぱいですよー」と言いつつも実に飄々としている。自信の現れに違いない。
18時過ぎに撮影とインタビュー終了。タクシーで移動。梶原さんとは広尾のSIGMAラボで分かれて、藁科さんと私たちはそのまま恵比寿のCONFORTオフィスへ。今回の記事に必要な図面資料などを受け取って解散。
滝内高志さんに会った(May 05, 2004)
5/11。15時頃にCONFORT誌『伝説のインテリアデザイン』取材で原宿のバー『OTTAGONO』へ。
上は『OTTAGONO』の店内写真(奥に居るのは見学中の藁科さんと勝野なので気にしないで下さい)。オーナー氏は建築やデザインに関する知識が実に豊富な方。しかも、ものすごく好奇心おう盛で、インタビューしなくてはならないのにこっちが逆にインタビューされてるような状態になってしまった。うまくテキストにまとまるかなあ。
軽い食事の後、19時頃に『OTTAGONO』に戻って店先の撮影に立ち会い。それから渋谷の『黒い月』へタクシー移動。バーテンダー氏(女性)にお話を伺ったところ、このお店のオーナーは伝説のバー『ミルクホール』(場所は『黒い月』と同じ)からずっと変わっていなくて、ご本人はアルバイト時代を含めるとなんとこの場所を20年間見守って来たことになるのだそうだ。恐れ入りました。。。
滝内高志さんに会った(May 05, 2004)
4/30。CONFORT誌『伝説のインテリアデザイン』の取材。14時前に外苑前改札を出たところで藁科さん・佃さんと待ち合わせてちょこっとタクシー移動。住宅街の真ん中で10分ほど迷って、なんとか滝内高志氏のオフィスにたどり着いた。
滝内氏の主な作品としては、先日巡った『黒い月』、『きっしょう』、『OTTAGONO』、『竈』の他にバー『ガラスダマ』、焼肉『そら』、クラブ『真空管』、居酒屋『ゆう』、レストラン&バー『エラグ』などが挙げられる。初期の作品には山本寛斎などのブティックも数多い。すでに現存しないもの、現存していても状態が良くなかったり業態が変更されているもの、などが大半なのはインテリアデザイナーの定め。
私たちが大阪でデザイナー修行を積んでいた90年代初頭、滝内氏の作品からは『黒い月』、『きっしょう』、『OTTAGONO』などに見られた重厚な素材使いがぐっと抑えられるようになって来ていた。金属や石には要所を引き締める役割が与えられ、代わりに大きな面積で用いられるようになったのが突板やモルタルなどのローコストな素材。そうした状況にはバブルがはじけて商業施設の内装費が減りつつあったことが影響しているのは明らかなんだけど、私たちにとって、滝内作品の変化は単なるコスト配分の調整以上の大きな意味を感じさせるものだった。つまるところ、滝内氏によるインテリアデザインは、床や壁の全てを高価な素材で覆い尽くす“内装”から、訪れる人々の気分や動作に働きかけるダイナミックな“空間”へと、役回りをガラリと変えたわけだ。
専門誌の誌面で『そら』(1992)と『ゆう』(1993)の写真を味た時の驚きは忘れがたい。金属や石が突板に代わり、特注照明器具が既製のボール球やリネストラランプに代わっても、滝内デザインのクオリティは低下するどころか、むしろより明快になって強度を増しているじゃないか。
そうしたハイパフォーマンスなデザインの延長上にあるのが滝内氏自身が運営を手がけた『真空管』(1993)と『竈』(1994)の連作。これらのインテリアには滝内氏とそのスタッフによるセルフビルドの箇所が多い。オープン当初の『竈』では箸置きまでがオリジナルで制作されていた。ここでの滝内氏の仕事はもはやインテリアデザイナーと言う言葉では括れない。そこにあるのは「いい店をつくりたい」と言うシンプルな思いだ。
バブルがすっかりはじけ切った後に独立して本格的に活動をはじめた私たちが、勇気を持って新しいデザインに挑戦することが出来たのは、滝内氏のこうした活動があったからこそ、だと言っていい。そんな風に直接的な影響を受けたせいか、私たちの世代のインテリアデザイナーにとって、滝内氏はまるで兄貴のように近しく思える存在だ。実際には親子に近い年齢差があるんだけど。
はじめてお会いした滝内高志氏は勝手に想像していたよりもずっと小柄ですごく痩せていた。短く刈り込まれた白髪と、ゴツいフレームの四角い眼鏡の奥から覗かせる鋭い眼光が印象的なその風貌は、まるで都会に降りて来た仙人のよう。
そんなわけで、最初は恐る恐る、と言った感じでインタビューをはじめたんだけど、滝内氏は徐々に素顔を表してくれた。倉俣史朗氏の赤いキャビネットを見てデザインへの思いをかき立てられ、家具製作会社や建築事務所やデザイン事務所に押し掛けてキャリアを積みながら、まっすぐな情熱に動かされるまま突き進んだデザインバカ(言っておくがこれは敬称だ)・滝内青年の物語を聞いて、時には大笑いしながらも心底感動した。大きな身振り手振りを交えた熱いトークに圧倒されて、上で書いたようなことはぜんぜん上手く説明できなかったのが残念だけど、そこには私たちのイメージ通りの若々しいパワーに満ちた滝内高志氏が居た。
いま滝内氏はこれまでに手がけた店舗運営の事業を徐々に整理して、より一層デザイン活動に注力するための体制を整えている最中とのこと。今後の展開が楽しみだ。これからも滝内氏は、きっと私たちの目の前を疾走し続けてくれるに違いない。
滝内高志氏の作品ツアー1(May 01, 2004)
滝内高志氏の作品ツアー2(May 02, 2004)
OTTAGONOと黒い月(May 14, 2004)
きっしょうと竈(May 14, 2004)
前のエントリーの続き。
歩いて原宿方面へ。ユナイテッドアローズから明治通りの脇道に入ってしばらく進んだところのビルB1Fに『OTTAGONO』がある。ここは1989年オープンのバー。詳しい住所は分からないんだけど、下の写真の階段が目印。
ここに訪れるのは実は2度目。素晴らしいバーだったんだけど、当時あまりの上質な雰囲気に恐縮してしまって、以来なかなか足を向けることが出来なかったんだなこれが。あれから8年くらいが経って私たちも随分と厚かましい中年になった。そんなわけで、改めて。
ドアを開けると正面に壁。左手にまわると、そこには真っ白な巨体を横たえるバーカウンター。人数を告げると、カウンターの中央に立ったボウタイのバーテンダー氏が静かな笑みを浮かべて、奥へ、と手をやる。円盤形をした小振りな革張りのスツールに掛けると思わずため息が出た。本当に、痺れるくらい研ぎすまされた空間だ。
ジントニックとアルコール弱めで甘みのあるカクテルを、とオーダー(勝野はアルコールがからきしダメ)。手前側が大きく丸みを帯びた白いバーカウンターのひんやりとした手触りを確かめた。これはなんと琺瑯で出来ている。世界中探したってこんなカウンターがあるのはこの店だけだろう。カウンターバックの壁に取り付けられたグラス棚の扉も琺瑯。その表面に散らばった楕円パターンに嵌め込まれているのは錫。頭上に目を向けると、天井面に穿たれた無数の小さな穴。そのすべてに硝子玉が嵌め込まれていて、やわらかい光が漏れ出ている。
しかしこれが完成後すでに15年近くを経た店だとは、全く驚異的だ。相応にヤレた部分など一切目に入らない。まるで時間を止める魔法にでも掛かったんじゃないか、と思うくらい。いや、たしか8年前に一度来た時はバーテンダーが二人だったな。たった一人の店になった分、バー空間特有の求心力は強くなった。もしかすると、この店が最上に研ぎすまされた姿を見せているのは今この瞬間なんじゃないか。
そんなことを思わせるくらい、このバーテンダー氏とこのインテリアが作り上げる空間は素晴らしい。酒、カクテルのクオリティについては推して知るべし。今現在、東京で、私たちにとって最高のバーがこの店だ。
『OTTAGONO』の住所や電話番号はここには書かない。取材を受けていただければ、7月発売のCONFORT(8月号)に詳しく載るはずなのでそっちをご覧あれ。
梶原さんと分かれて、藁科さんと3人でタクシー移動。渋谷東急本店の辺りで下車。雑居ビルの3Fにあるバー『黒い月』へ。ここには看板らしい看板が一切無い。銅板にステンレスワイヤーを縫い込むようにしてパターンをつけたドアを開けると、小さなバーカウンターと女性のバーテンダーがひとり、そしておとなしくて綺麗なミニチュアダックス一匹に迎えられる。
店内は本当に小さくて、『きっしょう』によく似た2人掛けのバースツールが3台。あとは小さなテーブル席があるだけ。カウンタートップは銅板貼。カウンターバックの扉も銅板で、ドアと同じワイヤーのパターンが施されている。それ以外の部分は床も壁もぜんぶ大谷石貼。壁面のフックまで円筒形に削り出した大谷石だ。なにしろ小さな店なので、インテリアデザイン的にはそのくらい。オープンしたのは1986年と今回巡った中で一番古い。滝内高志氏の手がけた飲食店としては最初期の作品だ。銅板の赤みがかったやさしい色味と、年月のしみ込んだ大谷石のグレーとがコントラストを醸し出している。
この店では本当はワインをいただくべきだったんだけど(バーテンダー氏の知識はものすごいらしい)、私たちは残念ながらワインには全くもって疎い。勝野はまたもや弱めのさっぱり系カクテル。かなり弱っていたヤギは気付けとして店と同じ歳のクラシックラム(名前をチェックし忘れた)をストレートでいただく。これがとどめ(もちろん美味しかったんです)。終電はとうに無い時間だったのでタクシーで帰宅。
●黒い月 / 東京都渋谷区宇田川町33-10-3F / t.03-3476-5497
8:00-4:00 / 日休
当然帰ってすぐ寝る。そして翌日はデザイナーご本人への取材なのだ。
4/29。18時に代々木駅前で藁科さんと待ち合わせてCONFORT誌『伝説のインテリアデザイン』取材のための物件下見。
最初に行ったのは居酒屋『きっしょう』。初めて行く店。メニューを開くと肴の品揃えに目を奪われる。北は北海道・東北系から南は沖縄系まで。どれもこれも旨い。にしん切り込み最高。他にかすべ、馬刺、タン塩焼、たぬき豆腐、サラダなどなどをいただく。今度はたてがみ、島らっきょう、それからご飯系も食べてみたい。酒と焼酎も渋いセレクトだったような(長丁場なのでここではビールとウーロン茶しか飲まなかった)。途中でフォトグラファーの梶原敏英さんも合流。
で、インテリアデザインの話し。これが予想以上の素晴らしさだった。事前にクリエーターズチャンネルにある写真を見て「わりとプレーンな左官メインのインテリアかな?」と思ってたんだけど、実はこの土壁の表面には長さ20、30cmくらいの真鍮の角棒がたくさん埋め込まれている。これが鋭角なスポットライトに照らされてキラキラ輝くのだ。バーカウンターと大テーブルのトップを覆う素材も真鍮で、腰の部分は土。異素材の対比、そして重厚な素材に与えられたシャープなフォルム。コントラストの激しさが否応無しに際立つ。こりゃクールだぜ。
オープンしたのは1987年。座布団が南国土産調だったり、熱帯魚の水槽が置かれていたり、と、少しばかり様子の変わったところも無くはない。でもそんなささやかなカスタマイズなんて笑い飛ばせるくらいの迫力がこの店にはある。17年を経た居酒屋とはとても思えないグッドコンディション。きっと大事に使ってらっしゃるんだろうなあ。いい店です。店名ロゴは坂本龍一氏の書、と言うのはここだけの噂話ってことで。
きっしょう / 東京都渋谷区代々木1-58-7-2F / t.03-3370-6118
17:30-23:00(木・金-2:00) / 日休
タクシーで神宮前に移動。外苑西通り沿いのビルB1Fにある『竈』へ。創作江戸料理を看板メニューに掲げる和食のお店。ここは何度も行ったことがあるんだけど、ここ2年くらい行かない間に家具がちょっと変わったとの情報があったので様子をうかがってみることにした。
『きっしょう』で思った以上に食べてしまったので、竹の子の刺身、そら豆、春キャベツのざく盛りなど軽めのものをオーダー。もうりょう鍋(大根とごぼうと鶏肉をあっさり出汁で煮た小鍋)は以前と比べると味付けが若干濃くなったがやはり美味しい。ご飯系とデザートも頼みたかったけどもうお腹いっぱい。ドリンクは加那のロックとジャスミン茶(ソフトドリンクが前よりも増えたような?)。
で、インテリアデザインの話し。以前はちゃぶ台で食事する形式だったのが、今はテーブルが置かれるようになっていた。でもベンチや小椅子は以前と変わらずものすごく低いまま。壁一面に墨絵がディスプレイされていたり、個室の壁に木が貼られていたり、などの変更もあったけど、空間の構成自体には全く変更は無い。アルミ貼の床も、客席中央に置かれた瓶の大きな生け込みもそのまま。食事しながら眺める店内の様子はほとんど変わらない。
何より嬉しかったのは全く以前通りの丁寧な接客。良かった。『竈』はまだまだ健在だ。DJブースのある和食店、と言うスタイルでもう10年め。もはやここは東京の名店のひとつと言っていいはずだ。
竈 / 東京都渋谷区神宮前2-9-11-B1F / t.03-3478-4956
19:00-4:00(祝-0:00) / 日休
そんなわけで、次のエントリーに続く。
前のエントリーの続き。4/21。朝11時半に半蔵門・ダイヤモンドホテルのロビーで高取邦和さん、野井成正さんと待ち合わせ。すぐ近くにある『三城』へ。
『三城』(さんじろ、と読む)という蕎麦屋は倉俣史朗氏が生前に最も愛したお店のひとつで、高取さんにとっても20年来のつきあい。と言っても高取さんや倉俣さんがデザインされたわけではないんだけど、ただの蕎麦屋ではないことだけは行かなくたって分かる。
入り口の作りは思いのほか普通、と一瞬思ったが、店先には品書きは無いし、青い暖簾に白く染め抜かれているのは店名だけ。これじゃあ蕎麦屋なのかどうかさえ分からない。自動的に一見さんお断り。そして入ってみて息を呑んだ。思わず顔を見合わせる勝野とヤギ。ヤバい、恐ろしくカッコいい。
4人掛けのテーブルが4つと大テーブルがひとつのこぢんまりとした店内。そこを和服姿の年配の女性がたったひとりで機敏に切り盛りしている。厨房は奥に隠れて一切見えない。
太い木材で組み上げた柱と梁。丁寧な左官で仕上げられた壁。店内の照明はかなり控えめ。フロア中央の大テーブル上に吊られた大きな立方形のペンダントライトと、瓶に生けられた新緑の枝木が目を引く。客席スツールは丸みを帯びたモダンなデザインで、座面は年月を経てひび割れた革張り。品書きは店内にも一切無い。
まるで大名の城の奥にいきなり通されたような錯覚に陥った。思わず背筋を伸ばして深呼吸したくなるような、力強く、上質で、研ぎすまされた空間だ。
大テーブルの角に4人で腰を据えると、すぐに日本酒の入った片口と粕漬けと山なめこの小鉢が出て来た。この店では注文は取らない。出てくるものは最初から決まっているのだ。
山なめこの上には丁寧に水気を取った大根と少量の醤油。日本酒は爽やかな甘みを感じさせるもののスッキリとあとをひかない味。どちらも美味い。実は勝野はアルコールが全くダメ。ヤギもあまり強い方ではない。しかし高取さんと野井さんに注がれて飲まないわけには行かないし、第一美味いものには目が無いので調子に乗って飲む。
4人で3合ほど飲んだところで蕎麦を出してもらう。これが太短い見た目なんだけど、意外にもコシが強い。心地よい弾力を楽しみつつ、ぺろりと2枚ずついただく。続いて野沢菜の漬け物と蕎麦湯が出て来る。蕎麦湯もつゆもたっぷりあって、ゆったりと余韻に浸りつつ、インテリアデザインを取り巻く現状について静かに語り合う。
漬け物が片付くと、最後に大きな豆の甘煮が登場。デザート、と言ったところか。コース料理を味わったような満足感。これで一人4500円。このボリューム、このクオリティにしてこの値段は驚くほど安い。
『三城』の営業時間は午前11時30分から15時までの3時間半。土日祝休。平日の昼間から酒を飲める人だけどうぞ。
そんなわけで、空きっ腹に日本酒ですっかり具合の悪くなった勝野。しかしここでくたばるわけには行きません。地下鉄に乗って、高取さんと表参道の駅で別れて、野井さんと3人でギャラリー間へ。『承孝相と張永和展』を見る。作品には興味深いものが多いんだけど、プレゼンテーションが弱い。庭でひなたぼっこしつつ休憩して、同じビルの1FとB1FにあるCERAのショールームへ。自宅の洗面台を物色する野井さん。さらにその近くにある乃木神社を散策したりしているうちに勝野復活。これだけ早く復活することが出来るのはやはり飲んだ酒が上等だったおかげだろう。
それから再び地下鉄に乗って勝どきへ。向かったのは『おまけや』。高取さんがデザインを手がけた喫茶+駄菓子店。裏には昔ながらの長屋が立ち並び、表はトラックがはげしく往来する清澄通り、と言う不思議な立地条件はまるで東京の“スキ間”だ。引戸を開けて店内に入ると、そこはシナ合板と南洋木材がコントラストを成す独特の空間。手前の棚やカウンターには駄菓子がずらりと並び、奥のコンロからは珈琲の香り。珈琲や紅茶にせよ、甘味にせよ、このお店では何を注文してもハズレは無いが、私たちが特に気に入っているのは深いりブレンドとあんずてんの組み合わせ。美味しくいただいていると、時々近所の子供が「ガチャガチャこわれたー」とか言いながらやって来る。大人の居場所と子供の居場所がセットになったこのお店が私たちは大好きだ。
おまけや/東京都中央区勝どき3−7−4/03-3531-3912
11:30-18:00頃(土 11:30-14:00頃)/日祝休(土不定休)
野井さんから上本町のカッコいい駄菓子屋さんの話しをお聞きしたリしつつ、長閑に1時間ほど過ごした後、タクシーで有楽町の駅へ。みどりの窓口で野井さんとお別れ。
前日の『松下』で、野井さんがお手洗いに行かれている間に、高取さんは私たちに「専門誌でいろんな店を見ても、悲しくなるような酷いインテリアばかりが並んでることが多いけど、野井さんのデザインは僕は本当に好きなんだ」と、こっそり教えてくれた。そのことはここだけの秘密にしておこう。
一方、野井さんはご紹介するまで高取さんのことをぜんぜん知らなかったんだそうだ。あいたた。
4/20。15時頃、オフィスに野井成正さんが到着。
先ずはrin君を紹介してnoi-shigemasa.comトップページのデザインについて説明してもらう。野井さんから与えられた『驚き・簡単・質素』というキーワードをもとに、rin君らしいアイデアが盛り込まれたものになりそうで一安心。完成が楽しみだ。
2時間ほど打ち合せして、野井さんは一旦ホテルにチェックインするため渋谷へ。18時過ぎにハチ公前で待ち合わせして、恵比寿に移動。先ずは『立呑』で串ホルモンと野菜焼きで腹ごしらえ。それから『松下』へ。要するに高取邦和さんの作品をはしご、と言うわけ。そして1時間ほど飲んだところで、藁科さんから「いま野井さんがいらっしゃってますよ」と言う話しを聞きつけた高取さんが登場。ついに初の野井・高取ミーティングが実現した。
東西の心の師匠に挟まれて、一瞬何を話せば良いやら???と言う感じの勝野だったんだけど、高取さんと野井さんは同い年ということもあって、デザインに関係あることも無いことも、古いことも新しいことも話題に含みつつ、至って和やかな雰囲気で2時間ほど談笑。一番盛り上がったのが独特な営業スタイルの蕎麦屋についての話題。蕎麦屋というのはあらゆる意味でシンプルな飲食業態なだけに、西にも東にも実に不思議なお店がいくつとなく存在するようだ。そこで高取さんからとっておきのお店として挙げられたのが『三城』。倉俣史朗氏が最も惚れ込んでいた蕎麦屋のひとつ。高取さんも20年近く利用されているとのことで、「もし明日お時間があればご一緒しませんか?」とおっしゃっていただいた。
高取さんの案内で、野井さんと行く、倉俣氏の愛した蕎麦屋。なんだか大変なことになって来たぞ。
と言うわけで、次のエントリーにつづく。
3/28。たまプラーザ東急SCのB1Fにある前からずっと気になっていた店に行ってみた。『茶の葉』と言う日本茶(と言うよりも緑茶オンリー)店。お茶とその関連グッズの販売をやっていて、店内のカウンターでお茶菓子セットをいただく事も出来る。なんで気になっていたのかと言うと、とにかくこのお店のデザインが尋常ではないカッコ良さなのだ。
『茶の葉』の店舗区画は二方向の通路に面した“角地”。そこでの人の流れを受け止めるようなかたちで、店内カウンターと物販コーナーの間仕切りは平面図上斜めに配置されている。一見大胆だが、客としてこのお店に接してみると、それはもうため息が出るほどに無駄のない巧みなプランニングであることがわかる。物販コーナーはほぼ全面がステンレス貼。天井から下がった蛍光灯の照明器具もステンレスのボックスで囲われている。これらのハードなフォルムと素材感を、要所に置かれた生花と、分厚いガラスで出来た什器(棚やお茶をストックする箱など)のエッジから漏れ出る深いグリーンの光とが中和する。深呼吸でもしたくなるような清涼な空気感を感じさせるお店だ。
木材を束ねた客席カウンター、小叩きのコンクリートで仕上げられたその背後の壁、そこに据え付けられた荷物置きのディテールなどなどまだまだ見所はたくさんあるんだけど、ホントにきりがないのでインテリアに関してはこの辺で。見た目に違わず、いや、もしかすると見かけを上回るくらいの勢いで、このお店の味と応対は抜群に素晴らしい。器やトレイ(これがまた分厚いガラス色アクリルなんだ)、コースターや箸置きにいたるまで、サービスの仕方も実に洗練されている。
どうしても気になったので、帰り際、スタッフの方に「このお店はどなたが設計されたんですか?」と伺ってみたところ、残念ながらその辺について詳しい事は分からなかったが、このお店はたまプラーザのオープン(1982年)と同時に出来た『茶の葉』の一号店だそうで、銀座の松屋に2号店がある(最近まで横浜クイーンズコートにもあったんだけど残念ながら閉店)とのことをお聞きすることができた。この場所で22年。そのスタイルとデザインは今でも十二分に新しい。
うーん、しかし設計者が誰なのかがどうしても知りたいぞ。どなたかご存知じゃありませんか?ともあれ、銀座のお店にも近いうちにぜひ行ってみよう。
茶の葉 たまプラーザ店/神奈川県横浜市青葉区美しが丘1-7たまプラーザ東急SC B1F
045-903-2157/10:00-20:00/不定休 (東急SCに準ずる)
3/12。お昼に恵比寿へ。CONFORT誌『伝説のインテリアデザイン』取材の下見を兼ねて『松栄寿司』で藁科さん・佃さんと一緒におまかせランチコースをいただいた。
このお店はインテリアデザイナー・高取邦和さんの1992年の作品。櫛状にスリットを切ったひのきの造作から漏れ出す間接照明がとても美しい。素焼きの陶板タイルをレンガ状に積み上げた壁が重厚かつモダンな印象を際立たせている。離れた場所にある2本のカウンター、階段とWCをからめたレイアウトなど、そのプランニングは紛う事無き高取デザインだった。料理も評判通りの美味しさで満足。
一旦解散後、夕刻に恵比寿へ引き返して、藁科さん・佃さんとともに工芸ギャラリーの『知器』へ。ついに高取邦和さんと再会。
実は高取邦和さんと勝野は以前に一度だけお会いした事がある。それは私たちが東京へやって来たばかりの頃、就職活動にあたって「とにかく作品だけでも見てはいただけないでしょうか?」と押し掛けたデザイン事務所のひとつが高取邦和設計室(現・高取空間計画)だった。当時私たちは高取さんの作品を『4℃』と『松栄寿司』と『おまけや』の3つくらいしか知らなかったんだけど、素材の持つ力を最大限に生かしつつも徹底してシンプルかつモダンなデザイン手法やライティングの美しさに心酔していた。中でも勝ちどきの駄菓子屋をカフェ付きに改装した『おまけや』は「なんとしてもこの人に会わねば!!」と決心させるのに十二分の衝撃的な作品だった。結局事務所への就職はかなわなかったが、高取さんと当時スタッフだった中村さんはポートフォリオを抱えた勝野をとても温かく迎えて下さった。その時、高取さんご自身の作品資料をたくさん見せていただいたのだが、広範かつ長期にわたる活動にもう愕然。高取さんは内田繁氏と同世代のデザイナーであり、スーパーポテト(代表・杉本貴志氏)の共同設立者だったのだ。
その後、いくつかのデザイン事務所を訪れたり門前払いにあったりしたが、高取さんにお会いしたことは勝野にとって格別に大切な思い出となった。野井さんが心の師匠in大阪ならば高取さんは心の師匠in東京だ。
今回も緊張の面持ちでインタビューに挑んだ私たちだったが、高取さんからはとても興味深くて勉強になるお話をまたもやものすごくたくさんお聞きする事が出来た。
高取さんが離れた後のスーパーポテトの作品について、空間デザインの手法としては、正直私たちは“そつなく質の高いジャパニーズインテリア”と言った印象以上のものはあまり感じられない(日本以外のアジアでのメガレストラン展開はかなり面白いらしいと聞く)。しかし高取さんの生み出す作品はその系譜を引き継ぎつつもあくまで斬新だ。その極みとも言うべき作品が『松下』と『おまけや』、そして『茶・銀座』だろう。これらの作品には店舗設計の定石を一旦完全に白紙にした上で丁寧に再構築したような、極めてオリジナル性の高い、それでいてあくまで合理的なプログラミングの妙を見る事が出来る。単なるインテリアを超えて、そこには現代の東京の都市空間の中で、店舗空間が本来持つべき姿を真摯に追求しようとする高取さんの哲学が明確に見て取れる。
緊張のインタビュー後、スタバでカフェラテを一杯飲んで、高取さんの最新作のひとつだと言う恵比寿銀座通り沿いのお店を探した。『松栄寿司』や『松下』の系列店ではあるが、なんとそれは立ち飲み屋だ。店名は『立呑』(直球だなあ)。建物の解体が決まるまでの期間限定の簡易な仮設店舗で、高取さん曰く「デザインと言えるかどうかは別にして面白い店だよ」とのこと。で、『松栄寿司』よりも少しばかり駅寄りの場所に“立呑”、“串ホルモン”の提灯を発見。近づいてみると驚いた事に高取さんと奥様、そして娘さんの三人が手前のカウンターでお食事中ではないか。
高取さんは入り口の引戸を開けてにこやかに私たちを迎え入れて下さった。そこは安価な木角材をバンバン打ち付けて厨房設備と照明を仕込んだだけの簡素な空間。狭い店内は客でスシ詰め状態だがそれが立ち飲み屋の醍醐味と言うものだ。カウンターに付いて、そこに置いてある小さな表に鉛筆でオーダーを書き、スタッフに渡す。スジ煮込みにゲタカルビ、ナンコツ、ハラミなどなどガンガン発注。これがどれもこれも美味いのなんの!ヤバい、この店はハマる。顔を見合わせる私たちの横ですっかりリラックスしてご家族と談笑する高取さん。
自分のデザインした店で、満杯の客のにぎわいに囲まれて、家族と一緒に美味いものを食べる。デザイナーとして、これ以上に幸せな事があるだろうか。
しばらくご一緒した後に高取さんご一家は先にご帰宅。私たちもひとしきり飲み食いしてお腹いっぱいになり、お勘定をお願いしたところ、2000円と少しとのこと。いくらなんでも安すぎる。きょとんとしていると店長さん曰く「あとは高取さんが払って下さってますから」。なんと言う事だ。高取さんにご馳走になってしまった。。。!!!